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  「灘→東大理3の3兄弟を育てた母の秀才の育て方」を読んで
  創造性を育てる作文指導と、本質的な学力を育てる寺子屋オンエア指導
  問題集読書で、記述式の語彙力と、読解問題の消去法を身につける
  言葉の森の作文指導の特徴――事前指導で苦手な子も楽に書け、得意な子は更に得意に
  作文試験は、字数が長ければ意味がある。200字や400字の作文では評価の意味がない 1
 
言葉の森新聞 2015年1月3週号 通算第1354号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
「灘→東大理3の3兄弟を育てた母の秀才の育て方」を読んで
 同じ教材を使っていても、同じ塾に行っていても、同じ先生に教わっていても、子供たちの成績は同じにはなりません。よくできる子とできない子の差は必ず出てきます。
 では、その違いはどこから出てくるかというと、それは決して生まれつきの差ではなく、家庭学習を含めた家庭での育て方の差なのです。
 しかし、その育て方というのは、なかなか伝えにくいものです。それは、典型的な例というものが、あまり身近にないからです。
 その意味で、うまく子育てをした家庭の例は、これから子育てをするお父さんやお母さんの参考になります。
 受験は、合否を競う競争という面が中心になりがちですが、同時に子供たちにバランスのよい学力をつけるひとつのきっかけとして取り組んでいくことができると思います。
 この本の全体の内容は、それぞれ読んでいただくとして、言葉の森が普段述べていることと共通している点について、主な目次を紹介します。
1章の 3「子どもはとにかく褒めて褒めて褒め倒す」
    9「母親の知的好奇心が子どもをつくる」
   11「自分の読書は家事よりも優先させる」
3章の22「おもちゃは我慢させない、制限しない」
   30「テレビなどの『画面』はなるべく見せない」
7章の55「何よりも読み・書き・そろばんから始める」
   56「早期の英語教育は必要ない」
8章の62「お母さんの音読+解説で国語の成績は上がる」
 褒めれば、子供は気分よく勉強するので、どんどんはかどります。注意をしたり直したりすれば、だんだん暗くなり勉強が進まなくなります。何しろ褒めることは、褒める方にとっても、褒められる方にとっても健康によいものです。
 読書好きな子に育てるには、お母さんが子供の前で本を読んでいる姿を見せることです。「昔読んでいた」というのはだめで、「今もいつも本を読んでいる」というのが大事です。お母さんが、忙しくて本を読んでいる暇がないと言えば、子供も同じことを言うようになります。
 テレビは、見る場合でも、1週間の予定を決めて見ることです。食事中は、必ずテレビは消しておきます。見たい人だけがヘッドホンをつけて、外部に音が流れないように見るのが理想です。特に幼児がいる家庭では、テレビはできるだけつけないことです。
 小学校低中学年のころの勉強の基本は、第一が読書です。第二は算数が普通にできることです。英語は必要ありません。
 国語読解力の中心は、難しい文章を読む力ですが、その難しい文章をどう読むかというと、繰り返し音読することと、その音読をもとに親子で対話をすることです。
 その対話も、子供の話を聞くというよりも、お父さんやお母さんが自分の体験談を中心に似た話を楽しく話してあげることです。
 親子の対話の際に大事なことは、子供の音読の仕方や説明の仕方を決して注意しないことと、脱線してもいいので何しろ楽しく話をすることです。
 家庭で、そういう対話の習慣のあるうちは、まだあまりないと思います。しかし、今の家庭で親子で曲がりなりにも対話の習慣ができるようにしておけば、その子供が親になったとき、今度はもっとたやすく家庭での対話ができるようになります。
 親子の対話は、二世代にわたって家庭の文化を作っていくという気長な気持ちで取り組んでいくといいと思います。
 
創造性を育てる作文指導と、本質的な学力を育てる寺子屋オンエア指導
