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  10月1日(月)から新学期
  通信生の項目・住所シールの使い方
  長文集の縦書きはホームページに
  7月〜9月の賞状を同封
  知能を高める教育(その7)
  資本主義の現状と未来
  「ユーモア」「笑い」が人を救う(よう/まえ先生)
  地道な努力が実を結ぶ(たんぽぽ/たま先生)
 
言葉の森新聞 2007年10月1週号 通算第1001号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
10月1日(月)から新学期
 10月1日(月)から新学期が始まります。10月からの教材の説明は、課題フォルダの表紙の裏側に書いてあります。
 教材の説明は、「学習の手引」にも載っています。
http://www.mori7.com/mori/gate.php
通信生の項目・住所シールの使い方
 通信の生徒には、10.1週の山のたよりに項目・住所シールが同封されています。前学期より、項目シールと住所シールは1枚になっています。
 項目シールには、週ごとに●印の項目が印刷されています。作文を書いたあと、項目のできたところにを貼っておきましょう。(清書のときには、項目シールは貼りません。)
 先生の住所シールは、3枚に分かれているので、その3枚をまとめて封筒用紙に貼ってください。
 次の学期(1月)から、項目シールの貼りやすい封筒用紙にする予定です。
長文集の縦書きはホームページに
 長文集の縦書きが必要な方はホームページから印刷してください。「課題の岩」の▲というところをクリックすると、縦書きの長文が表示されます。(ただし、インターネットエクスプローラ6以上でないと正しく表示されません)
http://www.mori7.com/mine/iwa.php
 
7月〜9月の賞状を同封
 9月1週の進級試験で、字数が規定以上、構成・題材・表現・主題の4項目のうち3項目が◎で1項目が○以上、の人には認定証を同封しています。字数賞・自習賞・作文賞・皆勤賞は、金賞10クラウン、銀賞5クラウン、銅賞1クラウン、賞外0クラウンです。認定証は10クラウンです。
 金賞は点数の上位10%、銀賞は10〜20%、銅賞は20〜80%。それ以外は賞外です。
 それぞれの賞で点数がなかった人や、9月1週に在籍していなかった人には、賞状は入っていません。
知能を高める教育(その7)
 抽象能力を高めるためには、難しい本を読むことが大事だと書きました。しかし、小学校の低中学年までは、難しい本を読むための土台を作る時期なので、多読によって読む力をつけて.おくことが大切だとも書きました。また、社会人になってからは、自分にとって未知の新しい分野に読書の幅を広げていくことが重要だとも書きました。

 今回は、この中で、難しい本ということについてもう少しくわしく書いていきたいと思います。
 難しい本は、なぜ難しいかというと、理解しにくいからです。なぜ理解しにくいかというと、読み手がそれまでに持っている考え方の枠組みに収まらないものを持っているからです。つまり、難しい本というのは、読む人にとって新しいパラダイムを提供するために難しく感じられるのです。しかし、だからこそ、その難しい本を読み終えると、その人には新たな思考の枠組みが広がります。それが抽象能力を高めることにつながります。
 では、新しいパラダイムを提供するような本とは何でしょうか。それは、古典(古くから定評のある本)だと私は思います。古典つまり古い本がなぜ長い生命を持っているかというと、その古い本が初めて登場したときに、その時代に対して新しいパラダイムを付け加え、その新しいパラダイムががその後の時代のパラダイムの一部になる力を持っていたからです。
 流行の本には、面白い本がたくさんあります。しかし、面白い本というのは、わかりやすい本です。わかりやすい本というのは、要するに読み手の考え方の枠にほとんど収まる本だということです。そう考えると、面白いからという理由で流行の本を読むよりも、まず、面白い面白くないにかかわらず古い本を読むということが、読書の仕方で大事なことになってくると思います。
 この古い本に似ているものは、ことわざです。あることわざが初めて世の中に登場したとき、それは、その時代のパラダイムを打ち破る新鮮さを備えていました。しかし、時代が下るにつれて、ことわざは単なる知識として伝わるようになります。知識として伝わるようになると、ことわざは新鮮さを失い、それに比例して多くの人の常識となっていきます。
 古典の中には、当初は革命的な考え方を提供したものが、現在では半ば常識のようになっているものもあります。しかし、そのような古典にも、もちろん読む意義があります。なぜかというと、その古典を読むことによって、自分たちが普段、水や空気のように常識として持っている考え方が、ある時代に歴史的に生まれたものであることがわかるからです。

