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  7月30日・31日は休み
  7.4週は清書
  直すよりも褒める勉強法
  『プレジデントFamily 9月号』に言葉の森が紹介されています
  メディアリテラシーとは(ごだい/ひら先生)
  勉強って、何の役に立つの?(ほたる/ほた先生)
  今週の一笑「授業の渚の録画風景」
 
言葉の森新聞 2007年7月4週号 通算第992号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
7月30日・31日は休み
 7月30日(月)・31(火)は第5週でお休みです。先生からの電話はありません。
7.4週は清書
★作文用紙の題名名前の欄の下3分の1には、先生がバーコードシールをはりますので、何も書かないようにしてください。★

 毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)
 清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(字数を増やす、表現を更に工夫するなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
 清書はできるだけペンで書いてください。ボールペンが滑って書きにくい場合は、サインペンなどで書いてください。低学年でペン書きが難しい場合は鉛筆書きでもかまいませんが、できるだけ筆圧が同じになるように書いてください。(一つの原稿で濃い部分と薄い部分があるときれいに読み取れないことがあります)
 低学年で、文章を書き写す形の清書が難しい場合は、直接新しい作文を清書として書いてもかまいません。
 絵を作文用紙の裏に描く場合は、表に作文を書かないでください。(つまり用紙は1枚の裏表を同時に使わないようにしてください)
 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
 清書の作文は返却しません。ホームページの「生徒の里」で見ることができます。小2までの全員の作品及び小3以上の入選作品は、プリントされます。
 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。(ただし、新聞社に投稿しない場合は、長いままでも構いません。)
 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。
 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
 104−8433
東京都中央区築地3−5−4
朝日小学生新聞
「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
 100−8051
東京都千代田区一ツ橋1−1
毎日小学生新聞
さくひん係 御中
直すよりも褒める勉強法
 低学年の子が書いた作文を見ると、いろいろ直せそうなところがたくさんあります。そこで、大人(親や先生)が直してあげると、すぐにうまくなります。しかし、直して上手にする方法は、一見成果が上がるように見えますが、いくつかの問題があります。
 第一は、直して上手にできるようなところは、年齢が上がれば自然に直るようになるものがほとんどだということです。例えば、「わ」と「は」の区別などは、小学校中学年になればどの子も自然に正しく書けるようになります。それは、文章を読む量が増えるにつれて、自然に身につくものだからです。もちろん、低学年のうちに正しい書き方を教えること自体には何も問題はありません。問題なのは、それを事々しく何十分もかけて教えることです。
 第二は、直す指導を受けると、子供も最初は素直に聞いていますが、次第に憂鬱になってきます。せっかく自分が一生懸命書いた作文の中身のいいところにはほとんど触れずに、間違えたところだけを直されていては楽しいはずはありません。子供は作文を通して、自分の心を表現しています。子供が見てほしいのは、作文の中身の方であって、表現の仕方の方ではありません。
 第三は、直す指導をしていると、教える側の怒る回数が増えるということです。直されるようなところは、その子が間違って身につけたところですから、一度の注意ですぐに直るわけではありません。しかし、大人はつい、理屈で説明すれば、次からはすぐにできるはずだと思ってしまいがちです。そのために、同じことを二度も三度も注意しているうちに、つい大人のいらいらした感情が出てしまうのです。
 第四は、直す指導を続けていると、すぐに教えることがなくなるので、やがて注意しなくてもいい細かいことまで注意するようになるということです。しかし、直す指導で始めた場合、ただ書かせてほめるだけという指導にはなかなか切り換えられません。小学校高学年から作文指導が少なくなる理由の一つがここにあります。
 では、どういう教え方がいいのでしょうか。
 それは、いいところを褒めることです。そして、その一方で、毎日の自習によって読む力をつけることです。
 毎朝、歯を磨いたり顔を洗ったりするのと同じように、決まりきった自習を続けているうちに、気がついたらいつの間にか作文が上手になっていた、というのが理想的な教え方です。
 自分の子供のいいところを褒めるというのは、実は難しいことです。親はつい、褒めるよりも直すところや注意するところを見つけてしまいがちです。特に、女性は、男性に比べて欠点に敏感なので、子供の欠点も目につきやすいようです。その点、父親は欠点には鈍感なので、子供のいいところを褒めやすいという特徴があります。
 子供の欠点が目についてもそれは気にせずに、いつも明るくいいところを褒めるというのは、ある意味で、親の勉強と言ってもいいかもしれません。
『プレジデントFamily 9月号』に言葉の森が紹介されています
 『プレジデントFamily 9月号』に、言葉の森の感想文の指導法が紹介されています。現在、書店で発売中です。ぜひご覧ください。
   
