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言葉の森新聞2014年10月3週号 通算第1342号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.今のパソコンとネットの水準では、まだ紙ベースの方が勉強がはかどる(つづき)
  ■2.難しい問題と、難しそうに見える問題
  ■3.通学でも通信でもない第三の学習スタイル、ICT教育の今後
  ■4.読書にすぐ飽きるのは、面白い本がないからではなく、まだ読む力がないから。大事なのは読む習慣をつけること
  ■5.理想の勉強スタイル
 
言葉の森新聞 2014年10月3週号 通算第1342号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.今のパソコンとネットの水準では、まだ紙ベースの方が勉強がはかどる(つづき) 枝 4 / 節 3 / ID 21603
【前号の記事】……
 通学教室では、ローマ字を習う小4からは原則としてパソコン書きとしていたので、このころ勉強した生徒たちは、パソコンのブラインドタッチが楽にできるようなり、社会人になってからいろいろ得をしたようです。
 そのパソコン中心の環境を、手書き中心の環境に戻したのは、作文を書く前に構成図を書くようにしたからです。(つづく)
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 作文は、小学校低中学年のときは、書きたいものがそのまま作文になるので、特に構成図を書く必要はありません。
 しかし、学年が上がるにつれて、書きたいものと書けるものとの差が出てきます。それは、学年が上がると、考えながら書くようになるので、書き進むにつれて書きたい内容が変化してくることもからです。
 そういう考える作業は、手書きで構成図を書かなければなかなか進みません。構成図というものでなくてもよいのですが、何しろ、ちょっと試しに書いてみるというようなことがないと、頭の中で考えていることが出てこないのです。
 頭で考えてそのまま文章に表せるのは、そのことについてすっかりわかっていることだけです。
 だから、簡単な文章を書く場合は、手で何かを書いてみるというようなことは特に必要ありませんが、まだ自分がよく考えていない新しいことを考えるといは、手書きであれこれ書いてみることが必要になるのです。
 手書きで書けば、二次元の平面を生かした自由な散らし書きができます。また、文字だけでなく、矢印や図や絵もその手書きの延長で入れられます。更に、パソコンで入力するときのような漢字変換のわずらわしさがありません。
 今のパソコンは、手書き文字認識機能も備わっていますが、まだ人間が紙にペンで書くときの操作性には追いつきません。
 これが、パソコンで勉強するときのひとつの弱点になっています。
 第二の問題点は、もっと本質的なものです。
 パソコンは、デジタル信号で情報を蓄積しているので、コピーやペーストが簡単にできます。それが利点でもあるのですが、同時にそれが教育においては大きな弱点になるのです。
 なぜかというと、人間は、物事を把握するときに、その物事の本質だけを把握するのではありません。その本質が載っている媒体と一緒に、媒体と本質を不可分の全体として把握することが多いのです。
 わかりやすい例で言えば、何かを覚えるときです。紙に書いてあるもので覚えた場合は、「あの本棚のあの辺にあった本で、そのどの部分に書いてあったようだ」ということまで覚えるともなしに覚えています。だから、勉強がはかどるのです。
 情報通信機器の情報として覚えた場合は、そういうことはありません。一見楽しく覚えられる工夫をしてあるように見えますが、実は、それは表面的な楽しさであることが多いのです。
 今のパソコンやスマホなどの弱点の第三は、一覧性のなさです。画面が小さいので、広く並べて俯瞰する、つまり大きく眺めるということができません。
 これがもしパソコンではなく、実際の机の上にカードを並べるような手作業の仕事であれば、机の大きさいっぱいに情報を並べることができます。机が狭ければ板を付け足すこともできます。
 人間の目は、画面をスクロールして見るようにはできていません。全体を一瞥して全体の感じをまずつかみ、それから細部を見るというふうにできています。
枝 6 / 節 4 / ID 21629
作者コード:
 
