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途上国への援助のあり方 アジサイ の広場
Lisa あいす 高1

 貨幣を媒介としてしか豊かさを手に入れることのできない生活の形式の中に人々が投げ込まれる時、貨幣が人々と自然の果実や他者の仕事の成果とを媒介
する唯一の方法となり、所得が人々の豊かさと貧困、幸福と不幸の尺度として立ち現れる。現在一日あたりの生活費が一ドル以下という人々が貧困層とされ ている。政府の政策によって一ドル以上になろうとしているが、実際は幸福のいくつもの次元を失い、不幸を増大する可能性の方が多いのだ。本当の幸福を 得るためには、政府の政策や先進国からの援助の内容をもっと変えて行くべきではないだろうか。  

 そのためには、援助する側が援助される側の現状を良く知った上で、なにが最も必要とされているかを見極めることが必要だ。以前先進国が途上国へバス
を送った。そのバスは故障するまでは使われていたのだが一端故障をしたら、修理する技術がないため、そのまま放置されっぱなしだという。バスは交通手 段として便利なものだが、使い捨てのように使われるだけで、ゴミだけが増えていくという現状では援助のやり方を見直す必要があるだろう。水道管をひい たために、住民の生活スタイルを崩してしまったという例もある。相手の生活スタイルを守りつつ、援助していくことが大切なのだ。  

 また、援助する側が、先進国の幸福の基準が、必ずしも途上国の幸福の基準と一致するものではないということをしっかりと認識しておく必要がある。先
進国は貨幣経済にどっぷりとつかっているため、所得が多ければ多いほどよいと考えている。その考えをもとに工場やお店を作ったとしても、自給自足によ る生活をしていた人々にとっては、必要のないものが生活に介入され、むりやり貨幣経済に押し込まれたといっても過言ではないだろう。  

 確かに、先進国が援助し少しずつ貨幣経済へ移行していくことも大切だ。いつまでも、自給自足の生活を送っていたら、ますます先進国と途上国の発展の
差が開いてくるだけだ。しかし、人間は誰もが幸福になる権利を持っている。人々の幸福を奪ってまで、貨幣経済へ押し込む権利を先進国は持っていないは ずだ。先進国では、先進国なりの幸福観を持っており、途上国は途上国なりの幸福感を持っている。それは、生活スタイルの違いから生じたものであり、ど ちらが正しいとはいえない。発展の差が広まることはよくないことだ。生活スタイルを守りながら、人々の気持ちを考慮しながら、少しずつ援助していくこ とが、大切である。  

 
                                                 
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