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  パターンを学ぶ構成作文と縦列駐車
  がんばれ、ならちゃん!(なら/なら先生)
  介助犬のおしごと(かいす/きあ先生)
  「待ちます」宣言(たんたん/はらこ先生)
  探査衛星「かぐや」(きりこ/こに先生)
 
言葉の森新聞 2008年4月3週号 通算第1027号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
パターンを学ぶ構成作文と縦列駐車
 言葉の森の作文の書き方は、あるパターンを指定してその枠に沿って書く形になっています。こういうスタイルで作文の勉強をしているところは、ほかにはないと思います。
 なぜパターンや表現項目を決めて書くかというと、事前指導に力を入れるためです。事前に作文の書き方のアドバイスができるので、生徒は作文を書きやすくなるのです。
 一つの書き方を何ヶ月も続けていると、作文を書く形が決まってきます。しかし、それで不自由になるかというと、そうではありません。
 4.2週の言葉の森新聞に高3のM君のメッセージがあります。その中に、次のようなことが書いてありました。「作文を書くのが得意になってきたら、だんだんこの『設計図』を、自分なりに『崩してゆく』ことをしたいと思うようになるでしょう。私の場合、最初は学校の作文などでも、言葉の森で習ったような型で書いていましたが、作文が楽しくなると、それを自分なりに変え、いくつかの学期でのポイントを組み合わせるようになりました」
 つまり、自分なりに自由な書き方をするための土台として、構成を決めて書く練習があるのです。設計図どおりに書く力があれば、設計図を自由に変更して書くことができるようになります。
 自動車教習所で縦列駐車を学ぶときの方法も似ています。「車の左の角があの目印のとこころに来たらハンドルを左に切って、そのあと右の角があの目印のところに来たら右に切る」。これで、初めての人でも一度で縦列駐車ができるようになります。しかし、その方法は、その場所に停めるときにしか使えません。ところが、何度もその場所をその方法で停めていると、次第に縦列駐車一般の停め方が身についてきます。
 似たことは、勉強の仕方にもあてはまります。成績を上げるコツは、同じ参考書や同じ問題集を何度も繰り返し勉強することです。ところが、多くの人はつい、同じものを何度もやるよりも、違うものを少しずつやった方がいいと思ってしまいます。
 一冊の問題集を繰り返し解く場合、一回目で解けなかった問題が二十パーセントあり、二回目で解けなかった問題が十パーセントあり、三回目で解けなかった問題が五パーセントあれば、その問題集は最終的に九十五パーセント消化したことになります。しかし、一冊目の問題集で二十パーセント解けない問題があり、二冊目の問題集でも二十パーセント解けない問題があり、三冊目の問題集でも二十パーセント解けない問題があれば、それらの問題集は最終的に八十パーセントしか消化できなかったことになります。そして、かかる時間は三冊の問題集を解く方がずっと多いのです。
 まずパターンをすっかり身につけるということを勉強の中心に置き、そのパターンの中身を豊かにする方法として、読書や体験に力を入れていくというのが作文の勉強の考え方です。

がんばれ、ならちゃん!(なら/なら先生)
 この記事を書いているのは、東京マラソンからほぼ1ヶ月後となります。自分の中では、もう遠い昔のことのようで、細部のあれこれは既に記憶のすみっこに追いやられているようです。この感覚は不思議! 1年以上前からこの日のためにぼちぼちと練習を重ね、当日も体と気持ちをフルに使って42.195キロを走ったはずなのに……。強いて言えば「楽しかったなぁ。」という思いくらいしか、残っていないのです。人間の記憶というものは、案外、自分の都合のいいようにできているものかもしれません。
 
