言葉の森新聞 編集用
印刷設定:A4縦用紙 :ブラウザの文字のサイズ:最小 ブラウザのページ設定:ヘッダーなし フッターなし 左余白25 右余白8 上下余白8
  郵便の遅れについて
  語彙力をつける
  姿勢がよくなると作文力ものびる?(はち/たけこ先生)
  自分の頭で考えよう(ほたる/ほた先生)
  国語はすべての基本(イルカ/かこ先生)
  日常のおくり物一つにも……(モネ/いとゆ先生)
 
言葉の森新聞 2007年12月2週号 通算第1010号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
郵便の遅れについて
 手書きの作文の返却は次のような日程になっています。(月曜日に作文を書いた場合)
(1)月曜日に生徒が作文を書く→(2)火曜日の朝にポストに投函する→(3)木(水)曜日に先生の手元に届く→(4)金曜日の昼までに先生が評価を入力し土曜の昼までにポストに投函する→(5)月(火)曜日に評価が生徒の手元に届く。
 評価データなどデジタル的な情報はインターネットで瞬時に送れますが、郵便というアナログ的なものが途中に介在するので、どうしても遅れが出てくる場合があります。特に年末は、郵便事情により予定どおりに返却ができないこともあると思いますのでご了承ください。
語彙力をつける
 学年が上がると、一時的に作文が上手に書けなくなる時期があります。特に、小学生のころによく書けていた子が、中学生の課題になると以前のように面白いものが書けなくなるということがあります。それは、新しい課題に必要な語彙が、まだ自由に使えるようになっていないためです。
 そのときに、周りでできることは、やはりいいところを見つけて褒め続けてあげることです。褒めながら、その学年にふさわしい音読や読書などを進めていくうちに、やがて語彙力が追いついてきます。
 新しい語彙力が身につくときは、最初に知的な理解があります。その言葉の意味を理解するという段階です。この段階で読んでいるときは、読んだものが頭に入るだけです。読んで楽しいという段階に進むためには、その語彙が語彙として意識されないぐらいに慣れていく必要があります。
 しかし、その語彙を自分が文章を書くときに使えるようにするためには、更にその語彙に慣れなければなりません。その言葉が自分の手足のように自由に動くようになって初めて、読む力が作文の力に反映するようになります。
 言葉を知的な理解から身体的な理解に進めるためには音読が有効です。言葉を単なる情報としてではなく、音として発声し声として聴くことでその言葉が自分の身体の一部のようになってきます。音読以外にも、ある文章を味わいながら何度も読むと、その文章が自分の体の一部のようになってきます。そういう意味で、何度も読みたくなるような本を持つことは、読書力だけでなく表現力も向上させます。
 文章がうまく書けないと感じるときは、まず自分が書こうと思っている文章のジャンルの本をよく読んでいるかどうか自問してみることが大切です。そして、自分が書きたいジャンルの文章で何度も読みたくなるようなものを見つけ、それを繰り返し読んでいくことです。
 中学生や高校生で、小論文を書く力をつけたいという場合は、やはり入試の国語の文章が参考書がわりになります。いい文章に出合ったらその作者の書いた本を読むようにすると、書く力がついてきます。
姿勢がよくなると作文力ものびる?(はち/たけこ先生)


 今回は生徒のみなさん、保護者のみなさまともども読んでいただきたいと思って、あえて「頭がよくなる本」にありがちな?題名をつけてみました。

 私は東京子ども図書館というところの賛助会員で、機関紙『こどもとしょかん』を定期的に送ってもらっています。東京子ども図書館というところはご存知でしょうが、児童文学者で児童図書館員として海外にまで知られている松岡享子先生が代表となって、しっかりした考え方のもとで運営している私設の子ども図書館です。松岡先生のストーリーテリング講座やわらべうた講座、図書館研修は常に倍率が高く、日本全国の子ども文庫に大きい影響を与えています。ですから、『こどもとしょかん』はうすい冊子ですが毎号内容がつまっていて、いつも楽しみに熟読しています。
 その最新号、2007年秋号の巻頭特集が、今回は意表をつかれました。松岡先生ご自身が、歯科医の石田房枝さん方と対談している記事だったのです。題名は『よく噛む子・よく読む子』です。本と歯医者さん、いったいどんな関係があるのでしょう?

