題名 | 楽しく勉強をしよう 68 |
名前 | 森川林 |
時刻 | 2005-06-06 10:39:20 |
勉強は、苦しみながらする方が本物だと思っている方が多いようです。 確かに、子供が自覚して勉強する年齢になってからは苦しいことも、本人にとっては一首の喜びにつながりますから、苦しいことが一概に悪いことではありません。高校生のころは、朝から晩まで勉強をして充実感を感じるということもよくあります。明け方まで勉強をして、薄明るくなった空を見て幸せに近い感覚を持った経験のある方も多いでしょう。 しかし、小学生のころは、勉強の動機は自分の内側からはなかなか出てきません。そこで、親は、無理に苦しく勉強をさせようとします。そこで出てくるのが、ダメだったら罰を与えるという勉強の仕方です。 例えば、今週書く予定だった作文を、つい遊びすぎて忘れてしまったというとき。「遊んだあなたが悪いんだから、今週、二つ書きなさい」というお母さんが多いと思います。このときの発想は、これで懲りれば次からはちゃんとやるだろうという考え方です。これは、これで一つの生き方です。決まったことをきちんとやるという習慣を子供のころからつけておけば、社会生活もスムーズに行くでしょう。 しかし、私(森川林)はこういうとき、ほとんどの場合こう言ってきました。「忘れたことはもういいから、今週からちゃんとやっていこう」。それも、しぶしぶ言うのではなく、いつも明るくほがらかに言ってきました。 苦しい思いをして身につけたことは、定着しません。罰を与えて、よくなる子はいません。人間は、もともと楽しいことをして、褒められて成長していくのです。 先日、免許証の更新に行ってきました。シートベルトをしていなかったので減点になり、見たくもないビデオを見せられることになりました。見る気がないので、放映中ずっと目をつぶって瞑想していました。そのビデオが、悪い人を罰する発想そのものです。主人公のやることなすこと、すべて悪い方向に向かっていくので、このビデオをしっかり見た人は、潜在意識的に事故を起こしやすくなったと思います。私だったら、もっと楽しく、危ないところだったがうまく助かってよかったというビデオを作ります。採用されないと思いますが。 子供のころに少し勉強をしたとかしないとかいうことは、どうでもいいことです。それよりも大事なことは、どれだけ幸福な時間を過ごしたかということです。 幸福な子供時代を過ごした子は、大きくなってから逆にがんばりがききます。苦しい思いをするのは、子ども自身が自覚的に苦しい道を選ぶ時期になってからで十分なのです。 |