言葉の森新聞2005年8月3週号 通算第899号
文責 中根克明(森川林)

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■■愛(森川林/なね先生)
 地上にはまだ戦争に明け暮れている地が数多くあります。また、今は平和に見えるそのほかの地域でも、戦争の影響を受けていないところはありません。どの国も、他の国といつでも戦争ができるように身構えながら生きているのが地球の現状です。
 個人のレベルでも、恨みや憎しみを持ち続けている人たちが多数います。ときどき、「○○だけは絶対に許せない」と声高に言う人がいます。もしその○○が自分自身に関わることだったら、必ず許せるはずです。許せないと思えば、何万年たっても許せません。許そうと思えば、やがて必ず許せるようになるでしょう。アラブとイスラエルのように、和解が到底不可能のように見えるところでも、たった一つの決心だけで和解は可能なはずです。もちろん、決心が一度で実現するほど人間のレベルはまだ高くありません。人間の肉体は生理的に嫌なものを受け入れるには、感覚が強すぎるからです。「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言える境地に到達できる人はまだほとんどいません。しかし、そういう境地は可能だと思います。許しがたいものを許すということは、そのような境地に比べればはるかに容易なはずです。
 以前、警察の免許証講習で、暗いビデオを見せられました(見ませんでしたが)。そのドラマで、被害者の家族が加害者の家族に向かって、「謝っても、生き返ってはこないんだ」とパターン化されたセリフを言うシーンがありました。
 「ごめんで済んだら警察は要らない」などとよく言いますが、世の中のほとんどのことは、ごめんで済ませられるから警察は要らないのです。そうでなければ、世界中、警察だらけになっているでしょう。警察がどれだけ増えても、世界は幸福にはなりません。互いに許す人が増えることによって、世界は少しずつ幸福になっていくのです。
 「罪のない者は石を投げよ」という言葉は、人類が発明した最も高度な思想の一つだと思います。二千年も前にこのような愛に満ちた思想が作られているのに、その普及はまだ遅々として進んでいないように見えます。
 世界に優しさを広げるために必要なことは、私たちがその必要性に気づくことと、そのために決心をすることです。
 話は、ぐっと身近になりますが、私の家の駐車場の前に、大きいランドクルーザーが止まっていました。ほかに空いているところがあるのに、よりによって自宅の駐車場のまん前です。そのせいで、私は自分の車を入れるために何度もハンドルを切り返さなければなりませんでした。そのとき、私は無意識のうちに怒っていたのです。「まったく、こんなところに止めやがって」と(笑)。しかし、そのときにふと気づきました。もし、これが自分の子供や友達が止めている車だったら、私は、むしろほほえましい気持ちで「しょうがないなあ」と思っていたでしょう。人間は、自分の側にあることはいくらでも許せるのに、他人の側にあることはささいなことでも許せないのです。
 もし、私たちが、地球は家族で人類は皆兄弟だと本気で思えれば、許せないことはどんどんなくなっていくでしょう。それは、夢物語ではなく、これからの人類が決心して歩まなければならない道なのだと思います。
 さて、これだけだと、作文に全然関係ないので(^^ゞ、小論文のコツに関連させて話を進めます。
 愛は憎しみよりも強い、くわしく言えば、愛に立脚した力は、憎しみに基づいた力よりも強い、と私は思います。童話的に言えば、太陽は北風よりも強いということです。
 小論文を書くときに大事なのは、問題意識と批判精神です。しかし、その批判精神は往々にして批判的な実例と結びつきます。批判は歯切れがよいからです。しかし、否定的なことを批判する度合いが強くなると、文章のパワーは低下します。読み手は、批判によって動かされるよりも、その文章の中にある愛によって動かされます。
 実例は明るく前向きに、というのは、人生のコツであるとともに、小論文を書くコツでもあるのです。
 明るい実例を生み出すコツは、無意識の時間を明るく過ごすことです。1日24時間の中には、意識して過ごしている時間よりもはるかに多くの無意識のうちに過ごしている時間があります。例えば、台所で野菜を刻んでいる時間、洗濯物を干している時間、布団の中で夢を見ている時間などに、私たちは明確な意識を持たず漠然ととりとめのないことを考えています。そのとりとめのない時間に、怒りや恨みや後悔や不安などをわざわざ思い出している人が多いのです。この意識していない時間の過ごし方が、人生の背景を形成します。
 私が考えた方法は、ぼんやり考えてしまいそうな時間に、「ありがとう」や「うれしい」などの前向きな言葉を口に出して言う習慣を作るということです。心でそう思えなくても、口に出して言っていると、意識は自然にその言葉の内容に向かいます。それを何度も繰り返していると、雨だれが岩に穴を開けるように、言葉が意識を次第に変えていきます。習慣は第二の天性だと言われます。人間においては、生まれつきの性質が影響を持つのは若いうちだけで、第二の天性がやがて第一の天性の何倍もの厚さを形成するようになります。私たちの本質は、生まれつきの過去にあるのではなく、未来に向かって形成される自分の中にあるのです。