 石田先生は歯科医のかたわら待合室で子ども文庫も開かれていたのですが、最近になって「子どもの歯の問題は、ただ歯を見ていたのではだめで、子どもの育ち方から見ていかねばならない」と親子へのわらべうた指導もされているそうなのです。というのも、最近の小児歯科では虫歯治療より歯並びの悪さが問題になっているからなのだそうです。この点はみなさんもよく耳にされていると思います。


 歯というのは、歯並びが悪くなると、よい呼吸ができなくなる、そこから、健康的な生活ができなくなるのだそうです。歯ならびをよくするためにはあごの発達を考えるだけでなく、歯のあるあごをささえる背骨もしっかりして姿勢がよくなければならず、そのためにはからだをしっかり動かさねばならない、そこまではみなさんも常識としてご存知と思います。しかし、そこから先が注目したいところなのです。


 今の子どもの姿勢の悪さは「ストレス」も関係しているとか!
 ストレスを受けると、子どもはうつむいてしまう。そうすると、あごの関節が圧迫されてしまうのだそうです。そこからかみあわせも悪くなり、呼吸状態も悪くなるのだそう!
 ストレスは子どもの心だけでなく、歯にも影響を与えていたとは! 目からうろこでした。そして、ここからは私が感じたことです。

 作文指導していて、もう退会された生徒さんですが「夕焼けを見たことがない」と言われたことがあります。実際は見ているのでしょうが意識したことがなかったのです。今の子どもさんは本当に忙しい。時間に追われ、急ぎ足で歩かなければならない。急ぐためにはころばないように、地面を見てうつむいていなければならない。忙しさの中でストレスを感じることもある。だからそんな今だからこそ、大人たちは子どもにいっしょに空を見るようにさそって、雲の季節ごとのうつりかわりや、夕焼けの荘厳さ、そして夜空の星座などのおもしろさを教えてあげるひとときをすごしてあげることが必要なのではないでしょうか。空を見ると、うつむいた頭も上を向きます。広々とした空に、かかえていた問題の小ささを感じるかもしれません。秋はうろこ雲、夏は入道雲、その姿を生徒のみなさんは知っているでしょうか。

 松岡先生は歯医者さんのことばに続けて、読書も、五感を通して身についたことばの実感があるからこそ、本の文章から生き生きしたイメージを描くことができると言われています。私が思うに、五感を通した感動が作文も生き生きしたものにするのですが、実はその感動体験も、大人が楽しく言語化してあげることによって、子どもの脳に経験として定着するのです。忙しくて海や山に行けなくても、すぐそこにあり、かんたんに感動できる偉大な自然。それが空ではないでしょうか。



自分の頭で考えよう(ほたる/ほた先生)
 いきなりですが、よほど人の道に外れたとんでもない親以外は、我が子の幸せを望まない親はいません。できればつらい目にあわず、友達にも恵まれて、楽しく成功した人生を送ってほしいと願っています。そしてそのためには、いろいろな努力を惜しみません。

 ただ、問題は、その親の行動が、いつも正しいとは限らないということです。子供の将来を思うあまり、現在は大変苦しい状態に子供を追い込むことがあります。遊ぶヒマもなく塾やおけいこに通わせる、というふうなことです。また、親が良かれと思ってしてきたことが、逆に裏目に出ることもあります。「子供のため」だと思っていたことが、実は自分のためだった、という勘違いであることも。

