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言葉の森新聞2007年3月2週号 通算第974号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.読解マラソン、復旧工事中
  ■2.森リンの点数を100点満点に換算 
  ■3.2.4週と3.4週の長文の問題はありません
  ■4.小2の(2.1週)長文にミスプリ
  ■5.余裕のある生活(しろ/しろ先生)
  ■6.ユラのお話から(わん/すず先生)
  ■7.柔軟な思考(イルカ/かこ先生)
  ■8.数学が苦手です(なら/なら先生)
 
言葉の森新聞 2007年3月2週号 通算第974号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.読解マラソン、復旧工事中 枝 4 / 節 3 / ID 10809
 2月末に、読解マラソンのページの工事を開始しました。
 これは、次のような問題があったためです。
(1)毎日の記録を間違えて入れると、走った距離が多くなりすぎることがあった
(2)オークションにマイナスで売ると、買った人がプラスになるという問題があった
 このため、正しく記録をしている人が不公平に感じる面がありましたので、大嵐が来て(笑)それまでのアイテムを全部吹き飛ばしてしまいました。ただし、持っていたアイテムは、元の値段の10分の1の金額に換算して残すようにしました。3月からは、全員、最初のはだかんぼうからスタートということになります。

 現在、読解マラソンは、新しいキャラクターとアイテムで工事中です。3.2週から使えるようになる予定です。
 これまで、ゲームでアイテムが手に入るのは1週間に1回だけでした。しかし、生徒のみなさんの中には、毎日記録をしている人も多いようなので、これからは、毎日の記録でもそれぞれ何かの成果が手に入るようにします。
 また、毎月第4週には、読解テストがありましたが、ふだんの記録のときにも自主的なテストが行えるようにしたいと思います。

 長文集と読解マラソン集の自習の仕方は、次のとおりです。

・課題の長文は、その週の分を毎日音読しましょう。
・毎週、先生が長文問題を出してテストをします。

・読解マラソン集は、ルビのついているものを毎日1〜3ページずつ順番に音読しましょう(ページ数は、無理なく続けられる程度にしてください)。
・ルビのついていないものを読める人は、ルビのない方を音読してください。
・インターネットの読解マラソンのページで、自分の読んだページを記録できます(これは自由です)。
・インターネットで記録すると、ゲームができて、アイテムが手に入ります。
・インターネットのページで、毎月第4週に読解のテスト問題があります(これも自由です)。

※読解マラソンのくわしい説明は、下記のサイトをごらんください。
http://www.mori7.com/marason/
枝 6 / 節 4 / ID 10810
作者コード:
2.森リンの点数を100点満点に換算  枝 4 / 節 5 / ID 10805
 森リンの点数は、これまで確率密度の順位で表示していましたが、直感的にわかりやすい100点満点の表示も行うようにしました。
 過去の点数にさかのぼって、修正しています。
枝 6 / 節 6 / ID 10806
作者コード:
3.2.4週と3.4週の長文の問題はありません 枝 4 / 節 7 / ID 10807
 小学1年生と小学2年生の課題集で、2.4週と3.4週のところに「今週は清書です。ただし、長文の問題があるので長文を読んでおいてください。」という表示がされている課題フォルダがありました。
 これは、印刷ミスで、正しくは、「今週は清書です。長文の問題はありません。」でした。<(_ _)>
枝 6 / 節 8 / ID 10808
作者コード:
4.小2の(2.1週)長文にミスプリ 枝 4 / 節 9 / ID 10821
 触覚→触角。 枝 6 / 節 10 / ID 10824
作者コード:
 
枝 61 / 節 11 / ID 10819
5.余裕のある生活(しろ/しろ先生) 枝 4 / 節 12 / ID 10811
 みなさんは普段、余裕のある生活を送っていますか。余裕……。これは人によって感じ方が違う曖昧な言葉なので、少し余裕とは何かについて考えてみましょう。

