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https://youtu.be/_Idn6zQ7yEo
今日これで後からさ今日は昨日の中学生の保護者懇談会で出た話の中からちょっと面白い面白く全然面白くない話を紹介したいと思います。
オープン教育のこのページに載せているんですけども英作文の評価だけバスがついていたという話です。
これはあの以前も書いたことがあるんですけれども毎年何人かと言うかあの必ず聞くような話なんですけれども学校の正式で作文のところだけにバツがついしたっていうことなんです。
ねせっかく作文を習っていて長年勉強しているのに他のところは普通にできているけれども作文だけバツがついてるそれでお母さんも子供さんもちょっとがっかりしてこの衣装懸命勉強してるのによりによって勉強してる作文だけ呼ばせんだっていう話です。
これはもう何十年も昔になりますけどもやはりね同じような事がねあったんです。
ねそれは小学校5年生か6年生のよくできる子で真面目な子なんですけども作文ももちろんしっかり書けるこうでした。
でその子が家庭訪問で学校の先生が起きにね行ってきたそうです。
で色んな話をする中でお母さんがいないことどんなことやってるんです。
か作文習っているんです。
ねと言った途端に入れ先生の表情がちょっと変わって次の学期の通知表で作文のところだけしっかりバツがついたって言うね話です。
もう驚くような例が明らかな変化になったんですけどもその書いていくこの横浜の私立の中小一貫校の絵英語英語じゃなくてえーとねここにここには中学に合格するんですけどもとてもね真面目な子で勉強も作文もねちゃんとできてる子なんです。
ねですから、お母さんはその作文だけ通知表にバスがついていたからといってそれでうちの子とダメなんだと思います。
こういう系かだったんです。
よってたので良かったんですけれどもこういうことがあると作文とかねまたは普通にかけているぐらいの強虫学校の先生をで作文のとこだけバスがついていたとしたらやっぱりすごくねと言うかね自信をなくすと思うんです。
ねでそういう自信をなくした人が相談に来るって言うことはねあんまりない相談してくれればいいんですけれどもただそこでがっかりしてしまうだけっていうお母さんや子どもさんも多いと思います。
ねこれは消してね例外的な話ではないそんなに変な先生が多いとは思いたくないけれども実はね多い感じもするんです。
よねこれはあんまり行ってはいけないことなんですけども昔の学校の20周年記念っていうので行っている時にちょうどPTAの役員をやっていたんですがその時にその20周年記念で日の丸の旗を揚げるかどうかっていうことがね問題になったんです。
ね私は昔は左翼的な考えだったので日の丸を掲げるっていうことも良くない理由っていうのはそれなりに理解できるでももうこれからの時代は日の丸っていうのは右の勢力と左の勢力の2つだなくなっているっていう感じよもうだいぶ前からしていたんです。
ねですから、学校の20周年記念で日の丸の旗をあげるのは当然だっていうことでねあの小学校の組合の人達でね話をしたんです。
ねその時に思ったのは学校の現場まで世の中一般の常識からかなり外れたところであの話が行われているっていう漢字をしたんです。
ねでそれで皆さんの考えは世間の常識とちょっと違います。
っていたらみんな笑ってましたけどもあのそういう世の中の平均的な考えとちょっとずれたところにあるっていう風な感じを受けました。
だから、こういうの作文のところだけバツになるというようなこと似た話はかなり多いんじゃないかと思います。
でこれがどこが問題かというと罰という評価を付けることで何か教育的な意義があるのかっていうことなんです。
ねで作文に限らずあの算数でも英語で無理かでも社会でもいいですけれどもバスをつけるという評価をする時はどこが罰でどうしたら丸になるかを子供が理解できて実行できる形で示すっていうことだねやっぱり教育の一番規模なんです。
ねバツはついたけれどもどうしてます。
