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言葉の森新聞2014年9月3週号 通算第1338号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.9月15日(月)・23日(火)は休み宿題(再掲)
  ■2.勉強はのんびり気長にやるほど得意になる
  ■3.英語学習の方法
  ■4.小中学校の勉強は、意欲、教材、方法、かけた時間に比例。考える力をつける本質的な難しさは読書と対話から
  ■5.寺子屋オンエアに見る新しいネット教育 1
  ■6.子供に自分で○付けをさせたら、答えを先に見てしまうのでは、という心配をしないために
  ■7.奪い合う社会から与え合う社会
 
言葉の森新聞 2014年9月3週号 通算第1338号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.9月15日(月)・23日(火)は休み宿題(再掲) 枝 4 / 節 3 / ID 21481
 9月15日(月)・23日(火)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日9時~19時50分、土曜9時~11時)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 課題の説明の動画「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/
 オープン教育の掲示板「森の予習室」にも、学年別の予習のヒントが載っています。
枝 6 / 節 4 / ID 21482
作者コード:
2.勉強はのんびり気長にやるほど得意になる 枝 4 / 節 5 / ID 21483

 小学校低学年の子は、作文でも、勉強でも、読書でも、遊びでも、みんな大好きです。生きていることがうれしくてたまらない時期ですから、どんなことも楽しく好きになるのです。
 ところが、小学校低学年のときに、何かが苦手になることがあります。ときどきあるのは、作文が苦手になるというケースです。
 その原因は、たったひとつ、早く上手に書かせようと思い、注意する量が多くなってしまうからです。
 親が、注意と思っていないような一言でも、子供にとっては注意と受け止められてしまうことがよくあります。
 だから、小学校低学年のころは、どんなに欠点があったり、不十分なところがあったりしても、ただひたすら褒めていればいいのです。
 そして、褒める一方で、気長に長文音読と読書と対話を続けていくことです。
 その音読と読書と対話も、やっているといろいろ気になることが出てきますが、全部そのまま認めて褒めてあげます。
 読み方を注意したり、話し方を注意したり、読む本を決めたりすると、やがて音読も読書も対話も苦手になっていきます。
 褒めるだけで上手になるのかといえば、そのとおりです。
 褒めていれば、みんな上手になり、得意になっていきます。早く上達させようと思い、注意すると、苦手になり、下手になっていくのです。
 人間は、繰り返していれば上達するようにできています。歩き方でも、走り方でも、喋り方でも、文章の書き方でも、続けていれば自然に上手になります。
 学年が上がると、アドバイスによって急に上手になるという場面も出てきます。しかし、その場合でも、それまでの長い蓄積があるから、一言のアドバイスで上手になるのです。
 だから、大事なのは、気長に続けていくことです。そのために、いつも気長に褒めていくことです。
 音読も、読書も、作文も、生活の一部となるぐらいに自然に続けられるようにしていくことが大事なのです。
枝 6 / 節 6 / ID 21484
作者コード:
3.英語学習の方法 枝 4 / 節 7 / ID 21485
 英語教育は、さまざまな専門家がいて、さまざまな教材があるために、かえって誰に頼り、何をしたらいいのかわからなくなっている面があります。
 そして、いろいろな教材に手を出しているうちに、結局どれも中途半端になり、時間をかけたわりに実力がつかないという、今の国語や算数数学など他の教科と同じようなムダの多い勉強になっていくような気がしています。
