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  10月9日(月)は、休み宿題
  パスワードがyamaのままの人は、10月10日から電話番号の末尾に
  携帯からのフリーダイヤルができます
  欠席連絡の場所をホームページの前面に
  熟成(ふじのみや/ふじ先生)
  昔話を読んでみると(スズラン/おだ先生)
  怒りとは(ごだい/ひら先生)
  よいこととわるいこと、ってなに?(ぺんぺん/わお先生)
 
言葉の森新聞 2006年10月2週号 通算第954号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
10月9日(月)は、休み宿題
 10月9日(月)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
パスワードがyamaのままの人は、10月10日から電話番号の末尾に
 言葉の森の生徒がインターネットを利用する場合のコードとパスワードのうち、パスワードは最初の設定がyamaとなっています。
 この設定のままの人は、10月10日から、電話番号の末尾4桁とさせていただきます。
 ご自分でパスワードの変更を希望される方はホームページの生徒の里からお願いします。。
http://www.mori7.com/sato/
携帯からのフリーダイヤルができます
 言葉の森のフリーダイヤルは、しばらくの間携帯からの利用ができない設定になっていましたが、この10月から再び携帯からの利用ができるようになりました。
 電話0120−22−3987(丸い庭、二つ咲く花)と覚えておいてください
欠席連絡の場所をホームページの前面に
 生徒のみなさんから講師への欠席連絡のページをホームページの前面に載せました。授業直前の急な連絡でも大丈夫ですので、ご利用ください。
熟成(ふじのみや/ふじ先生)
 1ヵ月に一度、このコーナーの記事を書きます。月の1週目がすぎた頃、「今月のテーマは何にしよう」と、ネタ探しが始まります。
 最近は、新書読みがマイ・ブームで、ここでも最近、読んだ何冊かについて取り上げました。今はちょうど、ベストセラーになっている『国家の品格』/藤原正彦 を読んでいるところです。国際人とは何か、論理の限界など、本来、数学者であるはずの著者の視点の広さに驚き(じつは藤原正彦さんは、有名な作家、新田次郎さんの息子さん。なーるほど、蛙の子は蛙ってやつですね)と、同時に、「人って、こういうふうに熟成されていくんだな」という別の感想も持ちつつ。
 さて、私が著者に対して「熟成」と感じたのは、自分が高校生の時に読んだ、同じ著者の『若き数学者のアメリカ』を思い出したからです。

 この本は、アメリカ滞在中に作者が味わった外国人学生としての孤独や友達づくりなどが、飾らないやさしい文体で、素直に語られています。地方都市の一高校生であり、海外留学など別世界の話だった私にも、興味を持って読めました。そして白状すると、小さな写真を見ただけで「この藤原という人は、すごくマジメそうだけれど、髪型と服装を整えればイケメン青年に変身するに違いない」と思っていました……。(……などつけてごめんなさい)
 この『若き数学者のアメリカ』で、こういう内容の一節があります。

 アメリカ社会はオーケストラ、アメリカ人をヴァイオリン、自ら(日本人)は、琴。
最初は、ヴァイオリンをライバル視して、共鳴できなかった。しかし、次第に打ち解けあい、ヴァイオリンを友達だと思えるようになったとき、今度は、自分もヴァイオリンになりたいと思った。しかし、そんな気持ちで参加したオーケストラで、自分はヴァイオリンの響きに深く共鳴することはできなかった。結局、ちゃんと共鳴できたのは、琴の音を自然に出せるようになってからのことだ。

つまり、外国に行って、言語や風習、考え方に努力してなじんだところで、それだけでは相手に認められることにはならない。日本人としての資質を自然な形で発揮することのほうが大切なのだ。こう述べているのです。

 『若き数学者のアメリカ』が出版されたのは、今から約25年前(え〜、今、私の年齢を計算した人、いませんか!?)。それから四半世紀たった今、『国家の品格』には、「日本人としての資質を発揮することの大切さ」がさらに、確固とした価値観で強調されています。さらに、青年時代にあれほど共鳴したいと切望したアメリカに対して、厳しい目を向けています。

 「20世紀の最後の頃から跋扈(ばっこ)し始めたグローバリズムは、冷戦後の世界制覇を狙うアメリカの戦略にすぎません。世界はこれに対して、断固戦いを挑まなければいけない。グローバリズムは歴史的誤りと言ってよいものだからです。
 資本主義をアメリカ化するため、冷戦後に、アメリカ式市場経済、リストラ自由のアメリカ式経営……(中略)、経済がすっかり変わってしまい、どの国でも貧富の差が急速に拡大しつつあります……(中略)、その欠陥システムを世界は押しつけられているのです」
 また、若き日々に学んだアメリカの教育についても、「(日本の)学校数学がアメリカに並ばれたというのは、私には恐ろしいことに思えます」と書いています。

そして、今こそ日本人が、題名にいう『国家の品格』を取りもどし、国際社会に貢献していくべきであり、そのための方策を武士道の視点で具体的に述べています。

 同じ著者の年月を経た作品を読み比べてみると、時代やものの見方の変化がリアルに感じられ、興味深いものです。
 今回とくに感じたのは、まさに25年という歳月が、国を変え、国同士の関係を変化させていくということ。そして、優れた観察・分析者であることは変わらないけれど、60代になった著者を照らすのは、見知らぬ体験が豊富にあった外国の光ではなく、自らの生まれた国の陽の光なのだなあ。そう思うと、まだ読書中ですが、このさっぱりとした装丁の新書が、ちょっと手に重く感じられるのでした。

