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  いろいろな本を並行して読もう
  古典を読む
  「○○しないと○○にならない」から「○○すると○○になる」へ
  音読効果(うるっち/かん先生)
  野球人(まあこ/ゆた先生)
  経験と柔軟な発想(イルカ/かこ先生)
  めえこ先生の宿題(ゆっきー/かき先生)
 
言葉の森新聞 2007年8月3週号 通算第995号

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森新聞
いろいろな本を並行して読もう
 人間の脳には、物事を並行的に処理する力があります。
 そうでなければ、月曜日に見たテレビ番組と火曜日に見たテレビ番組の中身がごちゃごちゃになってしまいます。しかし、実際にはテレビ番組が頭の中で混ざってしまうことはなく、次の月曜日になれば、先週の月曜日の延長でちゃんと番組を理解することができます。
 読書も同じです。1冊の本を最後まで読むというのは、根気のいるものです。途中で飽きてくるときがだれにもあります。そのときに、別の本を読むのです。例えば、数冊の本を手元に置いておき、ある本を読んで飽きたら、次の本を読み、その本も飽きたらまた次の本を読むというふうに、同時に読み進めていくことができます。
 これは、勉強でも同じです。受験生にとって、夏休みは、たっぷり時間のとれる期間です。1日7、8時間勉強ができれば、かなり進歩があります。しかし、一口に7、8時間といっても、自分の努力だけでそれだけの時間を確保することはかなり大変です。そこで、大多数の人は塾や予備校に通うことになります。しかし、勉強は自分の力でやっていく方がずっと能率よくできます。
 長時間勉強をするコツは、一つの勉強に飽きたら、ほかの勉強に切り替えるということです。勉強そのものに飽きて遊びに行く時間を作ると、長時間の勉強を確保することはできません。次々とほかの勉強に切り替えて、トータルで長時間を確保できればよいのです。
 受験生でないみなさんは、夏休みに、こういう並列読書でたくさんの読書時間を確保してください。
古典を読む
 小中学生のみなさんには、まだ先の話ですが、高校生や大学生になったら、何よりも難しい一流の本を読むようにしてください。
 難しい一流の本とは何かというと、学校の教科書に出てくるような古典と呼ばれる本です。
 そして、古典と呼ばれる本を読み出したら、途中どんなに読むのが苦しくなっても、必ず最後まで読み切るようにしてください。ほとんど意味のわからない本でも最後まで読み切ると、意味のわかる本を何冊も読んだときより、大きな価値あるものが残ります。それは、何かというと、物事を抽象的に考える力です。
 最後まで読まないと、その本に書かれているいろいろな知識は残りますが、それらの知識は、クイズ番組の知識と同じようなもので、ほかの場面に応用できる抽象的な力を持った生きた知識にはなりません。
 古典と呼ばれる本の一つの目安は、岩波文庫に収録されているような本だと考えればよいでしょう。一言で言えば、書名や著者名だけは、どこかで聞いたことがあるという本が古典です。
 高校生や大学生のみなさんは、時間のある夏休みに、ぜひ古典に挑戦してみてください。
「○○しないと○○にならない」から「○○すると○○になる」へ
 夏休みは、子供に注意することが多いと思います。そのときに、つい言ってしまうのが、「○○しないと○○にならないよ」という言い方です。例えば、「勉強しないと、遊びに行けないよ」です。
 否定的な言葉で言った方が強い印象を与えるので、急いでいるときに、大人は、ついそういう言い方をしてしまいます。
 しかし、もっといい言い方は、「○○すると○○になるよ」という言い方です。例えば、「勉強すると、遊びに行けるよ」という言い方です。更にいい言い方は、「勉強して、遊びに行こう」です、「遊び」の方に重点が置かれているからです。
 なぜ、このような言い方がいいかというと、否定的な言葉を聞くと、子供は暗い気持ちになるからです。暗い気持ちが背景にあって勉強したことは、すぐに忘れてしまいます。生き物は、嫌なことや苦しいことは忘れるという性質があるからです。
 大人でも、小学校のころの思い出で、ある学年のところだけぽっかり記憶がないということがあると思います。それは、そのときの担任の先生と相性が悪かったか何かで、そのころの記憶が薄れてしまっているからです。当然、そのころに勉強した内容も薄れています。
 注意するときは、一呼吸置いて、その注意を聞く子が明るく聞けるような工夫をしていきましょう。
 
