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  連休中の予定(再掲)
  授業の渚で放送スタート
  プロフィールの直し方
  急な欠席連絡は、ホームページから
  育てるとは(こみこみ/こみこ先生)
  「小論文」(かな/やす先生)
  書きたいことってなあに?(みのり/まこ先生)
 
言葉の森新聞 2007年5月1週号 通算第981号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
連休中の予定(再掲)
 教室の休みは、課題フォルダに書いてあるとおりです。
 4月30日(月)は5週目のため休みです。
 5月1日(火)2日(水)はあります。
 5月3日(木)4日(金)5日(土)は、休み宿題です。先生からの電話は ありません。
授業の渚で放送スタート
 5月1週から、ビデオ授業の放送を再開しました。
 この放送授業は、今を去ること何年も前、インターネットに初めて動画が載せられるようになったころから実験的に作っていました。しかし、当時は、ブロードバンド環境そのものがなかったために、実際に活用されることはほとんどありませんでした。
 最近、ブロードバンドによるインターネット接続が一般的になり、youtubeなどを利用する人も増えてきたので、この5月から放送を再開することにしました。
 5月の連休期間中は、授業が休みになる曜日が多いので、電話説明なしで作文を書く場合は、この授業の渚の放送をご利用ください。
http://www.mori7.com/nagisa/
(放送されているのは、白文字で表示されている課題だけです)

             
プロフィールの直し方
 プロフィールやパスワードは、言葉の森の表紙の上のほうにある「●ペンネーム・パスワード・プロフィールの変更」というところで編集できます。
 ただし、このプログラムは、インターネット普及の初期に作ったものなので、htmlの知識がある人を前提にしています。そのため、htmlのソースを自分で書いて、画像の部分は、画像の泉にアップロードしたものや絵の実の絵を使うという、やや複雑な形になっています。
 例えば、編集欄に次のようなソースを書き、「編集しますか。はい」のボタンを押します。
====
<b><font color="red" size="5">おはよう。</font></b>
< <え123み> >
====
 すると、登録内容には、次のように表示されます。
====
おはよう。

====
 このページは、今後もっと編集しやすいように直す予定です。
 
急な欠席連絡は、ホームページから
 授業の直前になって、急に欠席をしたいという場合の連絡は、ホームページから「先生への欠席連絡」を利用されると便利です。
http://www.mori7.com/outi/d/
(言葉の森のホームページの上の方にあります)
 夕方は、事務局にも、次々と生徒が来たり連絡が入ったりするので、急な連絡に対応しきれないことがあります。
 ホームページからの欠席連絡は、担当の先生のメールに直接連絡が入るので、直前の連絡であっても確実に先生に連絡が行きます。

                                     
育てるとは(こみこみ/こみこ先生)

 新学期が始まり、皆さんは新たな気持ちで学校へと向かっておられるでしょうね。背筋がピンとなるようないい季節に、私は、教育再生会議メンバーの一員である義家弘介さんの講演会を聴く機会がありました。義家弘介さんというより「ヤンキー先生」として親しまれているこの方の、熱い情熱のこもったお話を聴いているうちに、一人の大人として、あなた達とどうやって向き合って行ったらいいのかの道しるべを示していただいたように思います。その中で特に心に残った言葉は、次の二つでした。
『育てるとは、三つの要素を満たすことである。』
  大人は、「聴く」プロフェッショナルになろう。
  子どもの話を受け止めてキャッチするアンテナを常に揚げておき、子どものシグナルをキャッチしよう。
  大人は、子どもに言葉を丁寧に「伝える」プロフェッショナルになろう。
  心に不安を抱えた子どもたちには、安心感を与えるためにも丁寧に伝えていこう。 
  大人は、自ら「学ぶ」プロフェッショナルでいよう。
  子どもに「学び」を求める大人は、自分が学ばなくてはいけない。
 
  この三つの要素が満たされて、初めて子どもを受け止めて、育てることができるそうです。

『子どもの今の力を的確に測り、伸びるための「負荷」を与えよう。』
 大人は、子どもの成長に責任をもって、その子が持っている今の力を的確に測り、重過ぎも軽すぎもしない「負荷(課題)」を与えるといい。すると、「負荷(オモリ)」を与えて傷ついた筋肉の上に新しい筋肉が付いていくように、子ども達にも新しい力がぐんとそなわる。

 義家さんの熱弁を聴いて、大人の一人として、講師の一人として大変考えさせられた充実したひとときでした。
 言葉の森の指導でも、進級試験という壁を乗り越えたら、新しい課題に新しい大事なポイントが加わりますね。これは、皆さんにとっての成長するための「負荷」と言えると思います。皆さんが課題に取り組む中で、新しい表現力が一つでもそなわるように、私も「聴いて・伝えて・学んで」いこうと決意して、背筋をピンと伸ばして家路に着きました。 
 
「小論文」(かな/やす先生)
 
 いよいよ新しい学年に進級ですね。言葉の森の課題も、それぞれ新しくなりました。前より難しい項目がでてきて、とまどっている人がいるかもしれませんね。たぶん、一番とまどっているのは今年中学にあがった人ではないかと思います。中学生になると、「小論文」の基礎を勉強するようになるからです。
「小論文だなんて、いかにも難しそう。なんだかやる気がなくなってきたな」
 そんな新中学生の生徒さん達に今日は、「小論文」について書いてみようと思います。
  
