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  小学生のころの勉強はできるだけ子供に自分でやらせ、中学生のころの勉強は塾に任せず親が見る
  語彙の豊富な子は、物を見るときの網の目も細かい
  作文を家庭学習の中心にすると、いろいろなことがうまく回り出す
  学力は読書量に比例し成績は勉強時間に比例する
 
言葉の森新聞 2016年10月3週号 通算第1439号

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森新聞
小学生のころの勉強はできるだけ子供に自分でやらせ、中学生のころの勉強は塾に任せず親が見る
 今の子供たちの勉強の様子を見ていると、二つの大きな問題があるように思います。
 第一は、小学校低学年のころの勉強に、親が関わりすぎることです。
 このころは、できるだけ子供が自分でやるようにさせるのが大事なのですが、お父さんやお母さんが手をかけすぎてしまうことが多いのです。
 もちろん、親子の対話を楽しむという意味で親が子に関わることはいいことなのですが、それは主に遊びや読書の分野ですることです。
 勉強の分野で、親が手をかけすぎると、親がいなければ勉強のできない子になってしまいます。
 親は、勉強面で手を出したくなってもできるだけ我慢して、子供が自分でやるように工夫していく必要があるのです。
 しかし、小学校低学年の手のかけすぎは、それほど大きい問題ではありません。
 第二の、もっと大きな問題は、子供の学年が上がり、小学校高学年になり、中学生になってくると、今度は親が子供の勉強を見るのをあきらめて、本人に任せてしまうようになることです。
 中学生になると、勉強面も難しくなるので、親も小さいころほど簡単には教えられなくなります。
 また、中学生本人も、親に助けを求めるようなことはせずに、自分でやろうとするようになります。
 しかし、ここで、ほとんどの中学生が自己流の能率の悪い勉強法になるのです。
 その結果、小学生のころまではよくできていた子が、中学生になるとだんだんと思ったように点数が取れなくなり、苦手分野なども出てくるようになります。
 すると、生徒本人も、親も、その解決策として塾を選択するようになることが多いのです。
 塾の先生は、みんな熱心に子供たちのことを考えて指導していますから、子供がひとりで勉強するよりは、確かに成績面ではプラスになります。
 しかし、塾はもともとは大勢の生徒を一斉に教える仕組みになっていますから、全生徒に最大公約数的な宿題を出すような勉強の仕方をします。
 すると、塾に合わせた勉強は、生徒個人にとっては無駄な部分もかなりある勉強になるのです。
 だから、塾に行って成績の上がる子は、宿題を真面目にやる子、つまり無駄な勉強も我慢して長時間やれる子ということになります。
 すると、成績は確かに上がるかもしれませんが、余裕のある時間の中で読書をしたり趣味を深めたりということがどうしてもできなくなるので、ただ勉強をするだけの面白みのない生活になることが多くなるのです。
 ひとつの解決策としては、個人指導の力量のある家庭教師をつけ、その家庭教師のアドバイスをもとに勉強していくことです。
 
 加山雄三さんの中学生時代は、まさにそうでした。それまで勉強はあまりしなかった加山さんは、中学3年生になり突然勉強に目覚めたとき、親に専属の家庭教師をつけてもらいそれから短期間で猛烈に勉強をしたそうです。
 そして、当時の成績ではまず無理だと思われていた慶應義塾高校に合格したのです。
 高校入試は、本気でがんばると半年ほどで実力が大幅に上昇しますから、こういうことは意外とよくあります。
 しかし、生徒本人の学力に応じた具体的な勉強計画を指示できる家庭教師というのは、あまりいません。また、いたとしても、どの家庭でも頼めるようなものではありません。
 そこで、中学生にとっていちばんいい勉強法は、本人の家庭での自学自習を親が見るという形になるのです。
 しかし、親が見るといっても、手取り足取り教えるというのではありません。
 中学生の勉強は、基本的に他人が教える必要はありません。今は、解説の詳しい参考書や問題集が豊富にあるので、ほとんどが自分で勉強できます。
