言葉の森新聞2002年11月1週号
文責 中根克明(森川林)

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■■11月4日(月)は休み宿題です
 11月4日(月)11.1週は、休み宿題となります。通信クラスは、担当の先生からの電話がありません。通学クラスは、教室が休みになります。この日に授業のある生徒のみなさんは、ホームページの「ヒントの池」(http://www.mori7.com/mine/ike/iike.html)などを参考に、その週の課題を書いてきてください。休んだ分をほかの日にふりかえて受講することもできます。

■■読点の打ち方
 読点の打ち方に質問がありましたので、説明します。
 読点の打ち方には、まだ規則として確立しているものはありませんが、次のように考えておくとよいでしょう。
1、「は」:主語のあとに打つ(「は」や「も」のあとです。ただし、「が」のあとには打たないほうが自然です)
2、「そ」:接続語のあとに打つ(「そして」「しかし」「だが」などのあとです)
3、「か」:会話の前に打つ(新聞など、字数を節約する必要のある文章では打たないこともあります)
4、「と」:時を表す言葉のあとに打つ(「○○したとき」や「日曜日に」などのあとです)
5、「と」:「と、○○が言った」のように、「と」と「言った」の間に言葉が入るときに打つ
6、「の」:条件を表す語句のあとに打つ(「○○したので」「○○したら」「○○したから」「○○すると」などのあと)
 「はそかととの」と覚えておきましょう。(覚えなくてもいいけど)
 しかし、このとおりに全部打つと、読点が多すぎて読みにくくなることもあります。そのときの目安として、「句点一つに、読点は一つか二つ」ということを目安にしていくとよいでしょう。
 ただし、以上の説明は、小学校低学年では理解が難しいので、低学年のころは、「『は』のあとには打つ、『が』『の』『を』のあとには打たない」と教えてあげるとよいと思います。
 どういう規則にも例外がありますが、小学校低学年では「例外もある」ということを教えると子供が混乱します。低学年のうちは「こういう規則がある」というかたちで教えておく方がいいようです。


■■低学年の作文指導――まず楽しく、そして正しく――
 小学校の低学年では、何しろ楽しく書くことが大事です。
 よく、作文指導の熱心な先生が担任になると、そのクラスだけ作文嫌いの子が増えると言われています。
 低学年のころの作文は、表記のミスがたくさんあるのが普通です。しかし、それは、特にその場で直さなくても、子供が年齢に応じた読書をする中で自然に正しい表記に直っていくものです。
 例えば、1年生の最初のころには、「ぼくわ(は)」などと書く子がかなりいます。普通の親や先生は、こういう表記ミスを見ると、その場で注意をします。そうすると、子供は、「せっかくがんばって書いた努力の99%の方は無視されて、たった1%の表記のミスの方だけをわざわざ取り上げて注意された」という感覚を持ちます。
 こうして、熱心な大人の指導のせいで、子供が作文嫌いになっていくのです。
 いちばんいい直し方は、作文の方は中身のいいところだけをたっぷりほめて、その一方で、読書や長文音読や短文暗唱をしっかりさせることです。子供は、正しい文章を読む中で自然に正しい表記に直っていきます。
 しかし、厳密に言うと、全く注意をしなくて済むということではありません。注意をすることで早めに正しい表記に直るということはあります。しかし、表記の注意をするときは、いいところをたくさんほめたあとに、ひとことだけふと思いついたように注意をするという配慮が必要です。読書や長文音読など読みの練習ができている子は、ひとことの注意ですぐに正しい表記が定着します。逆に、読みの練習の不足している子は、何度注意をしても同じ間違いを繰り返します。この場合でも、大事なのは注意の方ではなく、読みの練習の方にあります。
 低学年の勉強では「楽しく」が重点ですが、先生の意識の上では「楽しく」と「正しく」が同じぐらいのウェイトで考えられていなければなりません。しかし、その「正しく」を子供にストレートに要求するのではなく、子供自身は「楽しく」勉強しているつもりで、自然に正しい書き方も身につけていくという指導の工夫が必要になってきます。

