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課題集 ニシキギ3 の山

○むかし、ある外国人は/ 池新
 むかし、ある外国人は

 むかし、ある外国人は日本の川を見て、おどろいていいました。
「これは川ではない、滝だ。」と。
 それほど日本は山がけわしく、川はみじかくて急なのです。雨がふっても、水はこうずいになっていっきに海へつっ走り、あとはたちまちかわいてしまう、あばれ川です。ヨーロッパのライン川や、アフリ力のナイル川のように、国から国へとゆうゆうとながれていく外国の大河(たいが)とは、まるでせいしつがちがいます。
 そんな「滝」のようなあばれ川の、はんらん原(川がつねにはんらんする平野を「はんらん原」といいます。)に、土地をひらいてきたのが日本人でした。はんらん原だからこそ、そこにはゆたかな水があり、そして、ゆたかな土がありました。こうずいがはこんでくる山の土はとても養分にとんでいました。けれどもまた、はんらん原だからこそ、水害のきけんな場所でした。
 日本人はそのあばれ川をじょうずにおさめて、そこに文化をきずいていきます。とうぜんながら、水をおさめるということが、なによりもたいせつなしごとでした。水をおさめなければ、土地はつかえませんね。水をおさめなければ、水もつかえませんね。こうして、水とのたたかいがはじまります。これを「治水」といいます。日本人の水のおさめかたは、世界でもひじょうにすぐれたものでした。
 ではそれは、どんな方法だったのでしょうか。いまのようにがんじょうな堤防を、どこまでもつなげていったのでしょうか。
 むかしの日本人の川とのつきあいかたは、いまとはまったくちがいました。ひとくちでいえば、「ふった雨を土に返そう。」としたのです。こうずいもうけいれて、できるだけ土に返し、水がいちどに川へおしよせないよう、心をくだきました。こうずいを、わざわざあふれさせることもありました。

「川は生きている」(富山和子)より抜粋編集