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  3.1週に作文進級テスト
  科学の話をしよう
  新しい技術の世界
  食育(りょんこ/よお先生)
  気持ちを文章にする(しろくま/いのこ先生)
  失敗は成功のもと(きりこ/こに先生)
  子どものための権利条約(ぺんぎん/いのろ先生)
 
言葉の森新聞 2007年3月1週号 通算第973号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
3.1週に作文進級テスト
 3.1週に、作文進級テストを行います。課題フォルダの字数・構成・題材・表現・主題の●印が全部できていることが合格の条件になります。(表現の項目などで「たとえ」と「ダジャレ」など二つ以上の項目が指定されている場合はどちらかができていればその項目は◎です)。キーワードと字数が採点の基準ですので、指定された字数以上で必要な項目が全部入る作文を書いていってください。中学生以上の時間制限については、今回は採点の基準にしませんが、できるだけ時間内に書き上げる力をつけていきましょう。
 手書きで作文を書く人は、項目ができたところにシールをはっておいてください。
 パソコンで作文を書く人は、キーワードを入れておいてください。
 小学生の場合は、提出する前に、おうちの方が字数と項目シールをチェックしてあげてくださるとよいと思います。
 小学2年生までの生徒は、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。1月以降に受講を開始した生徒も、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。ただし、いずれの場合も、賞状は出ますので、できるだけ字数と項目ができるように書いていってください。
科学の話をしよう
 お父さん、子供に何か話していますか。朝早く出勤して、夜遅く帰宅するので、子供と普段接する機会があまりありません。そこで、たまの日曜日、子供とゆっくりできる時間ができても、共通の話題があまりないので、「勉強はどうだ。ちゃんとやってるか」「うん」という会話が多いのではないでしょうか。
 子供が小さいころは、会話よりも遊ぶことが中心で、どこかに出かけて楽しくやっていればコミュニケーションが取れていましたが、子供の生活が勉強中心になってくると、そうそう遊びにも行っていられません。子供が塾に通う時間が長くなれば、ますます会話の題材がなくなります。
 そのときに生きてくるのが科学の知識です。
 子供はもともと知的好奇心が旺盛です。今はその知的好奇心に受験という圧力がかかるので、子供の関心はテストや成績の方に向きがちです。しかし、本当は、知ることそのものに喜びを持っているのが子供です。
 小4の課題に載っているアインシュタインは、子供のころ学校が嫌いでたまりませんでした。しかし、家に帰るとヤコブおじさんが、数学の面白い話をしてくれるので、そこから学問に対する興味を深めていきました。ヤコブおじさんは、勉強を教えてくれたというよりも、勉強の面白さを教えてくれたのです。
 お父さんが科学の話をするときに役に立ちそうな本が、ナツメ社の図解雑学シリーズです。試しにAmazonで「図解雑学」を検索してみると、次のような書名が並んでいます。
「孫子の兵法、統計解析、ゲーム理論、失敗学、ディベート、マクロ経済学、よくわかる色彩心理、ミクロ経済学、自動車のしくみ、三角関数、人間関係の心理学、多変量解析、社会心理学、心理学入門、超ひも理論、決算書のしくみ、……」(こういうシリーズが400冊近くあります)
 この中で自分の関心のありそうなものを読むと、大人でも「はあ、そうだったのか」と感心することがあります。新しいことを知るというのは、大人にとっても感動のあることなのです。
 その感動の薄れないうちに、子供に話をしてあげるのです。子供は、知識を吸収するとき、話し手の感動も一緒に吸収します。百科事典のようなものをただ読ませても、頭の中にはがらくたの知識が詰め込まれるだけですが、身近なお父さんやお母さんが感動をもって話した知識は、子供の頭の中で生きた知識になります。
 こういう話を子供が小学校の低中学年のころからしていれば、お父さんの話もだんだん上手になってきます。プロの話し手である落語家も、最初からプロであったわけではありません。みんな時間をかけて上手になっていったのです。お父さんが、毎週子供に面白い科学の話をしてあげれば、1年もたつうちに自分の子供に話をしてあげるプロになっているでしょう。
 ここで、ひとつ大事なことは、お母さんの応援です。お父さんが話している間、お母さんも感心して聞いてあげることです。もちろん、お母さんが話をしているときは、お父さんも感心して聞いてあげることです。つまり、大人どうしが揚げ足を取らないということです(笑)。
