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言葉の森新聞2017年2月3週号 通算第1455号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.暗唱検定3級の暗唱長文のルビの一部訂正――百人一首の暗唱の仕方
   ●1.コメントより
  ■2.受験の合否にかかわらず、人生はいずれもいい結果になる
   ●1.コメントより
  ■3.小学校低学年は、やらせれば何でもやる時期だからこそ、子供の自主性を尊重することが大事
   ●1.●コメントより
  ■4.算数は勉強によって成績が上がる、国語は生活によって成績が上がる
   ●1.コメントより
  ■5.国語力、作文力をつけるためには、まず「読む」こと
   ●1.コメントより
  ■6.小学1年生の勉強は、楽しくやるから長続きする
   ●1.コメントより
  ■7.小1の勉強は、親が指示してやらせるのではなく、子供が自分でやるように手順を教えることを中心に
   ●1.コメントより
  ■8.国語力、読解力をつける作文教室――勉強の意欲は人と人との関わりの中で育つ
   ●1.コメントより
  ■9.頭をよくするのは、論理ではなく、難読(難しい文章を読むこと)
   ●1.コメントより
 
言葉の森新聞 2017年2月3週号 通算第1455号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.暗唱検定3級の暗唱長文のルビの一部訂正――百人一首の暗唱の仕方 枝 4 / 節 3 / ID 25396
 暗唱検定の3級は、百人一首です。
 ルビ振りで一部訂正や追加がありましたので、今3級を練習している人に、訂正の箇所が分かるものをお送りします。ウェブの長文の方は直っています。
https://www.mori7.com/mine/as2.php
 百人一首は、一首ずつ区切られているので、続けて暗唱するのが難しいと思います。
 コツとしては、五七五七七の最後の七と、次の歌の最初の五をできるだけ区切らずに読むことです。
 例えば、最初の二首では、「……露に濡れつつ、春過ぎて……」のように読むのです。
 音読をしていると、その音読が耳に残るので、無意識のうちに、次の歌が出てくるようになります。
 また、歌のつながりを、イメージ化できるストーリーにして、「露の玉の中から、春がポコンと飛び出してきた」のようにしてもいいと思います。
 歌の頭文字だけを続けて覚えるという方法も、早く覚えるには有効ですが、そういう知的な操作が入ると、思い出しながら読むという読み方になるので、なかなか早くは読めません。
 頭文字で覚えたものであっても、できるだけ音読だけで続けて頭に残るように読んでいくようにしてください。
 百人一首は、本などでも豊富に出ていますが、暗唱するための教材は1種類に絞ってください。
 人間は、その歌が教材のどの辺にあったかということも含めて記憶するので、教材が2種類以上になると、急に覚えにくくなります。
 音読の繰り返しで自然に覚えるという方法のコツがわかると、いろいろな勉強に応用できます。
 また、毎日暗唱の練習をしていると生活に張りが出てくるので、ほかのことも積極的に取り組めるようになります。
 お父さん、お母さんも、子供さんと一緒にぜひ暗唱に取り組んでみてください。
【画像】 https://www.mori7.com/izumi/gazou/2017/2101516070.jpg
https://www.mori7.com/izumi/gazou/2017/2101516071.jpg
枝 6 / 節 4 / ID 25397
作者コード:
1.コメントより 枝 5 / 節 5 / ID 25398
・人間は、物を覚えるときに、音の流れと、平面的な位置関係で覚えます。
 だから、覚えるものは声を出して覚えた方がよく、覚える教材は、1枚の大きな紙に全部書いてあるようなものがいいのです。
 そして、一度決めたら、その音読の順序を変えないことと、その最初の教材をほかのものに変えないことが大事です。
・早速、百人一首の暗唱に合格した人がいました。
 これまでの枕草子のようなものと違って、歌と歌の間につながりがないので、みんな苦労しているようです。しかし、これも結局音読による慣れなのです。
枝 6 / 節 6 / ID 25399
作者コード:
 
枝 61 / 節 7 / ID 25434
2.受験の合否にかかわらず、人生はいずれもいい結果になる 枝 4 / 節 8 / ID 25400
 受験の合格の連絡が次々に入ってきます。
 もちろん、その分、不合格になった子もいるわけです。
 しかし、いずれの場合も、それはいい結果になるのです。
 合格した子は、その合格を励みにして、更にがんばっていけばいいのです。