なのかわからない従ってどうしたら丸になるかわからない理解できない実行できないそういうバス停何か教育的な効果があるかって言うとただ自信を失わせるだけっていうことだと思います。
特に作文っていうのは客観的な評価しにくいところなので漠然と先生がまた見た人の時間で褒めたりけなしたりするっていう手があり非常に多いんです。
あの時間で褒めるのは別にそんなマイナスはないんですけども主観でけなすよね時間でバスにするっていうのは子供にとって途方にくれるようなバスなんです。
ねえ言葉の森が出発点として考えたのは決してそういう子供は理解できないようなバスはつけないっていうことです。
ね断るで評価の基準というのは項目と実数っていうの客観的な誰でもわかる評価を基本にしているで段落をつけるとか会話の会議をするとか状態を携帯で書くとかっていうことも知ってねこうすればまるになるって言うことを示しながら評価しているてことです。
ねさらに森輪転という名の暴力を評価する客観的なプログラムがあるのでこのプログラムをもとにして自分の作文の点数を見ればこういうところが、よくできている例えば、語彙が豊富だとかねまたは難しいことばっかり使っているとかまた使い過ぎだとかな誰がこの考える言葉が多く入っているとか入っていないとかそういうことがある程度客観的にわかります。
こういう客観的な評価が基本になって作文の勉強を進めていくところが、この客観的な評価っていうのは誰やろうと思えば誰でもできるそうではないんですけれども項目を入れて数を埋めるって言うのは頑張れば誰でもできる誰でもとは言わないとね実力と子すっていうのはかなり相関が高いのでどんなに頑張っても610を超えては書けないしているんです。
でもそういう子でも努力の目標が決まっているから自分がどうしたらいいのかわかるでただこの客観的な評価だけではその中身を上手にしていくっていうことはできないんです。
ねえ馬鹿にする勉強っていうのがあってそれが長文の音読と読書と親子なんで親子の対話っていうのもただ漠然とあの今日のご飯美味しかったまた焼きそば食べたいとかそういう大和ではなくて作文の課題に合わせた似た話親子で対話してくだから、子供さんが今度の作文の課題こういう課題なんだけど僕はこういうこと書こうと思うけどお母さん家にいた話あるという風なことを聞いてお母さんお父さんがお母さんの小さい頃こういうことがあってその時こんなことを考えたんだよっていうふうな話をしてそういう親子の対話つまり子供さんが作文を取材して準備してくるそして、毎日読書をするで毎日長文音読をするということがないように豊かにする一番の勉強法です。
で長文音読と読書は毎日がで原則なんです。
よく長文音読してます。
っていう人でも一週間に1回か2回とかねそういうのでもやってるつもりになってる人もいると思いますがこれはねあの原則として毎日ですから、あの毎日といっても1日読む時間は23分ですから、決して難しいことはないただ短い時間ですので週間なかなかしにくいで読書も毎日飲んでいる場所勇敢なるんですけれども1日2日休むと読書から遠ざかるってことは結構あるんです。
ねすから長文音読と読書は毎日が原則です。
このマインドし合っていてもわずか音読は23分読書は60ページおくとしても大体1時間ぐらいですから、あの時間としてあれかなり少ないんですしたがって上達には時間がかかることも課題あるんですが最低6ヶ月っていうふうに考えてるんですけども何か昔からずっとやってるけどあんま上手になってようなことを思う時もあると思います。
しかし、これらをちゃんとやっていて上手にならなかった子はいないって言うね本当です。
このことに確信を持ってあの学校の評価とは関係なくそれからお母さんの時間とも関係なく子供が真面目に項目を埋めて字数を埋めて毎日音読と読書をしているかどうかっていうことだけを基準にしてねあのたくさん褒めていくという風にしていくといいと思います。
今日は昨日の保護者懇談会でたまたま出会った質問がちょうどいい質問でね作文だけバスんだっていう話だったのでそういうお母さんがね多分他にもイラッあると思ったのでこういうに話をしました。
それでは