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  形に残るもの、心に残るもの
  作文が返却されたあとの家庭での対応
  森の学校オンエアの未来教育構想
  家庭でできる先取り学習
 
言葉の森新聞 2016年11月2週号 通算第1442号

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森新聞
形に残るもの、心に残るもの
 きれいな景色を見ていいなあと思ったときに、それを写真に撮ってしまうと、かえって心に残らないというようなことがあります。
 ある本に感銘を受けて、その作者の本を次々に読んでいる間はいいのですが、全集などを買ってしまうと、かえってもう読まなくなってしまうということがあります。
 形に残すと、安心してしまう心理が人間にあるのです。
 作文の練習として文章を書き写すという練習法があります。
 形に残るので、やる方も、やらせる方も、何か確実なことをしている気持ちになります。
 しかし、書き写している過程というのは、実は大して心に残っていません。
 書くという形に心を奪われているので、かえって内容を心に残すことがおろそかになっているのです。
 解く勉強よりも、読む勉強が大事だというのも、同じことです。
 問題を解けば、それは形に残ります。問題と解法を読むだけであれば何も形に残りません。
 だから、子供も、大人も、その形に残る方をやりたくなります。
 ところが、形の残る勉強は、形に残らない勉強に比べて何倍も時間がかかります。
 問題を解くのに1時間かかるとしたら、その問題と解法を読んで理解する勉強は、5分の1か10分の1で済むのが普通です。
 同様に、文章を書き写す勉強に比べれば、文章を読むだけの勉強は、やはり5分の1か10分の1の時間で済みます。
 では、どうしたらいいかというと、文章を1回書き写すよりも、その文章を5回読むだけの方がずっと心に残る勉強になるのです。
 今、書き写しの勉強をやっている人は、これを組み合わせるといいのです。
 つまり、書き写しが終わったら、その文章を日をおいて5回読むというようにします。
 こうすれば、形にも残り、心にも残る勉強になります。
 能率がいいのは、読むだけの勉強ですが、勉強に自覚がない小中学生のころは、形に残らない勉強は形骸化しがちです。
 そこで、学校も、塾も、親も、形の残る勉強を子供にやらせようとするのですが、本当は子供の自覚を促して、形の残らない勉強をしていくのがいちばんいいのです。
作文が返却されたあとの家庭での対応
 作文を書いたあと、1週間後に先生から講評と評価が返却されてきます。
 それをどう見たらいいのかということについて説明します。
 まず、ほとんどすべての子は、先生の評価や講評をざっとしか見ません。ほとんど見ないと言っていいと思います。
 それでいいのです。
 
 講評は、生徒向け、又は、保護者向けに書かれていますが、その講評だけを読んでもらうために書かれているのではなく、翌週先生が生徒や保護者に話をするための先生のメモのような役割として書かれています。
 生徒は、書かれた評価や講評を読まなくても、先生の話を聞いて入れば、先生が大事なことを言ってくれるのです。
 ほかの通信教育では、詳しい赤ペン添削が返却されることが多いので、その赤ペン添削が勉強の中心のように思われがちですが、作文の勉強で大事なのは、書いたあとの話よりもむしろ書く前の話なのです。
 書く前の話というのは、書く前の準備のことです。
 作文の課題に合わせて、できるだけ自分の個性的な体験を書くようにする、似た話をお父さんやお母さんに取材する、というような準備が作文の内容を決めていきます。
 そして、その準備のあとに、実際に書いている過程が、子供が実力をつけている場面です。そこで、どういう表現を使うか、どういう構成で書いていくかということが作文の勉強なのです。
 どういう表現を使うかということは、その場の努力だけでできるものではありません。読書や音読によって、自分がこれまで使ってこなかったようなよりよい表現を吸収し、それらを使っていくことが表現の練習です。
 ですから、作文を書く前の準備には、毎日の音読や読書も含まれます。