 今回の本番で気付いた一番大きなこと、それは、言葉と体の連動です。実は、私は「がんばる」とか「がんばれ」という言葉は、あまり好きではありませんでした。がんばらなければ・何とか気合を入れなければ進めていけないようなこと、それはその人が本質的に求めるものではないし、適性のないことである・「がんばろう」と思わなくても言われなくても、自ら進んでやれることを見つけるべきだ、と思っていたのです。もちろん、自ら進んでやれることを見つけてそれに取り組んでいる姿を他の人が見たら、「おぉ、がんばっているね。」と思うかもしれませんね。ただ、やっている本人の自覚としては、「がんばろうと気合を入れなくても、前向きに取り組めることをやっているのだ。」という方が、望ましくあるべき姿だと思ってもいました。また、安易に他人に「がんばれ」というのも、その人の状況や今までの取り組みを無視するようで、あまり口にしたくない言葉という感覚もあったのです。
 本番前に風邪をひいて体調が思わしくないまま、走り始めましたが、練習のときよりも全く体は動きません。正直、2キロくらいで「もう、ダメかも。」と思い始め、どこでリタイアするか、そればかり頭の中で考えている始末。先は40キロもあるのにね。そんな中で、何とか走れたのは、他ならぬ「がんばれ」の声だったのです。声の主は2名プラスアルファ。一人は、私の家族です。予定地・時間を大きくはずれたにも関わらず、そして、道の反対側にいたのに私を見つけ、大きな声で「がんばれ!」と叫んでくれました。そして、もう一人は友人です。ウェアとゼッケン番号を頼りに、マラソンルートを先回りして、私を探してくれたとのこと。3万2千のランナーの中から私を見つけ出してくれたのは、35キロ地点に差しかかったところでした。私は「ならさーん、がんばって!」という声は空耳かと思い、それでも振り返ったところに友人の顔を発見し、どんなに力を与えてもらったことか。そして、プラスアルファ。沿道にはたくさんの応援の方、運営スタッフ・ボランティアの人がいます。直接の知人ではなくても、「がんばって!」と声をからして応援してくれます。スタート2キロ時点でリタイヤを考えていた私が、何とか完走できたのは、「がんばれ」の声があったから、これに他なりません。
 「がんばれ」と言われ「がんばろう」と思う。これで、どれだけ体が反応するか。それは、今まで私が実感したことのない現象でした。その声が自分に向けられたものだと認知したときに、体が確かに軽くなり、足が前に出たのです。もちろん、脊髄反射のように、言葉には関係なく体が反応を示すこともあります。しかし、自らの意志で動かすということは、言葉なくしてはありえません。それが、自らの言葉であれ、他者からの言葉であれ、動きに大きな影響を与えるという当たり前のことを、私たちは忘れてはならないのだと思います。
 そう考えると、自分自身に対しても、また、教える立場にあるものとして、生徒と話すときにも、肯定的なフレーズを積極的に用いるということは、とても大切なことだと思います。何の根拠もなく「できる、できる。」というのは余りにも空疎です。人は羽を持たないのに、「絶対に空を飛べる!」と言ったからといって、ビルの屋上から空を飛べるわけはありません。しかしながら、不安を与えたり緊張を引き起こすような言葉は、持てる力を押し込めてしまいます。「がんばれ」「がんばろう」という言葉に対する思いも、ずいぶん変わりました。前向きな気持ちを育み、成功した場面をイメージできるような言葉を、自分にも、他の人にも投げかけていきたい……そう思わせてくれた東京マラソンに感謝しています!
介助犬のおしごと(かいす/きあ先生)
         
 みなさんは、介助犬(かいじょけん)を知っていますか?

 盲導犬(もうどうけん)が目の不自由な人の目になるように、聴導犬(ちょうどうけん)が耳の不自由な人の耳になるように、介助犬は、体の不自由な人のお手伝いをするために特別な訓練をした犬です。数年前に、テレビで介助犬にスポットをあてたドラマ「シンシア」が放送されたり、2002年に身体障害者補助犬法が制定されたこともあって、少しずつですが介助犬の存在も知られるようになりました。

 先日、介助犬のお仕事を見学させていただく機会がありました。兵庫県介助犬協会所属の「アルト」は、真っ黒な引きしまった体に、クリクリの目がとてもかわいらしいラブラドール・レトリーバーです。介助犬は、家のなかで仕事をすることが多いので、仕事で必要なとき以外は、絶対に吠えないように訓練されています。トレーナーからの指示があるまで、大きな音がしても、大勢の子供たちにさわられても、同じ場所で伏せのままジッと動きません。

 「ひろって!」というトレーナーの声で俊敏に動いて、床に落ちてピタッと張り付いたテレホンカードも上手に拾います。ペットボトルもつぶさないように優しくくわえて持ってくることができるし、人が座った重たい車いすも安全なスピードで引っ張ったりします。その他にも、ドアの開閉や洋服を脱いだり着たりすることも手伝います。指示する言葉を40種類も覚えているのだそうです。

 人間でも、だれかのお手伝いをするのは大変なことですよね。アルトは毎日大変な思いをしているのだろうなあと、ちょっとかわいそうな気もしました。ところが、きびきびと動くアルトを見ていて気付いたのです! お手伝いをしているとき、アルトのしっぽがずっとフルフル、フルフル忙しく動いています。まるで「わーい! わーい!」とはしゃいでいるように。

