言葉の森新聞 編集用
印刷設定:A4縦用紙 :ブラウザの文字のサイズ:最小 ブラウザのページ設定:ヘッダーなし フッターなし 左余白25 右余白8 上下余白8
  9月17日(月)は休み宿題
  評価更新のメール届かないようになります
  今後の世界経済と日本の未来
  上げ潮の英会話ブームのあとに来るもの
  熱心な勉強より長続きする勉強を
  本当の電話指導と担任制がある作文教室は言葉の森だけ
  口で言うだけの注意よりも、実行できることに絞った注意
  読書感想文の宿題を出すのはやめよう
  進んで取り組む受験と、引きずられて取り組む受験
  作文力、読解力、勉強力の四つのパターン
 
言葉の森新聞 2012年9月2週号 通算第1239号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
9月17日(月)は休み宿題
 9月17日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時ー午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
評価更新のメール届かないようになります
 言葉の森では、毎週の作文の評価は、先生がウェブから送信するようにしています。
 これまでは、その評価の更新のメールが、生徒又は保護者の登録メールアドレスに届くようになっていました。
 しかし、これは、まだインターネットというものが一般的でなかった十数年前の設定で、現在は誰でも日常的にインターネットを利用するようになっています。
 また、登録されるメールアドレスについても、最近は、PCメールではなく携帯メールが増えてきました。
 そこで、今後は、評価更新のメールが登録メールアドレスに届かないようにします。
 言葉の森のサイトは、古くから作ったものにいろいろな改良を積み重ねているので、全体として使いにくいものになっていると思います。いつか抜本的な改善をしていきたいと思っています。
今後の世界経済と日本の未来
 現在の世の中の動きがわかりにくくなっているのは、一方で破綻し崩壊していくものがあり、他方で新しく台頭しているものがあるからです。
 経済の世界で言うと、欧米の先進国の経済破綻は、避けられないものになってきています。しかし、その反面、新興国の経済は今後発展すると言われています。しかし更にその一方で、新興国の発展は、先進国の需要に支えられたものであり、その経済の中身も先進国のコピーでしかないとも考えられています。
 経済の行き詰まりだけでなく、近年の自然環境の激変で、世界各地の食糧生産は大きな打撃を受けています。(日本の場合は、今年のコメ生産がやや豊作ということでしたが)
 ここから予想される未来は、次のようなものになると思います。
 まず、先進国のどこかで、財政の破綻がマネーの印刷では支えきれないものになるときが来るでしょう。すると、その財政破綻を材料にして行われていた一種の博打によって、ある企業又はある国の破綻は、瞬く間に世界全体に広がるでしょう。
 その結果起こることは、国際間の決済が消滅することによるグローバリズム経済の一時停止です。それは、国内でも、より緩やかな形ではあるものの、流通の一時停止ということで起こります。それは、ひとことで言えば、「物がなくなる」「お金が使えなくなる」「仕事がなくなる」という3つの「ない状態」です。
 
 その状態のときに、奪い合う社会と助け合う社会の差が出てきますが、どちらの社会でも等しく進むのは、都会からの脱出と田舎への回帰だと思います。流通の途絶えた都会では、これまでの便利さが一転して不便さに変わります。強力な統制によって都会の治安は守られるとしても、人間が都会で日常生活をするには多くの不便が強いられることになります。すると、残る選択肢は、物とお金の流れが復活するまでの間、しばらく田舎に避難しようということになるのではないかと思います。
 田舎の強みは、食における自給自足が可能だということです。つまり、グローバリズムとは対極にある経済の仕組みが成り立っているということです。そして、経済の停滞の長期化に比例して、自給自足は、食以外の様々な分野に広がっていくでしょう。この仕組みをいち早く完成させた国が、未来の社会の理想像を提案することになります。
 やがて、経済全体が復活し、物とお金の流通が再開されたとしても、自給自足社会のよさを味わった人は、またこれまでのような都会に戻ろうとは思いません。むしろ、都会は、週末などに訪れるレジャーの場になるかもしれません。この人々の意識の変化に伴って、都会の姿も次第に変容していくでしょう。
 いずれにしても、これから起こることは、いたん経済の急ブレーキが踏まれ、そのあと、車から降りた人がとりあえず徒歩で歩き出すだろうということです。そのときに大事なことは、徒歩であっても行く先のあてがあることなのです。
上げ潮の英会話ブームのあとに来るもの
 英会話教室は、日本ではかなり前から大きな広がりを見せていました。現在の大きな変化は、小学校から英語教育が始まることによって、民間の英会話教室が幼児や低学年に広がっていることです。
 しかし、私はこのブームはしばらくの間だけのことではないかと思います。それは、社会人の英会話教室が、次のような経過をたどっているからです。
