程度の差はあれ、みんながそれぞれに勝ち組だった高成長経済の社会から、勝ち組と負け組が二極分化していく低成長社会に今突入しようとしているのです。この原因は、自動車産業をはじめとする大衆の消費を牽引する強力な産業が、社会の中で飽和状態に向かいつつあるからですから、この低成長の傾向は次世代のリーディング産業が登場するまで長期間にわたって続く可能性があります。この時代に、みんなと同じ道を歩くことは、みんなと同じ負け組に入るということを意味します。しかし、社会全体の経済力は向上していますから、昔のように赤貧洗うがごとくという負け組ではありません。普通の負け組です。
このような時代を生きるときの参考になるのは、やはり同じような安定成長が長期間にわたって続いた江戸時代です。今日の大企業の社員にあたるのが当時の武士階級です。武家政権の成長期には武士になることが名誉でもあり安定した収入を保証されることでもありました。しかし、安定期に入ると、限られた役職の中で出世することは次第に困難になり、下層武士階級は副業がなければ生活が成り立たないような境遇に置かれるようになりました。この時代に経済力をつけてきたのが、新興の町人階級です。また、個人的な芸術の才能を生かして、それらの町人階級や上層の武士階級の需要に応えるような層も出てきました。
これからの時代も同じです。単に大会社に入るだけでは、負け組に入ることと変わりません。会社の中で常にリストラの圧力にさらさながら限られたポストを目指す競争をしなければなりません。なぜなら、現代の社会ではほとんどの企業は既に供給過剰の能力を持っているからです。販売が拡大しない以上、会社の業績を上げる方法は内部の効率化しかありません。
このときに頼りになるのは、個人のタレントです。ほかの人で代替できない能力や技術を持っている人は、大会社に入ろうが入るまいが豊かな生活を送ることができます。代替できる能力しか持っていない人は、それがどんなに優れた能力であれ過酷なリストラ競争に巻き込まれざるを得ません。
そして、この代替できる能力の典型的なものが、若さと受験勉強で評価された能力です。勉強はしっかりできなければなりません。また若さは可能性に満ちています。しかし、勉強ができて若くて希望にあふれていればいいというのではないというのがこれからの時代の特徴なのです。
(つづく)
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