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課題集 ニシキギ3 の山

○自由な題名 / 池新
○わすれものをしたこと / 池新
★わたしのペット、お父(母)さんの子供のころ / 池新
○むかし、ある外国人は / 池新
 むかし、ある外国人は

 むかし、ある外国人は日本の川を見て、おどろいていいました。
「これは川ではない、滝だ。」と。
 それほど日本は山がけわしく、川はみじかくて急なのです。雨がふっても、水はこうずいになっていっきに海へつっ走り、あとはたちまちかわいてしまう、あばれ川です。ヨーロッパのライン川や、アフリ力のナイル川のように、国から国へとゆうゆうとながれていく外国の大河(たいが)とは、まるでせいしつがちがいます。
 そんな「滝」のようなあばれ川の、はんらん原(川がつねにはんらんする平野を「はんらん原」といいます。)に、土地をひらいてきたのが日本人でした。はんらん原だからこそ、そこにはゆたかな水があり、そして、ゆたかな土がありました。こうずいがはこんでくる山の土はとても養分にとんでいました。けれどもまた、はんらん原だからこそ、水害のきけんな場所でした。
 日本人はそのあばれ川をじょうずにおさめて、そこに文化をきずいていきます。とうぜんながら、水をおさめるということが、なによりもたいせつなしごとでした。水をおさめなければ、土地はつかえませんね。水をおさめなければ、水もつかえませんね。こうして、水とのたたかいがはじまります。これを「治水」といいます。日本人の水のおさめかたは、世界でもひじょうにすぐれたものでした。
 ではそれは、どんな方法だったのでしょうか。いまのようにがんじょうな堤防を、どこまでもつなげていったのでしょうか。
 むかしの日本人の川とのつきあいかたは、いまとはまったくちがいました。ひとくちでいえば、「ふった雨を土に返そう。」としたのです。こうずいもうけいれて、できるだけ土に返し、水がいちどに川へおしよせないよう、心をくだきました。こうずいを、わざわざあふれさせることもありました。

「川は生きている」(富山和子)より抜粋編集

○窓際の席で / 池新
 恭一はドアの外にたたずんで、去年、一人で新幹線に乗ったときのことを思い出していた。恭一にとって初めての経験だったが、じつはそのときも何度かトイレに通った。ジュースのせいでも水のせいでもなかった。
 トイレから出てきた久子は、生真面目な表情で肩をすぼめていた。兄に苦情を言われないようにと気づかっているようすだった。
「手を洗えよな」
 恭一は妹の細い肩を押すようにして、洗面コーナーへみちびいた。それから、
「おまえ、さっき泣いたろ」
と、いきなり言った。
 ホームまで送ってきた母が、窓の外で笑いながら手をふったときのことだ。窓ガラスに顔を押しつけるようにして、妹は肩をふるわせていた。それを、ふいに思い出したのだ。
「おまえ、手をふって泣いたんだろ」
 久子は手を洗いながら、かたくなに黙りこくっていた。鏡に映っている顔が、また泣いているように見えた。
 しまった、と恭一は思った。なんでこんなに、いじわるしちゃうのかな。
「おい、ハンカチあるのか」
 急いでポケットを探った。しかし、すでに久子は自分のハンカチを出していた。
 去年、一人で伯母さんの家へ行ったとき、東京に着くまでに、恭一は何度も涙ぐんだ。ホームでの母との別れが悲しかった。このまま一生会えなくなるのではないか。そんなことを思うたびに、下唇がゆがんできたものだ。
 きっと久子も、あのときの自分と同じ気持ちになっているのだろう、と恭一は思った。
 座席に戻ってからは、優しく話しかけた。
「おい、眠ってもいいぞ。東京が近くなったら起こしてやるから」
「ううん、眠たくないもん」∵
 久子は車窓の風景へ目を向けていた。こころなしか声がうるんでいる。
「ガムやろうか」
「ううん、いらない」
 つむじを曲げたらしく、久子はよそよそしい答え方をした。恭一は雑誌をひらいたが、妹のことが気になって、なかなか漫画のなかに入り込めなかった。
「このまえ、おれ一人で来たときな」
雑誌に目を落としたまま話しだした。
「隣に、ふとったおばさんが坐っててさ。すごく大きないびきをかいて眠ってたんだ」
 久子は耳を傾けているようすだった。恭一は、いびきの真似をして鼻を鳴らした。
「あんまりうるさいんで、こうやってさ、腕を突っついてやったんだ」
 恭一は肘を使って久子の腕を小突いた。
「ツンツンって突くと、いびきがゴンゴンって鳴るんだ。ツンツンツンって突くと、ゴンゴンゴンだろ。面白くなっちゃってさ」
 久子が、くすくす笑いだし、腕を小突かれるたびに身体を揺すった。恭一も笑いながら、ますます大げさに作り話をつづけた。
「おい、ジュース残ってんだろ」
 さんざん笑ってから、恭一が言った。
「ぜんぶ飲んでいいんだぜ」
「……だって」
とまどうように久子がつぶやいた。
「いいってば、トイレに行ってもいいから。何度だって、ついてってやるよ」
 漫画を読むふりをしながら、恭一は言った。
 やがて列車がトンネルに入って、窓ガラスに久子の嬉しそうな横顔が映った。 (内海隆一郎「だれもが子供だったころ」)