 小論文は、自分の意見を読む人に「なるほど」と思ってもらうための文章です。たとえば、あなたはお小づかいアップを希望しているとします。ぜひ、自分の希望をお母さんにわかってもらいたいものですね。そこであなたは、まずはバシッとこう言いましょう。
「中学生になるにあたって、私にはもっと小づかいが必要である」(←これが項目の、〈是非の主題〉です) 
 すると、お母さんは眉をひそめてこう言うにちがいありません。
「は? なんでそんなにお金がいるの?」 
 そこであなたは、お母さんが納得するような理由をのべなくてはいけません。(←これが〈複数の理由1,2〉にあたります)
 「その理由は、二つあります」 筋道立てて切り出しましょう。
「一つ目の理由はこうです。中学生になって部活を始めると、帰りにのどがかわきジュースを買ったりする機会が増えます。また勉強も難しくなり、参考書なども必要になるでしょう。この前、本屋で見て驚いたのですが、参考書はどれも千円以上するではありませんか。(←これが〈体験実例〉ですね)よって今までより、もっと小遣いが必要になるのです」
 するとお母さんは、面倒くさそうにこう言うかもしれません。
「じゃあ、水筒をもたせてあげるわ。のどがかわけば、それを飲みなさい。参考書を買うならその都度、参考書代として渡しましょう」
 うーん、やはり敵は一筋縄ではいかないようです。しかし、ここでめげてはいられません。
「二つ目の理由はこうです。これを見て下さい。子供を対象にしたアンケート結果です。これによると中学生の小遣い額平均は2697円。ところが私の小づかいはたったの五百円です。あまりに差が大きすぎるのではありませんか?」
 お母さんは、少しひるんだようです。しかし、腕組みをしてこう言い返してきました。
「それが何なの? 人は人。自分は自分でしょう」
 あなたはムッとします。 「このわからずや!」と言い返したくなります。しかし、ここはひとつ冷静に大人の会話をしましょう。
「たしかに人は人。自分は自分かもしれません。(←これが、〈反対意見への理解〉です) しかしながら、『幸福な家庭はみな似ているが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸である』とトルストイも言っています。(これ、〈名言の引用〉ですね) 他人と似ていることが、幸福につながる場合もあるのです。私の中学生活の幸福のためには、やはり人並みの小遣いが必要であるのです」 (←だめ押しに、もう一度、是非の主題!)
 お母さんはしぶしぶ、財布をとりだしました。
「じゃあ、今月から二千円あげます。だいじに使いなさいよ」
 やった! これが、小論文のイメージです。毎週楽しく勉強していきましょう。

               
 
書きたいことってなあに?(みのり/まこ先生)
 前回、作文は読む人に「伝えたいことを書く」ものだと言いました。そう言われて素直に納得した人はすごい。「そんなこと言われても困る」人のほうが、おそらく多いのではないでしょうか?
 作文がきらいになる理由には、大きく二つあるようです。
 1、書きたいことがない。
 2、形式や規則がわずらわしい。

 べつに書きたいなんて思っていないのに、やれ遠足や運動会といった行事があるたびに、無理矢理書かされるのだ。行事があればまだいい。本や話、映画をみて「思ったことを書きなさい」などと言われたら、もう手も足も出ない。だって、書くほどのことなんか、何も出てこない、と思っている人、いませんか?

 そんなふうに感じているあなたは、間違っていない。実は、自然にぼんやりしていても書きたいことは出てきません。「書きたい」つまり「伝えたい」という意志は、待っていても自然発生しないのです。

 では、どうしましょう?
 自分で見つけに行かないといけない。それからこっちにぐいっと引っぱってこないといけない。だからかなりめんどうなのです。この作業を「考える」と言います。

 「考える」ことは、だれでもあまり好きではありません。「頭を自由にしておく努力・辛抱・根性さえあれば、考えることほど楽しいことはない。それを苦しいと思うのは、考えるのがまだ上手ではないからである。」と言った人がいるぐらい、「考える」ことはやっかいなのです。「考える方法を、学校では教えてくれない。」と言った人もいます。あなたは考える方法を知っていますか?

 書きたいことを見つける方法は、自分をよく観察することです。自分のことは自分が一番よくわかっていると思っていますが、そうでもありません。書かなければならないテーマについて、自分が何を感じ、何を思っているのかを探るのです。どうですか? 結構むずかしいでしょう?

 また、考えることは、答えを見つけることではなく、自分に対する問いを見つけることなのだそうです。「わたしは何がうれしかったのか?」「どうしてうれしかったのか。」「一番おぼえていることは何か?」「何が見えたか?」自分に対してよい質問を思いつく人ほど考えるのがうまいといえるかもしれません。

 どうしてこんなに苦労してまで考えないといけないの? と思う人がいるかもしれませんね。考えないですむことは、ラクかもしれません。でも、考えることをやめて自分を表現しないことは、実はとても不自由なことなのです。

 できるなら自分をありのままわかってほしいし、受け入れてほしいと思うのが人間の自然な欲求ではないでしょうか。考えないまま、どこかのきれいでかっこいい見本どおりの生き方をまねしてみても、どこのだれとも違うかけがえのない本当の自分は、おもてに出られないまま泣いてはいないでしょうか。かっこよすぎない、でも探せばいいところもいっぱいある、ちょうどいい自分を伝えたいとは思いませんか?

 書きたいことを見つけることは、自分を見つめる深い作業です。ですから書きたいことが見つからない、作文なんか嫌いだ、なんて簡単にあきらめないでほしいのです。慣れるまで苦労するかもしれないけれど、だれにでもかならずその力は備わっています。今より自由に、ことばで表現できる喜びをぜひ、味わってほしいと思います。
                            
 
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