言葉の森新聞2018年6月3週号 通算第1519号
文責 中根克明(森川林)

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■■那須高原 言葉の森合宿所 読書作文キャンプ2018のお知らせ
「読書作文キャンプ2018」の案内を作成しました。
 https://www.mori7.com/stg/
 読書作文キャンプへの参加を希望される方は、上記のページのお申込みフォームからお願いいたします。

 今年は、那須塩原駅集合、解散となりますので、保護者の方の付添いが必要になることが多くなると思います。
 保護者や祖父母の方も参加して、家族キャンプの集まりのような雰囲気で行っていく予定です。
 場所は昨年と同じ、那須高原です。
 合宿所から車で30分のところにある鳥野目オートキャンプ場でテントを張り、日中は川遊び、夜は作文、朝は読書という予定で3日間過ごします。

 なお、言葉の森の講師が新幹線付添のできる場合は、特別付添枠として東京駅集合、解散もできるようにする予定です。
 特別付添枠については、追ってお知らせいたします。

 家族キャンプという形が定着すれば、いつでも何日でも好きなだけ宿泊できるという形のキャンプにしていきたいと思っています。
 ところで、今年は、キャンプ場周辺にカブトムシがたくさんいるとの情報がありました。
 朝早く、みんなで探しにいく予定です。


■■「ちゃんと勉強しなさいよ」と言うと、ちゃんと勉強しなくなる
「ブラック勉強とホワイト勉強」(https://www.mori7.com/as/3326.html)の話に引き続き、天外伺朗さんの本からの話です。

 山田昭男さんの会社では、伝票のチェックなどを省略していました。そして、社員には、「どんどんごまかせよ」と言っていたそうです。それで、ごまかしは全くと言っていいほどなく、岐阜県で利益率1位の会社だったのです。
 天外さんの解説によると、「ごまかせよ」と言うのは、相手がごまかさない人間だということを前提にしているので、それを聞いた社員は無意識のうちにごまかすようなことはしなくなるというのです。

 こういう例は、よくあります。
 日経新聞の「私の履歴書」などで、「親から勉強しろと言われたことは一度もなかった」と、子供時代を述懐する人がよくいます。
 むしろ、親からしっかり勉強させられたということで立派になった人はあまりいないのではないかとさえ思います。

「勉強しなさい」と、親が言うことは、その子供を、「言わなきゃ勉強をするわけない」と思っているところから来ています。
 すると、子供は無意識のうちに、自分を勉強をしない存在として受け止めるので、逆に勉強しなくなるのです。

 では、どうしたらいいかというと、「しっかり遊びなさい。勉強なんていつでもできるんだから」と言うのがいいのだと思います。

 せめて、「よく学び、よく遊べ」の、遊びを重点にするぐらいがちょうどいいのです。

 しかし、これは、すぐにできる人と、なかなかできない人とがいると思います。
 なかなかできない人は、天外さんの話によれば、自分自身が無条件に受容された経験が少ないからだそうです。
 だから、子供をコントロールしていないと不安になるのです。

 できるだけ、子供をコントロールせず、子供が自主的にやるような形に仕向けていくことが、これからの子育ての最も工夫するところになると思います。

▽参考資料
「日本一労働時間が短い“超ホワイト企業”は利益率業界一!」 山田昭男のリーダー学 (人間性経営学シリーズ)
http://amzn.asia/0W5y2w6


■■答えのない勉強としての読書(その2~4) ――子供の読書生活をどう発展させるか
 答えのない勉強としての読書をどう進めるかということについて、第二の重要な読み方となるのが多読です。

 読書は、毎日読むだけでなく、できるだけたくさん読むことが大切です。
 毎日10ページ読めばいいというのではなく、たくさん読めればその方がいいのです。
 毎日1時間読む子と、毎日10分しか読まない子との読書量の差は、1年間に直せば約300時間です。

 科目の勉強でついた差は、集中学習をすればすぐに追いつきますが、読書でついた差はまず追いつきません。
 それどころか、年々その差は広がっていきます。
 これが、あとになって学力の決定的な差になっていくのです。

