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メディアは活用するべきか
アジサイ の広場
○○○○ あう 大2
 社会が異なれば、例えばナバホ・インディアンは子どもを自立したもの考え
ているように、様々な子ども観がある。今日の我々の子ども観はフランスの歴
史家フィリップ・アリエスによれば主として近代の西欧社会で生まれたもので
あるという。一方日本においては、学制の公布を通して制度的に「子ども」が作
られたと言える。しかし柄谷行人は、制度に加えさらに文学によって初めて近
代的な「子ども」が生まれたと述べている。
 
 「宇多田ヒカルの曲はなぜあれだけヒットしたのだろうか?」
 
 この問いに対する答えは様々であると思う。友人の中には宇多田ヒカル自身
の魅力や彼女の曲のすばらしさを力説する人もいるが、それ以上に「周りの人
がいい曲というから」という人が多い印象がある。冒頭で述べた柄谷氏の主張
に沿って考えれば、明治時代における「文学」に相当する「メディア」によって「
宇多田ヒカル」が生み出されたと言えるのではないだろうか。
 
 このようにメディアが人々の認識に大きな影響を及ぼし、それが世の中に大
きな変化をもたらすことになる。宇多田ヒカルのブレイクはその一例といえる
のであろうが、このようなメディアの力を熟知していたのがヒトラーが率いる
ナチスであろう。彼はメディアを巧みに利用することによって民衆を扇動し、
第2次世界大戦へ導いたことは周知のとおりである。したがってメディアの力
の扱い方を少しでも誤れば世間に深刻な影響をおよぼすことになりかねない。
 
 しかし逆の見方をすれば、メディアを活用することによって社会を大きく変
革することができるということになる。では、メディアはどのように活用され
るべきなのであろうか。我々はどのようにメディアと接すればいいのであろう
か。その対策の一つにはインターネットの接続料の引き下げやインターネット
に関するインフラをさらに充実させることが考えられる。インターネットによ
って各個人でも、今までメディアが持っていなかった力を持つことができるよ
うになった。したがってインターネットを通してメディアの力を利用できる機
会を設けるようにすれば、メディア活動も活発なものとなるであろう。
 
 確かに、今のメディアに問題がないわけではない。数年前、神戸の少年の首
を切断した犯人の名前と顔写真を、その犯人が青少年であるにもかかわらずホ
ームページに掲載したことが大きな問題になった。この犯人の顔写真と名前を
公開するべきかどうかという議論は別としても、個人のプライバシーをどのよ
うに確保するべきなのかという課題は解決されていない。しかし、ネット化、
多チャンネル化した現在においてはメディアの力を積極的に利用することを考
えてみてもよいのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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