枝 61 / 節 5 / ID 21604
 この一覧性は、将来は技術的な工夫でパソコンやスマホやそのほかの機器でできるようになると思いますが、今のところ、たくさんのものを広げて眺めるという作業はパソコンには不向きな分野です。
 以上のように、ITC教育には、大きな弱点として、(1)手書きの感覚が生かせない、(2)形や場所という実感が残らない、(3)一覧性に乏しい、という問題があります。
 この問題点を、実際の「触れられる世界」と結びつけてカバーしていくことが、これからの必要になると思います。
枝 6 / 節 6 / ID 21630
作者コード:
2.難しい問題と、難しそうに見える問題 枝 4 / 節 7 / ID 21605

 算数数学の勉強で、一見難しそうに見える問題があります。しかし、答えを見て、解き方を知って、「なあんだ。そうなのか」とわかる問題は、難しい問題ではありません。難しそうに見える問題です。
 では、難しい問題とは何かというと、答えを見て、解き方を知っても、その解き方の考え方を理解するのが難しいという問題です。
 世の中に新しい考えが登場したとき、それは、多くの場合、理解するのが難しい考え方として登場してきました。ニュートンの力学もそうだったでしょう。ケインズの経済学もそうだったでしょう。近年では、量子論というが理解の難しい学問かもしれません。
 そういう本当に難しい問題に取り組むことが、思考力をつける道です。
 難しそうに見える問題は、パズルのような問題ですから、いくら時間をかけても本当の考える力はつきません。受験の算数数学の問題には、そういうパズルのような問題も多いのです。
 だから、受験勉強の仕方は、自分であれこれ考えるよりも、すぐに答えを見て解き方を理解することです。そういう勉強を積み重ねているうちに、初めて見る難しそうな問題にも、おおよその見当がつくようになってきます。しかし、それは、パズルに慣れたというだけで、思考力がついたというのではありません。
 では、小中学生で、本当に難しい問題に取り組むような勉強はできるのでしょうか。
 その一つが、難しい文章を読むことです。
 難しい文章といっても、さまざまな段階があります。ヘーゲルやハイデッガーのように超がつくほど難しい文章もあります。しかし、小学生には小学生なりに難しい文章、中学生には中学生なりに難しい文章というものもあるのです。
 その学年相応の難しい文章として参考になるのが、入試問題です。
 国語の入試問題集を読書がわりに読んでいると、書いてあることはわかるが、それを自分のものとして理解するのは難しいということがよくあります。そのとき、その子の頭の中では、新しい語彙や新しい概念や新しい思考法が育っているのです。
 しかし、問題集読書は、ひとりではなかなか続けにくいものです。
 本当は、子供が音読をして、それを近くで聞くともなしに聞いているお父さんやお母さんが、音読の終わったあと、その文章の内容に関して家族みんなで似た話をし合うような機会があればいいのです。
 言葉の森では、この家庭では続けにくい問題集読書を、寺子屋オンエアなどで続けやすくする仕組みを考えているところです。
枝 6 / 節 8 / ID 21606
作者コード:
3.通学でも通信でもない第三の学習スタイル、ICT教育の今後 枝 4 / 節 9 / ID 21607

 これからの勉強の環境はどうなっていくかというと、通学でも通信でもない第三の学習スタイルが出てきます。
 それは、ICT(Information and Communication Technology 情報通信技術)による教育です。わかりやすく言えば、パソコン(スマホなども含む)とインターネットを利用した教育です。
 現在のICT教育の多くは、まだ従来の通学型の授業と教材をそのままネットで配信するようなものとして考えられています。
 しかし、ICT教育の本来の授業の場は、家庭です。反転授業(家庭で学習をし、学校はその学習内容を発表したり交流したりする場となる形の教育)の普及に伴って、家庭での学習をいかにうまく組み立てていくかということが、今後のICT教育の成否を握るようになります。
 家庭での学習を進めるいちばんの動機は、人間の関わりです。単なる優れた授業や優れた教材が、子供たちを勉強に向かわせるのではありません。
 もし、優れた授業と教材だけで熱心になる子供がいたら、それは人間よりもむしろ機械に近い子供と言っていいでしょう。人間は、他の人間との関わりによって意欲を持つのです。
