森の編集室(削除修正追加 / /▼ダウンロード /▲アップロード
削除 修正 追加
枝:0=件名、1=先端タイトル、2=章◆、3=節●、4=題名■、5=小見出し▼、51=小見出し▼、52=小見出し●、
6=本文、61=改行、7=テーブル、8=絵図、9=終端タイトル

言葉の森新聞2018年11月1週号 通算第1537号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.これからの新しい作文教室の姿――通学も通信も超えた教室
  ■2.上達が早い寺子屋オンライン作文の子供たち
  ■3.書く勉強よりも読む勉強の方がなぜ良いのか―繰り返し読むことの重要性
 
言葉の森新聞
2018年11月1週号 通算第1537号

https://www.mori7.com/mori

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.これからの新しい作文教室の姿――通学も通信も超えた教室 枝 4 / 節 3 / ID 28064
 作文教室や作文講座という名前の付いている教室がいくつかあります。
 これらの教室の作文指導の仕方はどこも同じようなもので、子供たちに作文を書かせて、それを先生が添削するという形です。

 この事後的な添削中心のやり方の良い点は、誰でもそれなりに作文指導をすることができるという点にあります。
 学校でも、学習塾でも、昔から変わらぬ赤ペン添削という指導の仕方なので、生徒も先生もそういう教え方しかないように思っています。

 しかし、このやり方の良くない点は、課題が難しくなったときに、それでも頑張って書き続けようとか、より高いレベル目指そうとかいう意欲を持ちにくい点にあります。

 作文を書くというのは、小学校低中学年のころはそれほど負担ではありませんが、小学校高学年、中学生、高校生になると、かなり精神的エネルギーを必要とするものになります。
 作文力向上のために最も大事な時期は、この小学5年生からなのですが、肝心なときに作文の勉強を続けられなくなってしまうことも多いのです。

 言葉の森では、設立当初から、子供たちが作文を書く前に、何をどう書くかという項目を指示する事前指導を行ってきました。
 この事前指導は言葉の森のオリジナルで、こういう教え方をしているところはほかにはないと思います。
 そのために、書くことが苦手な子もすぐに書き出すことができ、得意な子はさらに高度な書き方を目指せるという指導になっていました。

 ところが、この事前指導の作文でも、長年続けていると、作文を書くのに飽きてしまう子も出てきます。
 特に課題が難しくなる中学生以降になり、その日のうちに書き上げられない日が何週か続くと、作文の課題がたまってしまい、そのことを負担に感じて続けられなくなってしまうということがあったのです。

 作文を書くというのは、学年が上がると、高度な集中力を必要とする勉強になるので、その日のうちに書き始めてその日のうちに書き上げなければなかなか毎週の課題を消化することはできません。
 作文を書きにくくなった時期に、どう書く意欲を持たせるかということが、言葉の森でもこれまで長年の課題でした。
 確かに、小学校低学年から作文の勉強を始めて、高校3年生まで続けたということも、毎年何人かいます。しかし、途中で、いろいろな理由から作文の勉強を続けられなくなってしまう子の方がずっと多かったのです。

 ところが、今回、寺子屋オンラインという仕組みで、同学年の少人数の子供たちが、あらかじめ予習してきた内容を発表し合うという教え方ができるようになりました。
 ほかの生徒の発表を聞くと、自分が書く作文の参考になることもよく出てきます。
 発表のあと、予習してきたメモをもとに作文を書けば、すぐに書き出すことができます。
 また、作文を書き終わるまで寺子屋オンラインの会場にいることにし、終了したらチャットで報告するという形を原則とすれば、作文の提出率は、通学教室に来るのと同じ百パーセントになります。
 しかも、この少人数のオンラインクラスは、電話通信指導のコースと同じ金額です。
枝 6 / 節 4 / ID 28065
作者コード:
 
枝 61 / 節 5 / ID 28066
 更に、作文の勉強のほかに、読んでいる本の紹介もできるので、作文と読書の学習がいっぺんに進みます。
 曜日によっては、このほかに暗唱の発表なども行っているクラスがあり、自然に全員が暗唱の勉強を続けるようになっています。

 以上のことを考えると、これから、この寺子屋オンライン方式の作文教室が、作文指導のスタンダードになるだろうということがわかってきました。
 通信の作文講座では、友達との交流という楽しさがありません。
 通学の作文教室では、全員が発表するというのはまず無理で、先生の集団指導と個別の赤ペン添削が中心になります。

 寺子屋オンラインでは、全員が予習に参加でき、友達との交流ができ、その日のうちに書き上げることができるという三拍子そろった作文の勉強ができます。
 読書紹介や暗唱発表なども入れれば、四拍子も五拍子もそろった勉強になります。