 不合格になった子は、その不合格をばねにして、新しい道を切り開いていけばいいのです。
 合否の結果は、外からやってくるように見えますが、本当は自分の心の内側からやってきます。
 本当の結果は、あとからやってくるのです。
====
 受験というのは、定員があるために、実力があっても不合格になる子がいます。
 不合格は、誰でもうれしいものではありません。ただの点数が低かっただけなのに、まるで自分の人格が否定されたような感覚になるからです。
 しかし、そこで、すぐに立ち直る子もいます。
 それも、これまでよりもずっと元気になって立ち直るのです。
 どうしたら、そういうことができるかというと、次のような考え方がすぐできるからです。
「僕が(私が)せっかくがんばってテストを受けたのに、その自分の実力を見られないない学校なんか、もう行ってやらない」
「あと何年かしたら、やはりこの学校に受からなくてよかったと言えるように、これからやっていこうっと」
 もちろん、こういうことが言えるためには、がんばって受験勉強に取り組んだということが前提になります。
 がんばったからこそ、不合格になったことに納得が行かず、そこから、自分で逆転する発想を生み出していくのです。
 そういう子は、必ずそのようにがんばっていきます。
 だから、何年かのちには、その学校に合格しなくてよかった、と本当に言えるようになります。
 だから、受験というのは、合格を目標にしてがんばるからこそ、不合格になっても無駄にはなりません。
 そして、強い子にとっては、不合格になった方がずっと大きな実りのあるものになります。
 もちろん、合格で力のつく子もいます。
 それは、合格によって更にがんばろうという気持ちになるからです。
 すると、新しい学校での友達関係も、自然に前向きの子どうしでつながるようになります。
 この友達との関係の中で、更に力がついていきます。
 いずれの場合も、もとになっているものは、本人の意識です。
 だから、本人の気持ちさえしっかりしていれば、あらゆることがよい結果だったということになるのです。
「合格で力のつく子、不合格でもかえって力のつく子」
https://www.mori7.com/index.php?e=2087
====
枝 6 / 節 9 / ID 25401
作者コード:
1.コメントより 枝 5 / 節 10 / ID 25402
・世の中には、いいことも悪いこともあるが、結局最終的にはみんないいことになる、ということが最近よくわかってきました。
 だから、何も心配することはないのです。
 むしろ、大事なのは、「勝って兜の緒を締めよ」の方です。
・人間には、必要なときに、必要な言葉が与えられる、という気がします。
 いちばん肝心なときに、ふとその言葉を思い出すのです。
 それは、外からやってくるように見えますが、本当は自分の心が作り出すのです。
枝 6 / 節 11 / ID 25403
作者コード:
3.小学校低学年は、やらせれば何でもやる時期だからこそ、子供の自主性を尊重することが大事 枝 4 / 節 12 / ID 25404
 小学校2年生のころまでの子は、何でも素直に受け入れます。
 だから、親が言ったことは、そのまま素直にやろうとします。
 そのため、親はついやらせすぎてしまうことがあるのです。
 この時期はむしろ勉強的なことは抑え気味にしておくことです。
 そして、その分、子供が自主的にやるような工夫をするのです。
 子供の勉強が、親が考えていたよりも早く終わったとき、ほとんどの人は、
「そんなに早く終わるのだった、ついでにこれもやろう」
と勉強の追加をしてしまいます。
 この予定外の追加に反発できる子はいいのです。それは自主性の育っている子です。
 反発せずに素直にやる子は、その後、集中力なく勉強する子になります。
 早く終わると追加されるのだから、だらだらやる方がいいと思ってしまうのです。
 親は、まず自分が当の子供だったらどう思うかということを想像してみることです。
 そして、子供の気持ちになって、その子がいつも楽しく勉強できるように工夫していくことです。
====
 小学1年生の勉強で大事なことは、勉強の仕方です。何を勉強するかということよりも、どう勉強するかということが、その後の学力の伸びを左右していきます。
 この記事は、「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」の続きです。
https://www.mori7.com/index.php?e=2306
 前の記事で書いたのは、第一に、楽しくやることでした。第二に、自主的にやることでした。
 第三に、子供の自主性を育てるためには、勉強の分量を多くしないこと、早く終わったからといって勉強の追加をしないことです。