-pb-


■■中学年の作文指導――表現の工夫で、面白く――
 中学年は、表現力が伸びる時期です。読書もぐんぐん進み、たとえなどもさまざまに工夫したものが生まれてきます。日常の題材選びでも、できるだけ面白いものを選ぶという意識が出てきます。
 こういう時期の子供の意欲は、字数の長さというかたちで表われてきます。しかし、字数が長くなると、中心が決まらなくなり、朝起きてから夜寝るまでの話を延々と書くようなスタイルになりがちです。
 よく、こういう子供がいます。「三日間、出かけたことを書くけど、一日目のまだ自動車に乗っているところまでで、もう○○字も書いた。この調子だと三日分で○○字まで行きそうだ。ようし……」。(笑)
 字数が長くなると、中心が決まらなくなるだけでなく、誤字や表記ミスも増えてきます。すると、普通の大人は、長く書いた意欲の方をほめずに、増えたミスの方だけをまず指摘します。そうすると、子供は再び、「せっかくがんばって書いた努力の99%の方は無視されて、たった1%の表記のミスの方だけをわざわざ取り上げて注意された」という感覚を持ちます。がんばって書いたときほど落胆は大きく、それから作文が嫌いになるという子もいます。
 こういうときに、大人はどのように対処したらいいのでしょうか。対処の仕方は単純です。子供と同じレベルに立って、「わあ、すごい。こんなに書けたんだ。これは最高記録だね!」と喜んであげればいいのです。単純。(笑)
 長く書く力は、それなりに大事なものです。しかし、それ以上に長く書こうとする意欲を高く評価してあげる必要があります。そして、その意欲をそのまま長さの方だけに向けさせるのではなく、表現の工夫の方に向けさせるというのが中学年の作文指導のポイントです。
 中学年のころは、「書き出しの工夫」、「たとえ」、「いろいろな言った」、「ですます」、「声顔動作の様子」、「結びの工夫」など、表現のさまざまな工夫ができる時期です。字数の長さを評価するとともに、表現の工夫を指導し、その表現の工夫ができたときにも同じように評価してあげると、子供は次第に字数よりも表現の工夫の方に関心が向くようになります。そうすると、いたずらに長さだけを誇る作文から、表現の工夫も入れた読みごたえのある作文が書けるようになってきます。
 しかし、この場合も、表現の工夫の基礎となる読みの練習が不十分なままだと、毎回同じありきたりの「たとえ」が続くような書き方になってしまいます。読書、長文音読、短文暗唱で語彙の力を増やしながら表現の工夫をしていくという両輪の学習が必要です。
 中学年でよくできる生徒の場合、表現の工夫も字数の長さも充分にできるので、もっと先の勉強に進みたいという希望を持つ子がたまにいます。しかし、次に述べる高学年の「構成を考え、主題を深める」という指導は、年齢的な成長を待たないとできません。作文の勉強は、先取りをするよりも、その年齢に応じた課題を充分にこなしていくことが大事です。