 この充実した作文の勉強をしていれば、小学生時代はおろか、中学生、高校生と勉強を続け、やがて言葉の森を卒業したあとも、同窓生として一緒に勉強してきた友達と読書や作文の交流を続けていけるようになると思います。
 言葉の森では、現在、この寺子屋オンライン方式の作文クラスを普及させるために、作文講師の育成をはじめとした準備を進めているところです。

 今、作文の勉強を始めようかと考えている方は、とりあえず言葉の森の電話通信指導を受け、寺子屋オンラインの作文クラスの曜日時間が増えてからそちらに参加していけるとよいと思います。
 少なくとも、作文教室という名前はどこも同じだろうと考えて、昔ながらの赤ペン添削中心の作文の勉強を始めないことです。

 事後の添削中心の勉強では、上達するように見えるのは、本人が意欲的に取り組んでいる初めのうちだけです。
 本格的な作文の勉強をしたいのであれば、高校3年生まで続けることのできる言葉の森の寺子屋オンラインのクラスで作文の勉強を始めるのがベストだと思います。

 寺子屋オンライン方式の教室というのは、作文指導に限らずあらゆる教育の姿を変えると思います。
 しかし、そのかわり、運営の仕方に難しいところがあり、そのためにまだどこもこのやり方に着手していません。
 だから、言葉の森がこれから率先して取り組んでいきたいと思っています。
枝 6 / 節 6 / ID 28067
作者コード:
2.上達が早い寺子屋オンライン作文の子供たち 枝 4 / 節 7 / ID 28068
 先日、ふと、「そう言えば、寺子屋オンラインの子たちは、作文の上達が早いなあ」と思いました。
 普通は、2回も3回も4回も5回も繰り返し言って、やっと少しずつできるということが多いのですが、寺子屋オンラインの場合は、1回でできてしまうことも多いのです。

 例えば、小学3年生の子に、
「4年生になったら、また説明するけど、段落は三文ぐらいを目安につけていくと読みやすくなるよ」
 と話すと、いつの間にか、そういう段落のはっきりした作文を書いているのです。

 書き出しの工夫でも、いつも、会話の書き出しで始める子が多いので、
「そのときの情景がわかるように書いていくというのが目標だから、会話でなくてもいいんだよ」
 と話すと、次の週から、もう情景がわかる書き出しを工夫してくる子がいるのです。

 そのほか、「『お父さん』『お母さん』でもいいけど、上級生になったら『父』『母』と書いていくようになるよ」
 と話すと、上級生でない子が、「私の母は……」などと書いてきます。

 そして、最初は、字数も十行ぐらいをやっと書いていた子が、いつの間にか、作文用紙に何枚も書くようになっているのです。
枝 6 / 節 8 / ID 28069
作者コード:
 
枝 61 / 節 9 / ID 28070
 もちろん、内容も個性的になり、毎回お母さんやお父さんに取材し、表現も工夫し、字も丁寧になりと、その効果を挙げればきりがないほどです。

 どうして、上達が早いのかを考えてみると、次のような要因が思い浮かびました

 第一は、授業の内容を保護者も共有できることです。
 Zoomには、レコーディングの機能があるので、子供の約1時間の勉強の様子を、保護者もあとで見ることもできます。
 すると、子供のするべきことがわかるので、親も協力しやすくなるのだと思います。

 第二は、やはりみんなの前で、自分の予習を発表するからだと思います。
 その週の作文にどのようなことを書くか、準備してきたことを発表するので、事前にお母さんやお父さんに似た例を取材し、自分なりに似た話を考えておかなければなりません。
 作文は、「準備七分に腕三分」の世界ですから、準備の段階ですでにいい作文が書ける土台ができているのです。

 しかも、大事なことは、これが無理な勉強ではなく、子供たちの自主性を生かした楽しい勉強になっていることです。
 読書紹介の場合でも、もしこれが、読書のグラフをつけて、読んだ冊数を互いに競い合うような形で進めていけば、それほど楽しいものにはならないと思います。

 寺子屋オンラインクラスの読書紹介は、グラフなどは何もなく、そのかわり全員が発表します。それも、誰が何を発表してもいいのです。
 毎回、「かいけつゾロリ」を発表する子でも、その本のどこが面白かったかを説明するときは、生き生きとしています。

 それを見ていて、昔のことを思い出しました。
 うちの子供2人も、小学生のころ、「スラムダンク」という漫画を、何十回も読み込み、それぞれの場面やセリフを細部まで覚えていました。
 私は、当時は漫画というものを、「読んでもいいが、繰り返して読むべきなのはもっといい本」と思っていましたが、今ふりかえってみると、どういう本であっても、子供が繰り返し読みたくなる本は、その子にとって必要な本なのだと思うようになっています。