 しかし、パソコンとインターネットの利用は、もともとは勉強の効率化ということで考えられてきました。
 パソコンとインターネットを利用するときに、人間との関わりが必要だとなると、それは昔のパソコンやインターネットのない時代の一斉授業よりも能率の悪いものになる可能性があります。
 そこで、勉強の仕方そのものの変革が必要になるのです。
 しかし、今のICT教育は、勉強の仕方そのものは従来のままで、パソコンとインターネットを中心に、人間はできるだけ介在しない低コストの教育を目指しています。
 その方向は、面白い授業、面白い教材のほかに、試験、競争、順位付け、賞罰を活用することです。
 もちろん、多少の競争や賞罰はあってもよいのです。それは、人間どうしのコミュニケーションの一種として行われるのであれば全く問題ありません。
 しかし、今広がりつつあるICT教育は、競争や賞罰以外の動機付けを見出していないようなのです。
 なぜかというと、今のICT教育の根底にある教育観は、優れた教材と競争と賞罰の結果、優れた子が優れた教育を受けられるようになればいいというところにとどまっているからです。
 日本の江戸時代の寺子屋における教育観は、すべての子供が同じように優れた教育を受けられるというものでした。
 その根本には、人間にはもともと大きな差はないのだから、だれでも勉強の仕方次第に同じように優れた人間になれるという人間観がありました。
 これからのICT教育は、この江戸時代の教育観と結びついた形で行われる必要があります。
 そのためには、勉強の仕方そのものを、従来の「教える教育」から「教えない教育」に変えていくことが必要になります。
 教育における人間との関わりを、教えるための人間と教わるための人間の関わりとして考えれば、ICT教育は、従来の黒板での一斉授業よりも能率の悪いものになるかもしれません。
 そうではなく、教えない教育の中で人間どうしの関わりを実現していくことが、これからの新しい日本的なICT教育の学習スタイルになっていくのです。
枝 6 / 節 10 / ID 21608
作者コード:
4.読書にすぐ飽きるのは、面白い本がないからではなく、まだ読む力がないから。大事なのは読む習慣をつけること
枝 4 / 節 11 / ID 21609
 本を読まないとか、本を読ませてもすぐ飽きるというのには、いくつかの理由があります。
 多くの人は、そこで、子供が興味を持つような面白い本がないからだと考えがちです。確かに、誰でも引き付けられるような面白い本というものはあります。そのひとつは、「宇宙人のいる教室」(さとうまきこ著 フォア文庫)。大きな字ですぐに読み出せ、ほとんどの子がすぐに最後まで読み続けてしまいます。そして、内容にももちろん感動があります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4323010583
 しかし、本を読まないとか、すぐ飽きるとかの本当の理由は、本の側よりも、むしろその子の側にあります。
 それは、第一に、まだ読む力がないことです。例えば音読で時どきつっかえながら読むような子は、まだ読む力がないので、本を読んでいても、その楽しさを味わう以前に、文字を追って頭に入れる苦しさの方が先に立ちます。だから、どうしても長く読み続けられないのです。
 では、どうしたらよいかというと、それは読み慣れることです。読み慣れるためには、短いページ数(例えば10ページ以上)でよいので、何しろ毎日読む時間を作ることです。
 このぐらいのページ数であれば、強制しても何も問題はありません。むしろ、最初は強制的に読ませなければ読むようにはなりません。読ませれば読む力がつき、読む力がつけば楽しくなります。その逆ではないのです。
 本を読まない理由の第二は、親が、その子の読書力よりも難しい本を読ませようとしたり、長い時間読ませようとしたりすることです。しかも、良書と思われているものには、暗い本が多いので、子供は読んでいても楽しくないことが多いのです。
 では、なぜ暗い真面目なつまらない本を良書として読ませようとしてしまうかというと、それは子供が本を読まない理由の三つ目です。
 子供が本を読まない理由の第三は、親が自分自身楽しく本を読む習慣が持っていないからです。
 昔は本を読むのが好きだったということと、今楽しく本を読んでいるかということとは違います。
