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言葉の森新聞2004年9月4週号 通算第856号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.9月20日(月)・23日(木)は休み宿題
  ■2.9月29日(水)・30日(木)は休み
  ■3.9.4週は清書
  ■4.いただきます(みかん/ななこ先生)
  ■5.柿(メルトン/うなぎ先生)
  ■6.国格(たいよう/なかひ先生)
  ■7.個別指導で出会った中学生の話(こじろう/かにも先生)
  ■8.逆境克服法
 
言葉の森新聞 2004年9月4週号 通算第856号
文責 中根克明(森川林)

枝 1 / 節 2 / ID
1.9月20日(月)・23日(木)は休み宿題 枝 4 / 節 3 / ID 6841
 9月20日(敬老の日)と23日(秋分の日)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前8時半〜午後8時。電話0120-22-3987) 枝 6 / 節 4 / ID 6842
作者コード:
2.9月29日(水)・30日(木)は休み 枝 4 / 節 5 / ID 6854
 9月29日(水)と30日(木)は休みです。宿題もありません。 枝 6 / 節 6 / ID 6857
作者コード:
3.9.4週は清書 枝 4 / 節 9 / ID 6843
 毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)
 清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。
 清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
 このほかに、(4)パソコンで入力する練習をする、(5)他の生徒の前月の清書に対して感想を書く、などに取り組むこともできます。

 清書の生徒コードの欄には、項目シールの中にあるバーコードシールを貼ってください。(手書きでは書かないようにしてください)
 他の生徒の前月の清書に対して感想を書く場合も、清書と同じようにバーコードを貼ってください。
 絵を作文用紙の裏に描く場合は、表に作文を書かないでください。つまり用紙は1枚の裏表を同時に使わないようにしてください。作文用紙に絵だけをかいた場合も左上にバーコードシールを貼ってください。
 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
 清書は、2〜5人のグループ(広場のグループ)ごとにプリントして、翌月の4週に、「山のたより」と一緒にお渡しします。この清書は、インターネットの山のたよりでも見ることができます。
 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。色はプリントには出ません。
 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。
 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。

 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します)
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中
枝 6 / 節 10 / ID 6844
作者コード:
4.いただきます(みかん/ななこ先生) 枝 4 / 節 11 / ID 6845
 みなさんは、食事の前に「いただきます」と、言っていますよね。「いただきます」をきちんと言わないと、ごはんを食べさせてもらえない人もいるかもしれませんね。でも実は、この言葉に相当する外国語は、ほとんどないのです。以前外国に住んでいたときに、食事を目の前にして「いただきます」と言うと、外国人の友人にとてもめずらしがられました。(でもいつのまにか、その友人たちは私と食事をするときには、つたない日本語で「いただきます」を言うようになってしまいましたが)
 彼女たちに「いただきます」の意味はなに? と聞かれ、「食事を用意してくれた人や、野菜やお米を作ってくれた人たちへの感謝の気持ちをあらわしているのだよ」と、答えたのですが、実はもっともっと深い意味があったのです。
 私たちが、食べているものには、全てに命がありますね。動物も植物も全てに。私たち人間は、自分が食べるためにこれらの命を分けてもらっているわけです。私たちは、自然に生かされているのです。心をこめて・・・いただきます・・・