■■イキイキとした表現にするために〜会話の工夫〜(ぺんぺん/わお先生)
<<え5652み>>今月の学級新聞は、中・高学年(3〜6年)でもっとイキイキとした表現(ひょうげん)をめざす人のために、特に会話にポイントをしぼって書こうと思います。低学年の人には、まだむずかしいと思うので、学年が上がったらやってみて下さい。

<<え5652み>>作文の中になるべく会話を入れ、会話文の前か後にその言葉を言った人の表情(ひょうじょう)や動作(どうさ)を書く
 会話を入れると、作文がとてもイキイキしたものになります。会話を入れるときに、話した人の様子(ようす)を説明(せつめい)すると、会話をかわしているときのふんいきやその場(ば)の状況(じょうきょう)がたいへんよく伝(つた)わります。
【例】
「これ何(なに)?」
とぼくがいった。
「何(なん)のこと?」
おかあさんが答えた。
「これだよ。」
ぼくがゆびさした先には、やぶけたムシキングカードがあった。
「あ!」
とおかあさんが言った。

<<え5652み>>この文章(ぶんしょう)に話した人の表情や動作を入れて書いてみましょう

「これ何?」
と、ぼくは、むっとした顔(かお)でたずねた。
「何のこと?」
おかあさんは、ゆっくりとふりかえった。
「これだよ。」
イライラしながらつよい口調(くちょう)で答えるぼく。ぼくがゆびさした先には、やぶけたムシキングカードがあった。
「あ!」
おかあさんは、小さな声でさけんだ。その顔には、あせりの表情がうかんでいた。

<<え5652み>>表情や動作を入れることでこの場の状況がよく伝わってきますね。「ぼく」は、おかあさんに声をかける前からおこっていることがわかります。「むっとした顔」でそれが伝わってきます。それに対して、おかあさんはまだ「ぼく」がおこっていることに気づきません。だから、「ゆっくり」ふりかえっています。おかあさんが気づいてくれないことで「ぼく」はイライラしていますね。さいごの「あせりの表情」というところで、おかあさんは、カードがやぶれていることに心当たりがあるということがわかります。

<<え5652み>>会話の前後に表情や動作を入れるだけで、いろいろなことが伝わります。すぐに同じようにマネをするのはむずかしいですが、ちょっとずつ「会話の前後に表情や動作を入れる」ことにチャレンジしてみましょう。作文がレベルアップするはずです。
<<え888み>>


■■「好き」はどこから……(みのり/まこ先生)
 好きなことをいっぱい見つけてほしい。好きなことがあるというのはすばらしい。
 好きなことを書いている作文は、たいていとてもおもしろい。説明や思っていることの表現に自然と熱が入っている。ことば足らずでも文が少しぐらいおかしくても、表せなかったはみ出した思いがなぜかビンビンこちらに響(ひび)いてくるような気がしてくるからふしぎ。
 作文はともかく、楽しそうに好きなことを話してくれる子もいる。そういう話は聞いていてもあきない。その子の「好き」という気持ちが伝わってきて何だかうれしくなってくる。たとえその好きなことが私にはちんぷんかんぷんでわからないことでも、相手を前よりもずっと近く感じられたりする。
 「好き」はどこからくるのかなあ。このごろふと考えるようになった。理由はいろいろあると思う。ほめられたから、人気があるから、かっこいいから、人よりよくできるから……。こういういい理由はわかりやすい。
 ところがちょっとかっこわるいから好き、ちょっとずるいところがいい、まぬけなところがかわいい、というように、その人にしかわからない理由もある。「好き」も奥が深い……。
 理由は、あってないようなものなのかもしれない。「……だから好き」とはっきり言えないものもたくさんある。
 生物学的に考えれば、生きていくために得(とく)になることを好きになるのに違いない。何が得か? それは人それぞれ違いそうである。お金がたくさんもらえることを得だと考える人は、わりと多いかもしれないけれど、時間がいっぱいあるほうがいいと思う人もいれば、おもしろいのが一番と考える人もいないとは言えない。 
 「好き」は自分でもはかり知れない未知(みち)の世界からやってくる宇宙人みたいなものかもしれない。
<<え882み>>