 ある日、学校で「お母さんの顔を描きましょう」という宿題が出たとします。どんな紙に描いてもよいし、何枚描いてもいいことになっています。上手くかけてもかけなくても、成績には一切関係ないということです。みなさんは、こういう宿題が出たときどんなことを思うでしょうか。
 Aさん:「お母さんの顔かあ。ぼくはお母さんの笑っている顔が好きだから、笑顔のお母さんにしようかな。あっ、でも、怒るときもあるからこわい顔も描こうかな。絵の具、確か机の引き出しに入ってたな。今日はお母さんの顔をよく見てみよう。」
 Bさん:「え〜、何でお母さんの顔なんてかかせるんだろう。母の日なんてまだだいぶ先だし。塾の宿題もやらなきゃいけないのに。面倒だな。適当にそこら辺にある紙にかいちゃえ。」
 みなさんはどちらでしょうか。もし、この宿題に楽しく取り組めるAさんなら、それはみなさんが余裕のある生活をしているということです。さあ、Bさんの人いませんか? Bさんなら、ちょっと危険信号ですよ。

 余裕のある生活、それは、いつも何かを受け入れられる時間を持っていること。そして、受け入れようとする気持ちを持っていることです。この余裕は実はとても大切。もし余裕をなくしてしまうと、考えることをやめてしまうことになるからです。学校や塾の先生の話したことを一生懸命メモをとって聞いて、家に帰って復習し、次の日の予習をすることはもちろん大切です。でも、覚えることと考えることは違います。「これはどうなのかな。どうしようかな。あっ、こうしたらどうだろう。」こう考えられるのは、心に余裕があるときだけです。時間がなく、あせっているときは、考える暇があったら単語の一つでも覚えたいという心境になってしまいますね。

 今、「ゆとり教育」の改善が叫ばれています。もともとゆとり教育とは、子供たちが自ら考える力、生きるために必要な力を育てようということで始まりました。でも、それが学力低下の原因だとされ、見直されているんですね。ただ、考える力はあまり必要ではないのか、というとそんなことはありません。学校の勉強に関係することもしないことも、ゆっくり、よく考える、これは絶対に必要です。考えれば、何かを予想する力がつきます。予想ができれば、様々な新しいことに対応することができます。みなさんがこうして暮らしている二〇〇七年と、大人になってから過ごす時代は全く違うもののはずです。そんなとき、考える力、予測する力、対応する力がなければ、時代の変化についていくことはできません。そして、これらの力は全て余裕のある生活から生まれるのです。もし今、時間がない、余裕がない、と思っている人は、ちょっとここで立ち止まり、自分の生活を見直してみましょうね。
      
枝 6 / 節 13 / ID 10812
作者コード:siro
6.ユラのお話から(わん/すず先生) 枝 4 / 節 14 / ID 10813
 今年の冬は、暖かいですね。雪国では、雪不足でスキー場が困っていたり、雪祭りができないと聞きます。私が住む横浜では、朝、野原が一面霜で真っ白という光景をあまり目にしていません。毎年の今ごろは、雨上がりの水溜りが凍っていたり、霜柱をザクザク音を立てて踏んだりしているのですが……。でも、油断大敵。まだ2月です。冷たい風がふいて寒い日がつづくかもしれません。みなさん、体調に気をつけてくださいね。

 先日新聞で、夜の間にする仕事をしているため昼間家にいることが多い若い男の人からの相談記事を目にしました。近所の人から、「若いのに、働かないでフラフラしている。」「怪しい人だから気をつけなければ。」と噂されて困っている。自分は、皆が寝ている知らない間に一生懸命仕事をしているのに、わかってもらえない。というのです。なんという、了見の狭いご近所さんでしょう。悩んでいる若い人が不憫になりました。世の中に、皆が休んでいる間にどれだけ多くの人が、縁の下の力持ちで働いているか考えてみてください。病院のお医者さんや看護士さん、警備員さん、コンビニエンスストアの店員さん、工事関係の人など数えたらキリがありません。自分と違うとすぐ偏見を持つというのは、とってもさびしいことです。そんなまわりの声に負けずに、仕事に誇りを持ってがんばってほしいと新聞に相談した若い人を応援したくなりました。

