先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
情報判断力 アジサイ の広場
あやの あしわ 高3

 テレビやインターネットその他情報通信機器の発達に伴い私たちは自らの判断力を失いかけていて、さらにはその事実にさえほとんど気づいていないのだ
。情報が飽和したこの社会で今後我々はどのように判断力を養い、情報の渦に巻き込まれないよう自律を保つことが出来るだろうか。  

 社会のIT化が進むにつれて我々は四六時中情報の中で生活する事になる。私たちはその情報に触れることで世界、環境を知り、社会とのつながりを得る。
しかしこの場合の知る行為はあくまでも情報で知るのであって、たとえ画像や音声を通じて知ったものでも、それは実体験に基づいて知ったわけではない。 情報はその性質上加工された擬似現実であることを禁じえない。そのため我々が最も気をつけねばならないのが、その情報は誰によって、いつ、どこで、ど んな方面からキャッチされたものであるかを確認し、疑問を持ち、すべてを鵜呑みにしないことだ。時にはこのことすら確認が取れないものもある、なぜな ら情報の加工は公的にも行われているからだ。  

 だがここでひとつ覚えておく必要のあることは、情報には中立公平なものなどないということだ。なぜなら情報は、情報に加工される段階ですでに書き手
、発信先の主観が織り込まれているからだ。主観によって事物が情報にされるとさえいえる。そのため我々は加工された情報からその核たるものにより近い ものを取り出して理解したいならば、各々にそこに既に混入されている主観の要素を察知した上で読み取る技術が必要となる。そこで私は自らが書く、情報 発信する主体に成ってみることを勧める。何よりも自分で情報を加工してみると、一般に情報がどのように加工され、どんなトリックを使って相手は我を陥 れようとし、どうすればより多くに自分の意見が分かってもらえ、どのような文章構成なら読みやすいのかなど、逆の立場に置かれることで多くを学ぶ。そ れらをインターネットのホームページなどに掲載してみてどのような反響を得られるかどうか試してみるのもまた一つの、情報の性質を知る上での、経験と なるだろう。  

 グローバル化、IT化の中で我々は否が応でも情報と上手く付き合いながら生活を送らねばならない。その為にはまず情報の渦に飲み込まれないよう主体的
に判断する力を身につけ、普段とは少し違った位置から情報のあり方を見つめることをお勧めしたい。  

 
                                                 
ホームページ