■■高学年の作文指導――構成を考え、主題を深める――
 高学年になると、子供の知的能力に、ものごとを構造的にとらえるという力が備わってきます。これは年齢に応じて成長する能力なので、早期教育で早めに身につけるということはできません。
 構成を考えることと主題を考えることはセットになっています。例えば、「私の家族」という題名で書く場合、主題として、「家族とは人間にとって、いちばん心が安らぐ場である」というような一般化された意見が先に考えられます。その主題に応じて、自分の家族のことを書くのはもちろんですが、ほかの家族、家族のない子供、動物の家族など、話題がさまざまに広がっていきます。それらの広がった話題をひとつの主題でまとめるために、構成を考えるという知的な作業が必要になってくるのです。
 実際には、小学校5・6年生で、このような順序で構成を考えて書ける子はあまりいません。ほとんどの生徒は、家族に関する実例を先に複数書き、それらの実例をあとからひとつの一般化した主題でまとめるという書き方をしています。しかし、このような構成と主題をセットにした書き方を練習する中で、次第に、実例よりも主題を先に考えるという書き方が身についていきます。
 「家族とは人間にとって……である」という抽象的な考え方は、高学年にならないとできません。中学生になると、この抽象的な思考が更に発展して、「ひとつの意見を複数の理由で書く」という書き方になってきます。この場合も、抽象的な考え方のできない生徒は、理由というかたちで書くことがなかなかできません。
 抽象的な考えをする能力は、抽象的な語彙を駆使できる能力です。それは、そういう語彙のある長文音読・短文暗唱をする中で育ちます。小学校高学年や中学生が普通に読む本で、そのような抽象的な語彙の使われているものはほとんどありません。「ハリーポッター」は面白い本ですから、大いに読んでいくべきですが、「ハリーポッター」を読むことで国語の成績が上がるわけではありません。まして、高学年から要求される抽象的な思考力を必要とする作文が書けるようにはなりません。
 では、抽象的な語彙を身につけるにはどうしたらいいのでしょうか。(つづく)

-pb-


■■光る表現(幼長−小2) 2002年11月1週号

ななみさん(いまの/幼長)の作文より(メグ先生/10.3週)
 木のくずがさらさらでふりかけみたいでした。【評】たとえがつかえたね。「さらさら」とくりかえすことばのつかいかたもじょうずです。

耀子さん(いむか/小1)の作文より(メグ先生/10.3週)
 (おりがみで)ハートのかんむりときつねをつくりました。まるでほんもののきつねの口みたいに口がぱかぱかうごいていました。【評】たとえも上手だし、「ぱかぱか」というくりかえしのことばをつかったところもいいですね。

ちーちさん(いりつ/小1)の作文より(あかね先生/10.2週)
 (おかあさんがしごとにいくときは)「いってらしゃーい」といいます。どうしてかというと、なんか、でかけるまえのいいきぶんがすごくいいきぶんになるとおもうからです。(評)おかあさんのことをおもうやさしいきもち、とてもよくひょういげんされているよ。

オーロラさん(ううう/小1)の作文より(けいこ先生/10.3週)
 (しながわすいぞくかんで)いちばんたのしかったのは、ふれあいすいそうのヒトデをさわったことです。すいそうのみずはとってもつめたくて、てがじーんとしました。ヒトデははじのほうがギザギザしていたけど、まんなかのほうがつるつるすべりました。 評:「ジーン」「ぎざぎざ」「つるつる」が入って、ようすがよくわかるせつめいになったね。

雄一さん(ううよ/小1)の作文より(うさぎ先生/10.4週)
 ファックスは、まるでごうそっきゅうみたいな手がみとおもいました。【評】うまいたとえの表現です。はっと思いついた言葉が、何よりも驚きを伝えていますね。

カムイさん(いぬや/小2)の作文より(なび先生/10.3週)
 「やったぜ、イェーイ!」と手を上にやりながら、回れ右をしてさけびました。あの時は、まるでワールドカップのけっせんにかったようなよろこびでした。【評】サッカーをやる人にとってさいこうのよろこびの表現ですね。

わか島津さん(いよね/小2)の作文より(メグ先生/10.3週)
 リスザルは速くて速くてまるでロケットのようでした。【評】リスザルのすばしこいようすをロケットにたとえたところがうまいよ。

一ちゃんさん(いりみ/小2)の作文より(はるな先生/10.3週)
 わたしたちのひくかぜも血の中の白血球がたたかってくれるということをきいたことで、よく分かりました。【講評】風邪(かぜ)と、血液のなかの白血球(はっけっきゅう)についての因果関係(いんがかんけい)のお話は、「びょうきのばいきんがはいってくると、血は、それをたべてしまいます」という長文の内容を具体的にわかりやすく説明しているので、とてもよかったです。

さくらさん(いるか/小2)の作文より(ひまわり先生/10.3週)
 (おかあさんに犬のつなを持ってはいけないと言われたのにもってしまい、つなが手からはなれて…)あみはどんどんむこうの方に行ってしまって帰ってきませんでした。わたしは心の中でお母さんが行ったことをまもればよかったとさけんでわーわーなきました。つぎの日もそのつぎの日もみんなでさがしまわりました。【評】かなしかった気もち、よく思い出して書いたね。あみちゃん、見つかってよかったね!