 集中力がない子の多くは、勉強のしすぎという状態になっています。親から見てちょうどいいと思うぐらいの分量は、子供にとっては多すぎるものです。しかし、子供は反発するほどの基準が自分の中にないので、親に言われたことは一応そのまま素直に受け止めます。その結果が、集中力のなさとして出てくるのです。
 第四に、例外は作らないことです。勉強は、人間が成長するために欠かせないものですから、雨の日も、風の日も、土曜も、日曜も、旅行に出かけたときも、やると決めたことは、分量は少なくしたとしても毎日欠かさずにやっていくことです。
 この毎日欠かさずにやる習慣をつけるためにも、親が関与する面はできるだけ少なくしておくことが大事なのです。
 例えば、問題集の丸つけなども、親がやるのではなく、子供が自分でやるほうがいいのです。親がいなければできない勉強だと、親の都合でやらない日が出てくることもあるからです。
 第五に、子供の学力をつけるいちばんの勉強は、実は、読書と対話と経験です。
 漢字のドリルや計算のドリルは、いかにも勉強らしい感じがしますが、そういうドリルをやるのは、一応学校の勉強が普通にできるようになるためです。それ以上のものはありません。小学生の勉強は、どの教科も一応できているだけで十分なのです。人よりよくできるとか、毎回百点を取るとか、何学年も先取りするとかいうことにこだわる必要はありません。
 それよりも、読書と対話と経験で、自分なりに考える力と語彙の力と実際の体験を身につけておくことがその子の将来の本当の学力になるのです。
 言葉の森の作文も同じです。
 小学校低学年は、楽しく書くことが大事で、上手に書くことを目的にするものではありません。子供は素直なので、上手に書かせようと思えば、すぐに上手に書くようになります。しかし、そういう上手さには無理があります。低学年のころに上手に書きすぎた子は、勉強が長続きしないのです。
 大事なことは、作文を毎週書くという勉強をきっかけにして、音読や対話や経験の習慣を作ることです。しかも、それらの習慣は楽しくなければ本当の力にはなりません。音読や対話や経験を楽しい習慣にするためには、親がいつもよいところを見て褒めてあげることなのです。
「小学1年生の勉強は、集中力をつけること、例外を作らないこと、読書と対話と経験を重視すること」
https://www.mori7.com/index.php?e=2307 
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枝 6 / 節 13 / ID 25405
作者コード:
1.●コメントより 枝 5 / 節 14 / ID 25406
・子供が幼児や小学生のときの親の重要な役割は、勉強させることではありません。面白い話をしてあげることです。
 そのためには、子供と一緒にいる時間は、いつもその場に合った、子供が興味を持つような考える話を見つけるようにするといいのです。
・子供の教育でいちばん大事なことは、幸せな子供時代を送るようにさせることです。それ以外のことは、あとからどうにでもなります。
 だから、自分が子供だったらどう思うかということをいつも考えていくといいのです。
枝 6 / 節 15 / ID 25407
作者コード:
4.算数は勉強によって成績が上がる、国語は生活によって成績が上がる
枝 4 / 節 16 / ID 25408
 算数の成績に遺伝はありません。
 後天的な努力によって成績が上がります。
 国語は後天的な努力によってはなかなか成績が上がらない気がします。
 しかし、国語も先天的なものではありません。
 短期間の努力で成績が上がらない気がするのは、国語力は生活の中で身につくからです。
 例えば、学校でまだ習っていない漢字を読める子がいた場合、それは漢字の読みの勉強をしているよりも、読書の中で自然についたと考えられるのです。
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 頭のよさが関係ある勉強というと、算数数学を挙げる人が多いと思いますが、算数数学は練習の仕方で成績がよくなるので、後天的な努力型の勉強です。もちろん努力には時間がかかりますが、やれば誰でもできるようになります。
 では、もっと頭のよさに関係がある勉強は何かというと、それは国語力なのです。その国語力の中でも、小学生の場合は作文力が、中学生の場合は語彙力や読解力が、頭のよさに関係が深いというイギリスの心理学者の調査結果が出ています。
 国語は、特に勉強をしなくても誰でもある程度はできるので、それほど差のつく勉強だとは思えないと思います。確かに、日常の話題のような易しい語彙だけで済ませられる国語の問題は、できる子もできない子もほとんど差がつきません。
 作文でも同じです。身近な生活作文を書く範囲では、国語の得意な子も苦手な子も、同じようにそれなりの文章を書けるのです。
