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テレビと本
ウグイス の広場
チョロすけ ふか 小6
 
 
 
 娯楽としてテレビや映画などは、こちらが受け身となり分かりやすく、気軽
に観られる物である。ところが本を読む時は、読む速度を加減したり、つまら
ない所を省いたり等、こちら側の自由が大きい、つまり積極的にならないと駄
目だ。
 
 「この絵はわからない。」「この音楽はわからない。」という人が良くある
 
 これは、人それぞれ好き好きと言う事で、かたづけられる。しかし本を読む
と言う事は、分からなければ無意味だ。すべての本は言葉から出来ていて、す
べての言葉は何かを意味するからである。その意味を捕え、意味と意味の関係
を理解することが本をよくわかることなのだ。
 
 しかし世の中には子供には分からないような
 
 難しい本がある。どうすればそれを理解する事ができるかと言うと自分の分
からない本を読まない事だ。さすれば絶えず本を読みながらどの本も理解する
事が出来、いつしか難しい本も理解する事が出来る。
 
 最後に誰にも分かりやすい本はあると言う事。
 
 ぼくが昔、友人の家へ遊びに行った時の事だ。友人の父が
 
 「ゲームがやりたければ読書50ページだ!!」「えっっっっ?」
 
 ぼくはたいそう驚いたが友人は何食わぬ顔をしていた。きっとこんなの日常
茶飯事で、「余裕だな、俺なんて300あったって平気なくらいだ」とか思っ
ていたに違いない、ぼくはこの時から友人を尊敬の眼差しで見るようになって
いた。(^o^)
 
 僕は今までせっきょく的に本を読んだ事が無かったので、いいきかいだ少し
だけ読んで見ようとそこらへんの本に手を付けてみた。すると、
 
 「えっラジオのもとになった「蓄音機」ってエジソンが作ったの?(どうや
らエジソンの伝記だったらしい。)エジソンってこんな偉いのか。」
 
 いろいろな知識をみに付ける事が出来た。この後100ページ位読んで本来
の目的を忘れる。
 
 この事がきっかけで本が好きになり、自分から積極的に本を読むように成っ
た。
 
 人間とは何事も積極的にやらないと行けないと思う。テレビを受け身になっ
て、見ているだけのように、人にやらされているのでは、己の力はつかない。
 
 本を読むようにどんな事も積極的な態度でやることがたいせつだとおもった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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