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言葉の森新聞2018年7月3週号 通算第1523号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.ユニークな「夏休みの朝の作文体験学習」
  ■2.勉強の本来の面白さを味わうために
  ■3.よその子を褒めるのではなく、自分の子を褒める
  ■4.読書は細切れ時間も利用して、毎日50ページ以上を目標に
  ■5.ゲームは飽きるが友達は飽きない――毎日の勉強を続けるために
 
言葉の森新聞
2018年7月3週号 通算第1523号

https://www.mori7.com/mori

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.ユニークな「夏休みの朝の作文体験学習」 枝 4 / 節 3 / ID 27710
 夏休みの朝の体験学習の参加者は、のべ56名となりました。

 当初同じ曜日で3日間としていましたが、ご都合のつかない方も多いようなので、3日間どの日を選んでもよいようにしました。
 変更される方は、送信フォームのから新しい日程を選び、古い日程は×で消去しておいてくださるよう、お願い致します。
 まだ若干名空きがあります。
 新たに体験学習を希望される方も、下記フォームからお申し込みください。
https://www.mori7.com/kform_pre.php?f=tkg201808

 今回の作文体験学習は、他ではまず体験できないユニークなものになっています。
 それは一つには、家庭における親子の対話を重視していることです。
 作文は、子供が今持っている実例だけでなく、身近な人に似た例を取材することによって、書く内容が格段に広がり、また深まります。
 そういう、親子の対話を作文に活かすという形の勉強を経験していただきます。

 もう一つは、6人以内の少人数で、お互いに作文の準備を発表しながら勉強を進めていくことです。
 人間の意欲の大部分は、他の人との交流の中で生まれます。
 点数や競争や賞罰によらない意欲が、他の人との交流の中で自然に生まれるのです。
 そういう新しい体験を味わっていただきたいと思います。

 第三に、教える内容が、言葉の森のオリジナルな作文指導だという点です。
 他の作文講座などでは、まず教えてもらえないような独自の書き方のノウハウをお話しします。

 この体験学習は、ただ作品を仕上げて終わるだけでなく、その後の作文の勉強に大きく役立つと思います。

 申し込まれた方は、下記の受講料を7月17日(火)までにお振込くださるようお願いいたします。

▽お振込先
三井住友銀行 港南台支店
普通 6599615 株式会社言葉の森

▽金額(手数料はお客様負担でお願いします)
図書を言葉の森に注文される方 9,180円
図書をご自宅でご用意される方 6,480円
(海外の方は、図書をご自宅でご用意ください。)
※期日までにお振込みがない場合はキャンセルとさせていただきます。

 体験学習の資料等は、後日ウェブに掲載しご連絡いたします。
 また、体験学習の質問・相談・連絡用の掲示板を作りました。ご自由にご利用ください。
https://www.mori7.com/ope/index.php?k=103
枝 6 / 節 4 / ID 27711
作者コード:
 
枝 61 / 節 5 / ID 27712
2.勉強の本来の面白さを味わうために 枝 4 / 節 6 / ID 27713
 アインシュタインは、軍隊のような学校の勉強が大嫌いでした。
 しかし、家に帰ってから、ヤコブおじさんによって数学の面白さを教えてもらったのです。
 また、アインシュタインは、厳しい音楽の先生が大嫌いでした。
 しかし、家に帰ってバイオリンで遊んでいるうちに、音楽の楽しさに目覚めたのです。(「アインシュタイン」岡田好恵著より)

 つまらないことを我慢してやるのが勉強だと思っている大人に教えられれば、その子はつまらないことを最低限のエネルギーでやろうとします。
 1時間の枠で勉強しなければならないとしたら、その1時間の間、ひたすら自分ができる問題だけをやり続けたりするのです。
 それは、人に見せるための勉強です。
 時間をかけても、身につくものはほとんど何もありません。

 勉強は、本来学ぶことが面白いと思っている大人によって教えられるべきです。
 その大人は、お母さんでも先生でもいいのです。

 子供たちが、小中学校時代につまらない勉強を詰め込まれている結果が、高校生になって、受験に関係する勉強しかやらない勉強姿勢になっています。
 それは一見能率的に見えますが、人生という尺度から見れば全く非能率的なことなのです。

 今の勉強は、面白さをテストや賞品や競争によって演出しようとしています。
 そういう外側からの人為的な面白さではなく、勉強そのものが持つ創造的な面白さを味わうようにさせることが大事なのです。
 その勉強を、寺オン作文コースや発表学習コースによって広げていきたいと思っています。
枝 6 / 節 7 / ID 27714
作者コード:
3.よその子を褒めるのではなく、自分の子を褒める 枝 4 / 節 8 / ID 27715
 小学2、3年生くらいの子のお母さんで、自分の子の作文をうまくさせようとして、よその上手な子のことを褒める人がいます。
 これは、子供にとって何のプラスにもならないばかりか、作文そのものを嫌いにさせる原因になります。
 いちばんの原因と言ってもいいと思います。