枝 6 / 節 8 / ID 21486
作者コード:
 
枝 61 / 節 9 / ID 21508
 英語学習の能率のよい方法を考える場合、それを英語だけに絞らず語学一般にあてはまるものと考えていく必要があります。
 そう考えるのは、今の日本の英語教育ブームと同じぐらい、やがてアジアや世界で日本語教育のブームが起きると思うからです。
 外国の人に、日本語の勉強の仕方を尋ねられたとき、自分の英語学習の仕方をそのまま外国人の日本語学習の仕方に適用できれば、英語を学習した以上の成果を得たことになります。
 そこで、外国人で日本語の学習を短期間で成功させた人の勉強法を調べてみると、そこには一つの共通点があるようです。
 それは、
1、基本となる教科書は1冊から3冊程度に絞り、いろいろなものに手を出さない。
2、そのかわり、その数冊を何回も繰り返し百パーセント自分のものにする。
3、自分のものにする方法は、その教科書のCD音声を聞いてそっくり真似できるようにする。
4、その教科書の文章を全部暗唱する。
5、その教科書の文章を全部暗写する。
という方法です。
 簡単な方法に見えるかもしれませんが、この繰り返して百パーセント自分のものにするという勉強が、ほとんどの人はできません。
 大抵は、8割ぐらいできたら飽きてくるので、次の新しい教材に移るという勉強をしているのです。
 これは、算数数学でも、国語でも、同じです。
 問題集を解く形の勉強は、こういう飽きっぽい勉強法を助長しています。
 問題集を解いて、その問題が○だったとしたら、本当はその問題はする必要のなかった問題です。解いただけ時間の無駄だった勉強なのです。
 ところが、ほとんどの人は、問題集を解いて○をつけて、それが勉強だったと思っています。
 本当の勉強は、×のついた問題を、そのあと何度も繰り返し解いて確実に○にするところにあります。
 だから、問題集は、問題集自体に答えを書き込むのではなく、別のノートに計算過程と答えを書き、問題集には○×をつけるだけにとどめておくことが大事なのです。
 この「繰り返して百パーセント自分のものにする」という勉強を、英語だけでなく、すべての教科に広げていくことが必要です。
 英語でも、算数数学でも、国語でも、勉強の基本は同じ、「1冊を繰り返して百パーセント」なのです。
枝 6 / 節 10 / ID 21507
作者コード:
4.小中学校の勉強は、意欲、教材、方法、かけた時間に比例。考える力をつける本質的な難しさは読書と対話から 枝 4 / 節 11 / ID 21487
 小中学校、つまり義務教育の勉強には、本質的に難しいものはほとんどありません。
 1冊の薄くてよくまとまった教材があり、それを繰り返して百パーセント自分のものにするという方法を実行すれば、あとはかけた時間に比例して勉強はできるようになります。
 その勉強を続けるもとになるものは、本人の意欲で、その意欲は、健全な競争心、仲のよい友だち、好きな先生、将来の夢などによって作られます。
 小中学生の勉強には、本質的に難しいものはないはずなのに、受験勉強になると、難しいものがあるように見えるのは、受験というものが点数の差をつけるために、本質的ではないところで難しい問題を作っているためです。
 本質的でない難しさとは何かというと、人間の自然の身体的感覚を離れたところから来る難しさです。
 例えば、理科の天体の問題は、3次元の立体の動きが中心になっています。人間は、2次元の平面的なところでものを考えることに慣れているので、立体化された問題はわかりにくいのです。
 しかし、これはただわかりにくいというだけで、本質的な難しさではありません。この一見難しい問題を、わかりやすい形に還元して考えるのに慣れることが勉強のテクニックです。
 同じように、人間の短期記憶は同時に7つぐらいまでのところしか把握できません。8つ以上になると急に混乱してきます。難しい問題と言われるものの中には、人間の短期記憶の容量を超えているから難しいというものもあります。
 これも、対処の仕方は、8つ以上の情報を、7つ以下の情報にまとめるのに慣れるということです。
 こういう非本質的な難しさが、勉強を難しいものに感じさせていることが多いのです。
