言葉の森新聞2007年12月3週号 通算第1011号
文責 中根克明(森川林)

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■■12月24日(月)は休み宿題
 12月24日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php


■■志望理由書の書き方(2)
 志望理由書は、限られた枠内でできるだけ密度濃く自分をアピールする必要があります。また、提出するまでに時間がありますから、できるだけ完成度の高いものを提出しなければなりません。
 そのためには、
(1)子供だけでなく両親がしっかり作成に関与する
(2)志望理由書のサイトを参考にする(言葉の森の「質問の広場」にもいろいろなサンプルがあります)
(3)志望理由書に関する本を買う
などの対策が必要です。
 特に出版物に関しては、できるだけ参考にしていくとよいと思います。

 話は変わりますが、入試の勉強をする場合も同様です。
 先生の話や友達の話よりもあてになるのは、やはり出版物に載っている情報です。その中でも特に参考になるのが、志望校の過去問です。その過去問も、現在売られているものだけでなく、古本として売られている何年も前に出版された本も買っておくと役に立ちます。

 現代の入試は、情報戦になっています。情報戦の中心となるものは、早耳情報や極秘情報ではありません。世間に流通している多くの公知情報にしっかり目を通すことなのです。


■■生物と無生物のあいだ(みのり/まこ先生)
 福岡伸一という生物学者がある番組で、大学に入りたての頃、生物学の時間に教授に問われた言葉について話していました。「人は瞬時に、生物と無生物を見分けるけれど、それは生物の何を見ているのでしょうか」
 わたしもそのふしぎに、たちまち心ひかれてしまいました。「生物と無生物のあいだ」という本のことは、恥ずかしながら知りませんでした。図書館では何十人もの予約待ち状態で、本屋さんでは平台に置かれていて簡単に見つけられました。売上ベスト3というポップまで貼られています。とんでもない話題本だったのです。読み始めたら止まらない極上のミステリー、生命とは何か? 20万部突破、絶賛の嵐!! と書かれた帯がついています。興味のある人は読んでみてください。
 わたしは数学や理科は、きちんと勉強してこなかったので、こういう科学系の読書には正直苦労することも多いですが、それ以上におもしろいものがたくさんあります。このごろは、わたしのような素人(しろうと)向けに書かれた本も増えている気がします。そこで思いがけない科学者の詩的で美しい文章表現に感銘を受けるのです。文学作品に決して引けをとりません。難解な数式や原子記号、ドライな実験と向き合いながら、人としてひたむきに考え、言葉で表現することのすばらしさを存分に伝えてくれています。どんなことをしていても、人にとって、ことばというのは、大切なものなんだなあとつくづく思います。
 言葉の森で、自分にしか書けない作文を勉強することは、きっとみなさんの人生をより豊かにしてくれると信じます。
 「私たちは、自然の流れの前にひざまずく以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、あの少年の日々からすでにずっと自明のことだったのだ。」(「生物と無生物のあいだ」エピローグより)


■■大人も子供も、読書の習慣を(ひまわり/すぎ先生)
 今学期、中学一年生の項目に「データ実例」というのがありますが、その「データ集」の中に読書に関するものがあります。ホームページでは「数字の草」というところに入っています。
<<え4608み>>一ヶ月に読んだ本(雑誌・漫画を除く)(毎日新聞社)
   小学生高学年 5.6冊
   中学生 1.9冊
   高校生 1.3冊

 このデータを見ると、小学生までは読書を習慣にしている人が多いのに、中学生以上になると、読書量がぐんと減ってしまうことがわかります。

 先日の読売新聞にも、読書についての世論調査の結果が掲載されていました。それによると、国民の「本離れ」が深刻な状況が、相変わらず続いているということです。1か月間に1冊も本を読まなかった人の割合は、昨年よりも増加し、20代以上の大人の世代で「本離れ」がいっそう進んでいるという結果でした。データによると、特に30代の働き盛りの年代で、本を読まない人が増えています。その理由は「時間がなかった」というのが最も多かったようです。
<<え2006/149jみ>> 中学生、高校生は、部活動や塾、テスト勉強に追われて、確かに小学生よりも自由な時間が減っていることでしょう。また、働き盛りの大人は仕事に追われて、ゆったり読書をする時間がなくなっているのかもしれません。しかし、読書は歯磨きに似て、習慣の問題が大きいように思えます。みなさんは、朝晩の歯磨きに合計何分使いますか? 丁寧に磨く人で10分から15分ぐらいはかかるかもしれませんね。でも、時間がないから今日から歯磨きをやめようという人はいないでしょう。
 読書も、毎日多くの時間を割かなければならないということはありません。まずは歯磨きと同じぐらいの時間、10分か15分を読書に充ててみてください。歯磨き同様、たまにではなく毎日です! 寝る前の時間が一番よさそうですね。仕事に追われる大人も、通勤時間を読書に充てられるかもしれません。それだけで、1か月に1冊も本を読まない人から、1か月に2〜3冊読む人に変身できそうです。これを1年間続けたら、何十冊にもなります。

