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 知識という名の禁断の果実
エンジュ の広場
松の木 あなす 中1
 知識という名の禁断の果実
 
 「見テ知リソ知リテナ見ソ」見てから知るべきである、、知ったのちに見よ
うとしない方がいい、という意味でしょうが、じつはもっと深い意味があるよ
うな気がする。つまり、われわれは「知る」ということをとても大事なことと
して考えています。しかし、ものごとを判断したり、それを味わったりすると
きには、その予備知識や固定観念がかえって邪魔になる事がある。だから、ま
ず見る事、それに触れる事、体験する事、そそてそこから得る直感を大事にす
ること、それが大切なのだ。
 
 私にとって初めに感じたことをもし、人に伝えなければならない時はとても
無理だと思う。なぜかというと人それぞれにいろいろな感じ方があるからだ。
例えばバナナがおいしいと感じる人にどういう味と聞いても具体的には教えら
れるものではないし、味わってもその人と同じ味がするとは限らないからだ。
言葉でもそうだ、私の体験談なのだが今日6月12日月曜日1時間目
 
 私達のグループはかまくらの遠足の新聞を作っていてある見出しの所の内容
に「荒井」という男子がいていきなり「イニシャルで書いてもいいか」と聞く
ので私は新聞の内容ならいいかと思い「いいんじゃない」と答えたのだがじつ
は、荒井は私の事をイニシャルで書いてもいいかと聞いたつもりなのなのであ
った。そして私の事をばかにする内容でかいていたのであった。わたしはもの
すごく怒って思いっきりすねを蹴り飛ばした。今でもわたしは荒井の事を許し
ていないし、荒井もなんで俺が悪いんだと自分のやった行いを認めているので
ある。とにかくいろいろな感じ方があるのだと改めて分かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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