博さん(いろみ/小2)の作文より(メグ先生/10.3週)
 そのあとトンネルをほるきかいを見ました。そのきかいは、大がたトラックぐらいの大きさでした。【評】「〜ぐらい」ということばをつかって、大きさをあらわすことができたね。

王手!さん(うあち/小2)の作文より(スズラン先生/10.3週)
 きゅうしょくとうばんは、まるであそんだときのようにとても楽しかったです。でも、とてもつかれました。:評:給食の牛乳やいろいろなものを配ったりするので、楽しいけれどつかれたというのもわかりますよ。ごくろうさまでした。

ロナウドさん(ういひ/小2)の作文より(まあこ先生/10.3週)
 ぼくが一番強いと思ったのはドラゴンズです。なぜ強いと思ったというとボールをとったらすぐフェイントをだしてきます。【評】ドラゴンズはてごわいね。「強いんだな」ということがつたわるように書けたね。
-pb-


■■ 光る表現(小3) 2002年11月1週号

由華さん(いはこ/小3)の作文より(スピカ先生/10.2週)
 本当にきんちょうしました。けれど、うまくいってよかったです。まるで風せんに入っている空気が一気にぬけたようでした。 評:音楽の発表がうまくできて、それまでのきんちょうかんがゆるんだしゅんかんを、とてもじょうずにたとえられました。

慈奈さん(いほて/小3)の作文より(きりこ先生/10.1週)
 秋が体中につたわったよ(題名)<素敵な題名ですね。>

とねちゃんさん(いほに/小3)の作文より(メグ先生/10.2週)
 ○はぼくにとってすてきなものです。また○をもらいたいなとこのごろ思っています。【評】つうしんぼの○がふえるとうれしいよね。

花菜さん(いほふ/小3)の作文より(ふじのみや先生/10.2週)
 (キャンプファイヤーの火は)まるでドラゴンのように口を開いているみたいです。 【評】いきおいのあるようすが、ドラゴンのように見えたのですね。

俊貴さん(いほゆ/小3)の作文より(メグ先生/10.2週)
 さいしょは、ジェラシックパークののりものにのりました。まっているときは、すごくこんでいて、心がどきどきしました。おちるところを見て、目玉がとび出ました。【評】俊貴くんのどきどきはらはらする気持ちが伝わってくるよ。

さとしさん(いらあ/小3)の作文より(メグ先生/10.2週)
 さいごに「よくがんばったね。これからもがんばってね。」とねんをおされました。【評】「言われました」ではなく、「ねんをおされました」としたところがうまい。

まーたんさん(いりゆ/小3)の作文より(うさぎ先生/10.1週)
 今年のおばあちゃんのクリは、小さいクリばかりでした。でも小さいクリだけど、おばあちゃんのあいじょうと、あまいあじが、ぎっしりつまっていて、とてもおいしいです。【評】おばあちゃんが心をこめて送ってくれたクリを、愛情もいっしょにうけとっています。やさしさがいっぱいです。

英慧さん(いれり/小3)の作文より(メグ先生/10.2週)
 すると、となりの人が「すごくうまかったぞ。」とびっくりしました。次にその子の番がきて、その子も合格しました。「すごいよ。」とぼくもびっくりしました。【評】「言いました」をつかわずに会話を書くことができたね。

