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国の人は国の文化
アジサイ の広場
馬のしっぽ はり 中3
 一つの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体
系を身につけることである。しかし、それらはある一つの方向づけをされてい
る。しかし、我々自身はそれに必ずしも気付いていない。自分だけの考えを大
切にするのではなく、自分と違う価値観も理解できる人間になりたい。
 
 ではそうなるためにはどのようにしたら良いだろうか。
 
 第一の方法として周りに対してオープンになることだ。子供の頃は、自分の
身の回りのことに、柔らかい心で接することができ、社会では当たり前とされ
ていることに、「なぜ?」と疑問を抱いたことがあったが、中学三年にもなって
くると、ある程度周りに対して、「○○とはこういうものだ」といった固定観念
が、無意識のうちに出てきてしまう。それはそれで仕方がないことだが、もっ
と周りとコミュニケーションを取り、自分の考え・相手の考えをどんどん知っ
ていけば、自分の中にある固定観念や感受性は刺激され、違った価値観や文化
を理解できるのではないかと思う。
 
 中学一年生の時にアメリカに行った。その時、アメリカの文化は日本の文化
と違って、白黒がはっきりしている文化であることを知った。日本のように「
ええ」・「まあ」・「そうですね」といった、曖昧な言葉ではなく、「はい(
YES)」と「いいえ(NO)」とはっきりしていた。国語の授業で扱ったこ
とがある話の中にこんな話があった。他国からの蹂躪が多かった国の人々は、
お皿を割ってしまいそれが自分の不注意によるものでも「このお皿は今日割れ
る運命にあったもので、私の責任ではない。」と言い張るそうだ。なぜならば
、蹂躪があった頃、自分の非を認めてしまえば、自分の家族が殺され、自分達
が所有していたところ・ものがすべてとられてしまった。今は蹂躪がなく平和
に暮らしているが、過去にそういうことがあった経験から、その国の人々は自
分の非をそう簡単には認めないそうだ。そのため、日本の習慣が理解できない
と言った。それは、日本人は自分の不注意で問題が起こった場合、すぐに「ご
めんなさい」と謝り、丁寧な人ならば「私の責任です。弁償させていただきま
す」と言うからだ。これは私たちにとったらごく当たり前のことで、「どうし
て理解できないのか」とこちらが疑問に思ってしまう。
 
 確かに、周りの価値観を理解しすぎて、自分の価値観や感受性と言った、も
のを感じる根底にあるものを失う、或いは理解できなくなってしまうことは困
ることだ。しかし、人間の価値観と言うものは、その人間に起こったことだけ
ではなく、その人がいる国に昔から続いている歴史や、慣習・文化というもの
が関わっている。最初から自分とは違う国の文化を知ることはすごく莫大とし
ていてどこから手を付けていいかわからなくなるが、そこに住む人はその国の
文化を具体的に示している。私たちは他の国の人々とコミュニケーションをと
ること、また海外に限らず国内でも様々な人とコミュニケーションをとること
で、その人の価値観を知り、その国の言葉・その地方の方言を知ることで徐々
に理解できるのではないか。私はそんなふうに理解できる人間になりたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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