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タイショスベキコト
アジサイ の広場
幸子 あさも 中2
 慰霊祭のたびにある官僚達の挨拶で、「……皆様の尊い犠牲の上に今の平和
がある事を決して忘れず……」という言い回しを何度か聞いた。本当にそうだ
ろうか。戦争をもっと早く終わらせて降伏していれば、もしくは戦争をしてい
なければ、何万もの犠牲は出なかったのではないだろうか。
 
 私は、物事を荒立てるのがきらいなので、けんかはめったにしないし、した
としても自分から折れて、すぐに仲直りをしている。この場合、なんでけんか
したかは考えないのだが、もしもけんかや戦争(規模が全然違う・・・)にな
りそうだったら、どうすれば事を荒立てないで解決できるかを考えなければい
けない。
 
 しかし、日清、日露戦争や、第二次世界大戦が起こってしまったという事実
は消えない。もう起こってしまったのだから、反省しなければいけない。も犯
罪をしたくもないのに、なんかぐっさりと殺ってしまった。この場合、どうす
れば事を荒立てないで・・・以前にもう反射的に殺っちまったもんはしょうが
ない。反省をする。もうしないように、と。そうすればまわりが許してくれる
(かもしれないし違うかも)。反省文を書く時、反省していなくってもひたす
ら反省しているふりをすれば、先生などはだいたい許してくれる。
 
 反省すれば、次第に解決法が生まれてくる。逆に解決をしようとすれば、前
回の反省が必要となってくる。人間は遭遇した事のない事態に出会った時、疑
似体験を探す。そして、どうすればよいのかをじっくりと考えてゆく。(その
前にぱにくって変なんなるひともいるけど。)「未来は、ひとりでにできる未
来と、自分で作る未来との二つがある」が、ひとりでにできてしまったものは
しょうがない。すぎた後にじっくり反省をする。そして、個々に対処していっ
て出来る物が、“自分で作る未来”である。波乱に満ちた(?)人生もおもしろ
くっていいが、自分で望んだ人生もいいではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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