風花薫さん(いろほ/小3)の作文より(ゆうこ先生/10.1週)
 (干潟に)「でもはじめて入るんだからがまん。」とわたしは言いました。その子はこくんとうなずきました。がまんしてみるとカニがいっぱいいました。「トビハゼもいますか。」と聞くと「トビハゼはカニとちがってハサミもないし土と同じ色だから見つけにくいよ。」と言われたのでちょっとがっくりしました。だけどカニを三びきつかまえられたのでとってもうれしかったです。【評】こくんとうなずき……、がっくりして……、とってもうれしかった。豊かな表現力です。

新野三平さん(うあは/小3)の作文より(うさぎ先生/10.2週)
 日本のけまりのほうがイギリスの大将の首を切ってけるのより優雅で、ざんこくじゃないと思います。【評】聞いた話、調べた話から、自分らしい意見を述べることが出来ました。

たぬきさん(うあふ/小3)の作文より(スズラン先生/10.1週)
 お母さんは、「秋刀魚は体にいいし、頭もよくなるんだよ。」秋刀魚がえらいのに、なぜ、お母さんがとくいそうに言うのだろう。:評:お母さんは、きっと、秋刀魚の本当の力を知っているのでしょうね。

たぬきさん(うあふ/小3)の作文より(スズラン先生/10.2週)
 キャンプでは必要な物が多かったため、リュックサックに入れるのも大変でした。リュックをしょってみると、とっても重くて、よろよろしましす。まるで、大きな岩をかついだようです。:評:重いリュックを背負ったようすが見えるような上手なたとえですね。
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■■ 光る表現(小4) 2002年11月1週号

ナオさん(あわも/小4)の作文より(スズラン先生/10.2週)
 六年生の団長が、「これから、C組みのおうえんを始めまぁす。」(ぼくたち)「オーーーーー」(団長)「一拍子。そ―れ! ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、オーーー。」:評:調子よく、みんなそろって気合が入っていますね。運動会も応援があってがんばれそうですね。

ハリー・ポッタさん(ありる/小4)の作文より(ゆうこ先生/10.1週)
 えさを毎日かえるのは、大へんだけど、夜、いい声でないてくれます。だから、えさをあげるかいがあります。コオロギは、わが家の秋のBGMです。(題名『秋のBGM』)【評】季節を感じさせてくれる作品になりました♪

ラーメンさん(いおら/小4)の作文より(ふじのみや先生/10.1週)
 (一輪車の)コツは、バランスを取っていくことです。ヨロヨロと乗るすがたは、まるで、赤ちゃんのようです。 【評】歩き始めの赤ちゃんと結びつけたのね。アイデアが生きた「たとえ」です。

アッキーさん(いそか/小4)の作文より(メグ先生/10.3週)
 お米は、まるで神様のように大切です。なぜかというと、お米は、食べものの中では、おせんべい、おかしなど、家の中ではタタミなどにつかわれているからです。【評】お米はいろいろなところで役に立っていますね。

くにさん(いのか/小4)の作文より(ぱんだ先生/10.3週)
 これから僕たちも昔を作っていきます。そして、それを僕の子どもに話してあげたいです。今、僕はなつかしいと感じることがすでにあります。僕の子供に話してあげることがよいことでいっぱいになるようにしたいと思います。◆評:自分の毎日が歴史になることを意識して、毎日を一所懸命がんばろうとする気持ちにあふれているところがとても素敵です。

あやめさん(いふし/小4)の作文より(ひまわり先生/10.3週)
 戦争中は食糧がなくなり、お米は配給制だったそうです。おじいちゃんは私より小さい時に、自転車で転びながらも親せきの家までお米を取りに行ったそうです。たいへんだったのだなぁ、と思いました。 【評】おじいちゃんに貴重なお話が聞けたね。聞いた話をしっかりと書けました。