 こういう準備をして、作文を書いて提出したら、それで勉強の勉強はできたということです。
 その作文は翌週に返却されてきますが、次の勉強は、その返却された作文を見直すことではなく、新しい作文を書くことです。
 新しい作文を書くときに、「前の作文はこうだったから、今度はこう書こう」というような話になります。
 例えば、「今度は段落に気をつけてね」とか、「また面白いたとえを見つけてね」とか、「今度はお父さんにも似た話を聞いてみるといいよ」とかいうようなアドバイスです。
 この積み重ねでだんだんとよりよい書き方ができるようになっていきます。
 作文は、最初に書いたものがほとんどすべてで、それをいくら直しても、最初に書いたものよりもよくなることはありません。
 だから、書いたあとの勉強は、する必要がないのです。
 さて、以上が原則ですが、ただし、次の場合だけは、書いたあとの対応が必要になります。
 第一は、誤字の書き出しです。
 添削された作文には、褒め言葉が中心に書かれているはずですが、誤字についてはすべてチェックが入っています。
 この誤字は、一度注意されただけでは直りません。漢字の書き間違いなどは、間違って覚えていることが多いので、同じ間違いを何度もする子がよくいます。
 この誤字だけを、誤字ノートのようなものを作って書き出しておくといいのです。そして、できればその場で正しい漢字を40回書いてみます。40回というのは、400字詰めの原稿用紙の2行分です。
 誤字は、これまでのその誤字を何度も使って書いていたはずなので、これまで書いた回数以上に正しい漢字を書かないと、記憶に残らないのです。
 第二は、受験作文コースの生徒の場合です。
 受験作文は、合格することが目的です。作文の実力をつけるための勉強と、合格するための勉強は、少し性格が違います。
 返却された作文をよりよい作文に書き直していくことが大事な事後の勉強になります。
 では、どう書き直すかというと、作文に書かれている実例をより感動のある実例に直し、表現をより高度な表現に直し、意見をより深い意見に直していくことです。
 これは、子供だけの力ではできません。そして、先生はそこまでは教えられません。そういう話をするには30分も1時間もかかるからです。
 ここで、お父さんやお母さんの役割が大事になります。お父さんやお母さんが子供と一緒に考え、一緒によりよい作文に直していくのです。
 そして、その作文をファイルして、毎日読むようにするのです。
 しかし、こういう親子で書き直すという勉強は、受験前でなければできません。受験前は、子供も勉強の目的がわかっているので、こういう親子での書き直しということも受け入れますが、普段の勉強でこういうことを喜んでする子はまずいません。
 だから、受験前の作文は、密度の濃い親子の話し合いをするいいチャンスだとも言えるのです。
森の学校オンエアの未来教育構想
 言葉の森の未来教育の構想です。
(1)これからの子供たちに必要な勉強は、知識の詰め込みではなく、創造性を育てる作文や発表である。
(2)勉強は、自学自習で家庭学習中心にやるのが最も能率がよい。
(3)日常の勉強は、オンエアのネットワークを利用して、先生や友達と一緒に自宅で行えるようにするのがよい。
(4)ときどきは、遠足や合宿などのリアルな交流を行うことが日常の勉強の励みになる。
(5)教育は本来、誰でも参加できる価格で提供されるべきである。
(6)子供たちのトータルな成長を支えるものは、家庭での親子の対話と交流である。
(7)先生の仕事は知識を教えることではなく、子供たちが自ら知識や技能を修得するのを支援することである。
 これらの教育観のもとで、言葉の森では今、作文の通信指導のほかに、オンエアの学習指導をいくつか行っています。
 それらは、次のようなものです。
・寺子屋オンエア(小1~中3/1404円)、
・オンエア講座の「読書実験クラブ」(小1~3/1728円)、
 同じく「思考国算講座」(小4~6/1728円)、
 同じく「作文と勉強」(小3~6/モニター無料)、
・オンエア作文(全学年/無料)。
 また、これらの通信指導やオンエア指導の一方、春や夏の遠足や合宿の企画を行っています。
 そして、もともとの作文指導では、プレゼン作文発表会、作文検定、森リン大賞などの企画を行っています。