 私が子供のころは、読みたい本を探すのがたいへんでした。図書館では、五十音順に並んだ膨大なカードの中から、目的の本を探すのですが、題名をうろ覚えだと探すことができませんでした。また書店でも、題名と出版社名がはっきりわからないと注文ができないことがありました。
 今は、図書館に備え付けてあるコンピュータを使って、題名があやふやでも検索をかけることができます。さらに嬉しいことに、インターネットを使って自宅にいながらにして図書を検索し、予約を入れることができ、用意ができるとメールで連絡をもらえます。また、書店でも図書の検索が簡単にできるのはもちろん、ネット通販も実に便利なものです。ネット通販では、内容の紹介や読んだ人の感想を参考にすることができます。読みたい本の手配が、自宅で簡単にできる夢のような時代になったのに、「本離れ」とは皮肉なことではありませんか。
<<え2007/291み>> すっかり秋も深まり、読書を始めるには最適な季節。ものぐさな人も時間がない人でも、好きな本を簡単に手にできるいい時代です。ぜひ、この秋から読書の習慣を身につけていきましょう。


■■競争社会に思うこと(もんぴぃ/おのぴ先生)
   <<えa/1357み>>

 休日にアップルパイを作りました。といってもパイ生地は市販のものです。中に入れるフィリングだけ手作りしました。買った方が手間もかからないし味もいいかもしれないとは思いましたが、最近食品の偽装事件が相次いでいるので、自分で手作りするのが一番安全だと思い作りました。もしかすると最近そういう人もふえているかもしれませんね。
 交通網が整備され、商品の流通経路が確立された結果、私たちは家にいながら全国のものを手に入れることが容易になってきました。便利になったものだとつくづく感じます。消費者にとってはありがたいことだとも思っています。しかし一方、作る側は生き残るために厳しい競争をよぎなくされました。質のいいものを作るのはもちろんですが、可能な限り無駄を省き利益を生み出さなければなりません。それができなければ競争に負けてしまうのです。食品は基本的に期限内に売れなかったものは廃棄処分になるはずですから、その廃棄分を商品の値段に転嫁する必要がでてきます。しかし今、世の中が簡単にその分を値段に上乗せできる状況ではありませんから、作る側にとってその廃棄分をいかに少なくするかが大きな問題になるのだと思うのです。もちろんだからといって消費者を欺くような商品を作り続けるような人々が許されるとは思いません。もったいないという精神が悪いのか、あるいはそういうものを使ってもわからないほどの技術力がある証拠だからいいのだという人もいますが、それは筋違いの話だと思います。
 私たちがここでよく考えなければならないのは、競争社会が生み出す弊害です。競争して切磋琢磨すればよいものだけが残っていく、勝ちたければ努力をするべきだ、というのは理想の姿だと思います。一体それにどれだけの人がついていけるのでしょうか。競争社会のピラミッドの中で頂点付近に立てるのはごくわずかな限られた人たちです。多くの人たちは競争に敗れて敗者となります。誰でも勝者になれるわけではないのです。また勝ち負けにこだわり、競争することばかりに目をむけていくと、人が生きていく上で大切な正直さや誠実さといったものがしだいに後回しにされていきます。理想を追い求めることは、生きがいという点においても必要なことだとは思いますが、その一方で大事なものを見落としていないかよく考えるべきだと思います。

   <<えa/2394み>>     <<え2007/20jみ>>


■■モンゴルと馬(パンダ/なるこ先生)
 先日、モンゴルの民族楽器である馬頭琴の演奏を聞く機会がありました、草原のチェロと言われ、中国の二胡にも似た弦楽器の馬頭琴、みなさんには「スーホの白い馬」でおなじみですよね。楽器の先端に馬の頭の彫刻が飾りつけてあるのがとても印象的です。楽器の弦と弓は馬のしっぽから作られているそうです。本体部分は現在は湿気に強い木製ですが、むかしは馬の骨や皮を使っていたそうですよ。
<<え4442み>>
 おりしも今年は日本とモンゴルの外交関係樹立35周年にあたるとのこと。モンゴルの建国800年であった昨年から今年にかけて、テレビでは特集番組があったり、映画ができたりと、ちょっとしたモンゴルブームでした。日経新聞にはモンゴル民族の英雄チンギス・ハンの小説が長い間連載されていましたし、本屋へ行くと、モンゴルやチンギス・ハンに関する本や雑誌が目のつくところにたくさん置かれていました。

 その中の一冊を読んでいて、モンゴルの言葉についてのおもしろい記述をみつけました。モンゴル語には、馬の毛色を表す言葉が驚くほど豊富にあるというのです。「全身の毛色や、斑紋(はんもん)や、たてがみの色や、鼻面の斑紋(はんもん)など、日本語や英語で完全に表現しようとすると一行ほどの長さにもなる毛色の区別を、モンゴル語では一語で言える」(学習研究社「チンギス・ハーン大モンゴル“蒼き狼”の覇業」より)のだそうです。
 例をあげてみると、こんなかんじです。<<え992み>>  <<え993み>>  <<え994み>>
  ボル   : 芦毛 青っぽい白。灰色を中心に白から灰黒まで幅広い色合いを含む。
  ゼールド : 栗毛 黄褐色を基調としたもの、うす茶。
  フレン  : 栃栗毛 黒みがかった黄褐色で、栗毛の中でも濃い茶。
  ヘール  : 鹿毛 赤褐色を基調とした毛色、こげ茶。尾毛とたてがみは黒。
  ボーラル : 粕毛 鹿毛、栗毛系統の原毛色に白が全体に混生する。いわゆるさし毛。
  ハリョーン: 白みがかった黄淡色で、たてがみ、尾毛は黒。かわうそという意味。
  ホンゴル : 赤っぽい薄黄色で、たてがみ、尾毛は黒。(いわゆる赤い馬)
         (など、まだまだ続くのですが、紙面の関係上以下省略します。)