 差がつくのは、抽象的な語彙が出てくる読解や作文の課題になったときです。そのときに、本当の学力のある子とない子の差が出てきます。そして、その差は、学年が上がるにつれてますます広がっていくのです。
「頭のよさは国語力に出る」
https://www.mori7.com/index.php?e=2304
====
 では、読書力をどうやってつけたらいいかというと、いちばんいい方法は、オンエア講座で、友達相手に本の紹介をすることではないかと思います。
 読書自体の面白さが最も大切ですが、読み続けるきっかけは友達も読んでいるからということが多いのです。
枝 6 / 節 17 / ID 25409
作者コード:
 
枝 61 / 節 18 / ID 25435
1.コメントより 枝 5 / 節 19 / ID 25410
・読書実験クラブや思考国算講座で、子供たちに読んでいる本の紹介をしてもらうと、みんなとても上手に本の中身を説明してくれます。
 もちろん、低学年の子の多くは、最初から最後まで本のあらすじを言うような紹介が多いのですが。
 そのお互いの本の紹介を聞いて、自分もその本を読んでみたという子がときどきいます。
 こういう交流が広がれば、読書も更に楽しくなると思います。
・小学生のころは、読書が好きなら勉強など何もしなくても大丈夫だと思います。
 何もしなくてもというのは、学校の勉強だけでということです。
 ただ、今は学校によっては荒れているところもあるかもしれないので、その場合はスタディサプリなどで補強しておけばいいのです。
 教科書は、先生が教えることを前提にして作られているので、教科書だけでの独学は難しいと思います。
 教科書の代わりになるものは、教科書準拠の参考書と問題集で、そういうものもいくつかあります。
枝 6 / 節 20 / ID 25411
作者コード:
5.国語力、作文力をつけるためには、まず「読む」こと
枝 4 / 節 21 / ID 25412
 国語力をつけるためには、まず「読む」ことが大切です。
 問題を解くとか、漢字を覚えるとか、ことわざを覚えるとかではなく、何しろまず「読む」ことなのです。
 しかし、ただ読むだけでは漠然としています。
 だから、感想文を書くために読むという形の勉強が効果的なのです。
 読む勉強の先取りは限られています。
 算数数学の場合は、学年よりも先の勉強がいくらでもできます。
 しかし、国語はそうではありません。
 読む力は、その学年ごとにつけていかなければなりません。
 小学生のうちに読む力をつけることは大事ですが、それで中学生まで間に合うのではありません。
 中学生のときに読む力がついても、それで高校生まで間に合うわけではありません。
 それぞれの学年ごとに、その学年に応じた読む力をつけておくことが大事なのです。
====
 言葉の森の作文指導の特徴は、長文を読んでその感想文を書くことを中心としていることです。ただし、感想文中心になるのは小5以降で、それまでは身近な題名の課題が中心です。
 なぜ感想文を書くことを中心にするかというと、学年が上がるほど読む力をつけることが必要になってくるからです。
 文章を読む力は、語彙力として表れます。受験の国語問題に出てくる文章は、その学年の子にとってはなじみのない言葉が多く使われています。
 語彙力のある生徒は、何とか内容を読み取りますが、語彙力のない生徒は、読解問題も当てずっぽうで解くようになります。
 国語の成績を上げるには、問題文を理詰めで読み取る必要があるのですが、語彙力がないと読み取る段階まで達しないことも多いのです。
 長文を読んで感想文を書く勉強をしていると、その長文を深く読み取ろうとするようになります。
 事前に長文の音読を何度もしていると、難しい内容の文章でも全体の内容がおおまかにわかります。更に、その長文音読をもとに、親子で似た話などをしていれば、文章を読み取る力は更についてきます。
 このように、感想文を書くために長文を読むという練習をするので、難しい長文を読む力がついてくるのです。
 長文を読む力は、一度つけばそれで終わりではありません。
 小学校高学年のときの難しい文章と、中学3年生になってからの難しい文章では、質が違います。また、中学3年生のときの難しい文章と、高校3年生になってからの難しい文章でも質が違います。
 言葉の森の作文の勉強は、小学生から高校生まで、それぞれの学年に応じた難しい文章を読み、感想文を書く練習を中心としているのです。
「国語力をつける作文指導は、長文を読んでの感想文の指導」
https://www.mori7.com/index.php?e=2313
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枝 6 / 節 22 / ID 25413
作者コード:
1.コメントより 枝 5 / 節 23 / ID 25414
