言葉の森新聞2014年1月3週号 通算第1305号
文責 中根克明(森川林)

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■■休会退会の連絡は毎月10日までに(再掲)

 休会退会は月単位です。10日までにご連絡いただいた場合、その月末までの在籍、翌月から休会退会という扱いになります。


■■自習検定のページで1月4週の検定試験を受付中

 自習検定のページで、漢字読み、算数数学問題、英語暗唱、長文暗唱など自習検定の申込みを受け付けています。(いずれも無料)
http://www.mori7.net/jks/ (受付はウェブからのみです。
 1日から18日までの間に申しこめば、毎月その月の4週(22日~28日)にウェブで検定試験を受けられます。
 しばらくは様子を見るために、選択できる出題の範囲を学年相当に絞っていますが、将来は学年を超えて複数の検定試験を自由に受けられるようにしていく予定です。
 勉強の基本は家庭学習です。小中学生の勉強は、週に何回かどこかに通って勉強するよりも、家庭で毎日の自習としてやっていく方が能率よく進みます。
 ただし、家庭では目標が見つけにくくなりがちなので、この自習検定のような企画を行うことにしました。
 また、今後、家庭でお父さんやお母さんが子供の自習を見る時間がとれない場合でも、子供が自主的に自習に取り組めるようにオンエアの寺子屋教室も企画していきたいと思っています。


■■世界を敵に回すなと言う前に

 聖徳太子がいた時代に、隋は世界でした。
 フビライが日本に使者を送ったとき、モンゴルは世界でした。
 ロシアが南下しようとしてきたとき、白人の国家が世界でした。
 屈従していれば、そのままの世界が続いたのです。
 世界が先にあって自分があるのではなく、自分が先にあって世界があります。
 これは、単に大きな政治の世界の話なのではありません。人間の基本的な生き方の話です。
 他人にどう思われるかということよりも、自分がどのように生きたいかが先にあり、そのあと、他人と共存するための調整や工夫が生まれてきます。
 子供の教育も同じです。どういう子に育ってほしいかを考えるときに、今の世界でどの職業に人気があるのかを基準にするのではなく、その子にとって何を伸ばすことが将来の充実した人生につながるかを考えるのです。
 世界や他人を基準にするのであれば、何も迷いはありません。それは、ペットが主人を基準にして迷わずに暮らしているのと同じです。
 迷う自由があるのが、自分の力で生きる野生の生物なのです。


■■受験直前の今は、欠点を直す時期ではなく、これまでの勉強に確信を持って反復する時期
 受験直前になると、子供以上に親や先生が不安になります。不安になると、欠点を直すことに目が向きます。しかし、これがいちばんよくないのです。
 まず第一に、欠点はそんなに簡単に直せるものではありません。
 第二に、欠点を直す勉強に力を入れると、どんどん自信をなくしていきます。

 欠点は捨てておけばいいのです。普段の心がけがよければ、苦手な分野は出てこないと思っていれば気が楽になります。そんな感じでいいのです。
 そのかわり、これまで自分が勉強してきたやり方に確信を持ち、参考書や問題集を見なおして更に確実に自分のものにしていくことです。その際、過去問にもう一度目を通しておくといいでしょう。どういう分野が重点になっているかがわかると、これまでの勉強の見直しにも焦点が絞れます。
 過去問に目を通す方法は、まず、まだやっていない過去問に、あらかじめ答えを全部書き込むことです。過去問は、自力でやろうとすると気持ちの負担が大きくなり、後回しになることが多いからです。
 答えを全部書き込んだあと、その過去問の問題と答えを読書のようなつもりで読むのです。なるほど。この問題で、こういう答えになるのか。ふむふむ」という感じです。
 受験勉強という一大イベントに臨む姿勢は、その後のその子の人生の大きなイベントに臨む姿勢のモデルのようなものになります。そういう大きい視野で勉強を見ておけば、受験勉強はその子にとって勉強以上の大きな収穫のあるものになっていきます。