 こういう家族の話ができれば、その影響は次の世代に続いていきます。小学校時代に、お父さんやお母さんから楽しい科学の話を聞いて育った子供は、自分が親になったときにも同じように、子供に楽しい知的な話をするようになるでしょう。今は、家庭の中に、そのような知的な会話がないから、塾の話や成績の話ばかりが話題の中心になっているのです。
 もうひとつ大事なことは、テレビを見すぎないということです。テレビも確かに新しい知識を吸収する媒体です。しかし、テレビで提供された話題は、お父さんやお母さんだけでなく、子供もほかの人も同じように知っています。同じものを見て「面白かったね」「うん」では話がはずみません。知的な創造というのは、互いに異なる知識を前提にして成り立つからです。
 知的な会話のある家庭では、テレビはあまり登場しません。テレビを見るよりも、みんなで話す方がずっと楽しいからです。こういう家庭の文化が、学力の土台になるのです。
新しい技術の世界
 インターネットに関わる技術で、新しい発想と思われるものをいくつか挙げてみます。
 第一は、形式と内容の分離です。これまでのソフトは、ワードにしろエクセルにしろ、中身のデータと書式が同じファイルの中で結びついています。だから、個人がひとりで使うには便利ですが、ネットワーク上で中身を共有しようとすると、書式の部分が邪魔になってかえって使いにくいという状態が生じてきました。今、ワードやエクセルの機能は、単体のソフトから、ネット上にウェブサービスに移行しようとしています。マイクロソフトがパッケージとして売るようなものではなく、グーグルやヤフーがネット上のサービスとして行うようなものになりつつあります。そうなると、ますます形式と内容の分離が進み、データの共有がしやすくなるでしょう。
 ところで、グーグルは、余計なサービスを増やしすぎたので、今後は本業に集中するという考えだそうです。グーグルマップやグーグルアースをいくら作ってもそれは単なるおまけに過ぎません。本体の検索機能が充実していて初めてそれらのサービスも生きてくるからです。
 しかし、将来、グーグルやヤフーのような検索機能は、だんだん使われなくなるような気がします。機械の検索機能と、その検索機能の裏をかこうとするSEO対策のいたちごっこが今後更に激しくなるだろうからです。そうなると、いちばんあてになるのは、検索機能よりも、その分野での第一人者である個人の情報ということになると思います。
 さて、第二は、ウェブ2.0的なものです。ウェブ2.0にはいろいろな定義がありますが、その本質は、末端同士のやりとりだと思います。これまでのインターネットでは、中心にサーバーがあり、世界中の人がそのサーバーから情報を引き出したり、そのサーバーに情報を送ったりする形で成り立っていました。これは、情報のやりとりが少ないうちは合理的な方法でしたが、情報の量が多くなると、その情報量の累乗に比例する形でサーバーの負荷が高まることがわかってきました。新しいやり方は、末端同士が直接情報のやりとりをし、サーバーはそのやりとりを中継するだけという形です。今、言葉の森は、担当の先生が直接生徒の自宅に電話で指導しています。本部に教室があって、そこに先生が集まりそこから指導するという形ではありません。そして、先生が急な事情で休講をするときは、その情報を知った他の先生が代講を引き受けます。あらかじめ今週の休講の予定などを本部に集め、本部がそれを管理しているのではありません。これがウェブ2.0的な仕事のスタイルです。
 第三は、予感ですが、これからは、精神的なものがインターネットの技術に入ってくるような気がします。物質と意識については、既にきわめて微小な次元で関わりがあるらしいことがわかってきました。「ある」ということは、それが技術的に処理できるということです。そして、その関わりの仕方は、これまでのデカルト・ニュートンパラダイムのような一対一の対応ではなく、どうやら全体対全体と呼べるようなものらしいです。ニュートンの運動方程式は、簡単に言えばy=ax+bのような形で表されます。複雑になるとしても、y=ax2+bx+cのような次数が多くなる形です。しかし新しい時代の運動方程式は、yがxの変化に対応するだけでなく、y自身の変化にも対応してしまい、それがxの変化にも影響を及ぼすという形になるようです。この複雑な全体対全体の結果を見るのがシミュレーションです。複雑すぎるために計算で答えを出すことができないので、実際にモデルを動かしてみて結果を見るということです。この全体対全体の動き方に影響を及ぼしているのが、場です。場とは、その事象に関心を持つ人々の意識の集合ですから、インターネットのような技術は、場を生かすという点でも新しい技術と相性がいいのです。たぶん、世界のどこかで、そんなプロジェクトが進行していると思います。