 立場を変えてみればすぐにわかります。
 妻が夫に、「隣のうちのご主人、格好いいわねえ」などと言って、夫が自分もがんばろうと思うことはまずありません。
 逆に、夫が妻に、「あそこのうちの奥さん、いつもきれいだねえ」などと言って、妻が私もきれいになろうと思うことはまずありません。
 ほかの人を褒めることは、何の意欲にも結びつかないばかりか、かえって反発の要因になるだけなのです。

 そういう、自分に照らし合わせて想像力を働かせればすぐにわかることを、自分の子供に対しては忘れてしまう人が多いのです。

 学校の先生でも同じです。
 作文の指導と称して、上手な子の作文をプリントしてみんなに配るようなことをする先生がいます。
 それは、その子を褒めるという意味だけではいいのですが、それがほかの子の作文を上達させるようなことはまずありません。
 そういう指導法で作文が上手になるのなら、日本中の子供がすぐに作文が上手になっているはずです。

 作文は、ほかの人の上手な作文を見せられて上達するものではありません。
 その子の作文のいいところを、その子のためだけに褒めるのでなければ、指導とは言えないのです。

 学校で作文指導に熱心な先生に教えられると、そのクラスでは作文嫌いになる子が増えるという調査結果があります。
 その熱心さの中身が、上手な子の作文を褒めるようなことになっているからです。

 子供の作文を見たら、ほかの子と比較するのではなく、その作文のいいところだけを見て褒めてあげることです。
 言葉の森の項目指導はそのためにあるのです。

「たとえを入れて書こう」という項目で、たとえができていたら、そのたとえの中身よりもまず本人が意識的に努力して書いたことを褒めるのです。
 こういう地道な褒め方をせずに、おおまかに作文の全体を見て、うまいとか下手とか言うのは、子供の教育にとって何のプラスにもなりません。

 子供の作文を上達させるかどうかの役割の半分は、親の接し方にあります。
 いつも、自分の子の作文のいいところだけを見て、たくさん褒めてあげてください。

枝 6 / 節 9 / ID 27716
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4.読書は細切れ時間も利用して、毎日50ページ以上を目標に 枝 4 / 節 10 / ID 27719
 小学生の平均読書冊数は、1週間に2冊程度と言われています。
 しかし、この読書量は個人によってかなり大きな差があります。

 今の小学生は、勉強や宿題や習い事に忙しいせいか、やることがあまりにも多い気がします。
 それらを全部やろうとすると、例えば次のようなスケジュールになることがあります。
 国語の勉強10分、算数の勉強10分、英語の勉強10分、理科の勉強10分、社会の勉強10分、読書の時間10分。
 このようなやり方で、時間配分どおりにバランスよく学力がつくと思うのは大きな間違いです。

 学力の基本は、あくまでも日本語を読み取る力ですから、子供の学習時間としては読書50分、算数が苦手にならないように15分というような重点を決めた時間配分がいいのです。(これはあくまでもひとつの例です)
 家庭学習の中では、読書を最重点にした勉強のスケジュールを作っていく必要があります。

 また、塾に通うような習い事をしている場合、その日は塾の勉強だけで終わり、家に帰ると何もしないということになる場合があります。
 そういうときでも、読書だけは必ず毎日時間を確保していく必要があります。

 読書を中心とした学習の積み重ねがその後の学力と土台となり、それが学年が上がるほどはっきりしてきます。

 いろいろな勉強を少しずつやっていると、表面的な勉強はできたような気がしますが、本当の深い学力は付きません。
 家庭学習は、見た目のバランスを考えるのではなく、重点を絞って取り組んでいくことが大事です。
 そして、その読書も、子供の読む力に応じて、無理のない形で多読から難読へと進めていく必要があるのです。

 寺子屋オンラインのクラスでは、毎週生徒どうしが読んだ本の紹介をしています。
 これは、家庭での読書の強力な援軍になっている気がします。

 ところで、読書の目標は学年の10倍程度と考えておくといいので、小学1年生が10ページ以上、2年生が20ページ以上、3年生が30ページ以上、……そして5年生以上が50ページ以上としておくといいと思います。
 1日50ページ以上は、中高生も大学生も社会人も同じです。

