言葉の森新聞2004年6月1週号 通算第841号
文責 中根克明(森川林)

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■■プレ作文検定の締切迫る(6月8日消印まで)
 5.3週号の言葉の森新聞でお知らせしましたが、6.27プレ作文検定の申し込み締切は6月8日です。アンケート用紙にご記入の上、作文用紙とともに担当の先生にお送りください。

■■長文集などで読めない漢字があったとき
 中学生の生徒から、ことわざ集や長文集での読めない漢字の質問がありました。
 読めない漢字があったときは、次のようにしていってください。
(1)まず、身近なお母さんやお父さんに聞いてください。
 お父さんやお母さんは、子供から何かを尋ねられたときは、「自分で調べなさい」などとは言わずに一緒に調べてあげてください。子供が何かを尋ねるときというのは、お父さんやお母さんとのコミュニケーションを楽しみたいということがあるからです。調べた結果、やはりわからなかったというのであればそれでかまいません。調べても見つからなかったということ自体が一つの発見だと考えればいいのです。
(2)漢字和辞典で調べてみましょう。
 お父さんやお母さんが忙しくて質問に答えられないというときは、漢字辞典で調べましょう。そのためにも、家庭では、国語辞典のほかに漢字辞典を1冊用意しておいてください。
(3)インターネットで検索してみましょう。
 インターネットを使える人は、検索サービスを利用しましょう。Googleなどで、読めない漢字と一緒に予想した読み方を入れると、かなり高い確率で読み方のわかるページがヒットします。これは裏技のような調べ方ですが、漢字辞典などで調べるよりもすばやく調べられることが多いと思います。
(4)先生や教室に聞きましょう。
 お父さんやお母さんに聞いても、自分で調べてもわからなかったという場合は、先生や教室に聞きましょう。
 しかし、その場合も、聞き方にコツがあります。
(A)自分で調べてから聞きましょう。
 「自分で調べてみた結果、こうだと思うがいいだろうか」という聞き方をすると、聞かれた先生の方もしっかり答えてあげようという気持ちになります。これは、社会生活をするようになってからも大切な聞き方のコツです。
(B)調べ方を聞きましょう。
 わからないことを聞くだけでなく、どうやって調べたらよいかということも聞きましょう。調べ方がわかると、ほかの調べ物にも生かすことができます。