食育(りょんこ/よお先生)
「食育」というと、栄養バランスの整った食事を与える、加工食品をなるべく摂らない、有機栽培の野菜を食べる、油分の多いものを減らし、和食中心の食事にするなど、母親が子供の口に入る食材に気をつけようという考えが多いように思います。ですが、服部さんの本では、摂取する物に加え、食事を通した家庭教育に触れています。それがよく表れているのが、子供によくない食事には、5つの「コショク」があり、それを改善しようという考えです。

5つの「コショク」とは、「孤食・個食・固食・小食・粉食」のことです。
 1.「孤食」は孤独な食卓のこと。
    家族の時間が合わず、一人一人別の時間に食べ、何を食べているかわからないこと。
 2.「個食」は別々のメニューを食べること。
    食卓が一緒でも、それぞれが自分の好きなものを食べていること。
 3.「固食」はいつも同じものを食べること。
    食事バランスが偏るのはよくありません。
 4.「小食」は食が細いこと。特に女の子に多くて細くやせてしまっている。
    気にしすぎて食べないのはよくありません。
 5.「粉食」はパン中心の食事。
    戦後の給食からそうなったが、お米はゆっくりと体のためにプラスになるのものです。

この中の始めの二つは、食べる物ではなく、食事の仕方のことを、指摘しています。これは子供を育てる上で、また明るく健全な家庭を築く上で、とても大切なことですね。食事の時間は物を食べるだけの時間ではありません。家族がお互いのことを知り、コミュニケーションをとる大事な団欒の時間です。子供は、そこで食事のマナーを学べます。わが家では、平日の夕食は、父親だけ帰りが遅いので別になってしまいます。でも、週末と毎朝食だけは、なんとか「みんな一緒」の食卓になるように工夫していこうと思いました。

     
気持ちを文章にする(しろくま/いのこ先生)
 何かを見たとき、聞いたとき、体験したとき、私たちはいろいろなことを感じます。作文では、その感じたことをどのように表現するかということが、とてもおもしろいものです。たとえば、何かを見たときどう思ったか。見る前の気持ち、見た瞬間の気持ち、あとになって思ったこと。ずっと気持ちが一定しているとは限りませんから、気持ちの変化を書くことができますね。聞いたときや体験したときも同じです。自分が知っている言葉をいろいろ使い、またたとえなども考えると、自分の気持ちがよりくっきりと表現できるのです。
 でも、みなさんとお話をしていて、
「そのとき、どんな気持ちだった?」
と聞くと、
「別に。普通。」
などと、具体的な言葉が返ってこないことが意外に多いものです。
これでは、自分の思ったことは書けないと思うかもしれませんが、決してそうではありません。「別に。普通。」と思った人も、まったく心が動いていないわけではないですね。まず、自分の気持ちをよく見つめてみましょう。もしかしたら、自分が気づいていない気持ちの変化があったかもしれません。それでも、「別に。普通。」としか思えなかったら、自分がそれほど感動も驚きもしなかったことを文章にすればいいのです。実は、私自身も、あまり感動したり驚いたりしないタイプの生徒でした。ですから、遠足に出かけても、運動会があっても、何をどう書いたらいいかわからなかったことがあります。でも、あるとき、大きく感動しない自分を周囲の人と比べたり、どうして心が大きく動かないかを自分なりに分析したりして文章にしてみようとしたら、書くことが苦痛ではなくなりました。さらに、それまでは、なぜか喜んだりうれしかったりしたことしか書いてはいけないと思いこんでいましたが、ちょっとイヤだなと思ったり腹が立ったりしたことを加えてみたら、書きたいと思うことがどんどんあふれてくるようになりました。
 作文というと、どうしてもいいことしか書いてはいけないのかと思ってしまいがちです。しかし、決してそんなことはないのです。前向きな気持ちばかりではなく、下や横を向いた気持ち、ときには少し後ろ向きの気持ちでも、どんどん言葉にすればいいのです。なぜなら、それらの気持ちは、すべて自分の素直な心の動きだからです。作文を書きながら、「さて、このときはどんな気持ちかな?」と自分の心に問いかけながら、自分の素直な心の動きを追いかけてみましょう。

