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  9月17日(月)・22日(土)は休み宿題
  新学期の教材を発送します
  小学校の早めの時期に作文を勉強する意味
  入試は数学、実生活は国語
  いつでも褒めて明るい勉強を
  毎日やることが自習の原則
  親がいないとできない自習ではなく
  多読と精読が国語力を育てる
  親が本を読む姿を見せること
  精読とは繰り返し読むこと
 
言葉の森新聞 2012年9月3週号 通算第1240号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
9月17日(月)・22日(土)は休み宿題
 9月17日(月)・22日(土)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時-午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
新学期の教材を発送します
 新学期の教材を9月18日(火)―21日(金)に発送する予定です。
 国内の生徒で26日になっても届かない場合はご連絡ください。
 住所シールと項目シールも同封します。
■■勉強の仕方総まとめ
小学校の早めの時期に作文を勉強する意味
 9月に新しく言葉の森に参加された方が多いので、勉強の仕方でよく勘違いされているところを説明したいと思います。
 まず、小学校1、2年生から作文の勉強を始めた生徒です。小学校1、2年は、勉強の基本的な習慣が作られる大切な時期です。この時期に作文を書くというのは、まだ文字を書くのもおぼつかない子も多い時期なので、早すぎると思う方がいるかもしれませんがそうではありません。
 小学校の1、2年生で始めた習い事は、形は変わっても一生続く勉強となるものが多いのです。実際に、中学生や高校生で作文を書いている生徒の多くは、小学生の早い時期に作文の勉強を始めています。
 作文がある程度楽に書けるようになってから始めた勉強では、スランプが来たり生活が忙しくなったりすると、すぎにやめてしまいたくなることが多いのですが、低学年のころから始めた勉強は、苦しい時期があっても続けることができるのです。
 そして、結局長く続けた勉強は、必ずその子の実力として残ります。だから、言葉の森の作文のように長期間続けられる勉強は、小学校の早い時期に始める必要があるのです。
 しかし、これは他の作文の通信講座などにはあてはまりません。他の作文通信講座や作文教室では、小学生のころから始めても、小学生で終わってしまうものがほとんどです。作文の勉強の本当の目的は、小学生のときに上手な作文を書くことではありません。もちろん、中学受験で作文の試験がある場合は、合格する作文を書くことが目的になります。
 
 中学受験の作文ということが当面の目的でなければ、小学校時代の作文の勉強は、中学生、更には高校生になって立派な論説文を書けるようになるための準備なのです。ここが、多くの人の勘違いしているところです。子供が小学校3年生だったら、その3年生で上手な作文を書くことを目的にして、その結果子供に無理なことをさせたり(上手な子の作文を見せて、同じように書かせようとしたり)、あるいは肝心のことをさせなかったり(読書や音読・暗唱や対話などをせずに、作文の手直しばかりに力を入れたり)している家庭も多いのです。
 では、家庭は作文の指導にどう関わったらいいのでしょうか。それをあとで述べていきます。

