言葉の森新聞2006年2月2週号 通算第922号
文責 中根克明(森川林)

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■■2月11日(土)は休み宿題
 2月11日(土)は休み宿題です。
 先生からの電話はありません。その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)


■■書き出しの工夫
 先日、高校生の生徒から、「会話の書き出しってよくないんですか」と質問されました。
 朝日新聞の「炎の作文塾」というコラムで、「会話文から始めないで」という記事があったそうです。その記事では、「文章講座の講師の中に、『文章は会話文から始めなさい』と教える人がいるらしい。そういう講師を信用してはいけない。」「会話文で始めると、独りよがりの文章になりがちだ。文章によほど習熟してくれば別だが、会話文で始めるのは、やめた方がいい。」「○○さんはヘンな講師に習ったのだろうか。」などと書いてあったそうです。思わず、本多勝一氏の「中学生の作文技術」を連想してしまいました。(笑)こういう記事を書く人の視野の狭さは、読み手にも伝染するようで、このようなコラムを読んでいるとつい、「○○をしてはいけない」「○○しかない」という発想をしてしまいがちです。

 文章でいちばん大事なものは中身です。表現は、中身をスムーズに伝えるためにあります。
 私がこれまでに読んだ本で最も難しかったものは、ヘーゲルの「精神現象学」と「大論理学」でした。それは、訳者の訳し方にもよりますが、すべて文末が「である。」で終わっていました。しかも、それぞれの一文が長く、「……である。……である。……である。」という感じで延々と最後まで書かれていました。しかし、中身があるので、その文末の単調さは決して欠点のようには見えませんでした。表現よりも中身が大事という考え方の見本がここにあります。
 ですから、本当は、書き出しの工夫は二次的なことなのです。しかし、もし同じ中身の文章があった場合、読みやすい面白い表現と単調で堅苦しい表現とでは、もちろん読みやすく面白い方に価値があります。特に、現代のように、多くの人が文章を書く時代では、表現の工夫は文章の重要な要素となります。

 表現の工夫の一つとして、書き出しの工夫があります。
 私が、書き出しの工夫として参考としたいと思っているものに、團伊玖磨(だんいくま)氏のエッセイがあります。「九つの空」(朝日新聞社)からいくつか引用してみると、こういう書き出しです。
 「燃えるような夕焼けが空と海を一杯にしていた。今しも水平線に沈む太陽を右に、船は南へ南へと進んでいた。」
 「黄昏(たそがれ)の銀座通りには、一日の勤めを終った人の波が流れていた。夏の残照が、僅かに暮れ残っている天頂近くの数片の鰯雲を紅に染めていて……」
 「夏だと言うのに何処迄も続く鉛色の空を、十五世紀に出来た古い大学の塔が黒い針のように突き刺していて、その針の先だけが……」
 エッセイなのでこういう工夫がしやすいとも言えますが、実は小論文でもこのような書き出しをすることができるのです。
 高校生に書き出しの工夫を説明すると、実力のある生徒は、内容もあり書き出しの表現も工夫した文章を書いてきます。中身と表現を兼ね備えた文章を書くことが小論文指導の一つの目標です。

 しかし、書き出しの工夫には、書きにくいものと書きやすいものとがあります。情景の書き出しなどは、比較的書きにくい書き出しです。情景の書き出しがしにくい場合は、会話の書き出しなどで書きやすく工夫することがあります。
 ところが、表現の工夫には両刃の剣の面があり、ありきたりの工夫では、かえってしない方がいい場合も出てきます。会話の書き出しなどは、特にありきたりになりやすいので、かえって工夫が逆効果になることもあります。
 そこで、その工夫を批判するのは批評家です。教育の観点からは、不充分な工夫であってもその将来の可能性を生かす方向に指導していくのが正しいやり方です。
 今、小中学生で会話の書き出しを練習している人は、この工夫が終点ではなく、今後の工夫の準備であると考えて練習していってください。


■■イソップに学ぶ(たんぽぽ/たま先生)
「イソップ物語」といえば「ありとキリギリス」や「狼(おおかみ)少年」のお話など有名なものがたくさんあるので、きっとみなさんも一度は読んだことがあるでしょう。今回はイソップが書いたお話ではなく、イソップ自身について少しお話ししようと思います。

 イソップは紀元前のギリシャ人だということですが、その伝記ははっきりしていません。彼の姿のみにくいことは天下にふたりとなく、人間でありながら人に売買される奴隷(どれい)の身であったことが伝えられています。しかしその知恵のすぐれたことは、彼にならぶ者はないとほめたたえられていました。