 
失敗は成功のもと(きりこ/こに先生)
 今、5年生、6年生は、ことわざの引用を勉強しています。ことわざとは、昔から言い伝えられてきた教訓です。簡単に真実を言い当てているものが多いですね。皆さんも一つことわざを知るたびに、妙に納得しているのではないでしょうか。

 先日、ある雑誌を読んでいて、「失敗は成功のもと」なんだなぁと思った記事を紹介します。

 皆さんは、使い捨てカイロを使ったことがありますか。 私は、毎日のように腰にはっているのですが、一つはるだけで暖房器具をつけなくてもいいくらい暖かです。安い値段で、軽く、持ち運びができるすばらしい商品だと常に思っているのですが、あの使い捨てカイロができたきっかけは、お菓子やのりのビンに入っている脱酸素剤の開発の失敗があったからだそうです。

 ロッテ電子工業は、1976年から、大型の脱酸素剤を開発しようと研究をしていました。試作品を作ったとき、非常に熱くなっていて、失敗だとがっかりしました。熱が出ると、脱酸素剤としては使えないですものね。しかし、熱くなるという化学反応を応用して使い捨てカイロの開発につなげることができました。

 使い捨てカイロの中身を取り出すと、黒い粉がでてきます。黒い粉は、ざらざらしていて、粒の大きさもまちまちです。さわると、鉛筆のしんをさわったみたいに手が黒くなります。「百聞は一見にしかず」です。一度使い捨てカイロの中身を取り出してみてごらん。さあ、どうして黒いのでしょうね。粒の大きさがまちまちなのは、どうしてなのでしょうか。鉛筆のしんと同じ材料でつくられているのかな。どんどん疑問がわいてきますね。「学問に王道はない」です。調べてごらん。

子どものための権利条約(ぺんぎん/いのろ先生)
 こんにちは、皆さん。先生はこの間、「子どものための権利条約(けんりじょうやく)」というのを学びました。権利とは「やっていいよ」ということです。みんなのような「子ども」は電車料金ではまだ大人の半分だけれど、この「やっていいよ」ということでは、大人の人と同じように「一人の人」としてちゃんと守られることになっているんだよ。 
 「条約」というのは、守りたい国で守ろうねときめた「きまり」のこと。このきまりには、子どもたちみんなが「幸せになっていいんだよ」とか、「自分の本当のしたいことを言っていいんだよ」、「自分できめていいんだよ」、「集まりに自分ですすんでさんかしていいんだよ」、「勉強していいんだよ」ほか、いろいろな「やっていいよ」が書かれています。(むずかしい言葉でだけどね。(^^ゞ) 
 ところで、「勉強していいんだよ」という言葉を聞いて、みんなは「やったぁ!うれしいな。」と思えるでしょうか? この地球では、まだたくさんの子どもたちが勉強もできない環境(かんきょう)にあるそうです。「勉強? だめだめ、それよりはたらいて!」と言われたとしたら、その時はじめて、「勉強できる」ことの大切さ、うれしさがわかることでしょう。
 ある生徒さんが「自分からすすんでやる読書は楽しい。本を読みなさいと言われて読むとつまらなくなる。」と、作文の中で教えてくれました(笑)。先生は「子どものための権利条約」を読んでから、みんなが「読みたい本」、「書きたいこと」、「したい遊び」、「したい勉強」がたくさん応援されればいいな、とますます思うようになりました。そして、「これをしてもいいし、あれをしてもいい」と、たくさんのえらぶメニューがあればあるほど、みんなが自由に決めて、自分からすすんでやっていけるんだろうな、ということも。
 先生は「作文」に、みんなの気持ちがのっかるようにサポートする応援団です。「電話指導」というと先生は何から何まで教えてあげるようなイメージだけれど、みんなが「書きたい」気持ちを一番大切にしたいなと思っています。だからみんなも「私/ぼくが書きたいこと、今日はこれ!」と心に決めて、先生からの電話を待ってほしいと思います。先生は、お家の人といっしょになって、みんなの書きたいことを応援できる大人になるからね!
 
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