 言葉の森では、これまで学校の勉強とはあまり関係のない作文指導に30年間取り組んできました。それは、学校の勉強は、受験勉強も含めて、既に答えのある勉強だから独学でも十分にできると考えていたからです。
 そういうスタンスでありながら、その言葉の森の考え方に賛同して作文の勉強を続けてくれた人がたくさんいました。(うちの子2人も、小1から高3まで続けましたが。)
 ところが、言葉の森の生徒には、全体に優秀な子が多いのですが、中に少数ですが学力的に問題のある子もいるということに前から気がついていました。
 また、最近、小学校低中学年で、かえって頭が悪くなるような勉強の仕方をしている生徒が増えていることに気がつきはじめました。例えば、無意味な難問をやらせたり、勉強優先で読書が後回しだったり、低学年から英語の勉強をやらせていたり、という勉強の仕方です。
 更に、中学生で、塾には通っているが、勉強の仕方がよくわかっていない生徒が結構いるということにも気がつくようになりました。
 学校の教育力が低下していることは前から言われていましたが、最近では、学力の格差が大きくなり、できない子は更にできなくなるという傾向が表れています。
 これまでの日本の教育の特徴は、格差の少ないことでしたが、2003年ごろから、PISAの成績で上位と下位の差が大きくなり、下位の子の成績は途上国並みに低いという状態が生まれるようになりました。
 そこで、言葉の森が創造性を育てる作文の指導をこれからも進めていくには、その創造性の土台となる本質的な学力を日本中の子供たちを対象に育てていく必要があると考えたのです。
 幸い、日本には、寺子屋教育という江戸時代の優れた自学自習法がありました。
 また、勉強に必要な教材は、日本では既に多種多様に出ているので、それらの中から良いものを自由に選べるようになっていました。
 更に、近年のインターネット・テクノロジーによって、オンラインで自宅にいながらにして学べる仕組みが作れるようになっていました。
 そこで、寺子屋オンエアで、子供たちの本質的な学力を育てながら、そのオンエアシステムを将来の作文指導にも生かしていくという方向を考えました。
 作文指導に生かすというのは、電話指導の代わりにオンエア指導をするとか、個別指導ではなくグループで交流できる指導をするとか、発表会をオンエアで行うとか、父母懇談会を行うとかいうようなことですが、可能性はほかにもいろいろあると思います。
 本質的な学力について言えば、小中学生の勉強は、お金をかけたり人手をかけたりしなくても、勉強の仕方次第で短期間で誰でもできるようになるのです。
 ところで、このICT(Information and Comunicaion Technology)教育の今の動向を見ると、ビジュアルでわかりやすい教材、ゲーム的な感覚を取り入れた楽しい学習、人気講師の優れた授業、限りなく無料に近いシステムで、資本力のあるところがその資本をバックに無人化したシステムを作る方向に進んでいます。そして、最終的には、世界で数社の寡占的な教育企業が生き残るような形になると思われます。今はまだそのずっと手前の段階なので、ICT教育の可能性だけが論じられている状態ですが。
 ICT教育の普及の結果、教育の格差はなくなるかというと、確かに、格差は多少是正されると思いますが、企業化された教育の第一の目標は、優秀な子をよい大学やよい企業に紹介することになりますから、すべての生徒が本質的な教育を受けるという方向には進みにくいのです。
 この一斉指導と、競争と、賞罰による意欲付けによって、能率よく指導し、優秀な子を優秀に育てることを第一の目標とするという教育観は、言葉の広い意味で西洋的な教育観です。日本の教育も今は、すっかりこの西洋的な教育観のもとで行われています。
 そして、ICT教育における一斉指導は、個別化された一斉指導なので、同じ教材システムでできる子とできない子がいた場合、できない子は更にスモールステップの教材に取り組むような形になります。その結果、できないのは本人の意欲や努力の問題となり、勉強の仕方の問題として捉えられることはなくなるのです。