 イソップが第一の主人から第二の主人に売られたとき、第二の主人は奴隷たちをつれて旅に出ます。それぞれ重い荷物をかついで主人について行くのですが、イソップは中でもいちばん重くて大きな食料の荷を選んでかつぎます。これを見たほかの奴隷たちは笑いました。「イソップは知恵者であると聞いていたが、実は大した知恵ではない」と。

 けれども旅が長く続くうち、それは間違いだったことがわかります。ほかの奴隷たちが疲れきってあえぎながら歩いていたころ、イソップはあたりの景色を楽しくながめながら歩いていたそうです。どうしてだかわかりますか? それは彼の荷物が「空(から)になった食料袋」だったからです。食料の荷が毎日少しずつ減り、最後には空になることをイソップは初めからわかっていたのですね。

 それからもイソップは、そのすぐれた知恵を生かして何度も主人を助け、ついには奴隷の身分から解放されます。その後、寓話(ぐうわ)作家として活躍し、長く世界中で愛される数々の作品を残しました。
 
 そのイソップが残したと言われる名言です。

『自分の運命を甘受せよ。あらゆる面で一位に立つことはできない。』

 全てのことがうまくいくというのは無理です。不得意なことや、さまざまな事情でかなわぬことがあっても仕方がありません。しかし与えられた運命の中で、自分がどう生きるかということを改めて考えさせられる言葉だと思いませんか?

<<え3620み>>


■■算数だけのことなのか(ひとみ/かもの先生)
 わたくしは、いままでしていた仕事柄もありまして、お正月には新聞各紙の元日の社説を、読み比べるのを楽しみにしています。
 そうしましたら、ここでも前に紹介したことのある、お茶の水女子大の数学教授、藤原正彦さんの、いまベストセラーほどに売れている「国家の品格」(新潮新書)を取り上げて、社説の中に引用している新聞がありました。
 この新聞は、自分の側に、つごうのよいように、ものごとを取り上げることに巧みなことで知られていますが、こんどの「国家の品格」の引用の仕方も、自分の書こうとしていることに、つごうのよいところを引用している。これでは藤原さんが怒ってしまわないかと、気になりました。
 (横道にそれますが、今年の元日社説、格調の高さということで出色は、S新聞でした。参考までにインターネットででも、保護者の方はぜひ読んでみてください。)
 さて、「国家の品格」を、この冬休み、わたくしは、しみじみと読ませてもらいましたから、この新聞の社説への引用の仕方には、あまり良い気はしませんでした。「国家の品格」、これは別に「人間の品格」という題でもよいような、あるいは「日本人の常識」という題でもよいような、そういう本です。「ですます調」で書かれた、とても読みやすい本です。
 で、藤原さんと言えば、「祖国とは国語」という本のことを、以前に、ここで紹介したことがありますが(これは、いま、新潮文庫に入っています)、きょうは、「国家の品格」の、実に面白いところを紹介したいと思います。ちょっと、長くなりますが――
 <最近、アメリカ人と結婚してテキサス州に五十年余り住んでいる日本女性と会ったのですが、とても興味深い話を聞きました。
 昔から、日本企業の駐在員の子供たちは、学校に通い始めた当初は英語がぜんぜん出来ずコンプレックスを感じる。しかし、算数だけは必ず一番になるので、それを支えにどうにか劣等感に耐えた。アメリカ人の子供たちも、日本人が転校してくると、「ラッキー」と喜んだ。算数の宿題をさっさと手伝ってくれるからです。
 ところがここにきて、日本人の子供たちの算数能力がアメリカ人に並ばれてしまったと言うのです。要するに、日本の算数レベルがアメリカと同じレベルにまで落ち込んでしまった。「一体どうしたらいいんでしょう?」と、アメリカ国籍を取りながらも熱い祖国愛を捨てないこの女性は暗い表情で私の顔をのぞきこみました。
 私がアメリカの大学で教ええていた頃は、向こうの州立大学一年生の数学のレベルは理系で日本の高校二年生の一学期程度、文系で中三程度でした。それがここ二十年にわたる「ゆとり教育」の徹底で、少なくとも小学生段階の算数では同じレベルになってしまった……>
 と、藤原さんは書いているのです。で、このあと、いま、アメリカへ留学する大学生たちにも同じことが言える、という意味のことを続けています。
 つまり、二十年の「ゆとり教育」が引き起こしたこと、それは算数だけですんでいることなのか、ということです。問題はそこなのです。国語も、まったく同じです。
 わたくしは、いま、大学生に文章を書くということの授業をしていますが(身のほども知らずに、です)、偶然、きょう、一年間の授業を終えるに当たって、きみたちも、「ゆとり教育」の被害者だ、その仇討ちをしてやろうと、一年間、わたくしなりにがんばってきた、諸君の、試験に課した作文を読ませてもらうと、少ぅし、仇が討てたような気になっているよ、そんなことを話してきたばかりです。
 じゃあ、小学生や中学生や高校生は、一体、どうしたらいいのだ、これは、ただ、ひとつ、「言葉の森」を一生懸命やるしかない、そう、思うのです。
 「ゆとり教育」をやった文部省の役人どものことを、ここでも怒りたいのですが、これは後日にゆずります。


