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私はこの数年間テレビ
イチゴの広場
酔月あも高3
 日本における言論の自由はアジアはもちろん、世界でも例を見ないほど保障
されているが、ニュースの判断基準にはあいまいさがあるのである。というの
も、記事や報道では、何が客観的事実であり、またどんなメッセージを発しよ
うとしているか分からない。また、数の多くの新聞と雑誌事実とテーマがほと
んど同じになってしまっているのも問題である。マスコミの役割はまず現在の
世の中の出来事を事実として客観的に伝えること。そして社会に対し危機回避
の役割を果たすことであり、個人的社会的に向上するための知識や情報を提供
することでもあるのだ。
 
 このままでは、まちがった真実で、50年前の戦争のときのように日本が強
いと思っていたら、おおきな痛手をくらうことになってしまう。だから、もっ
と意見と現実の区別が必要なのだ。
 
 日曜日の9:00ごろから始まるニュース番組のスポーツのコーナーが、まさに
それだ。中立をとっているといいながら、思いっきり巨人の応援をしている。
最近、視聴者からはがきが来て、巨人よりであることを認めた。だが、本当は
視聴者にいわれて、初めて修正するのではなくて、はじめからそういう体制で
番組を進めていかなくてはいけないのである。
 
 裸の王様というお話があるが、日本のマスコミはまさにこれではないだろう
か?情報という王様に透明な服という手下であるマスコミが作り上げた飾りを
つけたままで、世間に公開されるのである。世間の人々は、情報がそのまま伝
わったかのように思うが、実は見えない飾りをつけたものなのである。そこに
、真実との相違が生まれてくるのである。
 
 日本のマスコミは私意見のたっぷりはいった「現実」によって、一種のサブ
リミナル的効果を与えているが、それに惑わされず、真実を見抜いていかなく
てはならない。そしてまた、報道側も事実は事実として、ちゃんとしたボーダ
ーラインを設けて欲しいものである。
 
 朱に交われば、赤くなるというが、朱色の赤い成分と白い成分を見分けられ
るような、目が必要になってくるのである。
 
 これからは、プラグマティズムのように、役に立つものが正しいというので
はなく、事実もみてそれを考慮していかなければならないのである。