 日本で民間の英会話教室が広がったのは、日本人が中学高校の6年間の英語教育を受けていながら満足に英語が使えないという状態があったからです。
 しかし、その民間の英会話教室でも、満足に英語を使えるようになる教育はできませんでした。そのあとに来たのが、これまでの英会話教室で何年やっても英語が身につかなかった人たちを対象にした英会話教室でしたが、その教室でも結果は同じでした。
 同じようなことが、幼児や低学年の英会話教室についても言えるのではないかと思います。もちろん、これまでとは違う新しい方法で、英語教育を実践しているところもあるので、将来英語教育が飛躍的に進歩する可能性もあります。
 しかし、今後しばらく間起こりそうなことは、幼児期からの英会話教育があまり効果がないとわかってくることです。
 海外に赴任した人たちの間でよく聞く話は、年の違う兄弟が海外に行った場合、日本語力の備わった上の子は英語の習得が早かったが、日本語力のまだおぼつかない下の子は習得が遅かったというケースが多いということです。
 言葉は、単なるコミュニケーションのツールではなく、物事の理解の仕方や認識の仕方のツールです。それは、ツールというよりも手足の一部のようなものです。
 手足は日本語という母語で確実に使えるようにしておき、その上で英語というツールを使えるようにするのはいいのですが、手足も英語化しようとなると、必ずどこかで無理が出てきます。
 今、多くの人が幼児期からの英語教育に関心を持っていますが、本当はもっと先のことを考える必要があります。それは、英語教育を否定することではなく、日本語力の確実な土台の上に、英語教育を打ち建てることなのです。
熱心な勉強より長続きする勉強を
 体験学習をしている子供のお母さんの中には、子供につきっきりでアドバイスをして、長時間熱心に教えてしまう人も多いと思います。
 作文というものは、特に低学年の作文の場合は、大人が見れば不十分なところだらけです。小学校1年生の生徒では、会話の改行など何度教えてもわからないのが普通です。それは、普段の会話で話し言葉にカギカッコがついていたり、改行されていたりするようなものを見ていないからです。会話がカギカッコで改行だとわかるのは、そう書いてある本を何度も読んで自然にそのルールを覚えるからです。
 ところが、大人は、自分にわかっていて子供にわからないことを、つい理屈で教えてしまおうとするのです。理屈で教えたことは、一度ではなかなか身につきません。すると、熱心に教えれば教えるほど、大人は叱ることが多くなり、子供は勉強が苦手だと思うようになるのです。
 熱心に教えれば確かに少しずつではあっても効果は上がりますが、それよりも大きいマイナスは、そういう勉強の仕方は長続きしないということです。それは、勉強をすることによって、親も子もくたびれてしまうからです。
 力のつく勉強は、長続きする勉強です。長続きさせるためには、教える方も教わる方もくたびれずに行うということが大事です。そして、その中でも特に、教える側がくたびれないということが大事なのです。もし、お母さんが子供に教えていて負担に感じることがあったら、次の点をまず改善するようにしてください。
・作文の授業でない日に、毎日長文の音読や暗唱を行い実力をつけておく
・毎日読書をして、文章を読むことに慣れておく
・作文の課題を事前に見て、その課題に合ったお父さんやお母さんの似た話をしておく
 以上の、作文の授業のない日にやっておく準備ができていれば、もし当日、作文が書けなくなっても対処の仕方は簡単です。それは、親子で一緒に構成図を書くことです。その場合、親が子供と話をしながら親のペースで構成図を書いていきます。これでは、親の書いた作文のようになりますがそれでもいいのです。
 何度かこういうやり方で構成図を書き、それをもとに作文を書かせていると、子供はすぐに自分で書く要領を身につけます。
 このあたりの方法でわかりにくいところがありましたら、いつでも言葉の森事務局にお電話でご相談ください。
本当の電話指導と担任制がある作文教室は言葉の森だけ
 言葉の森に来る生徒の中に、ほかの通信講座で作文の勉強をしていたが書けないので言葉の森でやることにしたという方がかなりいます。
 他の作文の通信講座の中には、電話指導や担任制をうたっているところもありますから、言葉の森での作文指導とあまり変わらないと思う人もいるかもしれませんが、中身は全く違います。
 どこが違うかというと、言葉の森の電話指導は毎週あるということです。毎週同じ先生が同じ生徒に電話をするので、その生徒の勉強の様子がよくわかるということです。同じ先生で何年も習うということもありますから、小学生で勉強を始めた子がいつの間にか高校生になっていたということもよくあります。言葉の森以外の作文通信講座では、そういうことはまずないと思います。
 だから、最初の勉強でどこを選ぶかということはとても大事なのです。
口で言うだけの注意よりも、実行できることに絞った注意
 教室の子供たちの中に、一度の注意ですぐに言うことを聞ける子と、何度目かの注意でやっと言うことを聞くタイプの子とがいます。最終的にはみんな言うことを聞くのでいいのですが、この両者のタイプの違いはどこにあるかというと、家庭での親の注意の仕方にあると思います。