 小学生の子供たちは、親や先生が言うことは大体素直に聞きます。
 それは、反抗するだけの力がまだないからです。
 しかし、子供時代の「いい子」は、いい子であった度合いが強いほど、あとで、「いい子」ではなくなります。

 そうならないようにするためには、自主的な子にしていく必要があるのです。
 自主的な子は、自分の判断で、親の言うことを聞いたり、自分の意見を主張したりします。
 そういう自然な親子関係を作っていくことがこれから大事になると思います。
枝 6 / 節 10 / ID 28071
作者コード:
3.書く勉強よりも読む勉強の方がなぜ良いのか―繰り返し読むことの重要性 枝 4 / 節 11 / ID 28072
 家庭で勉強する教材の中には、答えを書く形のものが多いと思います。
 作文力をつけるという勉強でも、文章を書き写すとか、文章を要約するといった勉強がよくあります。

 なぜ、このように書く形の勉強が多いかというと、勉強している様子が外から見てもわかることと、勉強した跡が、自分にとっても他の人にとってもよく分かるからです。

 しかし、書くという作業は、読むという作業に比べて、5倍から長いときには10倍近くので時間がかかります。
枝 6 / 節 12 / ID 28073
作者コード:
 
枝 61 / 節 13 / ID 28074
 すると、文章を1回書き写す勉強というのは、その同じ文章を5回繰り返し読む勉強と同じ時間がかかることになるのです。
 そして、どちらが力がつくかといえば、1回だけ書くよりも、5回繰り返し読む方です。

 勉強は、中身本位にやっていくことが大切で、外側の体裁は二の次です。
 家庭では、できるだけ中身を優先して、読む勉強を中心に行っていくといいのです。

 さて、その読む勉強にも、二通りの読み方があります。
 一つは、他の人にもわかるようにしっかりと丁寧に読む朗読のような読み方です。
 もう一つは、自分にだけわかればいいという読み方で、つぶやくような読み方です。

 どちらの読み方が良いかというと、これは自分にだけわかる、つぶやくような読み方の方がいいのです。
 なぜかと言うと、朗読のような読み方では、外に向けて読むことに気を取られて内容の理解は二の次になることが多いからです。
 音読は、読んでいることが自分に分かればいいという読み方でいいのです。
 もちろん、音読によって読み間違いがわかることがありますから、近くにいるお父さんやお母さんにも内容が大体分かるような読み方をすることは必要です。
 しかし、近くで聞いているお父さんやお母さんは、「読み方をもっと上手に」などという注意は決してしないことです。

 さて、この音読について、繰り返し読む必要はないなどと言う人がいます。
 内容の理解の方が、音読の回数よりも大事だというのです。
 そういう考えが出てくるのは、音読の意味をよく理解していないからです。

 易しい文章であれば、回数の多い少ないはそれほど大きな差になりません。
 しかし、読む文章が難しくなってくると、1回しか読まないときは、自分の理解できる部分しか理解しない読み方になっています。
 2回繰り返して読めば、1回目には気がつかなかったことが理解できます。
 3回、4回、5回と繰り返して読めば、繰り返せば繰り返すほど、新しい理解が付け加えられてくるのです。

 これは、読書も同じです。
 1回目に読んだときと、2回目、3回目と繰り返し読んだときとでは、内容の理解に大きな差が出てきます。
 だから、1冊の教材は、5回以上繰り返すことが大事なのです。

 また、音読よりも黙読がいいというのも、音読の意味をよく理解していない考えです。
 繰り返し読む場合は、音読でなければ続けることが難しくなります。
 同じ文章を、2回目、3回目と黙読で読んでいれば、途中から必ずと言っていいほど斜め読みになってしまうからです。

 内容をざっと理解すればよいというときは、黙読で速読でいいのです。
 内容を深く理解するときは、音読の復読(繰り返し読むこと)です。
 精読とは、じっくり読むことではなく、音読で繰り返し読むことなのです。

 勉強は、読むことを中心にして、できるだけ音読で、そして1回だけでなく時間をおいて5回以上繰り返して読むというような読み方で実力をつけていくのです。

 音読や暗唱の勉強で、こうした誤解が多いのは、お父さん、お母さんだけでなく、教えている先生自身も、自分が実際に音読や暗唱をした経験がないからです。
 子供が、親の前で音読をしたがらないという場合も、子供の問題ではなく、親の問題です。
 子供に音読や暗唱をさせる前に、親が自分でも少しやっておくといいのです。
枝 6 / 節 14 / ID 28075
作者コード:
枝 9 / 節 15 / ID 28075
 
ホーム