音読効果(うるっち/かん先生)
 我が家の長男は小学校2年生です。入学当初から家庭学習はほとんどしていません。私が働いているため日中は学童で過ごし6時過ぎに帰宅。7時まで外で遊び、その後夕飯、お風呂、再び兄弟で遊び9時にはベッドへ。このような毎日が繰り返されています。とりあえず宿題だけは学童で終わらせてくるので、平日私が
「勉強しなさい! 」
と言うことはありません。睡眠時間を削って勉強するよりも、早寝早起きの習慣を作ることを優先させています。また、遊びの中に学びがゴロゴロと転がっている年代だと思うので、勉強では得られない学びをたくさん見つけてほしいとも思っています。そんな思いを知ってか知らずか、我が家の三兄弟は毎日楽しく遊びに勤しんでいます。

 さて、そんな長男ですが、入学と同時に言葉の森に入会し、みなさん同様毎週作文に取り組んでいます。もちろん長文音読と読解マラソンも毎日朝ごはんの前に読んでいます。勉強らしき勉強は一切していない彼ですが、これだけは細々と続けているのです。時間がないときややる気のないときはほんの少し読んで終わりにしたり、気分がのっているときには自分から進んで2編読んでみたり。またあるときはすっかり忘れて外に遊びに行ってしまったり。そんな様子ではありますが、とにかく続けています。

 7月から新しい課題フォルダになり、長文と読解マラソンの内容が変わりましたね。1学期の読解マラソンを初めて読んだ長男は、少し読んではつかえ、また読んではつかえで一向に読み進めることができませんでした。1年生の4学期の読解マラソンがやっとすらすら読めるようになったところだったので、その事実に少しがっかりしたことを憶えています。やっぱりそう簡単に読めるようにはならないなあ、と。ところが今回は違いました。初めて目にする読解マラソン。決して易しい内容ではありません。でも、長男はわりとスラスラと読んでいるのです。もちろんところどころつかえることもありますし、読み間違いも多々ありますが、読み進めるリズムが快調なのです。これは紛れもなく継続の成果に違いないと確信しています。なぜって、先に説明したとおり長男は学校の授業以外勉強をしていないのですから。

 みなさん、読解マラソンと長文音読は毎日続けていますか? 歯みがきをしたり顔を洗ったりと同様毎日の習慣にしてしまいましょう。絶対に効果があります。ただし、目に見える即効性の効果を求めてはいけません。ダイエットの広告にしても驚くほどすぐに痩せると謳ったものは正直怪しいですよね。仮に痩せてもすぐにリバウンドしてしまったり。学力も同じです。ですから、保護者のみなさまは必ず成果が出ることを信じて長い目で見守ってあげてください。
「今日もよくがんばったね。よく読めてたよ。」
お母さんの笑顔と励ましの一言が何よりのご褒美になります。
           
野球人(まあこ/ゆた先生)
 アメリカで開催された日米大学野球選手権。日米大学野球に興味があるというよりは、佑ちゃんこと早稲田大学・齋藤佑樹投手の人気で注目された大会でした。相変わらずその人気はすさまじく、いつでもカメラが狙っている状態。しかしそのスター性から、先発した第3戦には日本を見事優勝に導きました。
 齋藤投手を初めて見たのは、去年の夏の甲子園。テレビの中でバンビのようにかわいらしい青年が(失礼な言い方でごめんなさい。本当にかわいく思えたのです^^;)、きちんとたたまれた水色のハンカチで品良く汗を拭いていました。やはりそれは世間の注目を浴びて、「ハンカチ王子」として騒がれはじめたのです。そこからの齋藤投手がすごかった。注目を浴びれば浴びるほど、それを力としていくようでした。決勝では再試合という激闘の末に優勝を勝ちとり、大学に進んだ現在まで活躍は続いています。