 子供のころは、このような非本質的な難しい勉強に時間をかけるよりも、その分、たっぷり遊んだり、読書をしたりしている方がいいのです。
 このことは、特に低学年の勉強について言えます。低学年のころに、難しい勉強をさせても、勉強に対する否定的な感情を育てるだけにしかならないことが多いのです。
 それは、低学年のころの問題の難しさというものが、例えばややこしい文章題の問題のように、本質的でない難しさであることが多いからです。
 もちろん、勉強の中には、本質的に難しい勉強というものもあります。
 そのひとつが、日常生活の語彙を超えた抽象的な語彙を使って考える勉強です。
 その前段階の勉強が、物事の原因や結果や理由や方法という構造的な説明を理解する勉強です。
 そういう勉強は、小学校低学年のころは、主に両親との対話と読書によって培われていくのです。
枝 6 / 節 12 / ID 21488
作者コード:
5.寺子屋オンエアに見る新しいネット教育 1 枝 4 / 節 13 / ID 21489
 インターネットを使った教育が、広がっています。
 アメリカの大学が主導しているMOOCは、既に世界中の高校生に、優れた授業を無料で提供しています。
 また、小中学生対象には、ゲーム的な面白さを備えた魅力的なネット学習教材を提供する動きが進んでいます。
 教育の分野の中でも、理科や数学の分野は、国境を越えて世界共通の教育が可能です。
 だから今、世界のネット教育企業が目指しているものは、教育界におけるgoogleやamazonという、世界で1社か2社しか勝ち残らない熾烈な競争の結果生まれる独占的な教育市場なのです。
 しかし、この教育観の根底にあるのは、ヨーロッパ的な世界観です。
 それは、できるだけ幅広く大衆的な底辺を広げるとともに、その底辺の頂上をできるだけ高く引き上げ、合理的なピラミッドを作るという見通しを持った世界観です。
 この考え方は、現在の欧米の社会の姿と同心円をなしています。つまり、優れたリーダーのいる社会をいかに作るかということが、よい社会作りの中心になっているのです。
 このヨーロッパ的な教育観をピラミッド型の教育観とするならば、日本の教育観はその対極にあります。
 日本の教育では、優れたリーダーをいかに作るかということよりも、頂点も底辺も含めて全体をいかに底上げするかということに関心が向けられてきました。
 その考え方の根底には、人間は誰でも同じような可能性を持ち、誰もが自分の持ち場で創造性を発揮することが、よい社会作りの条件となるという世界観がありました。
 この日本的な教育観を、ヨーロッパのピラミッド型の教育との対比で言えば、森林型(と言っても雑木林のような森林)の教育観と言ってもよいでしょうす。
 この森林型の教育観におけるネット教育は、頂点をMOOCとし、底辺をゲームとするような教育ではありません。
 それは、ゲームとはほど遠いシンプルな教材をもとに、自学自習式の勉強と、人間どうしの触れ合いの中で行われる教育です。
 その勉強の成果は、点数によってつけられた序列の上位ではなく、それぞれの個性を生かした発表と創造です。
 この日本的な教育によって、子供たちのより本質的、創造的な教育が実現できるのです。
 (つづく)
枝 6 / 節 14 / ID 21490
作者コード:
6.子供に自分で○付けをさせたら、答えを先に見てしまうのでは、という心配をしないために 枝 4 / 節 15 / ID 21491
 問題集をやったときの○付けは、子供自身にさせるとよい、という記事を以前書きました。
 しかも、その○付けは、1ページ全部解き終わってからやるよりも、1問から数問解いたらすぐに○付けをする方がいいのです。なぜかというと、その方が×の場合のフィードバックが早いので、×だったところの理解が定着するからです。だから、答えを横に置いておいて問題を解くぐらいがちょうどいいのです。
 ところが、多くの子は、1ページ全部解き終わってから、まとめて答え合わせをしようとします。すると、勉強の中心が問題を解くことになってしまい、答え合わせはその勉強のおまけのような形になってきます。