・中学生のときに、国語が苦手で、言葉の森の長文読解問題を熱心にやってめきめき力をつけた生徒がいました。
 そして、いい高校に入ったのですが、高校生になってから、たぶん本をあまり読まなかったのでしょう。
 高校3年生のときは、国語の成績がかなり落ちていたのです。
 国語は、それぞれの年齢に応じて難しい文章を読まなければ低下します。
 それでも、大学入試の前に気を取り直して、また国語の勉強を始め、何とか東大に入ったのです。東大って(笑)。
・読む力は食事と同じです。
 食いだめということは、ある程度まではできますが、来年の分まで先に食べておくことはできません。
 しかし、「小4までに読書を全部済ませておいて、小5からは受験に専念」というようなわけのわからない方針を立ててしまう人も多いのです。
枝 6 / 節 24 / ID 25415
作者コード:
6.小学1年生の勉強は、楽しくやるから長続きする
枝 4 / 節 25 / ID 25416
 小学1年生の勉強は楽しくやるものです。
 苦しいことを我慢して厳しくやるものではありません。
 子供は素直ですから、多少の厳しい勉強にも黙ってついてきます。しかし、そういう子はあとが続きません。
 楽しくやるためには、勉強の分量を親から見て物足りないぐらいに減らしておくことです。
 そして、その勉強を子供が自分でやっていくようにするのがいいのです。
 親は、その様子を横でにこやかに見ているのです。
 親が先頭に立って子供を引っ張って勉強させるのではありません。
 後ろからときどき励ましの声をかけてあげるだけです。
 そして、勉強のことばかりでなく、日常のいろいろな話題で親子でできるだけたくさんの会話をしていくことなのです。
====
 小学1年生の勉強で大事なことは、勉強の仕方です。何を勉強するかということよりも、どう勉強するかということが、その後の学力の伸びを左右していきます。
 この記事は、「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」の続きです。
 前の記事で書いたのは、第一に、楽しくやることでした。第二に、自主的にやることでした。
 第三に、子供の自主性を育てるためには、勉強の分量を多くしないこと、早く終わったからといって勉強の追加をしないことです。
 集中力がない子の多くは、勉強のしすぎという状態になっています。親から見てちょうどいいと思うぐらいの分量は、子供にとっては多すぎるものです。しかし、子供は反発するほどの基準が自分の中にないので、親に言われたことは一応そのまま素直に受け止めます。その結果が、集中力のなさとして出てくるのです。
 第四に、例外は作らないことです。勉強は、人間が成長するために欠かせないものですから、雨の日も、風の日も、土曜も、日曜も、旅行に出かけたときも、やると決めたことは、分量は少なくしたとしても毎日欠かさずにやっていくことです。
 この毎日欠かさずにやる習慣をつけるためにも、親が関与する面はできるだけ少なくしておくことが大事なのです。
 例えば、問題集の丸つけなども、親がやるのではなく、子供が自分でやるほうがいいのです。親がいなければできない勉強だと、親の都合でやらない日が出てくることもあるからです。
 第五に、子供の学力をつけるいちばんの勉強は、実は、読書と対話と経験です。
 漢字のドリルや計算のドリルは、いかにも勉強らしい感じがしますが、そういうドリルをやるのは、一応学校の勉強が普通にできるようになるためです。それ以上のものはありません。小学生の勉強は、どの教科も一応できているだけで十分なのです。人よりよくできるとか、毎回百点を取るとか、何学年も先取りするとかいうことにこだわる必要はありません。
 それよりも、読書と対話と経験で、自分なりに考える力と語彙の力と実際の体験を身につけておくことがその子の将来の本当の学力になるのです。
 言葉の森の作文も同じです。
 小学校低学年は、楽しく書くことが大事で、上手に書くことを目的にするものではありません。子供は素直なので、上手に書かせようと思えば、すぐに上手に書くようになります。しかし、そういう上手さには無理があります。低学年のころに上手に書きすぎた子は、勉強が長続きしないのです。
 大事なことは、作文を毎週書くという勉強をきっかけにして、音読や対話や経験の習慣を作ることです。しかも、それらの習慣は楽しくなければ本当の力にはなりません。音読や対話や経験を楽しい習慣にするためには、親がいつもよいところを見て褒めてあげることなのです。
「小学1年生の勉強は、集中力をつけること、例外を作らないこと、読書と対話と経験を重視すること」
https://www.mori7.com/index.php?e=2307
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枝 6 / 節 26 / ID 25426