 私もよくわかりますが、自分の子供って、まるで自分の分身みたいで、自分がしてきたことや自分にはできなかったことが、何でもできるような錯覚に陥るのですね。子供ができると、自分ができたように嬉しいし、誇らしいです。だからこそ、どんなサポートもできるし、一緒になって悲しんだり、喜んだりもできる。

 最近世間を騒がせた亀田親子の騒動を見ていても、親の愛は難しいものだなあ、とつくづく思いました。亀田家のお父さんも、きっと子供達がかわいかったんだろうなあ。子供達のために、そして自分の夢のために、必死で頑張ってきたんだろうなあ。しかし、どう考えても、その方向を間違ってしまった。彼らの場合は、これから親離れ、子離れをして、そして子供達はいよいよ本格的に世間に出て行くことになりそうです。

 親は、まず一番身近で、いろいろなことをたくさん教えてくれる存在です。しかし、一生、親だけに従って生きていけばいいというわけではありません。亀田親子の例でもわかるように、世の中のいろいろな人の意見に耳を傾け、いろいろな人の教えを受けて、最後には自分の頭で考え、ひとりで世間の一員となり、自分の人生を生きていかねばなりません。

 いろいろな人というのは、学校の先生や、友達、先輩、そして近所のおじさんやおばさんかもしれません。さらに、会ったこともない人や、今はこの世にいない人たちにも、本を通じて教えを受けることもできます。だから、こんな意味でも、読書は必要なのです。

 是非、いろいろなことをいろいろなところから吸収して、自分で考えられる人になっていって下さいね。君たちにも、いずれ独り立ちの日はやってきます。頑張って!


 

国語はすべての基本(イルカ/かこ先生)
 先日、文部科学省が小学6年生と中学3年生を対象に今春実施した全国学力・学習状況調査の結果を公表しました。テレビや新聞、雑誌で大きく取り上げられたので、皆さんも知っていると思います。それによると、基礎的知識はあるものの、応用力に問題があることがわかりました。「文字・活字文化推進機構」が10月24日に設立記念総会を開き、その時の記念講演で脳科学者であり東北大学教授でもある川島隆太教授は「パソコンや携帯メールを使うだけでは脳が退化する。文字を書いたり声を出して読むことが脳を刺激し、機能を高められる。」と、活字の重要性を指摘したそうです。 
 私は学力テストの結果や教授の言葉を読んで、皆さんが森の言葉でしていること、毎日の音読や作文を書くこと、長文を読んで感想文を書くことがいかに大事であるかを証明されたような気持ちになり、また、嬉しくも思いました。
 毎日音読をしたり、読書をしたり、作文を書くということは、とても地味な努力です。たまにするのではなく、それを毎日続けるということはかなり根気のいることだと思います。しかし、その努力が将来とても大きな力として自分に返ってくることは間違いないと私は思っています。例えば、小さい子供に毎日同じ本を読み聞かせするとします。もちろん子供が興味を持っている本が一番良いと思いますが、毎日毎日繰り返して読み聞かせをしていると、その本一冊を丸暗記してしまうくらい覚えることができるのです。文字が読めない子供は耳から聞き覚えるのでしょうが、毎日少しずつ発達している脳に、読み聞かせという刺激が働くのだと思います。ただ覚えるだけではなく、内容も理解することができていますし、表現も言葉も覚えることができるのです。実際に、私は我が子で試したことがあるのですが、2、3歳のころ「おさるのジョージ」シリーズを毎日読み聞かせをしていたところ、本当に覚えてしまったことがありました。それによって語彙量も表現力も確実に増えたことには驚きました。
 最近は、幼稚園や小学校でも英語を教える学校が増えてきたようですが、私が中学生で英語を習い始めた時、教科書を暗記させられたものです。習っている単元を暗記し、もちろん書くことも読むこともできるようにしていくことが毎日の宿題になっていました。覚えていかないと、次の授業の時に恥をかくので、その時は先生を恨みつつも必死に覚えた苦い記憶があります。(笑)しかし、今振り返ってみると、暗記できるほど音読をして書くということが、表現や語彙を増やし、自由に使えるようになったのだと痛感しています。
 日本語も同じです。皆さんには言葉の森の教材がありますから、それを音読する。一度ではなく、できれば毎日数回音読を続けるようにする。そして、書く。書いたものは、声に出して読み返してみる。小学校では音読の宿題が出る人もいるでしょう。その時は学校の教科書を音読すればよいのですが、毎週長文問題がありますから、やはり長文音読もしておきましょう。作文や感想文をただ書くだけでは足りないと思います。「音読」と「書く」は一対なのです。そして根気よく続けることに意義があるのです。
 「音読」すること、あるいは読書をすることは、応用力にもつながります。感想文を書く時、もし自分が主人公だったらどうするかと考えることがあるでしょう。作文でも相手の立場に立って物事を考えることがあると思います。体験実例がない時、「もし○○だったら」と想定して書くこともありますね。本や長文を読むことで疑似体験をすることができます。実際に体験をしなくても、文章の世界でそれを体験することが可能なのです。そうすることにより、想像の世界を広げることができるのです。本を読めば読むほど、その数が増えれば増えるほど想像力がつき、それはすなわち応用力にもつながっていくのです。
 国語はすべての基本です。読み書きができなければ、相手の言うことや書いてあることを理解することができなければ、数学も社会も何も理解することはできません。社会に出て「あの時やっていてよかったなあ。」そう思う時が必ず来るはずです。「継続は力なり」この言葉を胸に、これからも一緒に頑張っていきましょう!