■■国語の勉強は気長に

 他の教科の勉強は、間違えたら正しい答えの出し方を理解すればいいのですが、国語はそこが少し違います。正しい答えが、線としてつながっているのではなく、面としてつながっています。
 A駅からB駅へ行くには、AからBの路線で行けますが、麓から山頂に行くには、麓を何度も蛇行しながら登るしかありません。
 国語の勉強法の麓は読書です。それも、親が見て、くだらないと思われるような本がいちばんの麓を形成しているのです。
【facebookのコメントの一部】
●森川林:小学生の子におすすめなのが、怪傑ゾロリです。子供はああいう変なギャグが大好きです。
 しかし、文章は結構しっかりしています。なぜかというと、説明的なことがよく書いてあるからです。
 その反対に、低学年の子によく読まれているある本は、短い会話ばかりでストーリが―進むようになっています。文章のレベルから言うと、説明がしっかり書かれているものの方がいいと思います。
 漫画は、小学校低学年までの子には、それだけでもプラスになります。しかし、それ以上の学年になると、漫画は楽しみのために読むもので、読書のかわりになるものではありません。学習漫画も同じです。知識はつきますが、文章力はつきません。
 しかし、漫画がよいか悪いかというのではなく、ちゃんとした文章の書かれている本を読んでいるかどうかが大事です。
 読書が主食で、漫画や雑誌はお菓子のようなものです。お菓子だけになってしまうことよくないのですから、主食のことをまず先に考えていくことです。
●Tさん:私は本が好きです。漫画も、文芸も、ドキュメントも見ます。漫画からもたくさんのことを学びました。高校時代、新学期、初対面の国語教諭が、「好きな教科とその理由」という課題を出し、私の答えは、「国語、国語がすべての教科の土台だと思うから」で、先生に強い共感を持ってもらえたのが、今、海外での自分の子育てにも大きな励ましになっています。マレーシアでも、日本語を習い始めるきっかけがアニメ・漫画という人が多いです。麓・きっかけに終わらず、それを広げたり、高めたりして行くことが大事なのではないかと思っています。
●森川林:おっしゃるように、海外で暮らす子は、漫画やアニメのような遊び的な生活の中で日本語の機会を増やすようにしていくことが大事だと思います。
 言葉の学習は、勉強ではなく生活の中で豊かになっていくのでしょうね。


■■楽しい汗を流すような勉強

 「天才とは1%のインスピレーションと、99%の汗(アスピレーション)である」という言葉を聞いたとき、日本人の多くは、99%の汗の方に共感するでしょう。それが、日本の物づくりを支えてきました。
 リーダーの1%のインスピレーションさえ優れていれば、あとの99%の汗は、労働者が給料に応じて働いてくれるというのではなかったのです。日本では、労働者も1%のインスピレーションを生かし、経営者も99%の汗を流しました。
 これから来る時代も、99%の汗の時代です。しかし、それは、これまでよりも楽しい爽やかな汗の時代なのです。
 IT技術が、生活のさまざまな分野に広がっています。これからの大きなひとつの市場が、教育だと言われています。グーグルも、アマゾンも、(もちろん日本の企業も)、教育を新たな市場の目標にしています。
 しかし、これからの教育は、99%の汗を必要とする教育です。その汗は、勉強で流す汗よりも、表で遊ぶときに流す汗なのです。
 例えば、ロボットプログラミングを学ぶだけなら、教室の机の上でできます。しかし、ロボットの本当の面白さは、近くの公園で動かしてみんなで遊ぶことです。
 勉強で最も大事なのは意欲です。その意欲は、遊びの中で生まれてきます。その遊びで流す汗を工夫するのが、これからの教育の課題になると思います。


■■苦手だった国語なのに模試で満点に

 国語の読解問題の成績を上げるコツは、読解の仕方を理屈で理解することです(理詰めにやるのが大事)。
 国語力を上げるコツは、難しい本を読むことです。しかし、そういう本は手に入れにくいので、入試問題集を読書がわりに読むといいのです。
 一方で面白い本を多読し、他方で難しい問題集を精読するという読み方です。精読とは、詳しく読むことではなく繰り返し読むことです。昔はこういうことを教えてくれる人がいなかったので、今の中高生は勉強の仕方の面で恵まれています。
 ちなみに、数学の成績を上げるコツは、わからなかったらすぐに解法を見てその解法を自分のものにすることです。しかし、これは成績を上げるコツであって、数学の本質とは関係ありません。
 英語の力をつけるいちばんの土台は、英語の教科書を音読することです。
 これらの国語、数学、英語の勉強中で何がいちばん大事かというと、難しい本を読むことです。
 その難しい本を読むのに最適な時期は、高校3年生ぐらいからの数年間です。だから、大学ではもっと学生に難しい本(というか古今の古典)を読ませるといいと思います。
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 今日、作文を書きにきた中3の生徒に、勉強が終わったあと、将来の仕事の話などをしていました。「どんな教科が好きなんだい」と聞くと、「まあ理科ですけど、国語もよくなってきて。いちばん苦手だった国語が、模試で満点取ったりして」ということでした。
 実は、その生徒は中2の終わりごろ、お母さんと一緒に、「国語のテストだけがこんなに悪くて」と見せにきてくれたのです。
 そのテストを見ると、感覚的に解いていることがすぐにわかったので、「これは大丈夫。これから理詰めにじっくり解く解き方を説明するから」と言って、しばらく解き方の説明をしました。それから、問題集読書をすすめておいたのです。
 だから、国語が苦手といっても、頭さえよければすぐに成績は上がります。それも満点レベルにまで上がるのが国語です。大事なことは、小学生のころから国語の問題集などをやるのではなく、楽しい読書と対話で頭をよくしておくことです。頭さえ鍛えておけば、高校入試の受験勉強は1年(もかからないぐらい)で大丈夫です。ただし、その受験勉強の1年間は燃えて取り組むことが大事です。
 ラストスパートで集中するためにも、勉強はあまり早い時期からガンガンやらない方がいいのです。