■■いそがなくてもいいんだよ(ぺんぎん/いのろ先生)
<<え2519み>>改めて、新しい年に「こんにちは」が言いたい気分です。1日1日、ゆっくり見回そう。「言葉の森」にいるならね。本当言うと、赤ペンは少しじゃまかもしれません。みんなの書いたままの作文が、とてもすてきすぎるから。だから、先生たちはできるだけ、みんなのじゃまをしないように気をつけよう。むしろみんなの光っているところを一番最初に見つけられる先生になりたいな。 
<<え969み>>みんなの作文の中に、特に「まぶしいところ」を発見したらシールをはっておくよ。逆にみんなは、「ここ、すごいよ!」という気持ちで項目シールをはってね。
<<えa/2649み>>いそがなくたっていいんだよ。楽しい日もあるけれど、書きたいことがよくわからない日もある。うれしい日もあるけれど、ふつうな日もある。おもしろい日ばかりではなく、まじめな日もある。でもね。だから、いいのです。
<<え7190み>>どれも、たった一つのその日だから、それだけでじゅうぶんだよ。作文にそのままうつしとる気持ちで、教えてください。先生も、初めての毎日が書かれている作文を1つ1つ、大切に手に取りたいと思っています。だから、今年もよろしくお願いしますね。

<<え3502み>>1年の始まりだから、まずは、あわてないで。そんな気持ちをこめて、1つの詩を紹介しておきましょう。ゆっくり、ゆったり、すばらしい1日1日がみんなに話しかけてくる……そんな格別な2006年でありますように。

「南の絵本」      岸田衿子
いそがなくたっていいんだよ
オリイブ畑の 一ぽん一ぽんの
オリイブの木が そう云っている
汽車に乗りおくれたら
ジプシイの横穴に 眠ってもいい
兎にも 馬にもなれなかったので
ろばは村に残って 荷物をはこんでいる
ゆっくり歩いて行けば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつくだろう
葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい
走っても 走っても オリイブ畑は
つきないのだから
いそがなくてもいいんだよ
種をまく人のあるく速度で
あるいてゆけばいい

(詩集 『いそがなくてもいいんだよ』 より)


■■魔法の言葉(ひなた/いのあ先生)
<<え2005/36jみ>>
 みなさん、こんにちは。二ヶ月の産休をいただきありがとうございました。当初一ヶ月の予定が、二ヶ月になってしまったことでご迷惑をおかけしてすいませんでした。温かいお言葉をいただき、おかげで無事に元気な女の子を出産することができました。この場をかりてお礼を申し上げます。ありがとうございました。4300gと、大きな女の子だったため、産まれてしまえば元気に育っています。産休の間に上の子と私がインフルエンザにかかってしまい、健康の大切さを実感したこともありました。みなさんも体調管理には十分気をつけてくださいね。
 私が好きな本に『子どもが育つ魔法の言葉/ドロシー・ロー・ノルト著』という本があります。そこにこう書かれています。
 子は親の鏡
  けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる
  とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、こどもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを学ぶ
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
当たり前のように思えることが、実は実行できていないんだということに気づかされた詩でした。ふと疲れたなあというときに、この詩を読むようにしています。そのときそのときによって、じんと心にささる一節が違うのが不思議です。多分そのときの自分に欠けている部分がそこなんだと気がつくということなんだと思います。本格的に冷え込む季節ですが、そんな寒さを吹き飛ばすような家庭づくりを目指したいですね。
<<え2004/570み>>


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