 甲子園で優勝を決めた瞬間の齋藤投手は、マウンドの上で拳をにぎり「ウォ――」と叫んだように見えました。その姿を見たとき、私はある同じような光景を思い出したのです。

 それは、私がまだ高校生だったときの夏の甲子園。優勝の瞬間に、にぎり拳でマウンドで叫んだのはPL学園の桑田真澄投手でした。
 桑田投手のことは、私と同じ名前ということもあって、大会中ずっと注目していたのです。4番には清原和博内野手というスターもいて、もともと優勝候補の筆頭でした。二人もそのプレッシャーを力にするように爽やかに活躍し、優勝したときは、まるで友だちのように誇らしく思ったものでした。

 翌春、桑田投手は読売巨人軍に、清原選手は西武ライオンズに入団して、プロ野球人生が始まりました。今の齋藤祐樹投手と同じ年ですが、21年前なので、齋藤くんが生まれる前のことです。桑田投手は、もとは早稲田大学に進むつもりだったということですから、齋藤投手と考え方も似ているかもしれません。清原選手は、熱望していた巨人に指名されなかったことから、涙を流した場面もありました。

 それからずっと二人を応援してきました。若いときから今まで同じ時代を生きながら、時には元気をもらい、時には辛さを共感してきました。その現役人生も終盤にさしかかったようです。

 桑田投手は巨人軍を辞めて単身アメリカのメジャーリーグに挑戦しました。それは何の保証もない旅立ち。私まで緊張しました。そして、現地での怪我を乗りこえ、見事メジャーリーグのマウンドに立ったとき、またあの甲子園で感じた誇らしさを思い出しました。20年という長い年月、プロの世界で生き、さまざまな経験を積み重ねながらも、ずっと同じ心を持っていたんだ。それは野球に対する正直な気持ち。野球をやっていたいという素直な心がマウンドからあふれているようでした。

 清原選手は、齋藤佑樹投手が日米大学選手権で優勝を決めた勝利投手になった日に、再起を懸けた膝の手術を受けました。怪我や不振に悩まされた数年間。再起できる保証はありません。引退すれば楽になれるかもしれない。それでも現役にこだわって最後のチャレンジにでたのは、やはり、野球に対する正直な気持ち、野球をやっていたいという心でしょう。

 日米大会後、あるアナウンサーが齋藤投手に「10年後はどうなっていると思うか」と聞きました。答えは「野球をやっていたい」。ああ、同じ心を持っている。新旧の現役野球人が私の中でつながりました。
 この純粋な気持ちこそが、プレッシャーを力にするのだと思ったのです。
            
経験と柔軟な発想(イルカ/かこ先生)
 先日、テレビで7坪の土地に家を建てるという番組を見ました。東京都内の7坪の土地です。敷地は約15坪なのですが、建ぺい率の関係で半分の7坪の土地でなければ建てられないのだそうです。7坪というと、ワゴン車が一台駐車できるくらいの土地だそうですが、この土地にどうやって家を建てるのか、私はつい興味津々で見入ってしまいました。この土地は、三方を家で囲まれており、高さも10メートルでないといけないという制限付きです。悪条件が揃っているこの土地に家を建てるというのは、かなりの腕を持ち合わせている建築士でなければできません。選ばれたのは、50歳の一級建築士でした。彼は、この狭い土地に見事な家を建てたのです。地下室を作り、ちょっとしたルーフバルコニー的なベランダや隠れ家のような部屋も作り、自然光を取り入れた明るい家は、なんと7部屋もあります。ほぉ〜、すばらしい! どうして、こんなことができてしまうのでしょう? どこからこんな発想が生まれてくるのか、不思議でなりません。50歳といえば、ベテランです。彼がここまでになるには、様々な経験をしてきたと思います。もちろん、失敗も多々あったことでしょう。しかし、それらの経験が彼に力を与え、彼を大きく育てたのだと思います。この狭い土地に家を建てるには、ただ経験だけではなく、柔軟な発想も必要なのではないかと私は思いました。
 経験と柔軟な発想。これは、皆さんが今一生懸命書いている作文や感想文にも共通して言えることではないかと思います。彼も、建築士になる前には大学で基礎となる勉強をしてきたはずです。その基礎に様々な経験が加わり、今に至っているのです。皆さんは、作文や感想文を書く時、項目を入れて書いていますね。進級試験の後は、その項目が少し変わったり字数が増えたりしますが、これが書き方の基礎です。そして、普段の生活の中で体験する様々なことが、皆さんの頭を柔らかくしてくれるのです。名言集の中に、「経験は、最良の教師である。」という名言があります。良い経験だけが経験ではありません。辛い経験も悲しい体験も失敗した苦い経験も全てが経験であり、それをどのように受け止めるかによって柔軟な発想が生まれてくるのであり、人間味あふれる豊かな人となれるのだと思います。
 そしてもう一つ大切なことは、本を読むことです。建築士の彼も、いろいろな作品を見たり、本を読んだりしていると思います。すばらしい作品に触れることも勉強になるのです。本を読むということは疑似体験もできますし、想像することもできます。さらには表現力も身についてきます。体験したことを言葉で表すには、それなりの表現力がなければできませんし、疑似体験をしたり想像力が身につくことによって、柔軟な発想がよりしやすくなるのではないかと思います。
 これから皆さんには、楽しい楽しい夏休みがやってきますね。夏休みは、普段できないいろいろなことを体験できるいい機会でもあります。長い夏休みに、少なくとも一冊は本を読んでみるとよいでしょう。それも、できれば短編ではなく長編で。じっくり読むということも、夏休みであるからこそできるというものです。経験を積んだり表現力を身につけることは、短期間では成し得ないことですから、この夏休みから意識して始めてみてはどうでしょうか。