イルカさん(いゆり/小4)の作文より(みち先生/10.2週)
 「やった、やったぁ。またさきちゃんとつんちゃんといっしょのクラスだぁ」(中略)生まれた日もいっしょで、Bがたも、もちろんおひつじざもとりどしもいっしょだからです。まるで、つんちゃんとわたしは見えない糸で、昔からつながれていたようです。【評】驚きが伝わってきます。こんなに同じことが合っていると、見えなかった糸が見えてきたのでしょうか。想像力を働かせて楽しんでみてね。

玲さん(いりて/小4)の作文より(はるな先生/10.3週)
 父や母の給料は、今はお金だが、昔はお米で計算されていたので、今とは全然ちがっていてとてもびっくりしました。・・・・中略・・・一人扶持とは一日五合という計算だったので、それほどに、一日に食べる量がおおいんだなあとわかり、びっくりしました。これからは、わたしたちももっとお米を大切にしないと昔の人に悪いなあと思いました。【講評】今はお金で給料が支払われているのに、江戸時代には米の石高と「○○人扶持」で計算されていたということにおどろきを感じた様子を、自分の身近な事例から説明しているところがたいへんよかったです。<<絵382実>>日本人の生活にとってお米は、どんなに大切かということを再認識(さいにんしき)できて、本当によかったですね!
-pb-


■■ 光る表現(小5) 2002年11月1週号

おしゅこしゅさん(ういな/小5)の作文より(なび先生/10.2週)
 スーパーボールみたいに気持ちがピョンピョコピョンピョコ飛びはねていつまでもプンプンしてしまうのです。【評】行き場のない怒った気持ちがはねているようすがよくわかりますね。

のほほんダルマさん(いやる/小5)の作文より(はるな先生/10.1週)
 先生にも「人生が変わるよ」と、言われ勇気を出してさわってきた。するとどうだろう。なんかとても気持ちがよくて、おなかの辺りとくぼみの辺りがとてもやわらかく、まるで牛肉のあぶらのようにやわらかかった。私は、心の中で「カエルはよくみると、かわいいかも。それに、この感覚、たまらな〜い」と思った。【講評】これまで、かなり苦手だったカエルを手づかみできたいきさつと、初体験の様子が、すごくユーモラスに説明できました。先生に促されて(うながされて)びくびくしながらも、思い切ってさわったら、以外に気持ちのいい感触(かんしょく)で、カエルをとても可愛いいきものとして感じることができて、本当によかったですね(^_^)v 「はじめてできたこと」の題名課題にぴったりの優れた内容でした。先生のセリフも、なかなかおもしろい!!

ともっちさん(いえさ/小5)の作文より(けいこ先生/10.3週)
 例えば、道具だったら機械で作らなければならない。クギなんて、みんな形や大きさがバラバラだったら、話にもならない。手作りは、世界に一つしかないし、それぞれに愛嬢がこもっている。手さげやぬののものは、手作りがいい。それぞれ、……は機械、……は手作りと分けていってもいいかもしれない。 評:機会作りと手作り、それぞれにいいところと悪いところがあるものね。どちらか一方ではなく、いいところをうまく取り入れようという姿勢がすばらしい。

花織さん(いなも/小5)の作文より(ももんが先生/10.2週)
 ボールをころがしたら、やっぱり右に行ってしまった。不思議だな。まるでじしゃくにひっぱられてるみたいだな。【評】博物館で目に見えない大きな力(地球の自転)を体験してきた花織ちゃん。よいたとえが入りましたね(^o^)。

まりさん(いにほ/小5)の作文より(クマのプーさん先生/10.2週)
 あやまる時やお礼を言う時も相手はこちらの気持ちもわかっているのだがやはり、言葉でたしかめたいのだろう。だから、言葉は、気持ちのし上げみたいなものだろう。〔評〕題名にもなっている「言葉は気持ちのし上げ」ですが、言葉のもつ役割をうまくとらえた表現ですね。