 勉強を、戦闘、戦術、戦略と分ければ、親が見るのは主に戦略面です。中学生本人は、戦闘や戦術ぐらいまではできますが、勉強の大きな方針というのはまだ無理だからです。
 そして、たまに、勉強の内容について質問があったとしたら、それは勉強のできる大人(主に先生)に聞くようにすればいいのです。
 今は、塾に行っている中学生がほとんどなので、塾に行っていないと不安になるという心理はあると思います。
 だから、塾に行ってもいいのですが、勉強を塾に百パーセント任すようでは、時間がかかるだけで、実力はあまりつきません。
 中学生で成績のいい子は、必ず親が子供の勉強に何割かかかわっています。
 言葉の森の勉強も、今後この親の関与ということをもっとバックアプできるようにしていきたいと思っています。
語彙の豊富な子は、物を見るときの網の目も細かい
 同じものを見ていても、それをどう感じているかは、この子の言葉の網の目の細かさによって変わってきます。
 日本語には、同じようなものを表すのにも、さまざまな微妙な表現があります。
 ただ生きていくだけであれば、言葉の種類はそれほど多くは必要ありません。
 しかし、文化的に生きていくためには、使える言葉の種類は多いほどよいように思います。
 10ヶ国語を操れるピーター・フランクルさんは、これまで習った言葉のうちで日本語がとても難しかったと言っていました。
 その理由は、日本語は語彙が豊富だったからだそうです。
 私も今日、「放生(ほうじょう)」という言葉を初めて知りました。^^;
 新聞に、「放生図」(狩野永泰)という絵が出ていて、初めて見る言葉だったので調べてみたのです。
 コンピュータが教育に使われるようになると、ビジュアルな説明で理解を助けるような工夫が行われます。
 それはそれでいいのですが、言葉を使って表すという遠回りをせずに、ビジュアルに直接理解できるようにすると、それはかえって人間を野蛮にするような気がします。
 放生などという言葉も、画像で見れば一目瞭然です。
 しかし、言葉で理解するからこそ、より深い本質が自分のものになります。
 不自由な言葉を使うからこそ、人間はより人間らしいものの見方や感じ方ができるのです。
 子供の教育についても、語彙の豊富な子を育てていくことが、教育の基本になると思います。
 そのためにも、読書と作文を組み合わせた勉強に力を入れていくといいのです。
作文を家庭学習の中心にすると、いろいろなことがうまく回り出す
 言葉の森の通信教育を受けている生徒の保護者の中には、「勉強で習っているのは言葉の森だけです」という方がときどきいます。
 実は、我が家もそうでした。
 勉強は、学校でしていれば十分で、家でやる勉強的なことは読書だけでいいと考えていたのです。
 言葉の森をやっていると、そのための自習があります。
 それは、毎日課題の長文を読むことです。と言っても、千数百字の文章ですから、音読で3、4分です。これを毎日していました。
 音読を聞くともなしに聞いていると、ときどき読み間違いがあったり、子供から言葉の意味について質問があったりします。
 そこで、長文の内容についていろいろ話をします。
 普通、親と子が話す内容は、日常生活のあまり意味がないものが多いと思いますが、長文をもとに話をすると、話の内容がかなり知的なものになります。
 その中で、親の体験談を話したり、長文から少し脱線した別の話をしたりしました。
 人間の頭脳は、言葉のインプットによって複雑になっていきます。
 ドリルを解くような勉強をしても、小学生の間は、習ったことを繰り返して身につける条件反射的なものが多いので、考える力は対して育ちません。
 それに比べると、親子の知的な話し合いは、楽しくできて、しかも考える力がつく、最良の勉強的なものなのです。
 この音読も、言葉の森を習っていて、毎週一回作文を書く勉強があるから続けられることで、もし音読だけを単独で家庭学習としてやろうとしても、なかなか続けることはできません。
 今は、学校でも音読の宿題を出すところが増えているようです。
 しかし、この学校の音読は、読む文章が易しすぎ、読む繰り返しの回数が少なすぎるように思います。そのため、音読をもとに親子で知的な対話が始まるということもあまりないのではないかと思います。
 言葉の森の音読でなぜ対話が特に必要になるかというと、その音読した長文をもとに感想文を書く課題があるからです(小3から)。
