言葉の森新聞2012年4月3週号 通算第1220号
文責 中根克明(森川林)

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■■授業と予習の掲示板に参考ヒントを追加

 言葉の森のホームページに「授業と予習の掲示板」があります。
http://www.mori7.com/okajg/
 ここには、毎週、生徒や保護者の方が課題に取り組む際のヒントになる情報を更新しています。特に、小学校3年生で題名課題が新しく始まった場合や、小学校5年生で感想文課題が急に難しくなった場合の書き方は、この掲示板をごらんいただくと参考になると思います。
  


■■インターエデュでのご意見と回答

 インターエデュという教育関係の掲示板サイトに言葉の森の保護者の方からいくつかご意見がありました。「Facebookの利用、親がPCから清書をアップロードしなくてはならない点、項目シールや構成用紙の廃止」などについてです。
 同じようなご意見をお持ちの方も多いと思いますので、言葉の森からの回答を転載します。
====引用ここから。====
 言葉の森の代表者です。
 ありがとうございます。こういうスレを立てていただくのはとても参考になります。
 これらの変更は、改悪に見られるかもしれませんが、すべてよりよい指導をするためのものです。ただ、やり方がわかりにくく保護者に負担がかかるので、今後それらの点は改善していきたいと思っています。

1、facebookの利用
 まず、facebookの利用ですが、これは利用してもしなくてもどちらでもかまいません。
 facebookに書かれた大事な情報は、掲示板の方にも転載するので、言葉の森の生徒の保護者は見ることも書き込むこともできます。
 facebookは、双方向性が高いので、これから活用していきたいと思っています。

2、清書のパソコン入力
 これは、子供の書いた作文がどのように進歩しているか見るために、パソコン入力をしておくといいという理由からです。
 小学校高学年から中学生、高校生になると、自分の書いた作文がどのように進歩しているのか、作文を見ただけではわからなくなります。
 その時に自動採点ソフト「森リン」で点数の推移を見てみると、自分の文章が学年が上がるにつれてどう変わっていったのかを見ることができます。
 低学年のころは子供が自分でパソコン入力ができないので、保護者の負担が大きくなりますが、時間がとれないときは入力しなくてももちろんかまいません。
 学年が上がって子供が自分の作文をふりかえってみるときの参考になるということでできるだけ取り組んでいってください。

3、項目シールの廃止と手がき化
 これまでは、作文のできたところにシールを貼るようにしていました。4月からは、このシールをやめて手がきで項目マークをかいていただくようにしました。

 これは、通学教室で数か月実験してみて、だれもができるということがわかったので、通信教室でも始めたものです。しかし、新しいことは最初はだれでも戸惑いがあるので、軌道に乗るまでは少し時間がかかるかもしれません。
 なぜ、こういう形にしたかというと、ひとつは、特殊な教材や教具にできるだけ頼らずに勉強が進めていけるようにするためです。例えば、家庭で言葉の森の勉強以外に作文を書く宿題などがあった場合にも、項目マークの手書きに慣れていればそのまま同じように書けます。
 実は、これまでも、「言葉の森で書くときは上手に書けるのに、学校では書けない」という相談がよくあったのです(特に低中学年の子の保護者から)。それは、書く前の事前指導があるかないかの違いですが、それと同時に道具に頼ると実力が定着するのに時間がかかるためであったからだとも思います。

 今後もいろいろ指導の仕方の変更をしていきますが、それもすべてよりよい指導をしていくためだということでご了解ください。
 このスレには、これからも改善の希望点などを書いていただけるとありがたいと思います。
 なお、言葉の森のホームページにも、こういう質問や提案用の掲示板がありますし、facebookにも保護者用のページがありますので、そちらで書いていただいても結構です。
====引用ここまで。====
 言葉の森の教材は、ウェブで同じものが見られることを前提にして作っているため、印刷物としては見にくいところがかなりあります。今後、教材をもっとシンプルなものにし、初めて言葉の森の勉強に取り組まれる方にもわかりやすいものにしていきたいと思っています。