めえこ先生の宿題(ゆっきー/かき先生)

 今月の学級新聞は、保護者のみなさまへのお話です。
 少し前に小2のYちゃんのお母様から、封筒の「先生へのひとこと」の欄に、こんなおたよりがありました。
「今回は2枚目に入ってシクシク泣くので、少し手伝いました。でも、最後まで作文を書き上げたので、思いっきり抱っこして褒めてあげました。(中略)本人はとても満足そうでした。本当に親しだい!」
 私は、このおたよりを読んで、心がほんわかと温かくなりました。抱っこされているYちゃんの幸せそうな笑顔を想像しただけで、こちらまで幸せな気分になってきます。同時に、お母様の対応に感服いたしました。お母様のすごいところは、ただ褒めてあげたのではなく、「抱っこして」褒めてあげたところです。
 このおたよりを読みながら、私は、「しゅくだい」(文・絵:いもとようこ 岩崎書店)という絵本を思い出しました。どんな話かと言いますと、題名の通り、宿題が出る話です。でも、なんとその宿題が、「抱っこ」なのです。やぎのめえこ先生が、生徒のみんなに「きょうのしゅくだいは、だっこです」と言うと、みんなの前では「やだ〜」と恥ずかしがっていたもぐくんは、急いで家に帰ります。でも、お母さんは赤ちゃんのお世話で忙しくて、かまってくれません。なかなか宿題のことが言い出せないもぐくんですが、お父さんの「しゅくだいは、すんだのか?」の一声で、やっと宿題のことが言えます。お母さん、お父さん、おばあちゃんに抱っこしてもらえて、もぐくんは幸せな気持ちでいっぱいです。次の日の宿題を終えてきた子どもたちの顔も、みんな笑顔でいっぱいでした。というお話です。
 子どもが小さいときは何の抵抗もなく抱っこをしてきたと思いますが、小学生にもなると、親も子も照れてきて、なかなかできなくなってしまいます。私も小3と小1の息子がいます。この本を初めて読んだ数年前には、抱っこをしょっちゅうしていたのですが、最近はおおっぴらにできなくなりました。3歳の娘には何の迷いもなく抱っこするのですが……。でも、本当は、親から離れて小学校に行っている子どもにこそ抱っこが必要なのかもしれません。もう何でもひとりでできるからと、ついついほったらかしにしてしまいますが、絵本のもぐくんのように、言いたいことが言えず、ずっと我慢をしているのかもしれません。悩み事があってもひとりで解決しようと、無理して頑張っていることもあるかもしれません。そんな子どもたちの心の叫びに、応えてあげていないなぁ、とYちゃんのお母様のおたよりから、反省させられました。
 これから夏休みに入り、学校に行っていたときに比べ、数段、子どもと接する時間が増えます。ついつい怒る回数が増えそうですが、ここはぐっとこらえて、「抱っこ」のごほうびをいくつあげられるか、自分の宿題としたいと思っています。めえこ先生は、子どもたちの宿題として「抱っこ」を出しましたが、本当は、親への宿題だったのかもしれませんね。


 
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