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言葉の森新聞2007年5月4週号 通算第984号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.5月29日・30日・31日は休み
  ■2.5.4週は清書
  ■3.今の親が心配すること
  ■4.社会の中の自分(しろくま/いのこ先生)
  ■5.門限7時(なら/なら先生)
  ■6.『ウェブ進化論』(ふじのみや/ふじ先生)
 
言葉の森新聞 2007年5月4週号 通算第984号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.5月29日・30日・31日は休み 枝 4 / 節 3 / ID 11097
 5月29日(火)・30(水)・31日(木)は第5週でお休みです。先生からの電話はありません。 枝 6 / 節 4 / ID 11098
作者コード:
2.5.4週は清書 枝 4 / 節 5 / ID 11099
 毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)
 清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(字数を増やす、表現を更に工夫するなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
 清書はできるだけペンで書いてください。しかし、低学年でペン書きが難しい場合は、濃い鉛筆で書いてもかまいません。
 低学年で、文章を書き写す形の清書が難しい場合は、直接新しい作文を清書として書いてもかまいません。
 絵を作文用紙の裏に描く場合は、表に作文を書かないでください。(つまり用紙は1枚の裏表を同時に使わないようにしてください)
 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
 清書の作文は返却しません。ホームページの「生徒の里」で見ることができます。小2までの全員の作品及び小3以上の入選作品は、プリントされます。
 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。(ただし、新聞社に投稿しない場合は、長いままでも構いません。)
 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。
 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年(3)自宅の住所(4)自宅の電話番号(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所 104−8433東京都中央区築地3−5−4
朝日小学生新聞「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所 100−8051東京都千代田区一ツ橋1−1
毎日小学生新聞さくひん係 御中
★作文用紙の右下は、先生がシールをはるので、題名や名前がかくれないようにあけておいてください。
枝 6 / 節 6 / ID 11100
作者コード:
3.今の親が心配すること 枝 4 / 節 7 / ID 11101
 私が学生だったころ、当時の世間の親が心配することは、「学生運動に入らないでほしい」ということでした。就職の面接のときでも、学生運動をしていたかどうかが厳しくチェックされていました。当時の学生運動には、非常に過激な一面があり、また当時の学生運動の論理にはそれなりの一貫性があったので、親や教師が生半可な理屈で立ち向かうことはできませんでした。
 時代は下って、オウム真理教が盛んになっていたころ、親が心配することは、「変な宗教に入らないでほしい」ということでした。宗教にも、非常に過激な一面と、それなりの論理的一貫性があるので、いったんその宗教に入ると自力で抜け出すことが難しかったからです。しかし、その後、カルトに対する対策教育なども次第に広がり、今はそのような心配はずっと少なくなってきました。
 そこで、今、親が心配することは何でしょうか。実は、「まともな社会人になってほしい」ではないかと私は思います。まともの基準を、「普通に仕事に就き、普通に家庭を持つ」と定義すると異論があるかもしれませんが、親が子供に期待する最大公約数的な要望は、その辺にあるのではないでしょうか。
 現代の社会では、子供が普通の社会人になる手前に、かつての学生運動や新興宗教が持っていたような大きな落とし穴があるように思います。それは、子供が突然社会的な不適応状態になる可能性があるということです。しかも、それが社会の外部からの問題ではなく、本人の内部からの問題として登場するというところに、解決の困難さがあります。
 この問題に遭遇する子のほとんどが、小中学校、更には高校や大学までは、勉強も遊びも順調に過ごしてきたという経験を持っています。むしろ、平均以上に順調だった子が多いのです。それが、なぜ突然社会的な不適応状態になるのかということは、実はよくわかっていません。
 しかし、それらの子供たちを見ていて共通する性質を考えると、何かたくましさの不足というようなものがあるような気がしてなりません。いわゆる普通の子供が持っている、冗談、悪ふざけ、いたずらのようなものがあまりないのです。ですから、親や教師から見れば、勉強もできるし、言われたことは守るし、友達づきあいもいいし、文句なくいい子のように思えます。しかし、気に入らないことがあったときに、相手にぶつかって何が何でも奪ってくるというような強さがあまり感じられないのです。
 昔は、地域の子供の集団や兄弟の間で、このようなぶつかり合いの機会が自然に準備されていました。また、遊び自体も野外で行われることが多く、怪我をすることは日常茶飯事でした。
 こう考えると、これからの子供の教育で大事なことは、小さいころからたくましさを育てることになるのではないかと思います。そのたくましさの一つは、他人とぶつかる経験をするということです。その点で格闘的な要素のあるスポーツは、いい機会になると思います。もう一つは、自然の中で野性的に過ごす経験をするということです。日本ではそういう機会はまだありませんが、A地点からB地点まで自然の中を食糧とテント持参でひとりで踏破するというような機会がこれから作られてくると思います。
 もちろん、これは主に男の子に関して言えることで、女の子についてはまた別の方法が必要になると思いますが、それでも、他人や自然との闘いという要素は、人間の成長には欠かすことができないと思います。
枝 6 / 節 8 / ID 11102
作者コード:
4.社会の中の自分(しろくま/いのこ先生) 枝 4 / 節 9 / ID 11103
 今回は、次女の学校のPTAで出会った、すてきなお母様のお話をします。
次女の学校では、毎年秋分の日に、大きなイベントを開催します。このイベントでは、保護者と先生が協力して、一日子どもたちに楽しんでもらいます。バザー、ゲーム、そしてたくさんの食べ物。子どもたちが、最も楽しみにしているイベントです。そのときに、毎年、手作りのケーキやクッキー、パンを焼いてきてくださるのが、Uさんです。手作りと言っても、ただの手作りではありません。その腕前は、プロ並みです。Uさんのクッキーやケーキを楽しみにしている人もかなりいるようです。ときには、ご自宅に親しい人を招いて、お教室も開いています。そのすばらしい腕前をこのままにしておくのはもったいないので、友人とインターネットを通じて販売をしてみたらどうかとすすめてみたことがあります。でも、Uさんの答えは、ノーでした。
 そのUさんはとても元気で活動的なのですが、数年前、ガンにかかり、死を意識した時期があるのだそうです。手術後もつらい治療が続き、そのつらさにたえきれず、自殺まで考えたこともあると聞き本当に驚きました。現在の前向きで行動的な姿からは、そんなことがあったなんてとても想像できなかったのです。でも、その困難な状況からUさんを救ったのが、パンやケーキを作ることだったのだそうです。
 発病する前から趣味としてパンやケーキを作っていたUさん。研究熱心な性格なので、レシピ本を見て自分で作ってみるだけでは満足できず、いろいろなお教室に通っていろいろなコツをつかみ、そのころにはかなりの技術を身に付けていました。そこで、入院中にお世話になった方々に、お礼としてケーキやパンを差し上げることにしました。もちろんプロ並みのおいしさですから、誰からもとても喜ばれたことでしょう。そして、そのうちに入院していた病院内で、入院している方々を相手にお教室を開くことになりました。そのとき、Uさんは、人を喜ばせることのすばらしさを実感したのだそうです。かつての自分のように、病気に負けそうになり暗い表情をしていた患者さんが、粉やたまごをまぜながら、どんどん明るい表情になっていくのを見て、自分の力が少しは役に立つことがわかり、とてもうれしかった。だから、自分の目的は、お金をもうけることではなく、あくまでも誰かを元気にしたり喜ばせたりすることなのだと、輝くような笑顔で話してくれました。
 Uさんの話を聞いて、私は人と人との出会いやつながりについて、あらためて考えました。人間のつきあいというのは、決して一方通行のものではありません。お互いに理解しあい、相手のことを考える姿勢が必要です。また、社会の中で生きている自分を考えたとき、自分が周囲に対してできることは何かを見つめることも大切です。これからだんだん大人になるみなさんは、住む世界がしだいに広がっていきます。多くのことに興味を持ち、たくさんの人と出会い、知識を高め、そのうちに自分が周囲に対して、また社会に対してできることは何かを見つけてほしいと思います。