 トレーナーさんは言います。「介助犬はお手伝いをして、喜んでもらうことが大好きです。お仕事も、アルトにとっては遊んでもらっている感覚なんですね。うれしくてたまらないんです」。

 電車のなかやデパートで盲導犬や介助犬を見かけたら、それは大切なお仕事中です。優しく見守ってあげて下さいね。ちなみに、盲導犬は全国で1000頭が活躍中。それに比べて介助犬はわずか40頭です(必要とされているかたは1万5千人)もっともっと、「わーい! わーい!」とお仕事にはげむ介助犬が増えることを願っています。
「待ちます」宣言(たんたん/はらこ先生)
        
 東京のとある美術館には、エレベーターに「閉」のボタンがない。いつもは1秒でも早くドアを閉めて目的の階へ移動したいという人も、せめて美術館の中だけは急がずゆっくりと時間を過ごしてほしいという願いから、「閉」ボタンが取り付けられなかったらしい。
                          
 テレビを見ていたら、こんな話が紹介されていました。たしかに、先生もエレベーターにのったら、すぐに「閉」のボタンをおします。ドアがなかなか閉まらずに、ボタンを連打することも(笑)。いそがしいわけでもなく、だれかを待たせているわけでもないのに、なぜか急ぎたい心理にかられます。
 なんだか現代人は「待つ」ということが苦手になってきている気がします。どこかで待ち合わせをしていて、少しでもおくれそうになると、携帯電話という文明の利器(りき)が登場! 「ごめん、ちょっとおくれる。いま、○○駅だから」と、相手に居場所が伝えられます。先生は大学1年のころ、まだ携帯電話を持っていなかったので、朝ねぼうの友達を駅で待ちつづけてボーッと30分・・・なんてことは日常茶飯事(さはんじ)でした。今だったら電話やメールで「先に行くね」と伝えられるので、待ち時間はゼロです。
                          
 でも、待つことは悪いことばかりではありません。大学生だった先生は、駅でその友達を待ちながら、人間ウォッチングをしたり(あやしい?)、宿題のレポートには何を書こうかなと考えたり(おっ、まじめ!)、キヨスクの本を立ち読みしたり(ちょっとめいわく?)していました。自分の時間がちょっと増えたと思えば、待ち時間も有意義なものに変身です。
                          
 先生もふくめて大人という生き物は、そんなに急いでいなくても「早くしなさい」という言葉を子どもに言ってしまいがちです。みなさんの中にも、学校のほかに塾や習い事などでいそがしい人もいることでしょう。そんなときこそ忘れていけないのが、心のよゆうかもしれません。せかせかして、心のゆとりのドアを「閉」めてしまわないように気をつけなくては、と自分を見つめ直しました。待てば海路のひよりあり。待つことで幸運がとびこんでくるかもしれませんね。
        
 
探査衛星「かぐや」(きりこ/こに先生)

 3月の進級試験が終わりました。4月から新しい課題フォルダになります。4月から変わることは、作文用紙の1枚目に自分の住所シールをはるようになることです。これが、返却時のあて名になりますので、絶対に忘れないように貼ってくださいね。

 今月は、月の探査衛星「かぐや」について書こうと思います。

 「月」といえば、秋のイメージが強いのですが、春の月もまた違った美しさがあります。春の月は、一般的に「朧月(おぼろづき)」と呼ばれます。やわらかくかすんで見える春の夜の月のことを朧月と表現します。

 うさぎが住んでいて、もちつきをしているかもしれない、いやいや、宇宙人がいるかもしれない月に、1969年7月、アメリカの宇宙飛行士であり、アポロ11号の船長だったニール・アームストロングさんが初めて足を踏み入れました。

 それ以来、月の調査について、アメリカとソ連が競争をしながら行ってきましたが、昨年9月に日本が月探査衛星「かぐや」を打ち上げました。この「かぐや」には、人が乗っておらず、観測機器が月の周りを回りながら、月の姿や月の誕生について調べています。ちょうど半年たちましたが、月のことが少しずつわかってきているようです。

 ハイビジョンカメラで写された月面の写真は、紙面にふれると指先に立体感を感じるくらい鮮明でした。みなさんも、新聞や雑誌で写真を見る機会があったことと思います。まだ見ていない人は、ぜひ一度見てください。「月周回衛星かぐや」というホームページからも見ることができます。

 日本は、今の計画として、2010年代には、無人探査機を月面に着陸させ、2020年ごろに日本人を月面に着陸させ、2030年ごろに2,3人が滞在できる月面基地建設をめざしています。ちょうど、皆さんの成長を待っているかのような計画ですね。皆さんが月面に着陸することができるかもしれませんね。

 
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