 それ以上、ひっきりなしに読む子もいますが、そういう子は逆に理科実験や自然観察のような手足を動かす体験にも力を入れていくといいと思います。

 教科の勉強は、宿題があったりテストがあったりして目につくので、あまり大きな差は出ません。
 しかし、読書は、宿題もテストもないので、生徒による個人差がかなりあります。
枝 6 / 節 11 / ID 27720
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 お母さんも学校の先生も、ついテストの点数を見ますが、本当に大きな差は実は読書の方にあるのです。 枝 6 / 節 12 / ID 27722
作者コード:
5.ゲームは飽きるが友達は飽きない――毎日の勉強を続けるために 枝 4 / 節 13 / ID 27723
 
枝 61 / 節 14 / ID 27724
 作文や国語の勉強で、最も役に立つのが長文の音読です。
 言葉の森が30数年前に、音読指導を始めたころ、世の中に音読の練習をしているようなところはほとんどありませんでした。
 そのため、多くの保護者から、どうして音読をするのかとか、音読にどんな意味があるのかとかいうことをよく聞かれました。
 しかしその後、音読に効果があるらしいということが広がったせいか、学校や塾でも音読をするようになりました。

 ところが、音読は、毎日続けるのがかなり難しいのです。
 家庭で、保護者が子供に毎日の音読の習慣をつけられればいいのですが、保護者自身が子供のころ音読をした経験がないことが多く、そのため子供に音読を続けさせることがなかなかできないのです。

 これが、かけ算の九九と違うところです。
 九九の場合は、親も自分の子供時代やった経験があるので、自信を持って子供に九九の暗唱をっせることができます。
 しかし、音読はしたことがないので、自信を持って続けさせることができないのです。

 そこで、言葉の森では、音読の練習とゲームの面白さを結びつけるために、読解マラソンというページを作りました。
 しかし、このゲームの面白さというのは結局補助的なものであって、基本は保護者または先生の人間によるチェックがないと音読は続けられないということがわかってきました。
 ウェブに毎日の記録をするということもできなくはありませんが、そういう機械的な方法では、さぼったり、やらなかったのにやったことにするというようなことがどうしても起きてしまうのです。

 そこで、これを根本的に解決する方法として暗唱に力を入れることにしました。
 音読は、やっているかいないかが、先生のチェックだけではわかりません。
 先生が、「音読している?」と聞き、生徒が「はい」と言えば、それ以上のことは確かめられません。
 音読は、毎日続けることが大事なのですが、週に1回や2回でも、子供は「音読をした」と言えるからです。

 この音読に対して、暗唱の方は結果がはっきりしています。
 毎日やっていれば誰でも少しもつっかえずに言うことができますが、何日かやらない日があると必ずどこかでつっかえたり思い出せなかったりするのです。
 音読のチェックのときは、あまりやっていなかった子が、暗唱チェックをするようになってから、かなりの確率で毎日やるようになりました。
 そこで、この暗唱の練習をさらに励みになるものにするために、言葉の森では暗唱検定も行うようにしました。

 ところが、暗唱している生徒の割合は、本当は百パーセントを目指したいのですが、まだそこまでは到底行きません。
 それは、暗唱を続けることも、やはり保護者が自分自身子供時代に暗唱した経験がないことが多いために、家庭で自信を持って子供に続けさせることが難しいからです。
 そこで、新しく取り組んだのは、寺子屋オンラインの少人数クラスで暗唱のチェックをすることでした。
 人間は、機械やソフトが相手では意欲を持ち続けることはできませんが、他の人間、例えば友達との関係では、意欲を持ち続けることができるからです。
 言い換えれば、ゲームは飽きるが友達は飽きないのです。

 ただし、その代わり、ゲームや機械と喧嘩する人はいませんが、友達とは喧嘩をしてしまう場合もあります。
 つまり、人間にとって他の人間の存在というものは、意欲や感情を伴う分だけ、よい方向にも悪い方向にも強い力を持つのです。

 言葉の森では、この人間どうしの関係による意欲をよりよい方向で持たせるために、現在、寺子屋オンラインというオンラインの少人数クラスを開いています。
 この人間どうしの交流による学習というものが、これから教育の最も重要な方法になってくると思います。

 ものごとを合理的に考え能率よく進めるというのは仕事や生活の基本です。
 そのためには、規格化、標準化、機械化、自動化が必要です。
 ところが、子供の成長に必要なものは、往々にしてこれらとは正反対のものです。
 だから、人間の教育には、どんなに優れた機械よりも、多少ずっこけていてもいいから人間の存在が必要になってくるのです。
枝 6 / 節 15 / ID 27725
作者コード:
枝 9 / 節 16 / ID 27725
 
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