 言葉の森がこれから行おうとしている寺子屋オンエアと、そのオンエアシステムを利用した作文教育は、世間で今言われているICT教育とは正反対のものとなると思います。それは、教材という物を中心とした教育ではなく、勉強の仕方という事を中心とした教育だからです。
 また、人手はかけないものの、機械に依拠した教育ではなく、先生と生徒と親の触れ合いに基づいた教育になるからです。
 教育全般のオンエアによる指導と、作文指導自体のオンエア化が、これからの言葉の森の目指す方向です。
 
問題集読書で、記述式の語彙力と、読解問題の消去法を身につける
 国語でも、算数数学でも、英語でも、もちろん理科や社会でも、問題集を解くために使うのは密度の薄い使い方です。
 問題集は、読むために使うことで、解くよりも何倍も深くしかも早く内容を身につけることができます。
 例えば、国語の記述問題でも、模範解答を読めば、記述にどういう語彙が要求されているかがわかります。入試問題で記述に要求される語彙は、普通の受験生が普通の生活では使わないような抽象的な語彙です。そういう語彙が、問題という文脈の中で読めるのですから、問題と答えを読むこと自体が記述の勉強の基本になります。
 読解問題でも同じです。ほとんどの人は、合っている答えを探そうとします。合っている答えを探して見つかるぐらいなら、わざわざ入試問題として出てきません。
 入試問題は差をつけるための問題ですから、合っているものを探しても答えは見つかりません。合っていないものを探して、合っていないところがないものが正しい答えという仕組みになっています。
 それが理解できるのも、問題集を読むことによってです。問題を「解く」だけでは見落としてしまうことが、間違った選択肢も含めて「読む」ことで気づくのです。
 算数数学でも、基本は同じです。問題を地道に解くのは、低中学年のまだ簡単な問題で、しかも計算の練習も兼ねているような問題を解くときだけです。
 高学年や中学生になれば、問題を見て、解けそうだったら答えを見て解き方を確認し、解けそうもなかったらやはり答えを見て解き方を理解し、あとでその問題を繰り返すために×をつけておくのです。
 真面目すぎる生徒の中には、中学生や高校生になっても、明らかに解ける問題をきちんとていねいに解いている人がいます。解ける問題を解くのは、勉強ではなくただの作業です。
 ところが、読む勉強というのはあてのない感じがするのか、子供も親も先生も、解いて形の残る勉強をさせがちです。
 言葉の森では、今、寺子屋オンエアで国語の問題集読書をしていますが、これも寺子屋オンエアという形でなければ、子供が自分ひとりではなかなかできないと思います。
 これから、この読む勉強というものをもっと広げていきたいと思っています。
言葉の森の作文指導の特徴――事前指導で苦手な子も楽に書け、得意な子は更に得意に
 言葉の森の作文指導の特徴は、高校生、大学生、社会人になっても通用する論説文の力をつけることを目標にしています。
 しかし、小学校低中学年では、そういう文章はまだ書けないので、その前段階として、身近な生活作文を楽しく書く練習をしています。
 小中学生の段階で上手な作文を書くことが目的ではありませんが、小学生のころは、楽しく書いていれば自然に上手な作品が生まれます。
 そこで、自分なりによく書けたと思った作文は清書をして、新聞社やコンクールに投稿するようにすすめています。
 小学校3、4年生は、子供たちが最も小学生らしいのびのびとした作文を書く時期です。この時期に、誰でも必ず年に何回かは傑作を書きます。
 昨年(2014年)は、さまざまなコンクールに76名の人が入選しました。
 入選は、子供たちに自信をつけます。どの子も、自分が入選したときの作文はよく覚えています。
 よく書けたと思う作文があったら、家庭でお母さんができるだけコンクールなどに応募してくださるとよいと思います。
 言葉の森の作文指導の特徴は、構成と表現をあらかじめて決めて書かせることです。
 この書き方は、言葉の森が独自に開発したものですから、このように事前に書くことを指定した書き方を指導しているところはほかにないと思います。
 この書き方をすると、不思議なことに、どんなに作文が苦手な子でも、すぐに書き出せるようになります。体験学習などで、初めて長く楽に書けたので、本人もお母さんも驚くということがよくあります。