 遊牧民族であるモンゴルの人々にとって、馬はなくてはならない存在です。人々は牛、ラクダ、羊やヤギとともに家畜として馬を放牧しながら、馬に乗って狩りをし、馬の乳を発酵させた馬乳酒を飲み、大草原を移動しながら生活します。ツゲの課題で、米が日本の生活において重要な役割を果たしているという長文がありましたが、モンゴルではまさに馬が遊牧民族の生活を支えているのです。財産である何百もの馬を識別するために、モンゴルの人々はこの毛色のほか年齢、体や毛の特徴、性別や駆け方、歩き方までも細かに観察して、分類しているそうです。

 日本でも、競馬の馬を識別するときは毛色が基本になり、血統書には必ずその他の特徴などと一緒に記載されます。しかし、モンゴルでは毛色を表す言葉だけで四百あるとも五百あるともいわれ、さらに、その他の分類方法も含めると数は限りがなく、馬を識別することがいかに重要であるかがわかります。馬とともに生活する人々にとって、その健康状態、性質などを図る目安にもなる馬の識別に、言葉がいくらあっても多すぎることはないのですね。生活に必要不可欠であったからこそ、生まれた言葉だったのです。
<<え1005み>>
 日本語の毛色は鹿毛、栗毛、河原毛、粕毛、芦毛、月毛など、どれも他の動植物などの色を借りて表現したものです。それに対してモンゴル語は、他の動植物の色彩名から借りたものは少なく、大体が馬の毛色自体が語源ではないかと思われるものがほとんどだそうです。それだけ、モンゴルの人々と馬のかかわりが歴史的にも深いということですね。

 「言葉はそれぞれの民族の風土的、歴史的、社会的環境の中で育まれた文化を映す鏡だ」(鯉淵信一「騎馬民族の心」より)といいます。日本語もしかり。言葉の意味や語源を考えながら、大切に使いたいものですね。そして、音楽もまたしかり。馬頭琴のやさしく深く、気高い音色は、まさに、モンゴルの草原で馬とともにある遊牧民族の文化や心を表したものなのだと、改めて思うのでした。
 参考文献  学習研究社「チンギス・ハーン大モンゴル“蒼き狼”の覇業」<<え986み>>
         鯉淵信一「騎馬民族の心」NHKブックス


■■秋の奥入瀬渓流(わんわん/いかだ先生)
 パソコンを開くと、鮮やかな緑と清流の画面が飛び込んでくる。デスクトップの背景に有名な「奥入瀬渓流(おいらせけいりゅ)」の写真が載っているのだ。
 病院やホテルや会館のロビーでは、さまざまな絵画が壁面を飾っているが、よく目につくのが奥入瀬渓流ではないだろうか。写実的な風景画が多く、なかには木漏(こも)れ日と白く泡立つ清流が、まるで写真のような油絵もある。
 
 私がこの渓流を初め見たのは、何年か前の秋だった。東京から新幹線で八戸(はちのへ)に行き、駅前に待っていた十和田湖行きのJRバスに乗る。紅葉シーズンには少し早かったので、平日の特急バスは旅行客らしい老夫婦と独り旅の女性など数人しか乗っていない。
 定刻に出発したバスは青森県十和田市内を抜けて一気に八甲田山に向かい、やがて浅い川に沿ってくねくねと曲がる緑のトンネルに入って行った。「これから先14.2キロが有名な奥入瀬渓流です」と説明した運転手さんは、「白布(しらぬの)の滝」や「馬門岩(まかどいわ)」、「阿修羅(あしゅら)の流れ」など有名な名所にさしかかるたびにスピードを落とし、車内から撮影ができるようにサービスしてくれた。
 走行中の窓から見下ろす渓流は山の木漏れ日を受けて輝き、流れの傾斜やカーブによってゆったりと、そして時には急流に姿を変える。山の温泉に泊まるという老夫婦は、夢の世界のような風景に感動したのか途中で降りて、渓流のそばの遊歩道を気持ちよさそうに歩き始めた。
 
 名画のような渓流に見とれているうちにバスは突然、緑のトンネルを抜けて十和田湖畔に出た。バス停のそばを見ると、大きな排水溝が音をたてて湖水を吐き出している。水の行方を目で追うと、いまバスが登ってきた森の中に吸い込まれている。そうか、ここが奥入瀬渓流の始まりで、清流は十和田湖の水だったのだ。

 <<え107み>>


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