入試は数学、実生活は国語
 ところで、今の入試は、中学入試でも高校入試でも大学入試でも、算数・数学の出来不出来が大きく合否を左右します。それは、算数・数学というものが、できる子とできない子の点数の差が大きい教科だからです。
 これに対して、国語の成績は、できる子とできない子の差がそれほど大きくはありません。どんなにできない子でも、国語が0点ということはありません。また逆に、どんなにできる子でも、国語が100点ということはめったにありません。
 これに対して、算数・数学や英語は、0点も可能ですし、100点も可能です。それは、算数・数学や英語は、勉強しないとできるようにはならない教科だからです。
 国語は、勉強する教科というよりも、国語的な生活文化の中で実力が自然に育つ教科です。ところが、学校時代は数学又は英語の成績が合否を左右します。社会に出ると、数学や英語の出来はもうあまり関係がありません。社会で活躍している人の中には、数学や英語が得意でない人もいます。しかし、そういう人たちに共通しているのは、国語力があるということです。それは、国語の成績として表れるものとは多少違いますが、その能力は、難しい本を読む力、複雑な話を理解する力、自分の考えをわかりやすく述べる力などで、要するに、本当の意味での国語力なのです。
 このような国語力は、頭のよさと同じです。数学や英語の成績は、頭のよさではなく、勉強の正しい方法論×かけた時間です。数学や英語の成績をよくするのはもちろん必要ですが、それよりも大事なのは、将来社会に出てから学力の中心になる真の国語力なのです。
いつでも褒めて明るい勉強を
 さて、それは、家庭での作文指導のポイントを説明します。
 まず、必ず褒めて、明るい雰囲気で勉強をすることです。叱ったり注意したりして、暗くて真面目な雰囲気勉強をさせると、子供の能力は低下します。人間に限らず生き物は、いい記憶は長く保持し、悪い記憶は早く忘れようとします。そして、忘れられないほど悪い記憶には、近づかないようになります。大学生になったり社会人になったりしてから勉強をしなくなるのは、小学校時代に悪い思い出として勉強をさせられた子供たちです。
 大人が今すぐ注意したくなる子供の勉強上の欠点は、そのほとんどが放っておけば自然に治るものです。例えば、音読が下手だとか、声が小さいとか、作文で同じ字を間違えるとか、字が雑だとかいう場合です。
 こういうことを親がそのつど注意すると、親は子供に注意することが持って生まれた性格のようになってきます。こういう注意する性格になってしまうと、子供が小4のころまでは仕方なく親の言うことを聞きますが、小5から子供に自立心が出てくると、逆に親の言うことは一切聞かないようになります。
 それと同時に問題なのは、注意が言葉の上だけになり、実行するまで徹底させられないことが多くなることです。例えば、「もっと大きい声で読みなさい」などと注意した場合、すぐに素直にそう読める子はいません。また、「字をきれいに書きなさい」と言った場合、すぐにきれいに書くというような子もまずいません。すると、毎回のように親は同じような注意をし、子は同じように守れないという状態が続き、やがて子供は、親のいうことは聞かなくてもいいものだと自分なりに学習していきます。
 言葉の森の通学の教室でも、一度の注意ですぐに言うことを聞かない子がかなりいます。これは、親の言うことは聞かないでいいと学習してきた子供たちです。そういう状況がなぜ今生まれやすくなっているかというと、父親が家庭で子供の教育に関わる時間が少なくなっているからだと思います。一般に父親は言葉よりも実行を優先しますから(口下手なせいもありますが)、子供は父親との関係では言うことを聞くようになります。しかし、父親が子供たちの教育に関わる度合いが少ない場合は、母親がそれ以上に父親の役をしなければなりません。それが有言実行で、言ったことは必ずやらせるということです。だから、やらせるあてのないことは、言わないということも大事なのです。そのことによって、いつも褒めて明るい勉強というものしやすくなるのです。
毎日やることが自習の原則
 次は、毎日の自習の習慣です。
 この自習の習慣というものは、家庭の実態によってさまざまなバリエーションがあります。だから、他の家庭でできることでも、自分の家ではできない、あるいは、別のやり方の方がいいということも当然あります。そこで大事になるのが、お母さんやお父さんの工夫です。言葉の森の自習を機械的にあてはめてやらせるのではなく、その子の実態に応じて無理なく、しかし最も有効な方向でやらせるのが、いちばん身近な親の役割です。
 ですから、言葉の森で提案している自習は、あくまでも目安として、実際には家庭での実情に合わせて柔軟に取り組んでいってください。
 ただし、柔軟にとは言っても、重要な原則があります。それは、毎日欠かさずにやることです。読書や音読や暗唱が続かなくなるのは、毎日ではなく気の向いたときに、又は週に数回というペースでやるからです。短い時間の単純な勉強は毎日やると決めておけば続きますが、時間のあるときにやるという形では、どんなにがんばっても続かなくなります。
 子供が風邪や旅行などで数日自習を休んだときは、元の生活に戻っても、自習も自然に戻るということはありません。そこは、親が、「じゃあ、また自習を始めようね」と言う必要があります。
 そのタイミングを逸して、子供が自習をしない状態がずるずると続いているときに改めて自習を開始する方法として役立つのが、月の切り換わりや学期の切り換わりのときです。例えば、「しばらく自習を休んでいたけど、今度、○月になったらまた始めようね」ということを前月の末のうちに言っておきます。間違っても、当日急に、「今日から自習を始めるよ」などと言ってはいけません。子供が心の準備をしてそれなりに納得した状況を作っておくことが大事です。こういうちょっとした工夫ができれば、何事もスムーズに進みます。
親がいないとできない自習ではなく
 短い時間の自習を毎日するのに最適な方法は、朝ご飯の前に勉強をすることです。しかし、中には、朝食を食べない家庭や、毎日朝ぎりぎりまで起きないという家庭もあります。そういう家では、またその家庭なりの時間帯を確保するようにしてください。
 自習を長く続けるためには、親がいないとできないという形にしないことです。例えば、夜一緒にお風呂に入ったときに暗唱するという家庭もありますが、その習慣は、子供がひとりでお風呂に入るようになると途絶えてしまいます。
 朝ご飯の前の音読や暗唱でも、親が長文をチェックして聞いているような形では、親がいないとできない自習になってしまいます。親は自分の仕事をしながら(朝ご飯の支度をしたり、新聞を読んだりしながら)、聞くともなしに子供の音読を聞いていて、子供が読み終えたら褒めてあげるという無理のない形がいいのです。