■■対話の中で育つ思考力

 新年度が始まり、どの学年の作文も、一段階難しくなりました。
 小学校3年生は、急に題名課題や感想文課題が出てきて戸惑っていると思います。毎年、何人かの方から、「題名が決まっていると書きにくい。自由な題名にしてほしい」という要望があります。しかし、やがて子供自身が題名課題に慣れてきて、どの子も課題に合わせて書くことを考えてくるというようになります。
 小学校5年生は、課題そのものが急に難しくなりました。感想文の課題の週が増え、それも難しい文章を読んでの感想文ですから、どの子もしばらく苦労すると思います。しかし、5年生は、難しいことにチャレンジすることを喜ぶようになる年齢なので、この難しさも正面から取り組めばかえってやりがいのあるものになってきます。
 中学1年生は、意見文の書き方で構成を重視した文章を書くようになります。これも、新しい書き方なので、最初はなかなか書きにくいと思います。しかし、慣れてくると、ひとつのパターンに当てはめて書くということがわかってくるので、将来小論文の試験があったときも、わかりやすい構成で書くことができるようになります。
 さて、学年ごとにそれぞれ難しい課題になった今日(4月9日の話です)、通学教室の4.2週の勉強を見ていて、生徒がみんなよく準備してきているのに驚きました。どの子も、事前に長文を読んだり、課題を考えたりしてきていました。あらかじめ構成図を書いて、お父さんやお母さんの話を取材している子もかなりいました。事前の準備でお父さんやお母さんと対話をしてくることが、子供たちの理解力、思考力、表現力に大きなプラスになっていると感じました。
 家族との対話が、子供たちの学力にどういう影響を与えるかという研究はたぶんまだどこでもやっていないと思います。だから、データ的にはっきりしたことは言えませんが、子供たちの様子を見た感じとしては、対話によって生きた国語力が身についているという印象でした。その生きた国語力とは、人の話を理解し、その話を自分なりに咀嚼し、それに対して自分なりの考えを組み立てる力です。
 家族との対話で、いちばんいいと思ったのは、どの子も家庭で楽しく話しているということでした。お父さんやお母さんや兄弟と、普段話さないような分野でいろいろな実例を出し合って、時には脱線しながら話している様子が作文の中から伝わってきました。楽しく勉強しているときは、頭脳が活性化するので、勉強全体の定着率がよくなります。家族との対話は、国語の力をつけるだけでなく、勉強全体の力をつける支えにもなっているのではないかと思いました。
 こういう対話を毎週している子は、たぶん、将来大人になったときも、この楽しさを思い出して、子供に言葉の森を習わせるだろうと思います(笑)。毎週、勉強的なことをテーマにして家族で話をするというのは、これから作文の文化として少しずつ広がっていくのではないかと思いました。
 家族との対話で、もうひとついいと思ったのは、家庭によってはかなり深い話を子供にしているということです。長文の感想文を書く場合、既にあるヒントを見て先生の説明を聞くだけでは、その範囲のところまでしか考えが及びません。しかし、家庭によってはお父さんやお母さんが、自分の体験などをもとに更に深い話をしているということがあります。身近なお父さんやお母さんが、実感を込めて話す内容は、普通に本を読んで得る知識よりもより深く子供たちの心の中に入ります。これは、人と話をしているとき、だれでもときどき感じることだと思いますが、相手に確実に何かが伝わったという感覚です。そこで伝わるものは、表面的な知識ではなく、その奥にあるお父さんやお母さんの生き方のようなものだと思います。こういう話を聞いてくる子は、考えの深い子になるだろうと思いました。
 作文を書くというのは、勉強のひとつの結果です。書くこと自体にももちろん意義はありますが、最近感じるのは、書く前のところでもっと大きな得るものがあるということです。そのためには、子供が毎日長文を音読し、それをお父さんやお母さんに説明し、また、その子供の説明を聞いてお父さんやお母さんが似た話をしてあげてと、かなり回りくどい過程があります。しかし、それらの過程は、面倒だと思えばもちろん面倒ですが、その過程が楽しいと思えばまたとても楽しいものなのです。対話を生かした勉強というのは、まだ必ずしも全体に広まっているとは言えず、あいかわらず子供がひとりで授業の直前に長文を読んで、先生の説明だけで感想文を書いているということもあると思います。しかし、今日の子供たちの勉強の様子を見て、これから少しずつこの対話の面白さと勉強における意義が広がっていくと思いました。