 では、どのくらい読んだらいいかというと、目安は学年の10倍ページです。
 小1は10ページ、小2は20分ページ、そして、小5以上は毎日50ページ以上読むというのが目安です。
 これは、大学生になっても、社会人になっても同様で、勉強や仕事が忙しくても、毎日50ページ以上は何かの本を読んでいくといいのです。
 毎日50ページ読むと、平均して週に2冊程度の本を読み終えます。
 これが、多読の基準です。

 子供たちの多読を妨げているものの一つが勉強のし過ぎです。
 勉強は、答えのある世界なので点数という結果が出ます。
 そのために、限られた時間で、勉強と読書の両方をやる必要があった場合、勉強を優先させてしまう人が多いのです。

 ところが、本当は、小学生にとっては勉強よりも読書の方がずっと大切です。
 勉強は基礎ができていればいいのであって、基礎以上に難しい応用問題に対してもよい成績を取るということは、小学生には必要ありません。
 成績をあげる勉強をするよりも、その時間を読書や自由な遊びの時間に充てた方が、本当の学力がつきます。
 小学校低中学年のときの成績は、高学年や中高生になると、簡単に逆転します。
 しかし、それがわかるのは、学年が上がってからです。
 小学生時代は、読書が先で、勉強があとと考えておくといいのです。

 多読を妨げるもう一つのものは、ためになる本を読ませようとして、かえって読書量を減らしてしまうことです。
 子供がまだ興味を持てないような本を、よい本だからという理由で読ませようとすると、その結果読む量が減ります。

 よい本を読むこととたくさんの本を読むことを両立させるためには、本に付箋を貼るなどして、何種類かの本を並行して読めるようにすることです。
 小学生の間は良書を読むことよりも、良書を読むこともそうでない本を読むこともも含めて、たくさんの本を読むことが大切です。
 たくさん読むということの中には、同じ本を何度も読むことも含みます。

 子供の読書生活を先に進める第三の読み方が、「復読」です。
 よく多読と精読が比較されますが、精読とは繰り返し読むことです。

 幼児期の読み聞かせのときに、同じ本を何度も読んでもらいたがる子がいます。
 また自分で本を読めるようになったあとも、好きな本を何度も繰り返して読む子がいます。
 繰り返し読んだ経験のある子ほど、読書力がつきます。
 また、この繰り返し読む読書によって、その子供が文章を書くときのリズム感が育ってきます。

 だから、いろいろな本を次々と1回だけ読むよりも、ある特定の本を何度も読むような読み方ができるように勧めていくといいのです。
 しかし、これは本人が好きで繰り返し読む本に出合うまで待っているわけにはいかないこともあります。

 そこで、言葉の森では、長文の音読や問題集読書という繰り返し読む勉強法を取り入れています。
 繰り返し読むことによって、その文章の内容を理解するだけでなく、その文章にある語彙や表現やリズム感が作られていきます。

 ところが、この繰り返し読むということが、単調でなかなか続けられない子が多いのです。
 子供たちは、問題集を次々に新しく解くような勉強の方を好みます。
 その方が、勉強をしている感じがするからです。

 しかし、本当は、問題集を解く勉強は、問題文を読んでいるときだけ読む力を使っているのですから、時間がかかるわりに密度の薄い勉強なのです。
 問題を解く勉強に意味があるのは、間違っていた問題を、なぜ間違っていたか理詰めに説明できるようにするときだけです。
 ところが、ほとんどの場合、国語の問題は、「当たった」「外れた」のレベルで済ませられてしまいます。
 だから、それよりも、問題文を繰り返し読むだけの勉強をした方が読解力がつくのです。

 長文音読の勉強や、問題集読書の勉強は、問題を解く勉強の5分の1から10分の1の時間でできます。
 そういう短時間でできる勉強を毎日繰り返していくといいのです。

 次は、読書の中で最も重要な難読についてです。

 読書を進めるための第四の読み方が、難しい本を読むことです。これが、「難読」です。
 そして、読書の最終的な目標は、この難しい本を読むことにあると言ってもいいのです。

