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進化論の失策
アジサイ の広場
あやの あしわ 高3
 進化論は自然科学の理論としては正しかった。「適者生存」の法則で生き延
びる物と耐える物が出現するのは科学的に証明された。しかしこの「進化論」
を社会的問題を扱う為の思想としたことは、大きな誤りであった。それはドイ
ツナチズムによるゲルマン民族の優秀性を強調した政策でわかるだろう。彼ら
は進化論の科学的権威の名の下に、「優性」の人間と「劣性」の人間とを差別
することを正当化した。
 
 確かに自然科学と社会科学の論ずるところが互いに密接し合っていることが
頻繁にあり、社会科学としては自然科学的理論を用いることでその信頼性を高
めたいと思うかもしれない。しかし社会科学と自然科学の焦点とし追求すべき
ものは異なる。前者には価値観が大きく作用し、人の幸福を追求するが、後者
は自然を研究対象とし、その法則性を追求する学問である。このように根本的
な理念を異にするものの結果のみを、私たちは安易に適応させるべきではない
 
 例えば、自然科学の正当化する「弱肉強食」の理論を社会科学に用いるのは
大きな危険を孕んでいる。「弱肉強食」は資本主義社会の基となる理念でもあ
るが、社会はこのような事態を極端に加速させない為に弱者側の支援を強化し
なければならないし、それ故に強者側が弱体化してしまうような事態も阻止し
なければならない。
 
 自然科学の法則を社会に適応させるためには、先ずその法則が人間の倫理的
に正しいかどうかの判断が重要だ。そしてその法則がそれ自身の理念から外れ
て一人歩きしはじめないように、常に監視される必要がある。
 
 中世から近代、近代から現代に至るまで、自然科学は私たちの社会の在り方
に常に新しい提案を投げかけ、方向を示唆してきた。これからもその傾向は続
くであろう。そのターニングポイントで私たちは二度と同じようなミスを侵さ
ないように、過去の反省すべき点や今後起こりそうな問題について双方の立場
から意見を交わすことが必要だ。
 
 未来は未定であり、どう転換するかは分からないが、私たちはそのいつかの
ために監視し議論し続けることが必要だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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