言葉の森新聞2010年9月1週号 通算第1141号
文責 中根克明(森川林)

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■■【重要】9.1週作文進級テスト(再掲)
 9.1週に、作文進級テストを行います。
 提出が遅れた場合は進級できません。(9月8日ポスト投函まで)
 課題フォルダの字数・構成・題材・表現・主題の●印が全部できていることが合格の条件になります。(表現の項目などで「たとえ」と「ダジャレ」など二つ以上の項目が指定されている場合はどちらかができていればその項目は◎です)。キーワードと字数が採点の基準ですので、指定された字数以上で必要な項目が全部入る作文を書いていってください。中学生以上の時間制限については、今回は採点の基準にしませんが、できるだけ時間内に書き上げる力をつけていきましょう。
 手書きで作文を書く人は、項目ができたところにシールをはっておいてください。
 パソコンで作文を書く人は、キーワードを入れておいてください。
 小学生の場合は、提出する前に、おうちの方が字数と項目シールをチェックしてあげてくださるとよいと思います。
 小学2年生までの生徒は、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。7月以降に受講を開始した生徒も、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。ただし、いずれの場合も、賞状は出ますので、できるだけ字数と項目ができるように書いていってください。
 なお、進級テストは、7月と8月のいずれの月も最低1回は作文を出していることが条件になります。7月又は8月の作文で、どちらかの月で1回も書いていない場合は、9月8日までの間に作文を提出してください。


■■【重要】9.1週の作文はファクスでも受付
 9.1週に限り、ファクスによる提出も受け付けます。ファクスでの提出期限も9月8日です。ただし、ファクスで提出をする人は、事前にメールアドレスを登録しておいてください。
1、ファクスが正常に送信できているかどうかは、24時間以内にメールと検索の坂で連絡をします。正しく送信できたかどうかを必ずご確認ください。
2、連絡用のメールアドレスは、検索の坂の「ペンネーム 変更」というところで登録できます。既にメールアドレスが入っている場合は、そのアドレスが登録されています。
3、ファクスで送られた作文は、作文の丘にJPGでアップロードされます。作文の返却はありませんが、添削された作文は山のたよりに表示されます。


■■未来の社会と教育の役割
 これまでの社会は、分業による生産、金銭による評価、生活の目標の中心としての消費、という仕組みの中で営まれてきました。これから来る未来の社会は、自給自足的で協業的な生産、生きがいによる評価、生活の中心としての生産という仕組みで営まれるようになるでしょう。
 そういう未来の社会を可能にするのは、一つには、これまでの分業生産によってもたらされた巨大な生産力です。したがって、個人や地域のレベルにおける自給自足的な生産は、機械化された工業製品やインフラのグローバルな生産と並行して成り立ちます。
 もう一つには、公開された情報によってもはや不自然な支配や統制を行うことができなくなったことによる民主主義の広がりです。未来の社会では、好むと好まざるに関わらず、純粋に技術的な理由から隠し事ができなくなります。隠し事ができないということは、裏取引や陰謀もできなくなるということです。そのような社会では、人間は互いに家族の一員として暮らすような生き方を選択せざるを得なくなります。

 今、世界はまだ生みの苦しみの中にいます。貧富の差は拡大し、民族や宗教の違いによる戦争が企てられ、争いを作り出すための無知が再生産されています。
 そして、経済の世界でも、アメリカのドル崩壊は時間の問題と言われています。日本の財政危機は、改善される展望がないどころか破綻に向かって一直線に進んでいるかのようです。中国の情報のカーテンの向こう側では、独裁政権の持つ矛盾がいつ濁流となって噴出するかわからない状態が続いています。
 しかし、このようにすべてが否定的に見える状況があるにも関わらず、人間の社会は大きく明るい方向に舵を切ったという気がしてなりません。今すべきことは、既に退場しつつある悪を排除することでも、収束に向かいつつある危機に備えることでもなく、これから来る新しい未来の展望を具体的に提案していくことのように思えます。

