言葉の森新聞 編集用
印刷設定:A4縦用紙 :ブラウザの文字のサイズ:最小 ブラウザのページ設定:ヘッダーなし フッターなし 左余白25 右余白8 上下余白8
  【重要】来年から、1月5日まで休み宿題に
  【重要】12.1週作文進級テスト(再掲)
  【重要】12.1週の作文はファクスでも受付
  作文の通信教育の教材比較
  岸本裕史さんの「家庭塾」(facebook記事より)
  作文と小論文の違いとは言うが(facebook記事より)
  国語、算数、英語、遊び(facebook記事より)
  最初の作文でたくさん書いたとき(facebook記事より)
  いい点数をとったとき(facebook記事より)
 
言葉の森新聞 2012年12月1週号 通算第1250号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
【重要】来年から、1月5日まで休み宿題に
 これまでのカレンダーでは、1月の授業は、次のようになっていました。
  
休み

休み

休み

1.1週

1.1週
 
27
休み
28
1.4週
29
1.4週
30
1.4週
31
1.4週
  
 しかし、日程に無理がないように、平成25(2013)年1月から次のようにしたいと思います。
  
休み宿題
1.1週

休み宿題
1.1週

休み宿題
1.1週

休み宿題
1.1週

休み宿題
1.1週
 
27
休み
28
1.4週
29
休み
30
休み
31
休み
  
 1月から新しい項目が増える人もいるので、作文の書き方については、「授業の渚」などでわかりやすく説明しておく予定です。
http://www.mori7.com/nagisa/
【重要】12.1週作文進級テスト(再掲)
 12.1週に、作文進級テストを行います。
 提出が遅れた場合は進級できません。(12月8日ポスト投函まで)
 課題フォルダの構成・題材・表現・主題の★印と字数が全部できていることが合格の条件になります。(表現の項目などで二つ以上の項目が指定されている場合はどちらかができていればその項目は◎です)。キーワードと字数が採点の基準ですので、指定された字数以上で必要な項目が全部入る作文を書いていってください。中学生以上の時間制限については、今回は採点の基準にしませんが、できるだけ時間内に書き上げる力をつけていきましょう。
 手書きで作文を書く人は、項目ができたところに項目マークを書いておいてください。
 パソコンで作文を書く人は、作文の中に項目のキーワードを入れておいてください。
 小学生の場合は、提出する前に、おうちの方が字数と項目マークをチェックしてあげてくださるとよいと思います。
 小学2年生までの生徒は、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。10月以降に受講を開始した生徒も、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。
 なお、進級テストは、10月と11月のいずれの月も最低1回は作文を出していることが条件になります。11月又は12月の作文で、どちらかの月で1回も書いていない場合は、12月8日までの間に作文を提出してください。
【重要】12.1週の作文はファクスでも受付
 12.1週に限り、ファクスによる提出も受け付けます。提出期限は12月8日です。ただし、ファクスで提出をする人は、事前にメールアドレスを登録しておいてください。
 
