言葉の森新聞2010年1月2週号 通算第1110号
文責 中根克明(森川林)

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■■1月11日(月)は休み宿題(再掲)
 1月1日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php


■■2010年の抱負―世界の未来と子供の教育

 サブプライムローンの破綻から始まった金融バブル崩壊後の社会は、どのようになるでしょうか。

 アメリカの衰退と入れ替わる形で、中国、インド、ブラジルが台頭すると言われています。中国の台頭の理由は、13億人という人口の需要があることです。これは、インドもブラジルも同様です。しかし、そこで作られる需要は、すでに欧米日の先進国でかつて作られたことがあった過去の需要です。
 テレビ、パソコン、自動車、エアコンなどが、すでに日本で1億人のために作られたことのある商品ならば、それがその後13億人のために作られるというのは、旧時代の仕上げとしての意味しかありません。アメリカに代わって中国が台頭すると言いますが、それは、旧時代の中での覇権の交代に過ぎないのです
 新時代は、新しい創造的な需要によって作られます。旧時代の3Cなどが主導する経済とは異なるもの、それは文化が主導する経済です。ここで連想するのは、江戸時代に育った日本の独特の高度な文化です。歌舞伎、浮世絵、陶磁器、アサガオの栽培、ウズラの飼育など、日本はユニークな文化を閉ざされた島国の中で発達させました。それらの文化を支えたものは、学力と個性を兼ね備えた人材の大衆的な教育でした。
 これまでの時代は、例えば自動車が新しい需要を創造するという時代でした。自動車産業が創造的であった時代には、他社に負けない創造的な技術開発を行い、大きな創造的利益を得ることもできました。しかし、これからの自動車産業は、既存の部品を組み合わせれば作れるようなコモディティ化された商品になりつつあります。ここでは、限界的なぎりぎりの利益で商品が作られるようになります。そのような需要がたとえ13億人分あっても、それは広く薄い利益をかき集める少数の巨大な企業に担われることになるでしょう。それは、創造的な私企業というよりも社会のインフラを担う公企業のようなものになるはずです。
 それに対して、文化の需要は、創造的であればその価値が限りなく高くなる可能性があります。この価値の高い創造する文化を作り出すところが、次の新時代を先導する活力のある地域になります。そこにいちばん近いのが日本です。
 この新時代に向けて意識的に歩みを進めるために必要な第一のことは、文化への投資を促すことです。道路や橋を作るような公共投資ではなく、創造的な文化を奨励する文化オリンピックのようなものに投資する必要があるのです。
 もちろん、建造物への投資であっても、日本の領海に多数のメガフロートを浮かべて日本の領土を広げるというような創造的な投資であれば価値はあるでしょう。大事なことは、これまでにない予測もつかないような創造的な投資を行うことです。それが財政投資を意味あるものにします。
 文化オリンピックにおける金メダルのような呼び水によって、これから無数の才能が開花していけば、文化的な創造は次第に高度化していきます。そして、それらはやがて本物の創造文化として確立していきます。
 これは例えば日本のアニメ文化の確立に見られるのと同じパターンです。日本のアニメは、すでに芸術の一つのジャンルを形成しています。同じようなことがこれから、植物の栽培、動物の飼育、新しい芸術の創造など、今の社会にまだ生まれていない分野で続々と生まれる可能性があります。これがバブルの崩壊した旧時代のあとに来る新時代のイメージです。
 とすると、今緊急に行う第二のことは、創造性を育てる教育を広げていくことです。これからの知識産業時代における創造性は、学力の裏づけのある創造性でなければなりません。豊かな知識と技能、優れた理解力、そして個性的な創造性を育てるような教育がこれから求められてくるのです。これは、これまでの競争に勝つための教育ではなく、発表する喜びを感じるための教育です。
 2010年の言葉の森の作文指導は、この学力と創造性を育てる教育に向けて作り上げていきたいと思っています。