 1月のエニシダの山の長文に、四角い頭のクラゲのユラのお話があります。ユラは、皆と頭の形がちがうというだけで、仲間はずれにされ、悩み、つらい思いをします。そして、仲間を探しにイカやタコのところへ行くけれど拒否されてしまい、結局一人ぼっちの寂しさを感じるという話です。人は、まわりと同じでいることに安心感を持ち、ちがうことに対して排他的になりがちです。自分自身の胸に手を当てて、ユラのような立場になったことはないか、また、ユラを仲間はずれにしたクラゲたちのように誰かを仲間はずれにしたことがないか、考えてみてください。心が、さびしくなったり、チクチク痛んだりしませんか? 体に特徴のある人や、障碍(しょうがい)のある人を仲間はずれにするのは、よくありません。みんな同じ仲間です。障碍のあることをその人の個性ととらえる考え方が、だいぶ広まってきています。世の中には、いろいろな人がいて、いろいろな考え方があって、それを知り、受け入れ、そして自分も一緒に生きているのだということをみなさんには、これから大きくなるにつれて、だんだんとわかっていってもらいたいと思います。




枝 6 / 節 15 / ID 10814
作者コード:suzu
7.柔軟な思考(イルカ/かこ先生) 枝 4 / 節 16 / ID 10817
 中学三年生になる娘は、今、卒業研究で油絵を描いています。皆さんも絵を描いたことがあるでしょう。私も中高校生のころ、絵を描いていました。例えば木を描くとします。皆さんはどうやって色を塗りますか。何色を使いますか。木=茶色と思うかもしれません。でも、よーく見てください。木は茶色だけではないのです。赤い色も青い色も黄色い色も緑の色も含まれているのです。いろいろな色が微妙に溶け合って、木の色を作り出しているのです。色の割合によって、その木だけが持つ表情が作り出されるのですね。木だけではありません。自然界にある物全てがいろいろな色によって構成されていると思います。そして一つ一つが違い、それぞれが違う表情を持っているのです。
 物事に対して、□=□ととらえなければいけない時もありますが、□=○と考えることも必要になる時があります。□=△かもしれないし、□=☆かもしれません。もしかしたら、□=△+○かもしれないし、□=☆−△+◎かもしれません。これはどうなのかなと考える時に、多方面から考えられる柔軟な思考を持つことができたら楽しいと思いませんか。それは想像することにもつながると思います。確かではないかもしれないけれど、もしかしたらあり得るかもしれない。そうやって考えていくと、世界も広がってきます。
 絵の世界も、ある意味で想像の世界とも言えます。じっと目を凝らして見ていると、いろいろな色が見えてくるのは想像なのかもしれませんが、その想像が実際に存在しうる一つの世界を作り上げていくわけです。私が大学でレポートや論文を書いた時、絵を描いてきたことが役に立ったと思っています。一つのことを一方面からとらえるのではなく、多方面からとらえようとすることを、絵を通して自然に身につけていたのかもしれません。なにも、絵を描かなければいけないというわけではありません。ふだんから、自分の中で心がけていればできることです。難しいことでもないでしょう。作文や感想文を書く時にも、一つの例に対してこれはこうだと決めつけるのではなく、もしかしたらこういうことかもしれないと考えられたら、話が広がって楽しい文章が書けると思います。頭を柔軟にしていれば様々なことも素直に受け入れられるでしょうし、会話も弾み、複雑な人間関係だってうまく対応できることでしょう。(笑)
 皆さんはまだ若いのですから、今から柔軟に考えられる頭を持つことは可能なことです。
電車の中でよく見かける日能研の「四角い頭をまあるく」という広告ではありませんが、多方面から物事をとらえられるやわらか〜い頭を持てるようにしてくださいね。
枝 6 / 節 17 / ID 10818
作者コード:kako
 