 現在の国語の教科書には、子供たちが喜ぶような流行の話題を取り入れたものが増えています。しかし、教科書のように文化の形成の土台となるものは、そのほとんどが古典によって(古文ではありません)占められるべきだと思います。
 難しい本とは、古い本であり、古い本とは、それが登場したときに、その時代のパラダイムを転換するような新しさを持っていた本です。
 その古い本には、小学校低中学年から読めるものももちろんあります。古くからある昔話や童話は、子供向けの古典と言ってもいいものでしょう。(つづく)
資本主義の現状と未来
 人類の歴史が大きく変わったのは、産業革命からです。
 工業生産は、巨大な資本を必要としました。工業生産のフロンティアは、当時無限の広がりを持っているように見えたので、資本主義もそれに応じて無限の拡大を志向しました。
 しかし、工業生産は次第にそのフロンティアを埋め尽くしていきます。鉄道、自動車、住宅など、大きな資本を必要とする工業生産の需要が次々に満たされていく中で、資本主義は次第に変容していきます。
 今、私たちが生きているのは、その変容しつつある資本主義の世界です。
 そこで起こっていることは五つあります。
 第一は、製造業が資本主義の牽引車である状態が終わりつつあることです。トヨタは、世界一の自動車生産企業です。しかし、その世界一は、コストの限りなき圧縮、下請けや労働者への絶えざるコストの転嫁など、きわめて苦しい状態で維持している世界一です。だから、世界第二位以下の自動車会社は、更に苦しい製造業になりつつあります。同様のことは、住宅産業についても、そのほかの製造業についても、あてはまります。
 第二は、大きなフロンティアを失った工業生産が、次第に縮小しながらも新しいマーケットを作り出していることです。その新しいマーケットとは、パソコンや携帯電話などのより規模の小さい製造業であるとともに、意外に聞こえるかもしれませんが、サービス業もそうなのです。スーパーやファミリーレストランのような業界は、今どこもコスト削減に苦しんでいます。それは、それらのサービス業が実は形を変えた製造業だったためです。
 第三は、戦争そのものが、製造業の一つの変化した形だということです。だから、戦争自体も次第に割の合わないものになりつつあります。戦争が軍需産業の在庫整理としての役割を果たしていた時代はまだしばらく続くとしても、次第にその効果は小さくなるでしょう。
 第四は、今後、コストの心配をせずに利益を拡大できる産業は、個人の能力に依拠した小規模なものになるということです。ファミリーレストランは、どこも同じようなコスト削減で、どこも同じような味しか出せなくなっていますが、個人が経営する評判のよい料理屋は、その個人がいるかぎり繁盛します。同じことは、芸術家、作家、音楽家など、個人の能力を生かせる職業すべてについて言えます。したがって、これからの能力開発は、英数国などの主要教科の習得に5割使うとすれば、自分の持ち味を出すための学習や訓練に残りの5割を使うという形になると思います。
 第五は、マネーの流れの中心が、製造業から投資や投機の世界に移っていくということです。
 以上の話を比喩的に言うと、次のようなことになります。巨大な資本を持った巨人が何人かいて、昔は、その資本で道路を作ったり橋を作ったり船を作ったりして更に資本を大きくしていました。乱暴な巨人の中には、戦争をして資本を大きくした者もいました。しかし、もう作るものがなくなってきたし、戦争で壊すのも割りに合わなくなってきたので、巨人は巨人どうしで賭博を始めます。しかし、製造業は昔のパワーを失ったとは言え、まだ次々と新しいフロンティアを生み出していますから、それなりの価値はあります。言わば、製造業は金の卵を産むニワトリです。巨人の主な関心は、今は賭博になっていますが、その余力でニワトリをつかまえることも忘れていません。更に、まだ残っている余力で、巨人は芸術や文化のパトロンにもなろうとしています。
 これらの巨人たちは、地球をわがもの顔に支配しているつもりで賭博に明け暮れていますが、もっと大きい宇宙的観点から見ると、実は、大きなタライの中で、マネーの波に乗ったり落ちたりしているだけなのです。
 今求められていることは、こうです。だれかがこのことに気づいて、タライの中の水を汲み出し、それを創造の土壌に撒き始めることです。
 資本主義がカジノになって終焉するのか、新しい創造の世界の土台となるのかが、これから問われてくるのです。
「ユーモア」「笑い」が人を救う(よう/まえ先生)

