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本当の日本語 アジサイ の広場
横浜太郎 あわか 中3

   竹下 友樹
 

 この間本を読んでいたら、中国の人がこんなことを言って(書いて?)いた。
 

 「日本語は難しい。」
 

 その人曰く、「中国語は漢字ばかりでよい。また英語もアルファベットだけだ。しかし日本語は、漢字、平仮名、片仮名、アルファベットを使い、『日本
語』だけでなく英語も使っている。これでは、日本人以外が日本語を覚えるのは至難のわざだ。」と。  

 確かに、我々の周りには漢字、平仮名、片仮名、アルファベットがずらりと並んでいる。また、本来は英語であるのに日本語として定着したものまである
。こんなにバリエーションに富んだ言語はそう多くないだろう。では『本当の日本語』とは、どういうものだろうか。  

 戦中の日本では外来語を使うことはほとんど許されなかった。極端な話では、野球をやるとき、どうしても外来語を使うことになる。そのため政府はスト
ライクを「よし」、ボールを「だめ」というように決めた。そのときの審判は、相当やりづらかっただろう。極端に言えば、このときの『日本語』は外来語 がなかったわけだから、純粋な日本語である。しかし、今まで日本語になかったものを「無理やり」日本語にしたわけだから、これは本当の日本語ではない  

 また、昔(平安時代くらい)は万葉仮名と呼ばれる漢字版ローマ字のような文字が使われていた。このときには平仮名も片仮名も、ましてやアルファベッ
トなど存在しないから、そういう意味では他の言語と、表記の面では似ている。イロハ48文字しかないので、ノンジャパニーズの人には覚えやすいのかも しれない。しかし、これも僕が考える「本当の日本語」ではない。(万葉マニアの人、ごめんなさい。)  

 最近、いわゆる「語尾上げ」の言葉と、「省略語」が流行ってきている。例えば「彼氏」を「カレシ↑」と言ったり、「携帯電話」を「ケイタイ」と言っ
たり…。「ケイタイ」では何のことかわからぬではないか。世の中にはケイタイと名のつくものはたくさんあるぞ。携帯ラジオに携帯ゲーム、携帯辞書に携 帯サイズ…、と危なく数えそうになってしまったが、しかし本当に最近の若者(あっ、僕も若者だ)の言葉には、ついていけないところがある。一時期「チ ョベリバ」(超ベリーバッドの略らしい)という言葉が流行ったが、解説してもらわなければ、何のことだかさっぱりわからない。そして、「よし、チョベ リバの意味がわかったぞ!」(うれしいんかい!!)と思っている間に、もうその言葉は死語と化している。本当に社会が早送りみたいになってきている。  

 日本語。本当にこの言語は難しい。微妙なニュアンスで、同じことを言っても別のことに思えてくる。しかし、ただ日本語は難しいだけの言語なのだろう
か。今日の日本語は、漢字を使い、平仮名を使い、片仮名を使い、アルファベットまでも使っている。確かに一見難しそうである。しかし、この多くの文字 を使うことにより、他の言語にはない、きわめて細かい、微妙なニュアンスの表現ができる。ためしに、広告を全てどれか一つの文字に置き換えてみると良 い。その商品の説明が、半分くらいわからなくならないだろうか。日本語の文字は、いろいろ組み合わせることにより、その効果を120%まで引き出す。また 文字だけではない。英語も大きな役割を果たしている。確かに戦中の純日本語がよいという人もいるだろう。しかし、僕が考える本当の日本語。それは多く の文字、言語を「適材適所」に組み合わせることにより、他の言語にはない、素晴らしい表現ができる言語のことである。                                          
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