 
メディアリテラシーとは(ごだい/ひら先生)
 メディア・リテラシー(英:media literacy)とは、情報メディアを批判的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。なお、この項では主に、「情報を評価・識別する能力」という意味のメディア・リテラシーについて記述する。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「へっ? もう終わり?」
あれは、遥か20年近く前のこと。大学生になったばかりの先生は、アルバイトに精を出し、念願のオフロードバイク(自転車で言うとマウンテンバイクのモーターバイク版)を手に入れた頃のことでした。はじめて参加したオフロードラリー(舗装されていない山道を走る大会)では、何とか完走したものの確か400位ぐらいでとにかくビリ! なかなかライディングテクニックは上手くならず「どうしよう」と悩んでいたときに、あるバイク雑誌の「ライディングテクニック伝授コーナー」で受講生を募集していることを知りました。
具体的には、2,3人の参加者がプロのライダーさんにコーナーの曲がり方、小山の超え方などをタダで教えてもらい、その記事が雑誌に載るというものでした。わらにもすがる気持ちで、参加希望のハガキを書いたら、運良く当選。当日、練習場に連れて行かれ、
「はい、ここを一、二周回ってみて下さい」
と指示され、「よっしゃ」と気合いを入れて一周回ってみました。
「カシャカシャ」
うわあ、へなちょこなワインディング(コーナーカーブを曲がるときの姿勢)を撮られているなあなんて思っていたら、
「はい、今日はこれでおしまいです」
「へっ?」
こころの中では「え、終わり? 教えてくれるのではなかったの?」と思いながら、当時は若かったので(笑)、当たり前のような終わり方に「もう終わりですか?」などと聞く勇気もなく帰路につきました。しばらくして、出来上がった雑誌を見てみたら、なんと、いかにもプロのライダーさんが指導したように、指導前、指導後の写真と、コメントが掲載されていたのです。その写真って、たまたま上手くできたときと、そうじゃなかったときの二枚なんですけど・・・。
「載っている情報と事実が違う!」この時が、私のメディアリテラシー初体験でした。もちろん、その雑誌はそんな記事ばかりではないでしょう。大事なことは、メディアには見たままでない事実が含まれている可能性があるということです。その後、社会人時代は求人広告を製作していたときは、基本的には会社のいい面を伝えることに注力し、マイナス面は必要最低限伝えるべきこと伝えるのが常識でした。いいことは大きく「お客様に感動を運びます」と書いて、「残業有り」は小さめにという具合にです。作り手には事実を引き延ばしたり縮小したりして「こう見せたい」という意図が潜んでいるものなのです。
日本の小中学校ではまだ、メディアリテラシーの授業は行われているところは少ないのですが、イギリスをはじめとした欧米では、よく見るテレビCMなどを題材に、作り手の意図を考えさせたり、メディアに飲み込まれない選択眼を持つための授業が行われているそうです。皆さんもお菓子やオモチャなどの身近なCMなどを題材に、作り手の意図、表現の内容について家族でいろいろ意見を出し合うのもおもしろいでしょうね。でも、もし「ペーパーライダー必見、まだ間に合う、これで完璧ライディングテクニック講座」なんていうのを見つけたら、思わず申し込んでしまうかも……。確認、確認。
 
 
勉強って、何の役に立つの?(ほたる/ほた先生)
 6月1週目は進級テストでした。みなさんは、きちんと合格できましたか? ところでこのテスト。学校でも、塾でも、おけいこでもありますね。「テストなんて、なかったらいいのに!」と、きっと誰でも思っているでしょう。「テストが大好き」なんて変わった人も、中にはいるかもしれませんが、たいていの人は、きらいですよね。そしてついでに、「勉強なんて、きらいだ! 勉強なんて、何の役に立つんだろう」と思っている人もいるでしょう。

 まあ、小学校くらいの勉強が、役に立つのはわかりやすいですね。たとえば算数の計算ができないと、買い物に行った時におつりをまちがわれても気がつかないし、「○割引」がわからないと、どのお店が安いのかも比べられなくなる。新聞を読みこなすには漢字を知らなければならないし、読み取りの力もいるでしょう。ですが、中学、高校の勉強となると、??。疑問が湧く人が多いようです。

 ここで、現役の高校の先生であるKさんが作文に書いてくださった文章を、Kさんの了解を得て載せてみます。Kさんはお仕事の合間に、自分も文章力をつけたいと、作文を勉強している方です。



「私は高校の理科の教師であるが、例えば『遺伝子の事を学んだところで見えるわけでないし、何の役に立つのですか?』といった質問をよくされる。なぜ生活に関係ないことを勉強しなくてはならないのか、というのである。

 確かに遺伝子は日常生活には直接的にあまり役に立たないかもしれない。しかし、遺伝子治療や遺伝子DNA鑑定などの言葉を新聞やテレビで聞いたことがあるはずだ。そんなとき遺伝子がどういうものかを知らずして、遺伝子治療や遺伝子DNA鑑定の話は理解出来まい。知識というものは一見バラバラのようでいて、あるときそれが思わぬ形で結びついて一つの意味をなすことがあるものだ。

 また、現代社会ではテレビやインターネットなどの発達により多くの情報が氾濫している。その中から本当に自分に役立つ情報を選ぶためには、さまざまな知識をもって立ち向かっていかなければ必要な情報は得られないだろう。知識をもっていなければ、必要情報を選ぶための判断材料もなくなってしまう。

 このように今は直接生活に役立たなくても学習を通して知識をもっている方が何らかの形で役に立ち、人生を豊かにするのは間違いない。」



 これは現役の先生がおっしゃるのだからまちがいありません。そして私はそれに加えて、勉強とはその教科の内容とともに、「ものの考え方」を学ぶためにしているものだと思うのです。数学や理科では論理的なものの考え方を、古文や歴史では過去の人間のあり方を、国語では言葉と心の動きの表し方を、といったふうに。そして、作文では、自分の考えを言葉にして他人に伝える技術を。

 少し難しい話になってしまいました。でも、どれをとっても、Kさんのおっしゃるように、むだなものは何一つないのです。
今週の一笑「授業の渚の録画風景」
 「授業の渚」の録画で、事務局のメンバーががんばっています。
 しかし、何分素人で、機材も手作りのものが多いので、思わぬトラブルも。
 ある週は、最後のいちばん盛り上がる画面のところで、手作りの紙芝居舞台が倒れて、そのままTHE ENDに。
 また、ある週は、せっかくいいところまで録画していながら、最後のところで自分の言ったギャグに吹き出してボツに。
 そのうち、NG集を出すかもしれません。

 
 
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