■■朝の十分間読書運動について
 福島県立石川高校に転任した庄司一幸教諭(49)は、荒れる生徒たちを見て何とかしたいと思い、1996年から朝の十分間読書に取り組みました。最初は「漢字も読めない生徒が本を読むか」という周囲の無理解もあったようですが、実際に取り組んでみると、生徒たちは驚くほど集中して読書をすることがわかり、やがて校内も落ち着きを取り戻していきました。
 その後、朝の十分間読書運動は発展し、現在、全国の小中高校で取り組まれています。
 この運動の特徴は4点にまとめられています。
1.みんなでやる
2.毎日やる
3.好きな本でよい
4.ただ読むだけ
 この運動を学校として取り組んでいるところでは、どこも生徒が見違えるほど本を読むようになるという成果を上げています。
 こういう運動ができるということが、学習塾などにはない学校の利点です。つまり、学校という組織は、すぐに成果が上がるかどうかわからないようなことも運動として取り組むことができるのです。これは、運動会や遠足などの行事についても言えます。
 ところが、この朝の十分間読書運動を始めた当の先生たちは、この運動の限界を感じ始めています。学校によっては、朝の読書運動を始めてしばらくしてから、週に1回は朝の読書ではなく朝のドリルにあてるというような取り組み方をしているところも出ているようです。なぜでしょうか。
 この運動のいちばんの長所は、「みんなが、毎日、好きな本を、ただ読むだけ」という単純なところにありました。しかし、数年たつと、その単純さが逆に弱点になってくるのです。だれかが、「こんな単純なことつまらない」「飽きた」などと言い出すと、ほとんどの人がぐらつきはじめます。
 単純さを解消するために、先生によっては、読書カードを作ったり、読んだ冊数のグラフを作ったり、読む本を指定したりというような工夫をする人も出てくるでしょう。すると、運動は次第に複雑になります。やがて、そんな複雑にやるなら、ドリルをやらせた方が手間がかからなくていいという発想になってくるのです。
 朝の読書運動を継続させるためには、単純なままやり続けるのだという筋金の入った指導者が必要です。
 しかし、実は、この朝の読書運動のようなことは、本来家庭でやることなのです。家庭こそは、すぐに成果が出るかどうかわからないような単純なことを単純に継続させることのできる最強の場所です。しかし、もちろんここにも、単純なことを単純なままやり続けるのだという筋金入りの親の存在が必要です。ところが、現代の親の多くは、子供に「こんなの飽きた」「つまらない」と言われると、すぐに目先を変えて工夫をしようとしてしまうのです。
 家庭で子供に読書をさせる基本は、「本は必ず毎日読もう」という方針を継続することです。その単純さが幹の部分で、子供が喜んで読むような本を探してくるというのはそのあとの枝葉の部分です。多くの家庭では、枝葉の部分に先に目を向けてしまうのです。
 ここで言葉の森が登場します(笑)。言葉の森でも、子供たちにどのように読書をさせるかが悩みの種です。しかし、今後の作戦の方向は考えています。それは、読書と作文を結びつけることです。
 人間が単純なものに飽きるのは自然の現象です。単純なものを継続させるためには、単純な反復と思われていたものの中に実は進歩の喜びがあったのだと本人が自覚できるようにすることです。
 言葉の森の長文集は、まだ感想文の課題としてしか使っていませんが、将来は作文の材料そのものも長文集の中から見つけるという形に発展させていきたいと思っています。更に、読書実例などで、読んだ本を自分が書く作文に生かすということができれば、本を読むことが進歩につながるという実感を持ちやすくなります。
 しかし、こういうサイクルができるようになるためには、言葉の森の作文指導が、言葉の森という小さな教室の範囲だけでなく、より広い日本文化の中で位置づけられる必要があります。そのために、言葉の森では、作文検定を広く普及させていきたいと考えています。


■■父母の広場から

親が状況や真意を補足した方がよいか(幼長父母)
 まだ思ったことを上手に表現できず、作文を読んだだけでは伝わらないことも多いようです。言葉の手直しなどは、親はせずにおきたいので、状況や真意など別紙に補足した方がよいでしょうか。

指導の参考になるので(教室から)
 補足説明を別紙に書いていただくと、先生の方でも次の指導の参考にできると思います。ただし、あまり負担にならないような形でお願いします。

温かい先生の言葉で続いている(小3父母)
 我が子は、作文が苦手ですが、温かい先生の言葉でなんとか続いています。ありがとうございます。
 ほめるというのはむずかしいんですね。


ほめて励ます方が成長する(教室から)
 ほめやすさという点で言えば、両親よりも、他人の先生の方がいいところを見つけてほめやすいという面はあります。
 子供でも大人でも、いいところを見つけて励まされる方がずっと意欲的に取り組めます。しかって直す方が即効的な気がしますが、長い目で見ると、気長にほめて励ました子の方が成長するようです