 これまでの教育は、分業生産の社会の中で性能のいい部品とするための教育でした。そして、人間の生きがいは、豊かな消費の中にあると教えられてきました。しかし、未来の教育は、消費する個人でなく、生産をする個人に焦点を当てたものになります。そして、その生産は、人間が部品となって行う生産ではなく、人間の全面的な自己実現として行う生産になるのです。
 これまでは、18歳での高校卒業や大学受験を目標にした教育が行われてきました。しかし、これからは、20代から80代までの人生を生きがいのある生産者として過ごすための教育が行われるようになります。人生の本番である20代以降を、幸福、向上、創造、貢献の人生として送るための教育が行われるようになるのです。
 このように大きな枠組みの変化があるにもかかわらず、小学校や中学校では、勉強の内容は今とそれほど変わらないように見えるでしょう。基礎的な教育の部分は、社会の仕組みが変わっても大きくは変わりません。
 しかし、小中学校の教育でも、次のような変化があるはずです。一つは、どの教科も満遍なく勉強するとともに、これまでの勉強の枠には入らなかった社会生活を送る上での教育も行われるようになります。どの教科も満遍なくということは、国語・数学・英語だけではなく、音楽や美術や体育や技術家庭などの技能教科も同じように主要な教科になるということです。
 また、点数の差をつけることを目的とするような不必要な難問はなくなり、将来の知的な生活に必要な知識や技能を誰もが確実に身につけられるような仕組みになります。その結果、勉強は、将来の自分の人生の創造に結びついているという実感から、遊び以上に楽しいものになるでしょう。
 中学生の後半から高校生、大学生にかけては、本人の個性、希望、得技を生かして、その長所を更に伸ばしつつ、短所となりうる部分を能率よく補強するプログラムが組まれ、個人が社会に出て価値ある生産者となるための方針が作られるでしょう。
 すべての個人が、その個性を生かした生産活動で、社会に貢献するとともに、自身も幸福を感じられるような能力を育てることが教育の目的になるのです。それは、教育というよりも文化に近いものになるでしょう。
 このようにして、地球全体が多様性に富んだ大きな学校になるような未来が、人間の社会の展望です。なぜなら、人間は限られた身体を持ち、特定の過去に制約され、不完全な言語と感情を持って生きている存在であり、人間の持つこの不完全性こそ、もしそれが教育によって本来の姿を発揮できるならば、人間の持つ最も大きな特徴である創造性を開花させる土台となるからなのです。