■■パーツが半分になると、生産コストが二乗で効く

 「パーツ(部品数)が半分になると、生産コストが二乗で効き、メンテナンスコストが三乗で効く」(長谷川慶太郎)
 小学校低学年から、国語も、算数も、習字も、漢字も、そろばんも、英語も、ピアノも、水泳も、とやっていたのでは、子供が自分で生活の管理ができなくなり、大人の指示に従うだけの人間になってしまいます。
 部品の点数はできるだけ絞って、大事なことだけをやっていくのがいいのです。


■■疎外された消費から、主体的に参加する消費へ

 消費者は王様で、お客様は神様だと言われていましたが、これまでの王様も神様も、自分が受け取るものの生産から疎外されているという点で、世の中に対して主体的に参加しているとは言えませんでした。
 これからの消費者とお客様は、受け手でありながら送り手の側にも積極的に関わるようになります。そして、消費と生産の双方向からの融合が進むことによって、人間は疎外された消費者や、ある職業に固定された生産者である前に、その人の個性によって生きる存在になっていくのです。
 例えば、近所の八百屋さんで(今あまりありませんが)、大根を買った消費者が、別の日にはその大根を育てている農園で農作業に参加していたり、その大根を売っている八百屋さんが、休みの日にはお店を会場にして、自分の好きな音楽を近所の子供たちに教えていたりするようになるのです。
 その時代はもうとっくに始まっていて、これからは、それがあらゆるところに広がっていく時代です。
 言葉の森が今企画している森林プロジェクトやオープン教育も、そういう流れの中で生まれてきたものです。
 人間が生産者や消費者や職業や社会的役割という属性から自由になるにつれて、人間は本来の個性で生きるようになります。
 これまでの社会では、人間がそれぞれ特定な属性に縛られていたために、その属性のもとで全面性を獲得するためには、自分にないものを持つ他人を支配しなければなりませんでした。その時代が長く続いたために、今でもまだ人は、自分にないものを持つ他人がいると、うらやましい気持ちが起きてきます。
 そのうらやましさは、自分にないものを持つ他人に支配されたくないという感覚とうらはらの関係にあります。その感覚が、競争意識の源泉になってきたのです。
 人間が個性的になると、自分が持っていないものを他人が持っていることに対して、うらやましいという気持ちは起きず、むしろ他人の長所を喜ぶようになります。それは、自分もまた、他人の持っていない長所を持ち、その長所どうしを互いに与え合う関係になるからです。
 これからの社会では、競争意識は次第に稀薄になります。競争を楽しむことはあっても、それに過度に燃えることはなくなっていきます。
 むしろ、肝心の決勝場面で大技をミスして笑いを取るような余裕を、多くの人が持つようになってきます。それは、競争そのものではなく、競争を味付けにした交流です。
 そして、競争の前提となっていた支配と所有の時代は遠ざかり、共感と共有の時代が始まっていくのです。
▽関連記事
「勉強のよくできる子こそ個性を伸ばす教育を」 http://www.mori7.com/index.php?e=1905


■■作文を手書きで書く理由とパソコンで打つ理由
 作文には、考える過程と書く過程があります。
 考える過程は手書きで、書く過程は手書きでもパソコンでもどちらでもよく、清書したり速く書いたりする必要があるときはパソコンで、というふうな使い分けをするとよいと思うようになりました。
 手書きのメリットは、
・思考と手が一体化しているのでストレスがない(パソコンだと同音異義語の変換などでときどきブレーキがかかる)、
・平面が自由に使えるので、縦横斜めに自由に書け、文字の間に記号や絵なども自由に入れられる、
・今の作文試験は、まだ手書きが主流、
・手書きによって初めて、うっかり間違えて覚えていた誤字がわかる、などです。
 今後の作文は、どのようになっていくかというと、その一つの大きな方向がプレゼン作文です。
 作文は、文章を書くことが目的なのではありません。何かを考えてそれを表現することが作文の目的です。その思考と表現の手段として文章を書くということがあります。
 表現の方法を追求していけば、文章が基本であるのは変わらないとしても、そこに図や絵のようなものも当然付随するようになります。また、他人にわかりやすく伝えることを目指せば、自然に画像や動画や音楽も用いるようになるでしょう。
 今のパソコンはまだ、テキスト化された文字とアナログ的な図や絵を自由に組み合わせて使うにはかなり不便です。
 そこで、当面は、次のような使い方になると思います。まず、普段は、考える過程も含めて手書きで作文を書きます。清書のときは、パソコンで入力します。発表するときは、そこに図や絵や手書きの文字を組み込むようにします。
 このように考えると、将来の作文は、作文+図や絵のようなものになっていくのではないかと思います。


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