作者コード:
1.コメントより 枝 5 / 節 27 / ID 25422
・小学校低学年のころの勉強は楽しくやるのが基本です。
 楽しくやるためには、できるだけ自主的にやらせることです。
 自主的にやらせるためには、勉強の分量をぐっと少なくしておくことです。
 分量を多くすれば、子供は手を抜いたり、だらだら時間をかけてやったりするようになります。
 集中力のある勉強は、分量が少ないからできるのです。
 それが、「よく学びよく遊べ」の土台です。
・ 子供の勉強を褒めるときも、褒め方に工夫が必要です。
 長くやったとか、たくさんやったとか、よくできたとかいうことを褒めるのではなく、自主的にやったということを褒めるのです。
 まちがったとか、できなかったということは、むしろ大歓迎です。
 その分、成長する余地があることがわかったことになるからです。
枝 6 / 節 28 / ID 25427
作者コード:
7.小1の勉強は、親が指示してやらせるのではなく、子供が自分でやるように手順を教えることを中心に
枝 4 / 節 29 / ID 25417
 小1の勉強は簡単です。
 しかし、この小1のときの勉強のスタイルが、その後の子供の勉強スタイルの土台になります。
 だから、勉強の中身ではなく、勉強の仕方を工夫することです。
 そのやり方は、子供が何をどういう手順でやるのかを教えで、きるだけひとりで勉強をする習慣をつけることです。
 そして、子供が勉強している間、親は近くにいてにこやかに見守るような立場にいるのです。
 じっと見守っていると、つい注意をしたくなることも出てくるので、親も近くにいて読書をしたり仕事をしたりしているといいのです。
 子供が何かを聞いてきたら、いつも優しく教えてあげ、何度同じことを聞いても、何度も同じように優しく教えてあげます。
 子供が小さいころの勉強は、親の精神修養だと思ってやることです。
====
 小学1年生で勉強することなど、たかが知れています。どの教材でも誰が教えても、大差ないものです。ですから、市販の教材でも通信の教材でも自由に選んで、身近なお母さんが教える形で十分に勉強できるのです。
 しかし、大事なのは、このときの勉強の仕方です。勉強の中身そのものは誰でもできる(できなければならない)基本的なものなので、どういう教材をどう教えてもできるようになります。しかし、そのときの勉強の仕方は、実は千差万別なのです。
 そして、このときの勉強の仕方が、その後の子供の勉強の仕方の土台になります。だから、この時期は、何をやるかとか何を身につけるかということよりも、どうやるかということが大事になってくるのです。
 では、どうやればよいのでしょうか。
 まず第一に大事なことは、明るく楽しくやることです。少学校低学年は、苦しい勉強をする時期ではありません。苦しい勉強の方がやりがいが出てくるのは、もっとずっとあとになってからです。小学1年生のときは、できるだけ楽にできるように、少しでも子供が困っていることがあったら、どんどん手助けしてあげることです。
 これは、作文でも同じです。低学年の子に、無理に自分の力で書かせる必要はありまぜん。楽に書かせることが大事で、そのためにはいくらでも助け舟を出してあげることです。
 しかし第二に、自分のペースで自主的にやる勉強スタイルを作ることです。そのためには、何をいつどういう順序でやるかということを、一つの流れとして作り、子供が自分の意思でその流れに乗るようにすることです。
 よく、お母さんが、「次は、これ。それが終わったら、今度はこれ」と指示するような勉強の仕方をしている家庭が多いのですが、それでは、やらされる勉強になってしまいます。勉強の開始は、親が指示しないと始められないこともありますが、どういう順序でやっていくかということは、子供が自主的にやるような仕組みを作っておくことです。
「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」
https://www.mori7.com/index.php?e=2306
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枝 6 / 節 30 / ID 25428
作者コード:
1.コメントより 枝 5 / 節 31 / ID 25423
・子供が小さいときの勉強でいちばん大事なことは、親がいつもにこにこしていることです。
 勉強の中身などはどうでもいいのです。
・子供には、勉強を教えすぎないことが大事です。
 しかし、もう一つ大事なことは、矛盾するようですが、子供が何かを聞いてきたら、できるだけ脱線して話を続けることです。
 子供は、この脱線が好きなのです。
枝 6 / 節 32 / ID 25429
作者コード:
8.国語力、読解力をつける作文教室――勉強の意欲は人と人との関わりの中で育つ 枝 4 / 節 33 / ID 25418
 言葉の森は、作文専科の作文教室を35年間続けてきました。だから、作文指導の難しさというものがよくわかっています。
 最近、受験に作文が増えてきたために、学習塾や通信教育で作文講座を開くところも増えてきました。
 しかし、そういう新しい作文教室は、言葉の森がもうとっくに通り過ぎてきたところに力を入れているように思えるときがあります。
 その一つは、作文の大切さを力説していることです。例えば、考える力がつく、入試で記述力が問われるようになる、などです。
 もちろん、大切さを説くのはいいのです。しかし、本当はもっとその先を行く必要があるのです。
 では、その先はどこかというと、それは、意欲的に作文の勉強を続けさせる工夫です。
 作文の大切さということをいくら言っても、作文の勉強のように苦しいことは子供はなかなかやりたがりません。
 入試に作文試験があるという場合は、子供も意欲的なので教えやすいのですが、そういう目標がないところで、小中学生に作文を教えるというのはかなり工夫が必要です。
 その工夫の一つは、先生との関わりを強めることです。それが毎週の電話指導です。電話指導をきっかけに作文を書くスタイルができれば、提出が滞るということは少なくなります。
 また、近年は、電話指導以外に、オンラインで先生やほかの生徒との交流ができる企画も並行して行っています。それが、オンエア講座やプレゼン作文発表会です。
 また、このオンラインの講座を生かして、国語力以外に子供の学力の重要なもう一つの要素である理数力の指導も受けられるようにしています。
 新しい作文教室が力を入れて宣伝しているもう一つは、小学校低中学年の子供たちの成果を強調することです。
 例えば、スラスラと書けるようになった、いろんな知識が身についた、などです。もちろん、低中学年で成果が上がるのはいいのです。しかし、本当はもっとその先を行く必要があるのです。
 小学校低中学年の成果の先にあるものは、真の実力をつけることです。
 真の実力とは、小学校高学年、更には中高生になってからの高度な説明文、意見文、論説文を書く力です。
 そのために、言葉の森では、作文指導の土台となる国語力、読解力の育成に力を入れています。
 その一つが、暗唱検定や音読の自習や国語問題集読書などで読む力をつける指導です。
 また、オンエア講座などでは、作文の予習のやりやすくするために、次の週の作文の解説を行い、それをもとに家族で作文の課題についての対話ができるような工夫をしています。
 このような工夫をしている結果、言葉の森の作文課題の提出率は現在94パーセントになっています。小学生から中学生までの生徒の毎週の作文課題の提出率ですから、通信教育のわりにはかなり高いと思われると思いますが、本当はこれでも不十分です。
 提出率は、風邪や旅行で休んだ以外はすべて100パーセント提出できるのが本来の姿です。
 誰でも経験があることだと思いますが、人間は、一度でもさぼると、あとはずるずると全部さぼってしまうという傾向があります。
 だから、課題提出率が90パーセントを切っていたら、それは10回に1回は提出しなかったといことですから、親が言わなければやらないレベルに近づいているということです。
 言葉の森では、今後、この課題提出率を100パーセントにすることを目指して、これからの指導に取り組んでいきたいと思っています。
枝 6 / 節 34 / ID 25430
作者コード:
1.コメントより 枝 5 / 節 35 / ID 25424
・作文指導が難しいのは、教えるところではありません。
 子供に意欲的に書かせるところが難しいのです。
 だから、ここで、子供と先生やほかの友達との人間的な関わりが必要になるのです。
・作文の課題提出率は100パーセントが基本です。
 もちろん、風邪で休んだり、旅行で休んだりしたときは休んでいいのです。
 しかし、うやむやのうちにやらなかったという日が1日でもあると、あとはずるずると休み続けるとなることが多いのです。
 だから、課題提出率が80パーセント程度というのは、親が口うるさく言ってやっとやらせているレベルです。
 ちなみに、言葉の森は94パーセント。まだまだ不十分です。
枝 6 / 節 36 / ID 25431
作者コード:
9.頭をよくするのは、論理ではなく、難読(難しい文章を読むこと)
枝 4 / 節 37 / ID 25419
 論理を学ぶというと、いかにも頭がよくなるような感じがしますが、論理にはそういう力はありません。
 論理の反対にあるのは感覚ですから、論理を学ぶことによって感覚的なものの見方から離れることができるという利点があるのです。論理の役割は、そこまでです。