 本格的に難しい読書のできる時期は、18歳から20代の前半にかけてです。
 高校3年生から大学生の辺りの年齢で、古今の古典と呼ばれるような評価の確定した本を読むのです。

 例えば、学校の教科書の歴史や倫理社会などの勉強で取り上げられたような、多くの人が名前だけは知っているという本を読んでいくのです。
 この難しい本を読む力が、創造力の重要な源泉になります。

 小中学生の間でも、この難しい本を読む力の基礎をつけていく必要があります。
 それが、説明文の読書です。

 最近は、自然科学の分野で、小学生の子供たちが楽しく読めるような本が何冊も出るようになりました。
 こういう本を、小学校の低学年から読めるようにしていくことが大切です。
 しかし、それは、その子の個性に応じてですから、毎日の多読や復読とぶつからない形で、少し難しい説明文の本を読む習慣を作っていく必要があります。

 言葉の森では、読書が苦手だという子に対しては、「毎日10ページでいい」、「かいけつゾロリのような面白い本でいい」ということをよく言っています。
 しかし、それはそれでいいのですが、そこがまるで読書のゴールであるかのように、いつまでもゾロリを毎日10ページ読んでおしまいにしている子もいます。

 決して性急に行う必要はありませんが、読書は、それぞれの子供の個性と読書力に合わせて、より高度な読書に進めていく必要があります。
 それを子供の実態に則して判断できるのは、やはり身近に子供に接しているお母さんだけなのです。

 では、どういう本がいい本かというと、幼児や小学生の場合は、
「理科好きな子に育つ ふしぎのお話365」 http://amzn.asia/5GDP4As
「しぜんとかがくのはっけん! 366」 http://amzn.asia/94aXQUs
 などが最近出た本で、楽しく読める説明文の本になると思います。
 ふりがな付きなので、小1からでも読めます。
 中高生の場合は、ちくま少年図書館の100冊のシリーズを中古で買うのがおすすめです。図書館にも全巻あるはずです。
「君たちの生きる社会」 http://amzn.asia/hE3I0FS
「まるごと好きです」 http://amzn.asia/fNDTqae
 日本の古典の中にも、まだ埋もれている良書が多数あると思います。


■■作文を上手にすることと作文力を上達させることとは違う
 子供が作文を書いたとき、その作文は大人から見れば、直すところがたくさんあるのが普通です。
 しかし、それを直せば、作文は確かに上手になりますか、子供の作文力はかえって上達しなくなるのです。
 作文は、直されて力がつくのではなく、褒められて力がつくからです。

 作文を直すとき、直す人は無意識のうちに、その作文は下手だから直さなければならないと思っています。
 それを子供はやはり無意識のうちに感じるので、直されれば直されるほど、つまり作文が上手にされればされるほど、自分は作文が苦手で下手なのだと思うようになってしまうのです。

 そのように作文が苦手だと思った子が、作文の勉強を熱心に続けるかというとそういうことはありません。
 誰でも、自分の得意なものや褒められているものを伸ばしたいと思います。
 苦手なものや直されてばかりいるものを熱心にやろうとする子はいません。
 だから、大人の作文に対するアドバイスは、子供が作文を書く前にするのであって、書いたあとについては、その作文のいいところを褒めるだけでいいのです。

 しかし、直すか直さないかというのは、実は本質的なことではありません。
 大事なことは、直さなくても済むような勉強をどうさせるかということです。
 その勉強のひとつが、読書と音読なのです。

 作文を直しても、その直したことが本人の身につかなければ何にもなりません。
 玄関の靴をそろえて脱ぐことでさえ、一度や二度の注意でできるようになる子はいません。
 何度も何度も繰り返すことで、だんだんとできるようになります。
 その繰り返しと同じことが、作文の場合は、本を読むことと、音読をすることと、毎週作文を書き続けることです。
 そして、作文を書き続けるためには、直すよりも、まずよいところを褒めてあげることなのです。


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