 
多読と精読が国語力を育てる
 毎日の自習は、国語や作文の本当の実力をつけるためのものです。そのための最も有効な自習は、好きな本を毎日読むこと(多読)と、少し難しい言葉や言い回しのある文章を繰り返し読むこと(精読)です。これと正反対の国語の勉強が、国語の問題集を解くような勉強です。
 ここは、きわめて多くの人が誤解していることですが、国語の問題集を解くような勉強をしても、国語の実力はつきません。数学の勉強法は数学の問題集を解く形でしかできませんから、多くの人はその延長で国語の勉強も問題集を解くような形を考えてしまいます。そして、実際に、学校でも塾でも通信講座でも、国語の勉強として教えられる方法は、この問題集を解く形の勉強法なのです。
 ところが、実際に中学生や高校生で国語の得意な子を見てみると、そういう問題集を解いて力をつけたというような子はいません。国語の得意な子は、問題を解くような勉強をしなくても生まれつき得意なのだと言う人もいます。しかし、それは生まれつきではなく、毎日の生活の中で自然に多読と精読をしてきたおかげなのです。
 小学校時代の学力の基本は国語力です。算数などの教科は、あとから取り組んでも時間をかければできるようになります。国語だけは時間をかけてもなかなかできるようにはなりません。だから、小学校時代は、勉強よりも宿題よりも、読書を優先させるぐらいでちょうどいいのです。学校の宿題が多くて大変なときは、お母さんが代わりにやってあげてもかまいません。そして、子供には確実に読書の時間を確保しておくことです。
親が本を読む姿を見せること
 子供に本を読ませる秘訣は、まず毎日のページ数を決めて読ませることです。例えば、毎日10ページ以上というページ数であれば、だれでも本を読むことができます。本にはもともと読み手を引き付ける力がありますから、毎日読んでいれば、必ず読むことが好きになります。
 そのためには、子供の実力に相応の少し易しめの楽しい本を読ませることです。「怪傑ゾロリ」のような本でも、子供が楽しんで読んでいれば、それがいちばんいい本です。
 子供が読書好きになるもう一つの方法は、親も同じように親の好きな本を読む姿を子供に見せることです。親の読書好きと子供の読書好きには、高い相関があります。子供のいる前で親が本を読んでいる姿を見せることが最も簡単な読書の教育です。
精読とは繰り返し読むこと
 さて、多読で読む力の基礎をつける一方、もう一つ大事なのは、精読で読む力をつけることです。しかし、精読とはじっくり読むことではありません。繰り返し読むことです。やや難しい文章を繰り返し読むために最も役に立つ方法が音読です。
 音読をすすめる人の中には、何のために音読をするのかわかっていない人がかなりいます。ただ昔からある方法だからという理由で、昔からある有名な文章を音読させることが目的のようになっている音読のすすめがほとんどです。そうではなく、音読の最も重要な意義は、繰り返し読むためには音読が有効だということにあるのです。
 難しい文章であっても、繰り返し読んでいると、読むつれて内容が理解できるようになってきます。文章の理解というのは、知らない言葉を調べたり、文章の意味を人に聞いたりする中でできるのではありません。そういう方法は、理解できた気がするだけで、読んだものが自分の血や肉になる読み方ではありません。文章は、丸ごと繰り返し読む中でそのエッセンスが自分の理解力を育て、その中の表現が自分でも使えるようになるのです。この音読をもっと徹底させたものが暗唱です。(つづく)
 
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