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異文化を学ぶ
アジサイ の広場
りさ あいす 中3
 「すみません」という言葉は、一見相反するとも思える、お礼の意とお詫び
の意を兼ね備えている。日本語をしゃべらない、外国の人たちに言わせれば、
不思議な言葉なのだが、よくよく考えてみればそれなりの理由があるのだ。こ
の言葉というものは、その国その国の文化を知らず知らずのうちに作り上げて
いる。ゆえに、一つの言葉を習得して見につけるということは、その言語圏の
文化の価値体系を見に付けていることなのだ。これからの社会は国際化が進む
いっぽうだ。このような社会では他国の言葉を学ぶことが、重要視されよう。
言葉を学ぶためには、その言語圏の文化の価値観を受け止められる、広い心が
必要なのだ。
 
 では、異文化の価値観を受けとめる広い心を養うためにはどうすればよいの
だろうか。まず、自分が思っている常識を捨てることが必要だ。自国の文化と
、異文化では根本的に考え方が異なったりし、自分の常識を覆される事がしば
しばある。そのたびに文句を言っているようでは異文化を学ぶことはできない
。私はこの春、一ヶ月ほどアメリカに行き、ホームステイをしながら、現地の
高校に通わさせてもらう。これは学校のプログラムなので、今このプログラム
実現のためにいろいろと準備におわれているが、渡米する際、必ず先生から言
われる注意事項は、「自分の意見ははっきりと自分から言う事」である。日本
は、相手の気持ちを察し合う文化だが、アメリカは違う。自分の気持ちは、言
葉に出して始めて相手に伝わる文化なのだ。このことについて、いちいち「日
本は相手のことを思いあっているのに、なんでアメリカはこんなにクールなの
だろう。」と疑問を持っていたら、いつまでたっても日本の文化から抜け出す
事が出来ず、アメリカ文化を学ことさえ、できなくなってしまう。
 
 また、他国との情報交換をするということも、必要だろう。なにも他国の情
報がなければ、どんなに広い心をもっていたとしても、あまりにもショッキン
グなことを急に知ったらびっくりしてしまい、外国語を学ぶどころではなくな
ってしまう。書店に行けば、他国の本があり、テレビをつければ他国の情報が
流れてくる。このような環境が、外国語を学ぶため、文化を身に付けるために
は必要なのだ。
 
 確かに、何も知らずに突然外国に行くこともおもしろい。見るもの、聞く事
全てが新鮮で、驚きが連続するだろう。しかし、他国の言葉を学び、身に付け
、同時に異文化も身に付けるためには、ある程度の準備は必要だし、ある程度
情報も必要だ。「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産では
ない」という言葉があるように、新しい言葉を身に付けるということは、自分
の財産でもあるのだ。自分の財産をつくうためにも、広い心を持ち、異文化を
見につける事が大切なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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