日常のおくり物一つにも……(モネ/いとゆ先生)

 さわやかな秋晴れのある日、10才年下のいとこから小包が届きました。昨年結婚した彼のところに、待望の男の赤ちゃんが誕生したので、お祝いにかわいらしいベビー服を選んで送ったのですが、そのお返しということです。

 さっそく包みを開けてみると、中から泡盛というお酒とおいしそうなさつまあげが出てきました。
「ははぁ、主人も私もお酒好きだということを知っていて、気を利かせたのだなぁ。」
と苦笑いをしながら、すべすべした泡盛のびんをそっと手に取ると、お酒のラベルに銀色に光る1つの文字が刻まれていました。「翔(かける)」・・・これは、まぎれもなく誕生したばかりの赤ちゃんの名前だったのです。
 それを見た主人は、
「子供と同じ名前のお酒をおくるなんて、かっこいいなぁ!」
としきりに感心していました。私も、そのとおりだとうなずきながら、あることを思い出していました。

 言葉の森の6年生の課題に、こんな内容の長文がありました。
「日常のおくり物一つにも、心があることが大切である。物事を安易に考えないで苦労をいとわない人は、幸運の方が追いかけてくる。あの人なら、とおくられた方が信頼するからである。」
 働き盛りのいとこは、1週間に1度の休みを取るのも難しいほど、毎日忙しくかけ回っています。そして、奥さんの方も、初めての赤ちゃんのお世話に眠るひまもないほど、めまぐるしい日々を過ごしていることでしょう。
 そんな中、相手の好みを考えつつ、赤ちゃんの名前をしっかりと印象づけられるようなおくり物を探すことは、本当に大変だったろうと思いました。
 泣き虫で、私の後を追いかけてばかりいた子供の頃のいとこの顔と、やさしそうで笑顔のかわいい奥さんの顔が交互に思い浮かびます。そして、子育ての先輩として、これからできるかぎり相談に乗ってあげたいという思いでいっぱいになりました。

 「早く、翔くんと遊びたいなぁ。」
お酒のおつまみにとっておこうと思っていたさつまあげをちゃっかりほおばりながら、息子が言いました。私も、今度のお正月に初めて翔くんをだっこできることを、心から楽しみにしています。

                    
 
ホーム 言葉の森新聞