 子供に毎日本を読ませるためには、親も毎日楽しく本を読む生活を続けている必要があります。
 親が仕事で忙しくて読めないというのなら、子供も同じように毎日遊びや勉強で忙しくて読めないのです。実際、子供に本を読まない理由を聞くと、ほとんどの子は、「暇がないから」と言います。また、「読みたい本がないから」と言う子もいます。しかし、本当の理由は、読む習慣がないからなのです。
 では、どうしたらよいかというと、家族全員で読書の時間を作るのです。
 その時間は、例えば10ページ以上と決めて、誰もが自分の好きな本を読みます。本の読めない小さい子がいれば、その子は読み聞かせです。
 子供に本を読ませるためには、まず家庭の中で読む環境を作っていくことが大事なのです。
 小学校時代、勉強優先で読書を後回しにした子と、読書優先で勉強を後回しにした子がいた場合、どちらの子の方が将来学力がつくかというと、それは明らかに読書優先の子の方です。これは、単純すぎる言い方のように思うと思いますが本当です。
 勉強は、いつからでもやればすぐにできるようになります。しかし、読書力や読書の習慣はすぐにはできません。
 そして、読書の力という土台があれば、勉強の力はその上にすぐに建てることができるのです。
枝 6 / 節 12 / ID 21610
作者コード:
5.理想の勉強スタイル
枝 4 / 節 13 / ID 21611
 言葉の森では、今、理想の勉強スタイルというものを作れるよう、いろいろ工夫をしています。
 第一の柱は、創造的な作文教育です。作文というものは、どうしても採点する人の主観で評価することが多いので、より客観的な子供自身がその評価を理解できるようなものを目指しています。
 そのためには、第一に事前指導を作文学習の中心とすることです。
 第二には、語彙の豊富さなどをプログラムで自動的に計算し、子供がその数値の変化を自分の目で見られるようにすることです。
 この二つは、既に大体できていますが、今後はもっと生徒や保護者にわかりやすいものにしていきたいと思っています。
 第二の柱は、これから力を入れていくもので、全教科の本質的な実力のつく学習です。
 今の子供たちは、その親祖父母の世代の子供のころよりも、ずっと長い時間勉強しているように見えます。その傾向は、特に、小学校低中学年で顕著です。
 しかし、全体的な学力や思考力ということで見ると、かえって学力が低下しているような印象を受けることが多いのです。
 長い時間をかけているわりに実力がつかないというのは、勉強の仕方に問題があるからです。
 では、どういう問題があるかというと、まず第一に、いろいろなものに手を出し過ぎているということです。
 今の世の中は、教材や学習のツールが豊富なので、ついいろいろなものを少しずつやるような勉強になりやすいのです。
 しかし、学習内容が定着するのは、同じものを同じように繰り返し学習することによってです。
 だから、理想の勉強法は、1教科について1冊の問題集又は参考書だけを、徹底して反復し自分のものにすることです。
 ところが、なぜこれができないかというと、小さいころから目先の変わった楽しい教材に慣れているので、同じものを何度も繰り返すということが退屈に思えるからです。
 それでも、小学校1、2年生までは、子供も親の言うことをよく聞くので、退屈な勉強でも言われればきちんとやります。
 ところが、小学校3、4年生になると、親の力では、同じことを繰り返すような退屈な勉強を続けさせることが難しくなってくるのです。
 勉強は、毎日やるのが基本です。週に何回かがんばってやるという勉強法では、力がつきにくいだけでなく、勉強の習慣がつきません。
 大人は、曜日によってめりはりのある生活をしますが、子供は、大人とちがって、毎日同じことを同じようにやる方がいいのです。
 毎日、家庭で同じことができ、それを毎日先生がチェックしてアドバイスできるように作ったシステムが寺子屋オンエアです。
 これは、ネットを利用して、自宅で勉強している子供たちを先生が見る仕組みです。
 しかし、先生が見るといっても、従来の学習のように、先生が何かを教えるのではありません。先生に教わるのではなく、子供が自分で1冊の問題集又は参考書を毎日こなしていくのです。(つづく)
枝 6 / 節 14 / ID 21612
作者コード:
枝 9 / 節 15 / ID 21612
 
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