■■新年の夢―作文文化を作り育てる
 今年の夢の一つは、通学の言の葉クラブを全国展開することです。これは、暗唱暗写、短作文、付箋読書を中心にした寺子屋風の教室です。
 この教室の特徴は、単に教室で授業をするだけでなく、一つは、家庭学習と連携をしていくことです。だから、当然作文の勉強以外の全教科のアドバイスもすることになるでしょう。家庭での生活や勉強全体の中で位置づけて初めて暗唱や読書の自習が長続きするからです。
 そして、もう一つは、教室が地域と連携をしていくことです。具体的には、子供たちを地域ごとに紅白に分け、年に数回作文の発表会を行います。
 この作文の発表会では、子供たちがそれまでに書いたいちばんいい作文に、音楽、絵、写真、パフォーマンス、笑いなどを盛り込み、それを子供たちがみんなの前で作文スピーチとして発表します。このスピーチは当然子供たちが暗唱したものを発表するので、ただ原稿を棒読みするような形ではなく、いろいろな工夫ができます。紅白に分けるのは、それぞれの組の先輩が後輩に演出をアドバイスするためです。
 発表会は、晴れた日に近くの公園で、ちょうどお花見のような感じで行います。父母や近所の人が集まって酒盛りをする中(酒盛りはしなくてもいいのですが)、子供たちが一人ずつ自信の作文を発表します。そして、最後に、子供たち全員にその作文の内容に合ったユニークな賞状を渡します。
 作文教育によって、国語力もつき、作文力もつき、読書力もつき、学力も向上します。しかし、それらは作文の勉強の副産物です。作文教育の本当の価値は、日本に作文文化が育つということの中にあります。
 学ぶことが、いい成績を取ったり試験に合格するためのものであった時代は終わりつつあります。それらは結果として実現することであって、学ぶことの本当の意義は、人間の幸福、向上、創造、貢献を実現することにあるのです。その一つの形として、作文文化を日本に作り、育てていきたいと思っています。
 今年は、通信の言葉の森と並行して、通学の言の葉クラブを運営してくださる方を募集する予定です。


■■通信の生徒の105人が900字暗唱を達成
 1月4日からいよいよ新学期の授業がスタートしました。
 今年は、課題フォルダの中に、暗唱用の長文が入っています。
 1月から、毎週、その生徒の暗唱の進み具合に応じて次の暗唱範囲を先生が指示するようにします。また、暗唱の経過を山のたよりに表示するようにします。これで、暗唱の自習も更にやりやすくなると思います。
 12月4週現在の暗唱の取組状況を見てみると、新しい暗唱の方法で105人の生徒が900字暗唱を達成しています。暗唱の自習オプションを選択した人が生徒の約半数504人なので、選択した人の約20%の人が900字の暗唱ができたことになります。
 12月は、毎週300字を暗唱するという固定的なペースで暗唱の練習をしたので、生徒によっては事情によってできなかった週もあったと思います。1週だけでもじっくり練習できなかった週があると、最後の900字暗唱も当然できません。その意味で、固定的なペースでの暗唱は、生徒にみなさんにとってかなり苦しかったと思います。しかし、その中でこの数字ですから、もう何週間かあれば900字暗唱が完璧にできたという人は、かなりの割合にのぼったと思います。
 1日わずか10分の時間といっても、毎日その10分の時間を確保するのはかなり大変です。初めての900字暗唱に取り組んだ生徒、保護者のみなさんの努力を、大いに評価したいと思います。
 さて、1月の暗唱からは、もっと柔軟な取り組みになります。うまく暗唱できなかった週は、次の週にその暗唱の範囲を持ち越します。このやり方であれば、人によってかかる時間は違っても、ほぼ全員が900字暗唱を達成できるようになると思います。
 現在、通学教室でも暗唱の自習を行っていますが、自習に取り組んでいるほぼ全員が900字暗唱を達成しています。
 900字の暗唱をすると、生徒本人もちょっと感動します。また、聞いている先生も感心します。その点で、暗唱という勉強法は、音読という勉強法よりも達成感がある勉強になると思います。
 では、暗唱にどういう効果があるかというと、それは、暗唱しにくい箇所を見てみるとよくわかります。
 その学年の生徒にとって難しいと思われる語彙や表現は、なかなか暗唱できません。小1や小2の生徒の暗唱を聞いていると、例えば今回の長文で、「市民会館」などという言葉は出てきにくい面がありました。中学生の暗唱を聞いていると、「潜在的な」という言葉でつっかえる人がいました。
 通学の中学生は、一時英文の暗唱をしていましたが、これは日本語の文章の暗唱の何倍も時間がかかるので、ほとんどの生徒が最後まで暗唱できませんでした。
 暗唱できない言葉とは、読むときの理解はできるが、書くときの表現としては思い浮かばないという言葉です。それだけ、その語彙になじんでいないということです。暗唱というのは、日常生活ではなじんでいない言葉を、自分の自由に使える言葉にするという効果があるのです。
 もちろん、ある文章を暗唱したから、すぐに作文が上手になるというわけではありません。読んだ文章のジャンルと書く文章のジャンルは、当然異なっているからです。しかし、暗唱した文章と同じようなテーマで作文を書くことになったときは、暗唱した文章の語彙や表現が自然に作文の中に生かされてくると思います。
 しかし、ここで、語彙や表現力は、成長するにつれて自然に育っていくものだと考える人もいると思います。
 確かに、昔は、使える語彙というものは、その子の長い読書生活や言語生活の中で、自然に成長していくという面がありました。
 アメリカにグリーンバーグの開いた自由な学校があります。ここでは、子供たちには何も教えません。しかし、子供たちは自然に自分から学ぶ意欲を持つようになり、読み書きも計算も学習するようになるそうです。
 しかし、現代の社会にこの自然の成長をそのままあてはめることはできません。それは、現代は人工的な環境があまりに大きくなっているからです。例えば、テレビ、ゲーム、漫画、インターネットの世界は、かなり長期間にわたって人間の自然な成長を停滞させることができます。
 自然な環境では、どんな遊びでも熱中したあとは次第に飽きて、新しい遊びに進化していくという面があります。しかし、人工的な環境では、熱中していないのに飽きないという状態が長い期間続きます。このため、語彙や表現の成長しない子が増えているのではないかと思います。
 言葉の乏しい子は、「かわいい、ださい、きもい、うざい」など、言葉というよりも記号のようなもので自分の感情を表現することがあります。この言葉の貧困さの裏返しとして流行語が盛んに使われるようになります。
 使える語彙の豊かさとは、絵をかくときの絵の具の豊かさのようなものだけではありません。絵の具の数が少なくても、その少なさに応じて上手な絵をかくことはできます。言葉もその使える数の少なさに応じて上手な文章を書くことはできます。
 しかし、言葉には、表現の道具としての役割とともに、認識の道具としての役割もあります。使える言葉の数が少ないというのは、単に言い回しの数が少ないというだけではなく、ものを認識するときの見方が浅くなるということでもあるのです。
 暗唱によって豊富な語彙を身につけた子は、今すぐには暗唱の効果が自覚できないとしても、やがてその語彙が必要になった場面に出合ったときに暗唱の効果を実感すると思います。