 一般に女の子は、優しいひとことですぐに言うことを聞きますが、男の子は注意されていても知っていて言うことを聞かないという傾向があります。これは、たぶん生物の生存上、その方が有利だったからです。
 ところが、注意するのは主にお母さんですから、男の子に注意する場合、女の子に注意するのと同じように口で言うだけで済ませてしまうことが多いのです。
 例えば、「○○を片づけておきなさい」「はい」と言っても、男の子はすぐには片づけようとせずにそのまま忘れてしまうことがあります。口で注意したのに実行しなかったという状態が何度か続くと、子供は、「言われたことは一度で言うことを聞かない方が楽だ」という能率のよさを学習してしまいます。最初に学習したことは強固ですから、その後、いくら厳しくしても、一度で注意を聞けない子になってしまうのです。
 男の子に注意する場合、口で言ったことは必ずその場で実行させるというところまで持っていくというようにするといいと思います。
読書感想文の宿題を出すのはやめよう
 今年の夏は、読書感想文の宿題についての相談がかなりありました。
 なぜ学校でそういう宿題を出すのかというと、普段の授業で読書感想文の書き方についての指導をしていないからです。もし、普段の授業で感想文の書き方を教えていて、その練習を家庭でも行えるようにするということで宿題を出しているのであれば問題はないのですが、ほとんの場合はそうではないと思います。学校で感想文の書き方を教えていないから、家庭での宿題として出しているのです。
 ここで問題になるのは、そういう宿題を出された小学校低学年の家庭です。子供はどう書いていいのかわかりません。親もどう教えていいのかわかりません。しかし、宿題として出されているぐらいだから、ほかの家庭では子供が自分でその感想文の宿題をやっているのだろうと思ってしまうのです。ところが、小学校の低学年で、自力で上手な読書感想文を書ける子などはひとりもいません。
 これと似ているのが、小学校高学年あるいは中学生での、難しいテーマで書く作文の宿題です。毎年よくあるのが「人権」「平和」「環境」などについての作文です。これも、普段、学校の授業でそういう勉強をしたり、そのことについての作文を書いたりしている延長で、家庭でも宿題として取り組もうということならいいのですが、実際は、学校で教えていないから家庭での宿題として出しているのだと思います。
 学校は、勉強を教えるところであって、点数をつけるところではありません。宿題を出す前に、授業の中できちんと指導することに取り組んでほしいと思います。
進んで取り組む受験と、引きずられて取り組む受験
 受験勉強には、プラスの面とマイナスの面とがあります。中学3年生以上で、子供が自分の意思で自覚して取り組むときの受験勉強は、その子自身を大きく成長させます。自覚して取り組んだときの勉強の密度はかなり高いので、それまでの数年間の遅れなどすぐに取り戻せるということがよくあります。
 だから、子供たちの勉強で大事なことは、早めに受験勉強に取り組ませることではなく、普段から自覚的、自主的に物事に取り組むようにしておく習慣作りと、その学年に応じた基礎学力作りです。
 受験勉強のマイナス面は、引きずられて受験に取り組む場合に出てきます。本人にまだ自覚が十分でないときに、受験という競争状態に入ると、意欲を持たせるために、賞罰や競争の勝ち負けという刺激に頼る場面が出てきます。これもほどほどであれば問題はないのですが、あまり頻繁に刺激で意欲を持たせようとすると、刺激がなければ勉強しないという子になってしまうのです。
 こういう受験勉強の弊害は一般にはあまり明らかになりませんが、それでも次第にそういう心配をするお父さんやお母さんが増えてきたように思います。
 いちばんいいのは、普段から確実な基礎学力を育てておき、子供が自分の意思で受験勉強に取り組むようになったときの土台を確実に作っておくことです。そして、この普段からの確実な基礎学力をつけるのは、やはり家庭学習がいちばんふさわしいのです。
作文力、読解力、勉強力の四つのパターン
 子供たちの勉強の様子を見ていると、作文力、読解力、勉強力の進歩に四つのパターンがあるようです。ここで言う勉強とは、英数国理社の通常の勉強で特に英数の勉強のことです。
 第一は、勉強と読書をしている子です。こういう子は、今は作文は苦手でも、勉強を開始すれば次第に作文力もついてきます。
 第二は、勉強だけをしている子です。こういう子は、今は成績がよくても次第に実力が伸び悩み、読解力も作文力もなかなかつきません。
 第三は、作文だけを書いている子です。こういう子は、作文は得意になりますが、勉強の面で弱点が残ります。
 第四は、作文と読書をしている子です。こういう子は、作文力も読解力もあるので、勉強を始めると、作文、読解、勉強のすべてができるようになります。
 もちろん、している、していないと言っても、それは程度問題ですから、はっきりと四つのパターンに分かれるわけではありません。しかし、大きく考えると、小さいころの優先順位は読書が第一で、学年が上がるにつれて勉強と読書を並行して行うようにし、その一方で作文は小さいころから一定の時間をかけて取り組むというようにしていくのがいいのではないかと思います。
 
ホーム 言葉の森新聞