     
枝 6 / 節 12 / ID 6846
作者コード:nanako
5.柿(メルトン/うなぎ先生) 枝 4 / 節 13 / ID 6847
 秋の味覚は数多くありますが、やはり柿はその代表格ですね。店先で柿を見るたびに頭をよぎるのが、あの有名な「さるかに合戦」です。ずるい猿に母親を殺された子ガニとその仲間たちが、猿に復讐(ふくしゅう)する話です。
 一見、「猿=悪 カニ=善」ですが、気になるのは「登場人物(動物)の誰一人として幸せになれない」ということです。悲劇の始まりは、カニがおにぎりと引き換えに、柿の種をもらってしまったことです。そのときのカニは自分が高い木に登れないことをこれっぽちも自覚していません。したがって、木に登る方法や柿を手に入れる手段を考えることもしません。「無知」と「考えないこと」が悲劇の発端(ほったん)なのです。
 芥川龍之介の「君たちもたいてい蟹(かに)なんですよ。」という文章を思い出し、背筋がぞくっとします。私もカニなのです。しかし、復讐のために暴力に向かうカニではなく、自分の無知と戦うカニになりたいと思っています。最後に美味しい柿を一つ手に入れられるように。
枝 6 / 節 14 / ID 6848
作者コード:unagi
6.国格(たいよう/なかひ先生) 枝 4 / 節 15 / ID 6849
 最近、あまり気持ち良いとはいえない新聞記事を読みました。朝日新聞に掲載されていた「重慶でサッカー日本にブーイングの嵐 背景に反日感情か」という記事です。サッカーのアジア・カップ1次リーグの3試合を中国の重慶で戦った日本代表が、観衆から激しいブーイングの嵐にさらされているというもので、おそらく反日感情が背景にあるのではと、その記者は述べています。
 「サッカーのアジア・カップ1次リーグの3試合を重慶で戦った日本代表が、観衆から激しいブーイングの嵐にさらされている。」という様子はまるで目の前に起こっているかのように容易に想像できましたが、本当に残念なことです。必要以上に日本は「日本という理由だけで」隣国である中国から嫌われているようです。
 重慶市は第2次世界大戦時に、旧日本軍から爆撃を受けた場所です。歴史的な背景から中国人に反日感情が芽生えることもあるでしょう。ただ、国際社会の中で協調していかねばならない昨今、一国を露骨に貶(おとし)めるような態度をとる国はやはり国として未熟であると私は思います。
 人間としてのありかたを表す「人格」を国であらわした場合の「国格」というものが在るとしたら、日本は多くの国の模範とされるような国格を備えられる国でありたい。そのためには、決して中国のように一国に対し復讐心を燃やすことで一丸となるなどという低俗な真似は絶対にしてはなりません。むしろ、逆境(ぎゃっきょう)に対しても明鏡止水でいられるような国をわれわれ国民が作っていきたいものです。
枝 6 / 節 16 / ID 6850
作者コード:nakahi
 
枝 61 / 節 17 / ID 6861
7.個別指導で出会った中学生の話(こじろう/かにも先生) 枝 4 / 節 18 / ID 6858
今日は、個別指導で出会った中学生の話を書きます。
中3のAさんは、自己推薦で高校を受験するために、冬休みから、作文と面接のコースを受講しはじめました。
これは、授業の風景。
先生 「高校でやりたいことは?」
Aさん 「文化祭。」
先生 「でも、中学で、生徒会や、学級行事に積極的に参加してないでしょう。それよりも、部活のサッカーにしたほうがいいのではないの?」
Aさん 「3年間部活はやっていたけど、熱心でなかったから、言いたくないな。」
先生 「でも、中学で〜をがんばってきたから、高校でも〜をがんばりたいと言った方が、一貫性があって説得力があるよ」
Aさん 「じゃあ、サッカーを高校で頑張りたいと言うよ。」


ところが、面接では、
面接の先生 「高校で何をやりたいですか?」
Aさん 「文化祭をやりたいです。」
面接の先生 「文化祭で何をやりたいのですか?」
Aさん 「えっっっ、、、」
その後はもうパニックだったそうです。

(このように、具体的なことが浮かんでこなければ、「今は、何をしたいか思いつきませんが、みんなで話し合って、来てくれた人に喜んでもらえる企画にしたいとおもいます。」と「みんなで話し合う、みんなのためにがんばる」という説明で切り抜けましょう。)

失敗の原因は、先生にあります。
試験を受けるのはAさんなのだから、Aさんが思ったとおりに作文にまとめさせてあげればよかったのです。
具体的には、Aさんが、文化祭のとき学校訪問をして何を見て、何にあこがれ、何を食べて、何を思ったのかをゆっくり思い出してもらって、それをまとめてもらうとよかったのです。

最後に、みなさんへ、
中学生だからこれくらいのことは書かなければならないかなと、背伸びしたり、受けを狙うよりは、自分の気持ちを素直に表現したらよいと思います。
作文では、あなた自身が主役です。自分の気持ちを一番に置いて、それが、多くの人にどう伝えるのかを工夫していきましょう。 
枝 6 / 節 19 / ID 6859
作者コード:kanimo
 