■■学力を高める出発点は、家庭学習
 現代の日本の社会における子供たちの学力低下は、次のような流れで起こっていると考えられます。
 まず、家庭教育の機能が低下していることです。そのため、子供たちの勉強力格差が拡大しました。その結果、学校教育の一斉授業が効果的に行われないようになり、学力の格差が更に拡大しました。そこで、低学年からの私立学校化志向が生まれました。そのため、勉強の内容が、学力をつけるための勉強から、受験に勝つための勉強に変わっていき、その傾向が低年齢化していきました。勉強が受験という目標に絞られた結果、学ぶ喜びを感じられない勉強をする子が増え、そういう子供たちがそのまま成長するという仕組みになっているのです。
 高校生のころになると、だれでも、勉強の中で自分が向上するという喜びに目ざめるようになります。ところが、低学年から勝ち負けの勉強に適応していると、高校生になってもその延長で勉強というものを考えてしまいます。勉強は苦しいけど、やらないと競争に負けるからやむを得ずやるという考えです。
 楽しいから勉強するという子と、苦しくても我慢して勉強するという子とどちらが伸びるかといえば、楽しみながら勉強できる子の方です。今の日本の社会は、楽しいから勉強するという子が減り、苦しいけど勉強するという子が増えているのです。
 こう考えると、いちばんの土台となる家庭教育の足場をしっかりさせることが、学力を回復させる鍵になります。
 学力テスト上位県の特徴は、学校で宿題を出すことが当然のようになっており、家庭学習がその宿題に対応して行われていることです。つまり、家庭で毎日何を勉強するかということがはっきりしているので、親が迷わずに子供に家庭学習をさせることができます。
 これ対して、学力テスト下位の主に都会の県では、親が家庭学習とし子供に何をさせるのかというよりどころがありません。そこで、通信教育の教材や通学の塾などに頼るようになります。ところが、これらの教材や塾は、学力をつけることよりも、子供たちが取り組みやすいこと、点数という結果が出やすいことに力点が置かれがちです。
 そのような勉強で子供たちに意欲を持たせようとすれば、競争や褒美に力を入れるということにならざるを得ません。こうして、勉強はますます学ぶ喜びから遠ざかったものになっているのです。
 家庭教育は、市販の教材や塾に頼らずに、真に学力のつく教育として取り組むことが大事です。それが何かということをひとことで言えば、豊かな日本語の力を育てるということです。それは、学力の本質が日本語力だからです。
 例えば、近代日本を切り開いた勝海舟、福沢諭吉、西郷隆盛、坂本竜馬などは、今の小中学校にあたる年齢のときに、今で言う英語や数学などの勉強はしていませんでした。勝海舟や福沢諭吉が外国語を勉強したのは成人してからです。この時代の日本人全体の学力の基盤は、日本語の読み書き以外にはありませんでした。その日本語の読み書きの力をしっかりつけることで、その後の新しい勉強の土台ができたのです。
 では、豊かな日本語力はどのようにしてつくののでしょうか。
 日本語の学習は、質、量、密度の三つの点から考えられます。日本語の質と量は、生活の中で自然に身につくものです。例えば、毎日の読書や対話を、少し難しく、しかし楽しく、したがって数多く経験していくことです。また、密度に関しては、同じものを繰り返すことです。対話においては同じ話題、読書においては同じ本を繰り返し味わうことが日本語力の土台になっていくのです。


■■受験にも自己の向上にも役立つ作文
 作文の勉強は、作文小論文の試験には直接役立ちます。会社のエントリー試験、大学入試の小論文、高校の推薦入試の小論文、そして、最近では公立中高一貫校の試験でも作文の課題が出されています。
 言葉の森の生徒の多くは、受験のために勉強を始めたのではなく、ただ面白そうな勉強だからという理由で作文の勉強を始めた人が多いようです。そして、受験する学年になって、結果として作文の勉強が役に立ったという人がかなりいます。
 そのため、何年も作文を書く練習をしているので、入試で書きにくい課題が出されても、自分には何とか書けるはずという自信があり、実際にどのようなテーマが出ても目標の字数まで書いてきます。
 また、言葉の森では、作文の勉強の前提として読む学習に力を入れています。小学校5年生以上は、題名課題よりも感想文課題の方が多くなります。また、暗唱の自習や問題集読書の自習なども行っているので、言葉の森の生徒は、長文を読む力がついてきます。これが、国語の読解力の成績向上にもつながっています。
 国語力は、問題を解かせて答えあわせをして解説を聞くという勉強では力がつきません。解説で点数が上がるというのは、もともと持っている実力までは上がるということです。実力自体を上げるのは、問題を解くことではなく、実際に読む学習を続けることによってです。
 言葉の森の作文には、このように受験にも役立つ面がありますが、言葉の森の生徒は、受験などを意識しない小学校低学年から作文を始めていることも多いのです。それは、多くの保護者の方が、目の前の成績を上げることよりも、本当に子供の成長にとって役立つ勉強をさせたいと思っているからだと思います。
 では、言葉の森の作文の勉強によって、どういう力がつくのでしょうか。
 一つは、読む経験です。毎週、長文を何度も音読したり、感想文の練習をする中で長文を読んだりしているので、読んだ内容が確実に自分の中に残ります。言葉の森の勉強で読んだ長文が、大学生や社会人になっても生きて使える実例や意見として残っています。
 もう一つは、当然ですが文章を書く力です。言葉の森の生徒は、大学生になってレポートを提出するときなども書くことが苦になりません。しかも、いきたりばったりに書くのではなく、構成を考えて書くという習慣がついているので、計画的に文章を書くことができるようです。
 OECDの学力調査によると、日本の学生の苦手な分野は、読解力や記述力など多様な答え方が可能な中で自分なりの考え方を述べる分野でした。
 社会に出てから出合う問題は、問題と答えが一対一で対応しているようなものはほとんどありません。多様な読み方ができる材料と、多様な答え方ができる対策の中で、自分なりにひとまとまりの考え方を述べることができるというのが本当の読む力と書く力です。言葉の森で勉強をすることによって、そういう社会に出てからも役立つ力がついているのだと思います。