 また、指導の目標が決まっているので、先生は子供の作文のよいところを中心に褒めることができます。無理に褒めようと思わなくても、自然に褒めることができるようになるのです。
 事前の指導がない作文を書かせると、ほとんどの子は、何をどう書いていいかわからないので途方にくれます。
 また、先生は、事前指導がないと、子供が書いた作文をどう褒めていいかわからないので、つい直すところや注意するところが中心になります。
 書き方がわからないまま、無理やり書かされて、やっと書いたと思ったら、次々に注意されるというのが、これまでの作文指導でした。だから、作文が苦手な子が増えていたのです。
 言葉の森の作文指導では、誰でも自分のペースでしっかり書けます。だから、苦手な子もすぐに書きだすことができ、一方上手な子は更に上手な作文を書くことができるようになります。
 苦手な子も、得意な子も、同じように勉強できるのが、言葉の森の構成と項目の事前指導を中心とした作文です。
作文試験は、字数が長ければ意味がある。200字や400字の作文では評価の意味がない 1

 大学入試の小論文は以前からありましたが、中学入試、高校入試でも、作文を課すところが増えてきました。
 しかし、作文試験と言われているものの中には、200字の作文や400字の作文もあります。200字の作文というのは、twitterのつぶやきのようなもので、その試験ではほとんど何の評価もできません。
 かろうじて評価できるものがあるとすれば、誤字がないこと、文法的におかしくないことぐらいです。ですから、書いてあればどの作文も同程度の評価になります。200字や400字の作文で評価が大きく開くというようなことはありません。
 では、どのぐらいの作文の字数なら意味ある評価ができるかというと、それは1200字以上だと思います。1時間で1200字の作文を書くのであれば、その生徒の思考力や表現力がはっきり出てきます。
 しかし、大学入試の場合は、この1200字の小論文試験が1本だけでは正しい評価はできません。少なくとも、異なるテーマで複数の小論文を書かないと、小論文の実力はわからないと思います。
 なぜ1200字以上が評価の基準かというと、その理由のひとつは、言葉の森の自動採点ソフト「森リン」の評価が、人間の評価と一致してくるのが1200字以上だからです。
 人間が「何となく上手だなあ」と思う作文は、森リンの採点でも点数が高くなります。しかし、その点数の差は、ほんのわずかです。はっきりした差は出るのですが、その差はほんの数点なのです。
 ですから、800字程度の作文では、誤差の方が大きくなることがあり、正しい評価としては使えません。
 今、言葉の森で受験作文コースで勉強している生徒の中にも、短い字数であればとても上手に書ける人がいます。
 しかし、その字数の作文としては上手なのですが、その短い字数の中で全力疾走しているような上手さですから、字数が増えればもう上手ではなくなる可能性がかなりあります。
 オリンピックで100メートル走というものがありますが、100メートルは長いから、20メートル走で様子を見ようというのと同じようなものです。20メートル走の順位と100メートル走の順位の相関はかなり低いはずです。
 では、作文の場合、上手さというものはどこに表れるかというと、それは主として語彙力と表現力です。語彙力というのは、同じ概念を言い表すのに多様な語彙を使う力です。表現力というのは、やはり同じ思考内容を言い表すのに、多様な言い表し方をする力です。
 この語彙力や表現力は、語彙力の検定試験や問題集などでつけることはできません。生きた語彙や表現を使うためには、生きた文章を読んでいる必要があるからです。
 多様な語彙と多用な表現を使える生徒は、ものごとを見る目も多様です。また、多様な考え方を理解する力もあります。
 作文小論文の入試で評価したいのは、この思考力、理解力のはずですから、200字や400字の短い作文試験では、ほとんど意味がないのです。(つづく)
 
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