1、ファクスが正常に送信できているかどうかは、24時間以内にメールと検索の坂で連絡をします。正しく送信できたかどうかを必ずご確認ください。
2、連絡用のメールアドレスは、検索の坂の「ペンネーム 変更」というところで登録できます。既にメールアドレスが入っている場合は、そのアドレスが登録されています。
3、ファクスで送られた作文は、作文の丘にJPGでアップロードされます。作文の返却はありませんが、添削された作文は山のたよりに表示されます。
作文の通信教育の教材比較
 作文指導をしている通信講座の教材を比較してみました。
 取り上げたのは、進研ゼミ、Z会、ブンブンどりむ、学研、ドラゼミ、その他です。
 まず最初に、通信講座というものの問題点を考えてみました。
 第一に、通信教育は、通学教育ではできないことをするものですが、そのためには通信を活用した双方向性がなければなりません。しかし、ほとんどすべての通信教育は、ただ教材が定期的に送られてくるだけで、課題の提出とその添削講評というやりとりがかなり少ないのです。1、2か月に1回提出するという勉強では、個別指導や担任制とは言っていても、担任という実質的な意味はありません。
 教材が送られてくるだけで、通信的なやりとりの少ないことが現在の通信教育のいちばんの問題です。(言葉の森は週1回の提出で、提出率は91.6%です)
 第二は、毎月送られてくる教材の多くが、市販の問題集を薄い分冊にしたようなものだということです。これなら保護者が書店で問題集を自分で選んで使った方が、子供の実態に合わせた勉強ができます。
 市販の問題集にも、いろいろな長所や短所がありますが、保護者が自分の目で見て取捨選択できるというところと、通信の教材よりもはるかに割安だというところが優れています。
 第三は、教材が毎月送られてくるという性格上、1冊が薄いものになり、薄い教材が何種類もたまる結果になりがちだということです。
 薄い教材が多くなると、保管して何度も繰り返すという勉強がしにくくなります。
 通信教材は、子供が自分でできるように導入部分は易しく面白く工夫されていますが、そういう易しい問題は、いくらやっても力がつきません。
 本当に力がつくのは、すぐにはできなかった問題ですが、1回目にできなかった問題というのは、普通は3、4回繰り返して初めて身につきます。ところが、保管しにくい薄い教材では、繰り返すといってもせいぜい1、2回です。
 だから、本当は教材は1年間通して使えるような1冊のものがいちばんいいのです。1冊にまとめた方がいいものを何冊にも分けてあるというのが、今の通信教材の問題点です。
 第四は、作文の通信指導の特徴が赤ペン添削ということになっているために、赤ペンがびっしり書いてあることを売りにしているところが多いことです。
 しかし、その赤ペンの多くは、あまり意味がありません。勉強は理屈で説明して理解して完成というようなものではなく、その理解を何度も繰り返し定着させることが大事ですから、赤ペン添削を読むだけでは、そういう定着作業はまずできません。
 通信指導=赤ペン添削というのは、多分に惰性で行われている面があります。赤ペンだけでは作文の実力はつかないと思います。
 第五は、記述問題や作文問題を提出したあとに、赤ペン添削と一緒に優秀作品や模範解答例が送られてくることです。
 教科の学習のように答えがひとつに決まるものであれば、模範解答も意味がありますが、記述や作文の模範解答はあまり意味がありません。
 特に作文の模範解答例は、何かのプラスになるよりも、親がその解答例と比較して子供を煽る原因になり、子供が自信をなくすという結果しか生みません。小学生の場合は特にそういマイナスの方が大きいのです。
 第六は、通信教育の多くが、肝心の実力をつける勉強に集中して取り組むような形でなく、さまざまなおまけの勉強を伴っていることです。
 例えば、小学生の勉強で最も大事なのは、国語と算数ですが、大手になるほど理科や社会も含めて満遍なく多くの教科を用意するようになります。理科や社会は、学校で教科書を読んでいれば済むものですから、家庭でわざわざ時間をとってやるほどのことはありません。
 しかし、そういう教材が全体の流れの中に用意されていると、親も子もついすべてをやってしまいたくなります。その結果、肝心の国語と算数の力をつける時間が少なくなるのです。
 第七は、言葉の森以外の作文指導の多くが、明確な事前指導を持っていないことです。
 作文の構成メモを作るようなスモールステップ方式の導入学習はありますが、よく書ける子にとって、そういう導入学習はかえってわずらわしいものです。また、よく書けない子にとっては、導入部分が易しくてすぐにできても、そこから作文を書くまでには大きなギャップがあります。
 また、こういうスモールステップ式の学習をしている子は、作文というのはまるで教材でお膳立てしてもらわないと書けないような特殊な勉強だと勘違いしてしまうと思います。
 作文は、教材の助けがなくても、自分で書けるようになることが大切なのです。
 第八は、これは明確な事前指導がないことにも関連しますが、書けない子をどうするかという指導がないことです。
 作文が苦手な子の保護者は、書き出させることにまず困っています。書き終えたあとの赤ペンがいくらていねいであっても、その前にまず書くこと自体につまずいている子が多いのです。逆によく書ける子の場合は、書けたからといってどうということはないという評価になりがちです。
 通信教材の多くは、四コマ漫画を使ったり、物語の続きを書かせたりと、子供が面白さを感じて取り組めるような課題を準備しています。しかし、面白そうだと思って書いてはみたものの、書く前の事前指導がないので、書いたあとの評価も、主観的にただ褒めるだけか、表記の間違いを注意するかだけになってしまいます。つまり、指導と評価を結びつける明確な基準がないのです。
 第九は、作文指導に関しては、通信教育のほとんどが小1から小6までで終わっていることです。
 作文の学習が本当に勉強らしくなるのは、小学校5、6年生の説明文のあと、中学生の意見文に入ってからです。ところが、どの作文通信講座も、小6の公立中高一貫校の作文試験を終点としています。だから、本当の実力がつかないのです。(つづく)