■■構成作文でスピードアップ

 公立中高一貫校で作文の試験がよく出されますが、その時間と字数は、普通の小学生が書くにはかなり厳しい制限になっています。中には、30分で800字の作文を書かせるところもありますが、これは大人でもそういう訓練をしていなければ書けるものではありません。
 作文を書くスピードを上げるコツはいくつかありますが、その中でいちばん大事なものは、先に全体の構成を書くという書き方をすることです。
 一般に文章を書くには、二つの方法があります。ひとつは、書きながら考えるという書き方です。日常生活で文章を書くときは、ほとんど、この書きながら考え考えながら書くという書き方です。自分の書いた文に触発されて次の考えが浮かび、その考えをもとに文を書くと、その文に引きずられてまた考えがわいてくるという書き方です。
 しかし、こういう書き方は、日記を書くようなときには自然に書けますが、作文の試験のときは、この書き方では当たり外れが大きすぎます。悪く言えば、行きあたりばったりの書き方になってしまうからです。
 もうひとつの書き方は、あらかじめ全体の構成を考えてから書くという書き方です。これが、言葉の森で勉強している構成を考えて書く作文です。言葉の森では、小学校6年生の説明文あたりから、全体の構成を意識して作文を書くようにしています。第一段落はこんな話、第二段落はあんな話、そして、第三段落はこうで、第四段落はこう、という説明を聞いてから作文を書きます。こういう練習をしていると、自然に、全体の構成を考えて書くというコツがわかってきます。
 作文試験の本番でも、作文を書く前に、配られた用紙の余白に小さくメモを3、4個書きます。そして、作文を書き始めたらほぼノンストップで書いていきます。もし途中で、このあと何を書いていこうかと迷ったら、すぐにメモを見て全体の方向を確認し、またノンストップで書き続けるという書き方です。
 しかし、この構成を重視して書く書き方は、書いていて面白くはありません。書くということは、自分の考えを創造していく過程ですから、あらかじめ全体の構成を書いて書くというのは、清書を書いているようなものであまり面白くはないのです。
 そこで、普段の勉強では、この二つの書き方、考えながら書く書き方と、考えたあとに書く書き方を組み合わせるようにしています。
 考えながら書くというのは、書いていて面白いものですが、そのまま文章として書くのでは時間がかかってしまいます。そこで、構成図を書いて考えるようにします。構成図とは、自分の頭の中にある材料を散らし書き風に並べていく書き方です。この構成図で自分の思いついたことを矢印でつなげながら次々と書いていきます。これが考える過程になります。構成図はまとまった文章として書くわけではありませんから、文章を書くよりもずっと早く自分の考えを深めることができます。
 しかし、この構成図だけでは、他人が読んでもよくわかりません。そこで、構成図で考えた結果を、今度は全体の構成をあらかじめ考えたうえで書いていきます。
 このように、構成図で考え、構成作文で仕上げるという書き方をすれば、考える楽しさも味わえ、すばやく書くこともできるのです。


