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機械化の社会のあるべき姿
アジサイ の広場
由樹子 あるさ 高2
 機械というのは、本来人間が行う動作を少しでも楽にするための物である。
しかし,世の中にはなぜか機械に強い人、弱い人がいる。これはどうしてだろ
うか?私の家族を例にあげてみると、父親と私は機械に強いが、母親は機械を
使うより、はるかに手作業の方が早い。こうした違いがなぜ生まれるのかは疑
問であるが、これはきっと生まれてどれだけ機械に触れ合ったかにもよるので
あろう。しかし、こうした違いがある限り、この機械を作るときには機械に弱
い人も含めてみんなが便利になるように考えるべきである。この最低限のこと
が達成されていない社会には問題があるのではないか?
 
 その原因として考えられるのはまず、企業の利益を優先してしまうことにあ
ると思う。機械はできない人にあわせてしまうと、その品質がどうしても下が
ってしまう。そうすると、機械を使いこなせる消費者側は納得がいかない。そ
うなると、今や機械を使いこなせる人が増えている分、当然できる人の意見に
企業は合わせてしまうことになるのだ。
 
 また、最近ば携帯電話等が若い世代にも広がっていることだ。今日では高校
生をはじめとする多くの若者が機械を操っている。若者は、昔よりもはるかに
機械に触れる機会が多いため、当然機械に強い人間が急増する。今日ではコン
ピューターの授業がほとんどの学校で行われている。こうした世界の機械化が
進む中で、企業は機械に弱い人にかまっていつ余裕はないのだ。
 
 しかし、そうした理由はあるにせよ、利益ばかり求めるのではなく、機械に
弱い人の配慮のして、もっと分かりやすい機械も作るべきである。そうすれば
、より多くの人が機械に触れ合うことができ、もっと身近に感じられるのでは
ないか?
 
 こうした、双方の意見を取り入れることによって、企業の利益だけを尊重す
る日本から、みんなの利益を尊重できる日本に成長できると思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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