枝 6 / 節 10 / ID 11104
作者コード:inoko
5.門限7時(なら/なら先生) 枝 4 / 節 11 / ID 11105
 高校生の女の子から相談を受けました。その内容というのは……
 「家族揃って七時に夕飯を食べるのが我が家のルール」と言われて、門限が七時なの。部活があって遅くなってもいつも急いで帰るのだけれど、この前、親友のAさんから「遅いと一人で帰りたくないから待っていて。」と言われて、門限を破ってしまったのね。当然、親はすっごく怒っちゃって。連絡しなかった自分が悪いと思いつつ、日ごろたまっていたものが爆発して、大げんかになってしまったの。友達との約束のこともわかってくれないし、今時門限七時なんて、あり得ない。心配するのはわかるけれど、子ども扱いは止めてほしい。「一緒に食事するのもうざい!」と言い捨てて、部屋にこもってしまっちゃって……。悪いとも思うけど、絶対今回は謝りたくない!! 門限なんてなくても、しっかり自分で生活管理できるし! どう思う?

 さてと、何と答えようかなぁ。門限が必要かどうかについて考えなくてはならないし、家族のルールの意義もポイントだなぁ。悪いと思ったら謝らなくちゃいけないし、捨てぜりふはいかんと思うぞ。それだけで、親は鬼と化す場合もあるし。そういうことだから、子ども扱いされると言われるかもよ。そういえば、うちは、門限六時だった! 

 ……と、ここまでは架空の話です。これは、静岡県沼津市立沼津高等学校中等部の、19年度入試問題に私が少し手を加えたものです。さて、皆さんだったら、どう答えるでしょう。実際には、高校一年生女子からの投書の形を取っており、「あなたの経験なども入れながら、門限についてのあなたの意見を400〜600字程度でまとめなさい。」と設問があります。さて、あなただったらどう答えますか?