■■未来の職業と勉強―作り出す勉強としての作文

 神田昌典さんの「2022-これから10年、活躍できる人の条件」を読みました。神田さんは、もうすぐ会社はなくなる、世の中は大きく変わる、これまでの社会でいいと思われていたことはかえって悪いと思われるようになる、社会が百八十度転換する、ということを述べています。これは、多くの人が漠然と感じ始めていることではないかと思います。これまでの価値観の延長ではやっていけないと多くの人が思い始めているのです。やっていけないどころか、今の社会でいいと思われていることが、未来の社会ではかえって足を引っ張ることになる可能性もあるのです。
(以下は、神田さんの本から離れて考えた話です)
 今の世の中を支えているものは、会社(企業)です。その会社がなくなるというのは、なぜなのでしょうか。それは、会社というものが、もともと限りなく人件費を少なくする方向に進化していくものだからです。今、世の中にある仕事の中で、人間でなければできないものはそれほど多くありません。人間でなければできない仕事とは、つきつめればその人の個性を生かして創造するような仕事です。しかし、今の仕事のほとんどは、ほかのだれかに肩代わりできるもので、更に言えば、人間そのものを必要としない仕事なのです。
 会社の進化する究極の姿は、無人の工場、無人のサービス業です。産業は、常に無人化の方向に進化しています。サービス業では触れ合いが大切だと考える人がいるかもしれませんが、人間は仲間どうしの触れ合いがあれば、それ以上にサービスを提供する仕事の中に触れ合いを求めるような必要は感じません。
 これまでの社会は、会社があり仕事があるということを前提にして成り立っていました。いい会社に入るため、いい仕事につくために、いい学校に入る必要があり、そのために勉強をするというのが勉強の目的になっていました。その前提が大きく崩れつつある現在は、勉強のあり方も大きく変化していく必要があるのです。
 では、これからの仕事はどうなるのでしょうか。これからは、会社に勤めるとか、資格を取るとかいう形で、社会に既に用意されている役割をこなすような仕事はなくなっていきます。あらゆる仕事は、必要悪のようなものと見なされ、さまざまな分野で機械化、自動化が進行していきます。そして、人間のかかわりが必要な仕事については、サービス業や役所の仕事としてではなく、家庭や地域で自主的に処理していくものとなっていくでしょう。
 そういう時代に生き残る仕事とは、人間がその個性を生かして新しい価値を世の中に創造していくような仕事です。個性的で創造的な学問、芸術、技術、表現、発明、発見などが、人間の仕事の中心になっていきます。しかし、そういう仕事をする力を身につけるために必要な第一のものは時間です。創造的な個性は、お金で買えるものではありません。また、学力だけで達成できるものでもありません。ひとりの人間が、自分の関心のあるものに長い時間取り組むことによって次第に身についてくるものです。
 未来の社会では、人間の生活の中心は、この時間をかけること、つまり修行のようなものになります。創造的な個性を持つ師匠を見つけ、その技を習い、やがて自分もその技に自分の個性を加味して使えるようになり、今度は自分が師匠として弟子に教えていく、というようなサイクルが人間の一生のサイクルの基本になってくるのです。
 このような社会では、勉強の性格も大きく変化します。これまでの勉強は、学力をつけることを目的としていました。学力はそのまま成績として評価され、入学試験の選抜の基準となり、志望校に合格できれば、それで勉強の目的は達成されたと見なされました。
 しかし、これからの社会ではそうではありません。これからの仕事は、いい学校に入ったり、会社に入ったり、資格を取ったりすることによって手に入るものではなく、長い修行の中で自分の個性を創造的に高めていく中で手に入るものになるからです。だから、勉強の目的は、自分の個性を発揮する土台を作るということになってきます。
 学力が三角形の底辺で、個性が三角形の高さだとすると、これまでの社会は、底辺の長さだけで評価を済ませていた社会でした。これからはそうではありません。学力の底辺は、個性という高さと組み合わさって初めて意味あるものになります。この勉強の性格の違いが、勉強のあり方にも大きく影響してきます。
 幅広い学力をつけるという点では、これまでの社会もこれからの社会も変わりません。しかし、これからの社会では、そこに自分の個性を生かすという目的が加わってきます。個性を生かすとは、自分の好きな分野を見つけ、そこで時間をかけて修行することです。個性を価値ある創造性にまで高めることが修行です。従来の学力をつける勉強に加えて、この修行をすることがこれからの勉強の大きな柱になってくるのです。
 では、そこで作文の勉強はどういう意味があるかというと、作る勉強としての意義がはっきりしてくるということです。従来の勉強のほとんどは、吸収する勉強でした。与えられたものを理解し吸収し再現できることが、勉強の大きな目標になっていました。しかし、これからの仕事は、自ら作り出す仕事になります。この作り出す仕事に対応する勉強が、作り出す勉強としての作文になっていくのです。


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