■■受験作文の傾向は、題名課題から感想文課題へ

 受験に作文を課す学校が増えています。受験作文は、最初の年は単純な題名課題で始まることが多いようです。例えば、「これまでの学校生活での思い出」とか「私がこれまでにがんばったこと」などの題名です。
 こういう題名でも、受験生の作文力には差が出ますが、すぐに受験生が課題に対して準備をしてくるようになります。すると、ほとんどの受験生の実力が向上するので、採点する側は点数をつけるのが大変になります。
 そこで、次第に難しい課題になります。題名課題よりも難しいのは感想文課題です。文章を読ませてそれに対して感想を書かせる形は読解力も要求されるので、題名課題のときよりも書くのが難しくなります。しかし、それでも要領のいい生徒は、課題文のキーワードを引用しつつ自分なりに準備してきた材料で書いていくことができます。
 本当は、作文の課題を一つだけではなく複数出すようにすれば、実力の差はもっとはっきり出てきます。しかし、そのやり方では採点の負担が大きくなりすぎます。昔、東大の後期試験で小論文課題を出していたことがありました。最初は単純な課題でしたが、だんだん文章を読ませる複雑な形になり、複数の小論文を書かせる形になりました。しかり、やはり採点者の負担が大きすぎたのでしょう。この小論文試験は廃止になりました。
 感想文の課題をもっと難しい形にしたものが、複数の文章を読ませて感想を書かせる感想文です。Aの文章とBの文章を読ませて、その両者に共通する点と相違する点を自分なりに整理してかくのですから、内容を理解していないと書けません。また、ただ一つの文章を読ませる感想文課題では、キーワードを入れれば何とか書けますが、複数の文章課題ではキーワードだけではなく複数の文章の内容を組み合わせないと書けません。この複数の文章による感想文課題が、受験作文の主流になっています。
 しかし、これも、実は採点する側にとっては負担の大きい試験なのです。600字ぐらいの短い受験作文の答案を次々と読んでいると、人間は、長いひとまとまりの文章を読んでいるときよりもはるかに疲労します。それを、文章の表現力についてだけではなく、そこに盛り込まれている内容が課題に合っているかどうかまで含めて読むとなると、その負担は更に大きくなります。
 私が考えるいちばんいい方法は、受験で作文を書かせるのではなく、あらかじめ作文検定のようなもので作文力を認定しておくというものです。
 しかし、その作文検定は客観的な評価が出せるものでなければなりません。そこで使うのは、文章の自動採点ソフト「森リン」です。ソフトが採点するのですから、ソフトの裏をかいて点数を上げようとする人が必ずいます。しかし、そういう弊害はソフトを改良することによってすぐに対応することができます。
 人間の採点は、裏をかくようなことはしにくいのですが、採点する人の主観によって大きな差が出ます。同じ人が気分が違うときに採点するだけでも違いが出てきます。正確さを期そうとすれば、1人の採点者が同じ日に数百人の採点をまとめてする必要がありますが、そういうことはまず不可能です。
 ソフトの採点による誤差は、試験の回数を重ねれば、無視していいぐらいのものになっていきます。作文検定で何級を取得したかということが入試の基準になれば、作文小論文の導入はもっと容易なものになっていくと思います。
 さて、複数の感想文課題に対する書き方はどのようにしたらいいのでしょうか。以下の説明は、ちょっとレベルの高い書き方です。
┏━C━┓
┃A・B┃
┗━━━┛  AとBの二つの文章があったとします。二つの文章が共通している話題をCと考えます。
 Cという分野に関して自分の考えcを決めます。
 Aの文章のキーワード(又はキー概念)をaとします。
 Bの文章のキーワードををbとします。
 作文は、自分の考えであるcを通常の題名課題を書くのと同じ要領で、「説明→展開1→展開2→まとめ」と書いていきます。
 その展開1と展開2の部分にaとbを盛り込みます。
 つまり、作文の中心になるのは自分の考えcであり、そのcを補強するものとしてaとbを使うという考え方です。
 こういう書き方はレベルが高いので、採点する側にそのように書いたということがわかるようにする必要があります。そのために、AとBの文章のキーワードを意識的に使っていくのです。