にゃむさん(いひむ/小5)の作文より(うさぎ先生/10.3週)
 こういう物は、たぶん、下手とか上手とか、見た目じゃなくて、その一つの「物」にこめられた「気持ち」の大きさだとおもう。【評】自分で物を作るときの価値について、自分の意見がまとめられました。

昌尭さん(いよあ/小5)の作文より(はるな先生/10.3週)
 ぼくも、やはり手仕事は守るべきだと思う。機会ばかりにまかせていたら、働く人のよろこびをうばてしまう。そして、大量生産なら、第一の原因ができたものをそまつにするということだ。手で作れば仕事に喜びがあらわれ、こんどはどうしよう、という発想ができる。日本固有の手仕事を守るためにも、手仕事をそだてていかなくてはならないと思う。【講評】手仕事がどれほど大切であるかということを、誰もが納得できる理由をつけて解説したところがたいへんすばらしい!!「手仕事の育成保護を」というむすびの提案が光っています

海人さん(いらろ/小5)の作文より(クマのプーさん先生/10.3週)
 でも、あの切干大根は、機械で作っている。煮た味はお母さんの味だけど、合体しておいしかった。〔評〕機械で作ったものは味気ないし、心がこもっていない、と後半で指摘しているのに先立って、手作りの良さを具体的に表すことが出来ましたね。

直樹さん(いろな/小5)の作文より(メグ先生/10.3週)
 僕がこの話を読んで一番悪いと思ったのは人はなんでも機械にたよることだ。それが日本をだめにするのだ。【評】これは力強い意見が書けたね。

ゼロさん(うえお/小5)の作文より(なび先生/10.3週)
 ぼくはこのようなことから、機械などではなく人が一つ一つ手作りで作るものには作った人の心がこもっているため、いつまでも大事にとっておかなければ行けないと思ったし、なによりも機械では作ることのできないなにかが手作りのものにはあるんだなあということがわかりました。【評】作った人の心が感じられるものは、知らないうちに大事にしてしまうよね。それを愛着っていうのかな?
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■■ 光る表現(小6−中1) 2002年11月1週号

DD51さん(あある/小6)の作文より(なび先生/10.2週)
 その親戚の家には、庭のど真ん中に大きなカキの木が植わっている。五〜八メートルはあり、しかもすごく数が多い。これもまた、とーってもあまい。まるでシロップを飲んだようなあまさだ。【評】りっぱな柿の木とその甘さがよくわかりますね。思わずお茶がほしくなります。

友葵さん(あしも/小6)の作文より(ゆり先生/10.3週)
 『笑う』ということは、人間にとって欠かすことのできないものなのだ。物にたとえるなら、不幸なことを吸い込む、『掃除機』であり、また幸福なことを釣り上げる、『釣竿』であるだろう。【評:このまま名言になりそうなうまいたとえだね!】

真樹さん(いよち/小6)の作文より(ゆえ先生/10.3週)
 「アレーこんな実験したっけ!?」 と思った。その問題は、友達に進めておきながら、自分はぜんぜん復習していなかったページに出てきた物だと、テストが終わった後で分かった。◆評◆それは、すごいショックだったでしょうね。自分の運を、友達に全部もっていかれてしまったような気になったのでは?でもきっと、次は逆のことが起きますよ!

さるっちさん(やあ/小6)の作文より(メグ先生/10.3週)
 人間にとって挑戦とは唯一の成功への通り道なのだと思う。【評】幸運は待っているだけではやって来ない。まずは挑戦し、努力することが大切だね。

雅貴さん(あめす/中1)の作文より(ももんが先生/10.3週)
 皮肉な笑いだけでは、 人を楽しませたり、感動させられる作品はできないと思う。【評】先生も賛成です!(^o^)/

ALO-HAさん(あるわ/中1)の作文より(ひまわり先生/10.2週)
 『ニュートンのりんご説』だってニュートンがりんごが下に落ちるという事を不思議に思わなかったら今ごろ「引力」は発見されていなかったかもしれない。知りたいとか、やりたいという「意欲」がなければ人間、何に挑戦しても上手くはいかないと思う。  【評】不思議に思うこと、不思議なことを知りたいと思うこと、この両方が大切なのだね。