枝 61 / 節 18 / ID 10820
8.数学が苦手です(なら/なら先生) 枝 4 / 節 19 / ID 10815

 ヘチマの山(小6相当)の1月2週の長文に、以下のような説明がありました。
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 世の中にはむずかしい本があります。どうすればたくさんの本を読んで、いつもそれをわかることができるようになるでしょうか。……自分のわからない本はいっさい読まないということ、そうすれば、絶えず本を読みながら、どの本もよくわかることができます。少しページをめくってみてあるいは少し読みかけてみて、考えてもわかりそうもない本は読まないことにするのが賢明でしょう。(加藤周一「読書術」より)
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 この長文に対する感想文は、どれも個性的でした。「わからない本は読むな」と言われて「なるほど。」と思った人もいれば、「それだと、いつまでたってもむずかしい本を読めるようにならないと思う。」と自論を展開した人もいます。この長文についての意見はさておき、どんなふうに本を選ぶか、それを読み進めるかについては、人それぞれの「これ!」というやり方があるようです。
 「これ!」があることはいいことですが、時に、その考え方にとらわれすぎることもありそうです。私の場合(他の人も、かな)、自分の興味のない分野は、読むかどうか迷う以前に手にも取らないことが多いのです。自分の好みだけで選ぶと、どうしても偏りが出てしまいがち。なので、周囲の人から勧められた本を優先的に読むように心がけています。
 そんな中で、家族が読み終わった『数学を愛した作家たち』(片野善一郎 新潮信書)を手にしました。学校の教科としての数学は、あまり芳しくない成績でしたし、大学では一般教養で数コマの講義を受講したのみ。自ら進んで手に取って読もうとは思わないタイプの本です。「作家たち」というところで、かろうじて表紙に目を向けるくらいでしょうか。読んでみると「作家○○は数学に対して〜だった。」というように、作家・作品と数学の関わりを述べているという、どちらかというと、トリビアっぽい(!?)軽い読み物風です。
 この本の最終章「おわりに」に興味深い話がありました。立花隆さんの「日本のインテリは文系も理系も、みんな頭が偏っている。健全な知性は文理シナジーの上にこそ築かれる。」という文を引用してあります。シナジーとは「共同作用」「相乗作用」と一般的に訳されることが多いです。文理シナジーとは、「文系と理系を別々の系統として独立させるのではなく、互いに共同することにより知の総合化を目指そうという学問領域のとらえ方」だそうです。「文理融合」とも言い換えられます。(三省堂ワードワイズ・ウェブより)もう少しわかりやすく言えば、教科としての数学ができるから理系、できないから文系という考え方は古く、従来の文系理系の区分けで物事に対処していても、現代社会の複雑な諸問題には対応しきれないということなのでしょう。
 では、この文理シナジーに必要なものは何でしょう? 分析すること・仮説を立てること・検証すること、そして論理的に考察すること……これらの繰り返しではないでしょうか。実は、これは言葉の森でやっていることと、かなり重なっているのです。「どうしてかというと……」「もし……だったら」というキーワードを入れて作文を書いていく練習を、小学生中学年からやっていますね! 作文教室というと、物語の感想文というイメージが浮かびやすいかもしれません。しかし、言葉の森の長文集には、(いわゆる)理科分野を題材にしたものも入れられています。小学生時代からの文理シナジー(!!)の実践ということになりそうですよ。
 自分ではまず手に取ることのない本を読んだからこその発見があって、ちょっと得した気分になりました。
枝 6 / 節 20 / ID 10816
作者コード:nara
枝 9 / 節 21 / ID 10816
 
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