 問題を解いて、もしその答えが合っていた場合、その問題を解くために費やした時間は、ただの作業の時間ですから、無駄の時間だったことになります。1時間算数の問題を解いていたとしても、その答えが全部合っていたとしたら、その1時間は何もしなかったことと同じです。
 しかし、だからと言って、難しい問題で×が続くような勉強は長続きしません。×が続く勉強は、肉体的にも精神的にも疲労するので、受験勉強として自覚して取り組むのでなければできません。
 したがって、いちばんよいのは、易しい問題で解き方に慣れることができて、ときどき難しい問題があって×がつくようなレベルの問題集です。そして、その×のところは、解法を見て自分なりに理解し、その解き方を身近なお父さんやお母さんに説明するのです。その説明は下手でもかまいません。自分なりに説明しようとすることが大事なのですから、聞いている人は、たとえその説明が要領を得ないものであっても、説明したこと自体を認めてあげる必要があります。
 ×の問題は、1回ではできるようにならないのが普通です。しばらくして同じ問題をやると、やはり×になります。そこで、また解法を見て自分なりに理解します。そういうことを繰り返しているうちに、自然に解けるようになっていくのです。
 自分で○付けをさせると、子供が先に答えを見てしまうので勉強にならないのではないか、と心配されるお母さんも多いと思います。
 しかし、そこがいちばん大事なのです。
 何も言わずにただ子供に○付けをさせるとしたら、子供が答えを見て、その答えを写して勉強をしたことにしてしまう、ということはあり得ます。
 だから、事前に、次のようなことを言っておくのです。
 「勉強というのは、自分の力をつけるためにやるのだから、○になることが大事なのではなく、なぜ×だったのかと考えることが大事なんだよ。だから、少しでもわからなかったらできるだけ×にしておくんだよ」
 こういう原則的なことを言うと、子供はすぐにその原則になじみます。すると、その勉強だけでなく、生活全体に一つの柱のようなものができてくるのです。
枝 6 / 節 16 / ID 21492
作者コード:
7.奪い合う社会から与え合う社会 枝 4 / 節 17 / ID 21493
 これまでの社会は、奪い合うことによって発展してきました。
 ある人が強力な矛(ほこ)を作れば、ある人はそれ以上に強力な盾(たて)を作るというのが、世の中の進歩の姿でした。
 ある人が鍵を作れば、ほかのある人がその鍵を壊す方法を考えるというのも、かつてはひとつの進歩でした。作ることと壊すことが相まってGDPを高め、社会を豊かにすると考えられていたのです。
 しかし、そこで作られた豊かさが、果たして人間の幸福に結びついているかと考えると、誰もが疑問に思わざるを得ないような状態が増えてきました。
 鍵を作ったり壊したりするよりも前に、鍵の要らない社会を作った方がよいのではないかと、多くの人が感じ始めたのです。
 そして、それまでの作ったり壊したりするために費やしていた時間を、もっと別のことに向ければいいのではないかと思い始めたのです。
 しかし、それは、政策としてできることではありません。
 強力な政府が、賞や罰で強制しても、奪い合うことを前提に発達してきた社会は変わりません。
 一人ひとりの心が変わることによって、新しい社会は生まれてきます。
 しかし、心を変えることができるのは、宗教ではありません。
 人間の心は、命令によってではなく自覚によって変わらなければならないからです。
 これまでは、そういう理想の社会は、遠い夢のような話と思われてきました。
 しかし、今、身近にいくつもそんな理想の片鱗を見ることができるようになっています。
 奪い合うことによって豊かさを追求してきた社会は、やがて静かに過去のものになるでしょう。
 そして、与え合うことによって豊かになる社会が、それと入れ替わっていくのです。
 子供たちの教育も、奪う力をつけるものから与える力をつけるものへ、これから静かに変わっていくのだと思います。
枝 6 / 節 18 / ID 21494
作者コード:
枝 6 / 節 19 / ID 21495
作者コード:
枝 9 / 節 20 / ID 21495
 
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