 論理の典型的な例は、三段論法です。「AがBであり、BがCであるならば、AはCである」というような論理は、見方を変えれば、当たり前の話で、最初からわかっていたことをわざわざ遠回しに言っているようなものです。
 しかし、この論理が、感覚との対比で役に立つこともあります。
 その一つの例は、「変数の数以上の等号の数があれば、その変数は特定できる」などという論理です。
 これは、数学の方程式や因数分解のような論理に似ています。直感的に考えたのでは決して確かとは言えないことが、論理的に考えると確かだ言わざるを得ないというのが論理の特徴です。
 この論理的な考えが実際の役に立つ例として、センター試験国語の勉強があります。
 センター試験の国語は、選択問題で答えが一つの定まっていますから、論理的に考えれば必ず正解に行き当たります。
 国語のテストだから感覚的に考えていいのだと考えると、かえって不正解になるのです。
 論理を学ぶと、世の中はすべて理屈どおりに成り立っているのだということに確信が持てるようになります。
 これが、数学の勉強をする意義です。
 プログラミングの勉強も、こういう論理への確信を持てるようになるという点で意義があります。
 しかし、論理が役立つのは、こういうところまでです。
 論理を学ぶことが頭をよくするわけではないと書きましたが、では、頭をよくするのはどういう学習なのでしょうか。
 それは、「難読」です。難読というのは、ここだけの造語で、難しい文章や本を読むという意味でつかっています。
 私が学生時代、最初にサルトルの「存在と無」を読んだとき、なかなか理解できなかった言葉が、即時存在、対自存在、即自かつ対自存在という3つの概念の区別でした。
 これを自分なりに何度も考えてやっと理解できたときに、ものの味方の新しい地平が開けた気がしたのです。
 こういう時間のかかる読み方を経験すると、速読というのは、表面的な理解には使えるが、深い理解には使えないということがよくわかります。
 速く読む力をつけることは大事ですが、もっと大事なのは深く読む力です。
 このサルトルの即時かつ対自存在という概念のもともとの出どころはヘーゲルでした。
 ヘーゲルは、教科書的な説明では、正反合というわかりやすい考え方でまとめられていることが多いのですが、ヘーゲルの本質はもっと深いものです。それは、物事がその発展の過程で、次第にその物事以外のものを生み出し、それがもともとの物事を否定し、新しい物事が生成されるという世界観です。「精神現象学」には、その具体例が豊富に書かれています。
 頭をよくするのは、論理を学ぶことによってではなく、こういう新しい概念を理解することによってです。
 しかし、小学生の子供に直接難しい本を読ませることはできません。
 だから、子供には、難しい本の代わりに、自然科学の本を読ませるといいのです。人文科学や社会科学は、仮説を述べていることが多いので、確実性のない知識もかなりあります。
 しかし、自然科学は、仮説の部分ももちろんありますが、実際の自然現象として説明できる確実なものが豊富にあります。その自然現象の理解を通して、新しい概念を理解することができるのです。
 自然科学の分野で新しい理解を得たときに、子供は感動します。その感動は、知的な喜びにつながる感動です。
 この感動が更に深く知りたいという知的好奇心を生み、そのことによって更に深い理解をすることで子供の頭はよくなっていくのです。
 だから、頭をよくする子育てで大事なことは、自然を学ぶ機会を作ること、それを難しい本の読書に結びつけることなのです。
枝 6 / 節 38 / ID 25432
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1.コメントより 枝 5 / 節 39 / ID 25425
・先日、保護者の方から、「論理を勉強した方がいいですか」と質問を受けました。
 論理的にものを考えることは大事ですが、それはわざわざそのために何かをするようなものではありません。
 数学の勉強をしていれば、論理的にものを考えることは自然にできるようになります。
 論理よりも大事なのは、考える力をつけることで、それは難しい本を読むことです。
 しかし、難しい本を読むというのは、小さい子にはまだできないので、その代わりに自然科学を学ぶようにするといいのです。
・数学の悪口を言うようですが(笑)、数学の勉強をしても頭はよくなりません。数学の成績がよくなるだけです。
 頭がよくなるのは、自分がまだ知らない新しい概念を身につけることによってです。
 その教材が、優れた論説文なのです。
枝 6 / 節 40 / ID 25433
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枝 9 / 節 41 / ID 25433
 
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