岸本裕史さんの「家庭塾」(facebook記事より)
 ふと岸本裕史さんの「見える学力、見えない学力」を読み返して、末尾に紹介されている家庭塾に気がつきました。
 共働きで家で子供の勉強を見てやる余裕がなく、しかし塾にも行っていない子供たちを、夕方、2、3軒から5、6軒の家庭の持ち回りで読み書き計算の勉強をさせるのです。
 ルールは、あいさつをきちんとする、すぐに取りかかる、勉強中の私語はしない、時間が来たらすぐやめる、後片付けきれいにする、など。
 親が教えるわけではなく、異年齢の子供たちが互いに教え合う仕組みで学力をつけ...、やがて初めは遠巻きに見ていた父親たちも巻き込んで、次第に広がっていく話です。
 現代は家庭どうしがばらばらに孤立し、その中で同じように孤立した子供たちが、学校や塾でのグローバルな競争に否応なく駆り出されています。
 まるで今の大人の社会の縮図のような子供の世界です。
 こういう現代の教育の行き詰まりを、この古いアナログの教育が軽く乗り越えていく未来のイメージが見えました。
作文と小論文の違いとは言うが(facebook記事より)
 こういうことを言う人がいます。
「作文じゃなくて、小論文だよ」
 どちらでも大して変わりません(笑)。だから、言葉の森では、小学生から高校生まで全部まとめて作文と言っています。
 例えば、「私の友達」という課題。これを作文風に書くとすれば、友達との出来事を中心に書き、最後に自分なりの感想でまとめます。
 小論文風に書くとすれば、「友達とは人間にとってどういうものか」という主題を先に考え、その主題に合う実例を書いていきます。
 一見大きな違いがあるように見えますが、作文と小論文の間には曖昧なグレーゾーンが幅広くあるのです。
 大事なことは、「作文じゃなく小論文だ」というような定義のはっきりしない言葉で、子供がせっかく書いた作文をけなさないことです。
 作文には、書いた子供の思い入れがあります。だから、どんな場合にも、いいところを見つけてあげることが大事で、直すときも子供にはっきりわかる言葉で説明する必要があります。おおまかに、「これでは○○じゃないか」というような批評にもならない批評はするべきではないのです。
 世の中の作文が苦手という子供のほとんどは、周囲の大人が作っていると思います。
国語、算数、英語、遊び(facebook記事より)
 これからの勉強は、国語、算数、英語、遊びになるでしょう。
 国数英は、習得するのに時間がかかり、他の勉強の基礎になるので必要です。しかし、それだけでは誰も同じような金太郎飴の人間になってしまいます。遊びを通して無数に枝分かれする自分の個性を伸ばしていくことが、これから最も大切な勉強になります。
 遊びの世界は、小さいころのお絵かき、粘土、お人形さんごっこ、積木、ちゃんばら(もうないか)、秘密基地作りなどから始まって、昆虫採集、料理作り、電子工作、自然探検、プログラミング、理科実験、生物飼育など、自然の世界に無限に広がっています。
 ただし、商業主義の遊びは、上手に避けることも必要です。それは、ゴールが与えられた遊び、勝ち負けにこだわる遊び、受け身で見る聞くだけの遊び、物を買えば済む遊びです。
 いい遊びは、作る遊び、集める遊び、お金をかけずに手間をかける遊び、いくらでも工夫できる遊びです。
 子供の毎日の家庭学習の中に、遊びもうまく取り入れていきましょう。勉強だけするよりも、ずっと頭も性格もよくなります。
 と言っても、遊びは何かの役に立つから大事というのではなく、子供にとっては幸福に熱中できる時間を過ごすこと自体が人生の目的なのです。
最初の作文でたくさん書いたとき(facebook記事より)
 犬と楽しく遊ぶには、例えばボール投げのような子犬が熱中する遊びでも、腹八分目で切り上げて毎日少しずつやることです。
 人間の子供も同じ(犬と一緒にしていいのか)。長続きさせたいことほど、八分目で切り上げることが大事です。
 小学生のころは、勉強も、読書も、楽しさを味わう時期です。子供たちはもともと楽しく生きているので、やらせれば何でも楽しくやります。しかし、そこで長時間やらせたり、難しいものをやらせたり、がんばってやらせたりすると、楽しさはだんだんなくなってきます。
 小学校低学年の子が作文を書くと、最初は1000字ぐらい書く子がいます。初めてやることは楽しいので、だれでも精一杯がんばるのです。
 しかし、小学生が無理なく書ける字数は、学年の100倍から200倍です。(小2なら200~400字、小5なら500~1000字)
 最初にたくさん書いた作文を見ると、親や先生は、2回目も3回目も同じような字数を要求するようになりがちです。すると、作文を書くことが苦痛になってきます。
 更に、書いたあと間違いを次々と指摘されでもしたら目もあてられません(笑)。間違いは、書き出す前にアドバイスしておくものです。書いたあとは、ただ褒めるだけ。
 勉強を無理にさせられなかった子は、学年が上がると自然に勉強が好きになってきます。人間にはもともと向上心という本能のようなものがあるからです。
 でも、どうしても小学生のときに苦しい勉強もしなくてはならないという人は、お母さんができるだけ笑いのある形で勉強を進めることです。途中経過がどんなに苦しくても、夜ふとんに入る前は笑顔で終わる工夫をすること、これがお母さんやお父さんの仕事です。
いい点数をとったとき(facebook記事より)
 大事なものは、点数に出ない。
 点数にすると、大事なものでなくなる。
 例えば、相手への思いやりなど。
 だから、大人は、子供たちのその点数に出ないところを認めてあげよう。
 点数として表されるところばかり見ていると、人間がだんだん動物のようになってきます。
 日本文化のよさも、たぶんこの点数として表しにくいところにあります。
 自分の子供がいい点数を取ってくれば、親はうれしいものです。しかし、それで終わりにするのではなく、時には次のように言ってあげるといいのです。
「こういういい点数をとるような恵まれた頭を持っていることに感謝して、それを将来みんなにお返しするんだよ」
 こういう言葉かけが、その子を人間らしく成長させていくのです。
 
ホーム 言葉の森新聞