 先日、朝日新聞の記事に興味深い記事を見付けました。筆者は奥村潤子さんという方で、現在、日本赤十字豊田看護大学の教授をしていらっしゃいます。

(以下、引用)
 病院でけらけら笑う看護師がいたら、患者や付添い人はどう思うだろうか。「患者が苦しんでいるのに何と不謹慎な」。実際私が看護学生のころもそうだった。しかし、いま、笑いは病院に必要とされているのだ。
 名古屋大学第一赤十字病院の看護学部長だった4年前。難病の子供の願いを聞き入れ、ディズニーランドに連れていくことになった。病状は重く心臓が止まる可能性すらあった。いつも痛みで顔をゆがめている子だった。
 ところが奇跡が起きた。
 名古屋から新幹線に乗ったころから痛みを訴えず、痛み止めの薬がいらない。ディズニーランドでは楽しそうに乗り物に乗ったり、アトラクションを楽しんだりした。痛みが癒されたのである。
 看護師の経験から、私は笑いやユーモアが患者の痛みを和らげることをうすうす感じてはきた。さらに、最近笑いの効用の研究が進んでいる。漫才を鑑賞した後、糖尿病の患者の血糖値が下がったり、アトピーの原因であるアレルギー反応が軽減されたりすることが確かめられつつある。(中略)
 「クリニクラウン」をご存じだろうか。クリニック(病院)とクラウン(道化師)を合わせた造語だ。道化師が病院を訪れ、笑いや楽しさを演出して患者の苦しみを癒し、能動性を引き出し、社会復帰に向けて援助をする。(中略)
 名古屋大学第一赤十字病院は数年前、オランダのクリニクラウンから研修を受けた彼らの「卵」の受け入れを打診された。当初、院内には慎重な意見もあったが、私は小児病棟の医師と看護師の了解を取りつけ、6人を受け入れた。
 小児病棟には赤ちゃんから18歳まで約100人の患者がいる。最初は泣き出した子もいたが、手品をしたりシャボン玉を吹いたりすると興味を持ち、笑顔で近づいてきた。
 その中の一人は半年以上声を発することができない子どもだった。ところが、風船などでゲームをした後、風船をもらうと突然、声を発した。
「ありがとう」
母親は目に涙をためた。今では単語を並べて話ができる。
(以上、朝日新聞より)

 8月3週のヒイラギの課題で、ユーモアについてお話したばかり。とてもタイムリーな話題だったので取り上げさせて頂きました。「ユーモア」「笑い」が人を救うこともある、大変興味深いお話ですね。
 さて、これを読んで、ふと最近の自分を振り返ってみました。日々の生活の中で、笑っている時間はどのくらいあるのでしょう。忙しい、忙しいが口癖になっている自分。身近な人たち、家族や友達に、どれだけ笑顔で接しているでしょうか…。改めて考えてみると、ちょっと恐ろしくなりました(笑)。「あれをしなさい、これをしなさい」、「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」、いつも何かに追い立てられて、難しい顔をしている時間が多い気がします。誰かのために、そして自分のためにいつも笑顔を忘れないようにしたいな…、と改めて思いました。
地道な努力が実を結ぶ(たんぽぽ/たま先生)
 夏休み期間中、子供の発達段階に応じたスポーツの指導に関する講義を受けました。このような講義は初めてでしたが、みなさんにもお伝えしたいことがたくさんありました。特に参考にしていただきたいことをここで紹介します。

1.練習量を考えること。(トレーニングのやり過ぎは、成長に支障をきたす。)
2.多種目型のトレーニングをすること。(同じ部位ばかり使うことを避ける。)
3.適切なトレーニングのために、練習を制限すること。(発育途中の子供に疲労を蓄積させると、集中力の低下を招き、ケガや事故につながる。)

 国際陸連の指導のスタイルは、「じっくり育てて、長期間(一生涯)競技ができるようにすること」だそうです。一昔前までは、子供時代に才能を見出され、中高時代に開花、20代前半でピークを迎え、30歳前後に現役引退、というパターンが多かったそうですが、現在は違っているようです。

 先ごろ行われた世界陸上の女子100mに、ジャマイカ出身(スロベニアに移住)のマリーン・オッティ選手が、女子では大会史上最年長となる47歳で出場しました。彼女は、1980年のモスクワオリンピックから7大会連続出場を果たし、実に27年間も世界のトップで活躍している大ベテラン選手です。今回は残念ながら4位となり、1次予選を通過することはできませんでしたが、同じ組で走った2人の19歳の選手に競り勝っています。オッティのような選手は珍しいように思えますが、今後はこのような選手が増えていくことでしょう。オッティに破れた19歳も同じく、28年後も現役、若手選手に勝利…ということも十分にありえる話だということですよ。何だかわくわくしてきませんか?(笑)

 では次に、先に述べた3つを「勉強」に当てはめるとどうなるかを考えてみたいと思います。

1.勉強の量を考えること。(心身の成長には遊びや運動、お手伝いの時間も必要。)
2.複数の科目を勉強すること。(同じことばかりでなく、気分転換を。)
3.時間を制限すること。(あまりにも長時間にわたると、疲労が蓄積、集中力が低下。)

 どうやら共通点がありそうです。

 これは「じっくり育てて長期間(一生涯)」についても言えることです。私たちはつい「できるだけ早く、目に見える成果を」と期待してしまうものです。しかし「ピークを迎える」ということは、下降線をたどる一歩手前にあるということなのです。運動能力の急激な伸びが選手のピークを早めるのと同じように、急に上手になったものは、後が長く続かないものだということです。

 最後に、言葉の森の勉強について考えてみましょう。

1.毎週の課題の長文は、読むのに負担にならない量です。
2.読解マラソンの長文のジャンルは、実に豊富です。ためになってユーモアたっぷりなので、飽きません。
3.作文の電話指導は10分間。短時間で効率よくポイントが理解できます。

 もうおわかりいただけたと思います。今まで述べた全ての要素が満たされていますね。
 「なかなか上手にならない」、「本当に上達するのだろうか」と不安になることもあるかもしれませんが、地道な努力は、必ず実を結びます。10月から新しい課題に取り組んでいきますが、安心して今までどおりの勉強を続けていきましょう。

 
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