宏一郎さん(いてほ/中1)の作文より(メグ先生/10.2週)
 「夢があるから行動するのではなく、行動するから夢は生まれる」とあるように「ふしぎ」があり、それが発見となりそれをさらに知りたくなってまた「ふしぎ」が生まれる。だから「ふしぎ」はなくてはないと思った。【評】ふしぎに思う気持ちが私たちを成長させているのかもしれませんね。

恭平さん(いむみ/中1)の作文より(うさぎ先生/10.3週)
 この未来は空想上の未来である。ただし、このような世界がもし来てしまったら、どうなってしまうのか?科学は人を助けるためにあるはずなのに、それが最近ダメなものとなっている気がする。【評】長文の内容をうけて、自分の意見がしっかり述べられましたね。危機感をもったところがいいね。

ITIさん(いやは/中1)の作文より(まあこ先生/10.3週)
 第一の理由にスプレーがある。これは、とても便利で、殺虫剤などもスプレータイプのものがあるが、発射するために必要なフロンガスがオゾン層を破壊するという事態になっている。これではまるで益虫だと思っていた虫が害虫だったというようなはなしである。 【評】なるほど、うまく表現したね。 現代人は地球にとって害虫だったのかも。

悠さん(いわさ/中1)の作文より(メグ先生/10.4週)
 「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言もあるように、科学そのものが悪いわけではなく、科学をどう使うかが問題であると僕は思う。【評】そのとおり。科学そのものが悪いわけではない。問題はその使い方だね。
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■■ 光る表現(中2−社) 2002年11月1週号

ミュウさん(あおゆ/中2)の作文より(うさぎ先生/10.3週)
 大人にしか感じられないことかもしれないが、 子供時代がどれだけ大切な存在か。今の子供たちに、今の時間を 精一杯生きてほしいと思う。【評】ちょうどその時を生きているであろう筆者の、思いのこもった意見になりました。

A.Lさん(あそき/中2)の作文より(うさぎ先生/10.4週)
 この二つの戦法は、勝ち負けというものがなかったら、存在しなかっただろう。誰でも打ち込まれるより、打ち込むほうがおもしろいからだ。しかし、時にはカットマンや粒高の選手でも打ち込むが、僕の学校のカットマンは絶好のボールを打ち込んでいつもはずしている。ミスを誘うはずのカットマンが、逆に誘われているのだ。 

SAPPHIREさん(ああす/中3)の作文より(ゆうこ先生/10.2週)
 いかにその遊びを将来に生かせるかが問題だ。そこで私は考えた。私たちの人生に必要な遊びとは、息抜きの延長ではないのか?そう思えば、自然と勉強にも向かえるし、遊びとの切り替えがスムーズになると思う。こんなに大きなことを言っている私もまだまだである。これを目標として生きていきたい。【評】「遊び」を人生の一部としてとらえる大事な精神ですね!

潤之介さん(かな/中3)の作文より(メグ先生/10.3週)
 例えば、親に注意されたとする。その時に「うるさい」などというように瞬間的に反発するのではなく、落ち着いてその言葉を何故言われたか、そして、自分はどうしたらいいかを考えていかなければならない。それは、自分のためを思って言われた言葉であり、素直に聞くことによって自分自身の人間性の向上にもなるだろう。一時な感情にまかせた行動は慎んだ方がいい。その方が物事の原理がより見えやすくなる。【評】「立派」の一言。 

がっちゃんさん(てな/高3)の作文より(メグ先生/10.3週)
 主体性のない人間が作る主体性のない社会は、きっと機械的な音しか聞こえてこないだろう。私たちは、自分の意思や強さを信じて歩いていかなくてはならない。【評】人間が作るはずの社会から機械的な音が聞こえてきたら要注意ですね。 

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