■■題材は自分の周りに(イルカ/かこ先生)
 ついこの間まで寒さで震えていたのに、今はさわやかな風が吹いて、まるで初夏のような陽気になってきました。新学期が始まって一ヶ月、そろそろ疲れが出てくるころだと思いますが、みなさんは元気に学校へ通っていますか。新しい先生、新しいお友達とも仲良くなれたかな? 中学一年生になった人は、部活を何にしようか迷っているのではないかな。小学校四年生の人は委員会やクラブに参加できるようになって、高学年の仲間入りを実感しているのかもしれませんね。みんな一つ学年が上がって、お勉強も少し難しくなったことでしょう。え? そうでもないって? それはすばらしい! 
<<え1457み>> ところで、もうじき待ちに待ったゴールデンウィークですね。ゴールデンウィークは作文の題材の宝庫です! 今年はどこに行くのかな? 動物園、遊園地、ディズニーランド、公園、ハイキング、それぞれに計画があると思います。たとえば動物園に行ったら、動物の姿はまるで○○みたいだなあ、何を考えているのかなあ、わたし(ぼく)がこの動物だったら何をするのかな、などと思ったりすることができますよね。
どこにも行く予定がない、という人もいるかもしれませんね。でも、「どこにも行かない」こと自体が題材となることもあります。どこにも行かない時の気持ちはどんな感じかなあ、と考えることもできますね。やっぱり一日一回は外に出たくなるんだな、と気づいたりすることもできるかもしれません。あるいは何も予定がない時こそ、読書を楽しむということもできます。本を読んで、空想の世界を楽しんでみたりしましょう。
 お出かけする人もしない人も、身近なところで題材を見つけてみましょう。これから遠足や運動会など、学校の行事もたくさんあると思います。何かがないと書けない、というのではなく、題材というのは自分の周りにたくさんころがっているものです。たくさん体験して、いろいろな気持ちを味わってください。そうすれば自然と題材を見つけることができるようになると思いますよ。
 先生もゴールデンウィークにどこかへ行こうかなあ。
                                  <<えa/364み>>


■■『14歳からの哲学』と「オウム」と「考える力」(ほたる/ほた先生)
 『14歳からの哲学−考えるための教科書−』(池田晶子著・トランスビュー社)という本があります。私は理系でしたので、大学の教養部で哲学の授業をためしにのぞいたとき、先生が「ここにあるテーブルは、本当にそこにあるのか。」などという話をしていて、「うわっ。テーブルなんだから、あるに決まってるじゃん! 全然訳がわからん!」という大変素直な(?)感想を持ち、「哲学は小難しくて、訳わからないもの」と決めて、その授業も取らず、それ以来近づくこともなく生きてきました。でも、さすがにこの年になると、「少しはいろいろ知っておかないと」と思い、「14歳からの」なら、私にもわかるかも、と思ってこの本を読みました。
 結論から言うと、この本は、一応「14歳からの」となっていますが、大人が読んでも十分内容が濃く、奥深いものです。正直に言うと、一部、現在の私でも理解しがたい部分もあります。しかし、全体を通じ、「考える」ということがどういうことなのか、そして、「考える」ことができる人間とはどういうものなのか、ということが、比較的易しい言葉で、繰り返し語られています。
 話は少し飛びますが、今から9年前の1995年3月20日朝、地下鉄サリン事件が起こりました。(生徒の皆さんは、まだ生まれていなかったり、とても小さかったりして、覚えてはいないでしょうけれど。)私も当時横浜に住んでいて、夫があの事件のあった地下鉄の路線を利用していました。もしももう少し早く電車に乗っていたら、危ないところでしたので、とても人ごととは思えませんでした。
 そのサリン事件に関わったオウム真理教という宗教団体に、とても優れた医者や、弁護士や、科学者の若者がいたことに、世の中の人々がとても驚きました。本当なら、人を助けるはずの医者や弁護士が、何の落ち度もない人々を殺す側に回ってしまったのです。事件についてのテレビ番組を見ていて、私は、「ああこの人たちは、『考える力』を伸ばしてこなかったんだな」と思いました。
 彼らは、学校の勉強、特に数学や、理科はとてもよくできる人たちです。数学や理科では、問題には、必ず答があります。「絶対的真理」だといわれている事実があります。彼らは、たぶん、「人間は何のために生きているんだろう」というような問いにぶつかったとき、おそらく、数学や理科と同じように、「絶対的真理」である答を求めたのでしょう。そして彼らにとっての答が、「オウム」の中にあったのでしょう。でも、そんな答は、本当は「ない」んです。

 「人が信じるのは、考えていないからだ。きちんと考えることをしていないから、無理に信じる。盲信することになる。」
「勉強するということと、考えるということは、必ずしも同じじゃない、ある部分では、見事に正反対のことがあるんだ。」
「考えるということは、答を求めるということじゃないんだ。考えるということは、答がないことを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。」