 また、このほかに、暗唱検定、自習検定などの企画も行っています。
 将来これらを有機的に組み合わせて、森の学校オンエアというシステムを作ることを考えています。
 個々の企画は、もう既に見通しがつきました。
 あと残っているのは、常時合宿ができる場所探しです。気が早い(笑)。
 その合宿の場所では、馬や犬や鳥が放し飼いになっていて、合宿に参加した子供たちは自由にそれらの動物たちと遊べるようになっています。
 また、川や池や海などの水で遊べる場があり、いつでも泳げるようになっています。子供たちは水遊びが好きだからです。
 なぜ合宿という形にするかというと、こういう広い合宿所は、都市部から少し離れた場所になるので、合宿して勉強や遊びをする方が時間が有効に使えるからです。
 また、一緒に寝泊まりすることによって、子供たちは友達との交流を通していろいろなことを学べるからです。
 中には、その合宿所で毎日の勉強をし、土日だけ家庭に帰るという子も出てくるかもしれません。そういう場合は、その合宿所が学校になります。
 普段の勉強は、自学自習とネットワークを利用した授業で先生や友達と交流しながらできるので、人里離れた合宿所を学校として毎日の勉強をしても全く差し支えないのです。
 そして、こういう形で勉強できれば、この森の学校オンエアは、一箇所だけでなくどこでも作れるようになります。
 将来は、森の学校の設立を希望する人には、これらのノウハウを教えることもしていく予定です。
 この森の学校オンエアは、日本の教育にとどまりません。
 東南アジアの子供たちの教育は、今はまだ旧来の教育形態で行われていますが、この森の学校オンエアというシステムを利用すれば、もっと能率のよい創造的な教育が行われるようになります。
 すると、日本やアジアの各地に広がるさまざまな森の学校の合宿所の間で、子供たちどうしの交流もできるようになると思います。
家庭でできる先取り学習
 先日の講演会で、次のような質問がありました。
「個性を伸ばすことが大事だということがわかるが、受験のための勉強に時間が取られる。どう両立したらよいか」
 確かに、受験勉強の間は、読書に没頭したり趣味に力を入れたりする時間はありません。しかし、この両立は簡単なのです。
 それは、受験勉強は、半年か一年集中してやればいいということです。何年も前から受験に向けて勉強を詰め込んでおく必要はありません。
 早めにスタートしなければ間に合わないと言っているのは、学習塾などの都合によるものです。
 受験勉強は合格するための勉強ですから、その勉強の期間はほかのことは犠牲にしていいのです。しかし、それはできるだけ短時間で済ませることです。これが個性と勉強の両立です。
 今の受験勉強は、末期症状と言ってもいいと思います。特に中学受験では、訓練しておかなければ決して短時間では解けないパズルのような問題が出されます。
 一度解いていればすぐに解けるのですが、試験で初めて見るのではほとんどその場では解き終えることのできない問題です。これを考える問題などと言う人もいますが、それは考える問題でも何でもありません。解き方の知識を知っているかどうかだけの問題です。
 こういう訓練をするために、勉強以外の自由な読書や経験の時間を削るのはもったいないことだと思います。
 公立中高一貫校の試験問題も、最初は教科書レベルの問題を出すということが建前でしたが、今では私立中学の試験問題と同じように、やはり訓練しなければ短時間では解けない問題が続々と出されています。
 勉強ということに自覚のできた中学三年生ぐらいであれば、過酷な受験勉強は本人の成長にプラスになります。
 しかし、小学六年生までのまだ勉強の自覚のない時期に、こういう詰め込めばできるようになる勉強に時間をかけるのは、しかも長期間そういうことに時間をかけるのは、プラスとマイナスの差し引きで言えばプラスになることではないと思います。
 しかし、これまでは、中学受験が必要になるという事情があったことも事実です。
 それは、中学受験で進学校に進んでいれば、勉強の先取りができるということです。既に、公立中高一貫校でも、同じような勉強の先取りが行われています。(つづく)
 
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