■■作文小論文入試のコツその1(昨年の記事の再掲)

 大学入試ばかりでなく、高校入試でも、中学入試でも、作文試験を課すところが増えてきました。

 今回は、主に高校入試での作文のコツを説明します。
 高校入試では、課題文にそれほど難しい内容のものは出ないことが多いので、受験者が書く作文は、どれも似通った上手なものになる可能性があります。この中で、どのように上手さを目立たせていくかということが大事になります。

 まず第一は、字数の枠内に収まっていないものは、文句なしに不合格だということです。採点者は、限られた時間で多数の作文を採点するので、字数の条件をクリアしていないものは、内容さえ見てもらえない可能性があります。
 第二は、誤字が二つ以上あるものも、やはり同じように無条件に不合格になる可能性があります。この誤字が、実は意外と多いのです。中でも、小学生のころに習った初歩的な漢字を間違えて覚えているというケースが多いです。中学校の3年間は真面目に勉強していても、小学3、4年生のころは結構適当に勉強をしていたという子はかなりいます。というよりも、むしろそれが自然な姿です。しかし、その小学生のころに間違えて覚えた漢字は、ふだん自分の書いた文章を人に見てもらう機会がないので、大人になるまでその間違えた漢字のままずっと覚えているというわけです。どうして、そういうことがわかるかというと、私(森川林)自身がそうだったからです。^^;
 個人的な話ですが、私は読むことも書くことも好きで、書くことについては、中学生のころからずっと日記を書いていました。しかし、勉強の方は、その当時の子供たちの多くがそうだったように、家ではほとんどしていませんでした。その私が、自分が小学生のころに習った漢字を間違えて覚えていると気づいたのは、大学生になって就職試験で作文を書く練習を始めたころでした。自分で文章を書きながら、辞書で逐一確かめてみると、あるわあるわ、次々と誤字が出てくるではありませんか。その誤字のほとんどは、小学生のころにならったはずの教育漢字でした。私はたまたま自分でそういう練習をしたので、その後自分の書く文章で誤字はほとんどなくなりました。しかし、私と同じように小学生のころにあまり勉強をせずに、高校生になってからしっかり勉強をするようになった人の多くは、今でも同じような状態にあると思います。たぶん、男の人。(笑)
 実際に、社会人の書いた文章を見る機会がときどきありますが、800字の作文で誤字が一つもない作文というのは、実は珍しいぐらいです。そう考えると、高校入試の作文を誤字でスクリーニングすると、それだけでかなりの作品が絞られてくるように思います。
 誤字をなくすコツは、入試に出てくるようなテーマで文章を書き、そこに出てくる漢字をすべて辞書で調べてみることです。もっと簡単なのは、ほかの人に読んでもらうことです。一般的な漢字の書き取りの練習をしても、効果はありません。大事なのは、正しい漢字が書けるということではなく、「自分がよく使う語彙や言い回しで」正しい漢字が書けるということだからです。
 私の経験では、今800字の文章を書いて、誤字が2ヶ所以上あった人が、これから練習して誤字ゼロの文章を書けるようになるには、1年間ぐらいかかると思います。
 第三は、難語を自然に書く、第四は、光る表現を入れる、第五は、感動のある体験実例を書く、第六は、知性を感じさせる社会実例を書く、第七は、構成が分かるように書く、などですが、それはまた次回に。(つづく)

 受験コースの生徒から、ときどき、「先生のヒントを聞いてから書くのでは、試験の本番のときに書けないのでは」と聞かれることがあります。
 しかし、これまでの経験では、先生のヒントを聞いて、そのとおりに書ける子は実力のある子で、合格圏内に入っている子です。
 ただし、ヒントを見ながら、ヒントを写すような感じで書いていては力がつきません。ヒントを聞いて、又は読んで、そのあとは、自分の頭の中に残っているものだけで書くというのが実力をつけるコツです。


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