■■どろだんご(モネ/いとゆ先生)
「わぁ、あった、あったよ〜!」
 昨年の3月の次男の卒園式のとき、同行した長男がうれしそうな声をあげました。
 その手には、かさかさに風化したどろだんごが2つ。2年前彼が卒園するときに、大事にしていたどろだんごを、園庭の植えこみのおくのほうにかくしていったのだそうです。
 「2年間、よくだれにも見つけられず、こわれずにいたなぁ。」
長男は、おどろいたようにじっとどろだんごを見つめていました。その目は、幼稚園でのいろいろなできごとを思い出して、なつかしんでいるようでした。

                  <<え2004/620み>>
 
 6月の作文の課題に、「水や土で遊んだこと」いうのがあり、何人もの人が「光るどろだんご作り」について書いてくれました。
 「幼稚園の園長先生と、光るどろだんご作りをした人」、「公園の砂場でどろだんごや砂山などを作って遊んだ人」、「どろだんご作りの名人になって小さな子に教えてあげたいと思っている人」、みんなそれぞれ楽しい思い出をいきいきと書いてくれました。
 先生の家には、「光れ!泥だんご」という本があります。これは、どろだんご作りが大好きだった長男が、幼稚園の先生からプレゼントしてもらったものです。この本には、光るどろだんごの作り方がくわしく書いてあります。

1 どろどろした土をしっかりにぎって、まん丸の土台を作る。
2 かわいた土をふりかけては、やさしくなぞって丸くしていく。
3 少し力をこめて、表面の土をこすっていく。
4 さらさらの粉状の土をかけて、ゴシゴシこする。
5 ビニールぶくろの中で1〜2時間お休みをさせてから、布でこ するとピカピカに光りだす。

 この本にのってる、名人の作ったどろだんごの写真は、まるでまわりの景色が映るほどつるんつるんに光りかがやいています。みなさんも、「今さら、どろだんご作りなんて」と言わないで、ちょうせんしてみてはいかがですか?
 人は、何才になっても、土や水など自然が作ってくれたものを手にすると、ほっと心が落ち着いて元気が出てくるものですよ。

                 <<え2004/204jみ>>
 
 幼稚園で見つけたどろだんごは、また元の植えこみのおくにかくして帰ってきました。幼稚園のどろで作ったどろだんごだから、持って帰ったらかわいそうなのだそうです。今ごろ、どうしているかなぁ、あのどろだんご。


■■ことわざの加工
   <<え321み>>

 小学生高学年の項目表には「ことわざの引用」という項目があります。結論に結びつくようなことわざを引用することで読む人に対する説得力が二倍になるわけです。さらに、高校生になると、「ことわざの加工」という項目があります。これは、ことわざをそのままの形で使わずに、ひとひねりして引用するというものです。ときには強調の思いをこめて、ときには皮肉をこめて、またときにはユーモアをこめて、ことわざを加工します。今回の学級新聞では、このことわざの加工の技をいくつか紹介します。

●「雨降って地固まる」
 このことわざは、「一度ごたごたのあったあとに、かえってよくまとまる。」という意味ですが、これを逆の意味に加工すると、「雨降って地崩れる」となります。ごたごたが続いて、収拾がつかない状況を表すときに使えそうです。

●「案ずるより産むが易し」
 「心配するよりもやってみると、意外にやさしい。」という意味ですが、「案ずるより産むが早し」とすると、心配する間もなく終わってしまったという意味になります。突然やってきた災難がいつの間か過ぎ去っていたというような場合に使います。

●「石橋をたたいて渡る」
 慎重な様子を表すことわざですが、「石橋をたたいて渡らず」とするとさらにその意味が強調されます。また、「慎重さがあだになる」という意味で「石橋をたたいてこわす」と加工することもできそうです。

●「衣食足りて礼節を知る」
 「生活が豊かになって、礼儀にも気を配るようになる。」という意味ですが、生活が豊かになって態度が大きくなってしまう人もいるかもしれません。そんなときは、「衣食足りて礼節を忘れる」と加工します。

●「捨てる神あれば拾う神あり」
 「見捨てられる一方で助けられることもある。」という意味ですが、「見捨てられたり、笑われたりで踏んだりけったり」という意味にしたいときには「捨てる神あれば笑う神あり」とすればOKです。

●「出る杭は打たれる」
 「差し出たふるまいをする者、または頭角を現す有能は者は、他から憎まれたり妨げられたりする。」という意味ですが、「出すぎる杭は打たれない」とすれば、堂々と大きなことをやれば他から憎まれたり妨げられたりはしないという意味になります。

 小学生や中学生のみなさんも、おもしろいことわざの加工を思いついたら、是非作文の中に取り入れてみてください。

                                       <<えa/637み>>
                                    山田純子(メグ)


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