 感想文のポイントは、自分の体験に結びつけて考えることにあります。そのためには、長文に関連した体験を考えなければなりません。しかし、子供の人生経験は短いので、親の経験談を聞かなければ、なかなか自分の体験と結びつけることができないのです。
 そのかわり、親の話を聞いてくると、実例も増えるし、語彙も増えます。こういう蓄積が、公立中高一貫校の作文課題などでも自然に生きてくるのです。
 言葉の森で作文を週1回書き、長文音読を毎日続けていると、勉強の流れができます。
 ここに、毎日の読書を組合せれば、家庭学習の中身はこれで十分です。
 そして、最近は、ここに暗唱検定や寺子屋オンエアのオプション学習も組み合わせられるようになりました。
 暗証検定は、1回の検定料が540円です。
 この暗証検定を目指して、毎日10分暗唱の勉強ができるというのは、家庭学習にとって大きなメリットになると思います。
 また、寺子屋オンエアは、1時間オンラインで自学自習ができるシステムです。
 家庭学習を、ほかの生徒と一緒にでき、しかも最後の10分に先生との話があるので、ひとりでやる家庭学習よりも励みになります。これも、料金は1日1時間1404円ですから、塾に行くよりもずっと割安で、しかも自分のペースで勉強ができます。
 言葉の森では、このほかに、今オンエア講座という形で、先生の授業を聞いて勉強するようなオンラインの講座も開いています。
 これらを組合せれば、家庭での勉強は言葉の森だけでいいという傾向はますます強くなっていきます。
 ときどき、言葉の森の受講料8434円(小学生)は高いと思われる方がいますが、こういう家庭学習の中心として言葉の森を活用すれが、全く高いということはありません。
 それよりも、安いと言われる作文の通信教育をやって、子供が作文が苦手になれば、そのマイナスの方がずっと大きいのです。
 作文の勉強というものは、独学や家庭学習ではまずうまく行きません。
 また、作文を教える教室もあるかもしれませんが、そこで小1から高3まで作文の勉強が続けられるようなところはまずないありませんし、また苦手な子が楽しく通えたり、中高大の受験作文まで対応できたりするところもまずないと思います。
 自宅で作文の練習ができて、先生から毎週の電話指導があり、オプションの学習もできるという点で、言葉の森を家庭学習の中心にすれば、いろいろなことがうまく回っていくようになるのです。
学力は読書量に比例し成績は勉強時間に比例する
 学力と成績は、同じもののように思われるかもしれませんが、ここで言う学力とは学ぶ力のようなもので、まだ成績として表れているとは限らない潜在的な学力です。
 学力の根本は、日本語の力によって養われます。というのも、人間は言葉によって物事を理解し、言葉によって考えるからです。
 だから、言葉を豊富に駆使できる人は、理解する力も、思考する力もあるのです。
 同じ物事を見る場合でも、言葉のストックが豊富にある人は、その物事をより高い解像度で見ています。言葉のストックが少ない人は、より低い解像度で見ています。
 同じものが同じように見えるのですから、差があることはなかなか自覚できませんが、そこにはやはり差があります。
 料理の味でも、舌の肥えた人とそうでない人との差があるように、言葉による理解も言葉の肥えた人とそうでない人の差があるのです。
 言葉のストックを豊富にするものは読書です。
 読書には質と量がありますが、まず量を確保することが先です。
 本をたくさん読んでいれば、自然に語彙が豊富になり、その語彙を自分で自由に使えるようになります。
 作文力の土台も、読書力です。
 作文を作文の上だけで上手にすることはできません。
 それは、根っこを育てないでいて、花だけを大きく咲かせようとするようなものです。
 まず根っことなる読む力をつけることが基本なのです。
 読む力がある子は、潜在的な学力を持っています。
 成績を決めるのは、勉強の有無ですから、学力がある子が必ずしもその学力に比例して成績がいいわけではありません。
 しかし、読む力があり、学力がある子は、いざ勉強が必要になり勉強に取り組むようになると、すぐに成績を上げることができるのです。(つづく)
 
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