■■未来の教育は、作文を軸に学力を育てるものに
 何年か前、夏祭りの模擬店で焼き鳥屋さんをやり、煙を吸いすぎてひどい目にあったことがあります(笑)。ところで、そのときに感じたことは、夏祭りに来ている人たちで、いちばん生き生きとしているのが模擬店を開いている人で、その反対に、お客さんで買いに来ている人はそれなりに楽しそうだがお店の人ほど生き生きとしてはいないということでした。
 人間は、ただ消費するだけよりも、何かを創造しているときの方が生き生きとするのだと思います。「こんなことやらされて大変だ」と口では言うものの、それがそれなりに楽しいというのが人間がもともと持っている性質です。
 ところが、現代の社会における仕事は、そのような喜びに結びついたものではありません。どちらかといえば、給料のために苦しい仕事を我慢してやるというようなものになっています。なぜ、そういう仕事になったかといえば、現代の社会ではまだ豊かさが不足しているために、人よりもいい収入を得たければ人よりもいいポジションにつかなければならないという事情があったためです。
 このいい仕事につくための努力が、勉強においては、いい学校に入るための勉強、そして、そのためにいい点数をとるための勉強になっていました。そこで、逆に、みんなにいい点数をとらせずに差をつけてふるいわけをするために、間違えやすい問題を出しそれを解く訓練をするというような勉強が主流になってきたのです。
 これからの社会は、もっと豊かさが普遍的なものになる社会です。その豊かな社会で、人間が単に消費の中で喜びを見出そうとすれば、その社会は進歩のない停滞した社会になるでしょう。
 しかし、人間は、もともと喜びをもって仕事をしたいと思う存在です。未来の社会の勉強は、豊かな社会の中で自分らしい仕事を見つけるために学ぶというものになってくると思います。
 その未来の勉強は、三つの方向で考えられます。一つは、世の中の情勢を理解し把握するための勉強です。これは、これまでの学校教育で行われてきた英数国理社などの勉強とほぼ同じです。違う点は、差をつけるための勉強ではなく、自分にとって役立つための勉強になっている点です。
 もう一つは、自分らしい創造をするための勉強です。
 そして、三つめは、その自分らしい創造を表現し、ほかの人に伝えるための勉強です。
 創造の勉強は、音楽、絵画、工作など、いろいろな素材によって異なりますが、言語による創造というものが重要な位置を占めます。同様に、表現の勉強についても、音楽、絵画、工作などさまざまな手段がありますが、言語による表現が重要な方法になってきます。もちろん、理解と把握のための勉強も、これまでと同じように言語を通しての学習が中心です。
 この言語による創造と表現が、これからの作文に求められる目標です。したがって、未来の勉強は、人よりも早く難問を解くという勉強ではなく、自分なりに新しい何かを創造し表現する、そのためにさまざまな知識や技能を身につけるというものになってきます。言い換えれば、自分らしい章を書くために、幅広い教養を身につけるという形です。この作文を中心にした国語力と学力を育てることが、未来の教育の姿になってくると思います。



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