 ……『14歳からの哲学』の中の文章です。ある意味、作文というのは、「自分の心で、自分の言葉で考える」ための訓練です。「考える力」=「生きる力」をつけるために、是非言葉の森でトレーニングを積んでいって欲しいと思います。

  <<えa/2357み>>



■■「言葉」について(しろ/しろ先生)
 今回の学級新聞では言語文化学科出身らしく(笑)、「言葉」について書きたいと思います。全く学問的なことではなく、先生の身近な話を書いてみます。

 先生には、もうすぐ四歳と三歳になる年子の男の子がいます。二人とも男の子らしくとにかく元気なのですが、最近言語の発達において驚かされることが多いのです。

 「この部分はどうしてこうなっているのか、確認してみないと分からないよね。」
 「水滴が付いているから、乾燥させてよ。」
 「これ何だか故障しているみたいだよ。修理に出さないといけないね。」

 と、まあ二人とも久米宏さんのように(笑)早口でこのようなことを言うのです。「部分」「確認」「水滴」「乾燥」「故障」「修理」など、一体どこから覚えてきたのだろうと不思議に思い、主人に聞いたところ、どうも原因は私だったようです。小さな子どもに対してというよりはまるで大人と話すように、彼らに普通に話しかけていたことに今更ながら気付くこととなりました。それが良かったのかどうかは、うちの子供たちがもう少し大きくなってからでないと判断できませんが、子どもの模倣と応用力には驚きを隠せません。

 人間の五感の中で最も早い段階で発達するのは「聞くこと」だと言われています。みなさんが最初に言葉に触れたのは、きっとお母さんのお腹の中にいたときでしょう。

 「作文、上手く書けないな。どうすれば上手に書けるのだろう。」そのようなことで悩んでいたら、まず言葉に触れることをお勧めします。大人の会話をじっと聞いてみる、たくさんの本を読むなど言葉に触れる方法はたくさんあります。「覚える」のではありません。ただ、「触れる」のです。それを何度も何度も繰り返していくうちに、いつかその言葉が自分の一部となって口から自然にあふれ、文字となって自筆の中に登場するようになるはずです。

 先生の家には今、大分県からおじいちゃんおばあちゃんが遊びにきています。順応性抜群の彼らは、もうすっかり大分弁です(笑)。
 「まま、これ なおさんと いけんね。(まま、これ片付けないといけないね。)」


■■『好きなこと、ありますか?』(みのり/まこ先生)
 あるとき、突然生き生きとした作文を書いてくる生徒がいます。

 これは、ふだんから作文を書くのが得意(とくい)な子にかぎりません。そんなときは、とてもうれしくなってしまいます。私の説明がよかったなんて、とうてい考えられません。

 生き生き作文に共通していること、それは本人が好きなことや興味のあることについて書いていることです。サッカーや野球といったスポーツのことやおもしろいと思った虫やまんがのことを書いているものもありました。
 ところが、いつも好きなことを書く課題ばかりではありません。でも、いつも心のどこかにそういった好きなことがある生徒は、どんな課題の作文であってもそれがいろいろな形で顔を出してくるみたいです。「がんばったこと」「しっぱいしたこと」「はずかしかったこと」のすべてが好きなスポーツと結びついている子もいました。

 こんな話をすると、「私には、とくべつ好きなものがない。」とがっかりしてしまう人も多いと思います。でも、心配しないで。たぶん、まだそういうことに出会えていないだけだと思います。
 大好きなものを一つだけ見つけて、それにうちこめる人の方がめずらしいと思います。おもしろいかどうか、それはやってみないとわかりません。だからいろいろなことにチャレンジしてみるのはいいことです。大好きなことがいっぱいあるのもすてきです。夢中になれるような好きなことに出会うために、一生懸命になることが大事だなあと思っています。人生は、終わりまで好きなものをさがす旅かもしれません。
<<えa/2796み>>


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