枝 61 / 節 20 / ID 6860
8.逆境克服法 枝 4 / 節 21 / ID 6851
 人は、順風満帆な人生を望みます。挫折や困難、障害などを避けて通りたい、また、悲しみや苦しみからは目をそむけたいと思うのは当然のことでしょう。でも、真に人間を成長させるのは、誰もが恐れている、そんなどん底の状態なのかもしれません。だからこそ、不幸に遭遇したときも、その現実から目をそらさずに前向きに明るく生きていこうとする強い気持ちを持つことが大切なのです。逆境をただひたすらに耐え忍ぶだけでも自分を鍛えることはできますが、より積極的に逆境を跳ね返そうとする強さを身につけることによって、さらに高い自分を目指すことができるでしょう。

 そのためには、まず視野を広く持つことです。コップ一杯の水に、筆に含ませた絵の具を一適落とせば、水は即座にその色に染まります。でも、入れ物が大きくなればなるほど、元の水は絵の具の色と同化しにくくなります。同じように、人間の器が大きければ大きいほど、不幸の色に染まる度合いは少なくなります。たった一つの障害のために自分の感情のすべてを灰色に染めてしまったとき本当の不幸が訪れるのだと思います。全神経を苦しみに集中させるべきではありません。幅の広い人間、様々な角度から世界を見渡せる人間は、障害を自分の中のごくごく一部としてとらえることができるはずです。つまり、人の度量の大きさが不幸の味を薄くするというわけです。

 また、自分を苦しめているものは何なのか、苦しみの本質を見抜くことも有効だと思います。人は、なぜか、見えないものを恐れます。説明のできないことに不安を感じます。それならば、勇気を持って、不幸と対峙し、苦悩の正体を見極めれば平穏が訪れるのではないでしょうか。ただ苦しいとうめき続けたところで、苦しみが軽減したり、消滅したりするわけではありません。それならば、その苦境としっかり向き合い、分析するくらいの強固な心を持つ方が自分自身にプラスになるでしょう。たとえそれが漆黒の闇であっても、目が慣れてくれば周囲の物の輪郭くらいは見えてきます。一歩足を踏み入れた瞬間は、真っ暗闇の手探り状態だとしても、じっくりその闇と戦っているうちに、それまで見えなかったものが浮かび上がってくるはずです。一旦、姿形が分かってしまえば、それが恐れるに足りぬものだったということは世の常です。たとえ恐ろしい姿を目の当たりにすることがあっても、見慣れてしまえば次第に恐怖を感じなくなるはずです。(笑)

 さらに、自分の内に、何か一つ強い信念を持っていることは、困苦を乗り越えるための大きな支えとなるでしょう。なぜなら、どんな災難が降りかかろうと、どんな障害に遭遇しようと、強力な信念を固持している人は、苦難の先に絶えず希望の光を見ることができるからです。たとえ四面楚歌の絶体絶命の状態に置かれたとしても、自らの心の内に目標や信念を保持していれば苦境の向こう側に存在する明るい光を見失うことはありません。サミュエル・スマイルズの『自助論』には、厳しい困難に自分を鍛えながら大成した人物の名前が列挙されていますが、その人たちに共通するのは、頑強な志を断固として捨てなかったということです。スマイルズの教えの信者でもあるイギリスのチャーチル(第二次大戦でイギリスを救った英雄宰相)は、「絶対に、絶対に、絶対にあきらめない」という言葉を残しています。この精神が、彼を、失意の連続から成功へと導いたことは間違いないでしょう。

 「人間は幸せになるために生まれてきた。」とはダライ・ラマの言葉です。確かにそのとおりだと思います。しかし、幸せとは、決して不幸を避けて通るという意味ではありません。たとえ不運な現実と遭遇しても、それに打ち勝つことができて初めて本当の幸福が訪れるのだと思います。また、幸せかどうかを決めるのは、周囲の人々ではなく、当人の心の持ち様だという点も忘れてはならない重要なポイントでしょう。自分を取り巻く現実を冷静に享受しながら、希望に輝く豊かな心で人生を歩んでいきたいものです。逆境とは、幸せへの到達を阻むものではなく、幸せへのバネとなるはずのものです。なぜなら、人は逆境を克服することで、進歩成長するからです。進歩成長した人間にはより高次元の幸運が訪れるはずです。そのことを自覚すれば、逆境を受け入れる勇気も自然と湧き出てくるでしょう?
                               山田純子(メグ)    
枝 6 / 節 22 / ID 6852
作者コード:jun
枝 9 / 節 23 / ID 6852
 
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