 400〜600字という字数は、書き慣れていない人にとっては「長い!」と思うかもしれません。しかし、言葉の森の生徒(小学校上級生以上)であれば、「短かすぎる……。」と思う人の方が多いかも。論点を絞って意見をまとめなければなりません。
 1)私は○○は必要だと思う。(または、不要だと思う。)
 2)理由は二つある。一つ目は……だ。二つ目は……だ。
 3)確かに、反対の意見の人もいるだろう。しかし、やはり○○は必要だと思う。
   (または、不要だと思う。)
このパターンにあてはめて自分の意見を述べてみましょう。1・2・3の流れは、「序論・本論・結論」と呼んでもよさそうです。理由は、字数と時間によって一つなる場合もあると思います。「経験なども入れながら」と設問にあるのを忘れずに、理由につながった体験実例を入れるといいでしょう。
 これは、意見文の基本形です。今回は、たまたま中高一貫校の入試問題を紹介しましたが、高校入試・大学入試の小論文テストでも、十分対応できる組み立てです。しっかり身につけましょう。ここで大切なのが、「門限なんてなくてもいいと書いたら、試験官(もしくは先生や親)に反抗していると思われるかも。試験官受けしないとね。」とは決して思わないこと! 理由や根拠を示して、自分の考えをしっかり伝えられるかどうかが試験で問われているのですからね。自分の持っている語彙と経験と思考力で、相手を説得できるかどうか、ここが重要なのです。
 作文のトレーニングという意味では、「必要である」「不要である」という二つのパターンで書いてみてもおもしろいと思います。両方の立場で考えてみると、意見もより深まるはずですよ。
枝 6 / 節 12 / ID 11106
作者コード:nara
6.『ウェブ進化論』(ふじのみや/ふじ先生) 枝 4 / 節 13 / ID 11107

 本当に珍しいことなのですが、風邪を引いてしまいました。春休み、ホコリっぽい中をあちこち歩き回ったためでしょうか、のどの痛みを感じたと思ったら熱が。「あらら?」と、体温計で計りつつ、この新聞を書いています。
よけいな音がすると頭にひびいてつらいので、療養の友はやはり、本。以前から読みたかった本を、少しずつ読み進めることにしました。
 『ウェブ進化論』/梅田望夫。ウェブ=インターネットのこれからについて、よい面を具体的に考えた、おもしろい本です。
まだ途中なのですが、印象に残る部分があります。みなさんにも関わることです。

 たとえば、ある物事について関心を持って、その本を読みたいと思ったとき、今までは近くの書店で探したり図書館に行ったりしますね。
 「えーと。あの〜『言葉のもーりー』という本を探しているのですが」
 「『言葉のもーりー』? 申し訳ないですが、うちでは取り扱っていません」
そりゃそうか。自分の興味を持ったことは、はやってもいないし、学校の先生のおすすめ本でもないし、売れていなさそうだもんなあ。でも、読みたいなあ。
そこで、パソコンで調べてみます。
検索のキーワードに、言葉 モーリー と、入力すると、ありました! 在庫1冊とあります。家の人に頼んで、取り寄せてもらえることになりました。
みなさんには、こういう経験はありませんか? わたしには、ときどきあります。大きな書店にはないけれど、インターネットで調べたらわずかに生き残っている。本だけではなく、モノのときもあります。大きな店では、売上げのよいものが優先しておかれるため、意外に探し物を見つけにくい場合があるのですね。

 さて、この『ウェブ進化論』には、ロングテール(長い尾)理論という言葉が登場します。しっぽの長い恐竜の形を想像してみてください。頭と胴体の部分は巨大なボリュームです。一方、しっぽは、細く長くどこまでも続くのです。本の中では、体高10メートル以上でしっぽが1キロメートル以上の恐竜とたとえられています。
 今までは、頭と胴体の部分=つまり、売れるベストセラーや流行商品が重視されたが、今後は長いしっぽの部分=全然売れていない、目立たないものにも、手が届き、そこから自分だけにとっての価値を見出すことができる。見出してもらえた本の作者にとっても、うれしいことでしょう。宣伝もされず、埋もれていた本が求められたわけですから。

 そんな新たな出会いが、手間なく自由自在に行える楽しみが、今後増えていきそうです。インターネットの世界がますます進展すると、誰かから「これは立派なものだ」と教えられたものの他に、自分だけの価値を見つけられる可能性が広がっていくことでしょう。長年よいとされてきたものにも敬意を表しながら、柔軟な心で恐竜のしっぽの中の光るウロコを見つけられるようになりたいものですね。
枝 6 / 節 14 / ID 11108
作者コード:huzi
枝 9 / 節 15 / ID 11108
 
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