ちなみに、藤原正彦さんの文章は、この教室の長文の課題にも取り上げられています。覚えている人はいますか? 「ニシキギ」の課題の「8月3週  ●国際人とは一体」(『数学者の言葉では』より抜粋)です。
昔話を読んでみると(スズラン/おだ先生)
 夏休み中にいろいろ本を読んだと思いますが、大好きになった本がありましたか。私は、日本や世界の昔話を読み直してみたのですが、なかなかおもしろい発見もありました。ちょうどそんなとき、「大きなかぶはなぜ抜けた? 謎とき世界の民話」という本を見つけ、早速読んでみました。その中の、私が好きな話「大きなかぶ」のところを今月の話題にしたいと思います。

「大きなかぶ」の物語は、「うんとこしょ。どっこいしょ」のかけ声が楽しいロシアの昔話なので、この物語を読んだことがあるでしょう。「あまい あまい かぶになぁれ」と言って、おじいさんがうえたかぶが、大きな大きなかぶになってしまい、おじいさん、おばあさん、まご娘、犬、ねこ、ねずみと、順番によびに行って、みんなでひっぱって、ひっぱって、やっとかぶが抜けたお話ですね。
 
 そこで、この本の「ふしぎな力」という章の「大きなかぶの謎・世界中の子どもに愛される理由」から、いくつか謎を拾ってみました。

<謎の1>「かぶ」のテーマはみんなで力を合わせること?
 確かに最後に小さなねずみが加わっただけでかぶが抜けたのは不思議ですが、たとえ小さな力でも、その力を仲間に引き入れなければ成功しないということを示しているようです。

<謎の2> この物語は初めからこういうお話だった?
 1908年に編纂(へんさん)された「北方の昔話」では、おじいさん、おばあさん、まご息子、まご娘の4人でひっぱったがかぶは抜けず、そこへやってきたねずみがかぶを食べてしまい、ひっこぬいた! という話になっています。ねずみの存在が大きくあつかわれています。
 
<謎の3> かぶとねずみの関係は?
 ロシアでも、かぶは昔から民間治療薬の一つとして大事にされていました。日本でも、かぶは薬効があると言われて、春の七草の一つですね。また、かぶのヒゲ根はねずみのしっぽに似ていること、かぶの保存場所が床下で、ねずみの居るところと同じなので、かぶとねずみは親密な関係があったとか。

<謎の4> なぜ、大きな大きなあまいかぶに育ったのか?
 このお話を読んでいて気が付くのは、かぶが1つだったことです。このおじいさんの家が貧しくて、一個のかぶの種しかなかったので、種をまくというより、ていねいに植えた結果、おじいさんの愛情がかぶに込められてあまいかぶになったようです。
 
 これらを考えてみると、この「大きなかぶ」は単純なお話ですが、このお話のなかに込められたものがいっぱいあったようです。そこから、仕事を完成させるためには最後のひとふんばりが大切だとか、大きな仕事を完成するためにはみんなで力を合わせることが大切だとか、この、みんなで引っ張るという行為と合わせてにいろいろな話がでてきたのですね。
 
 でも、さまざまな解釈があっても、単純に、みんなで力を合わせると火事場のばか力というように、驚異の力が出せるということで読んでみたいというのが結論のようです。運動会の綱引きなどのときには、この大きなかぶをひっぱるような力がでてきそうです。
 昔話は、隠されたテーマがあるようで奥が深いのですが、楽しいお話だなぁと思いながら読むのが一番ですね。
怒りとは(ごだい/ひら先生)
「怒り」とは

みなさんは、この表題を見てどんな感じを受けましたか?

「怒り・・・嫌な言葉、できればもたないほうがよいなあ」「怒り、心が狭いからだよ」「怒り・・・こうあるべきだと思いこみが強い人ほど感じるものじゃないかなあ」「怒り・・・そういえば昨日もやってしまった・・・」
・・・以上は私の感想ですが(笑)、だいたいはネガティブなイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。

 そんな中、『こころのちから』(岩井美代子著)に<「怒り」は生きるエネルギー>という言葉にハッとさせられました。<生きるエネルギー>というポジティブメッセージに思わず心惹かれてしまったのです。本の一部に怒りについての内容とてもわかりやすく書かれていたので以下、主旨をご紹介しますね。

☆一般に社会の中では怒らないことが大人と受け取られている☆
いつも怒っていたり、愚痴ばかりいう人には近寄りたくないですね。黒いモヤモヤが取り巻いているようで。(笑)

☆・・・でも、怒りを感じない人はいない☆
私達は傷つけられたとき、差別を受けたとき、無視されたとき、だまされたとき、幸せを壊されたとき、大切なものを失ったとき、怒りを感じます。これは自分の身を守るごく自然な感情です。

☆人の痛みも喜びも共に分かち合えるようになるために「怒り」を味わうことも必要☆
あえて、怒る必要はありませんが(笑)。でも、悩み相談をするとしたら、「怒り」も抱えいろいろ苦労したけれど・・・という人じゃないと理解してくれないような気がしますよね。

☆「怒り」はパワフルさの源。ふわふわした差し障りのない気持ちばかりではこころの力はしぼんでしまう☆
偉人と言われる人達が、ただ「ふわふわ」と偉業を成し遂げることはほとんどないでしょう。大抵は世の中へ怒り悔しい思い、失敗、などを抱えて、それを糧にしているのはよく言われていることです。

☆怒りの種類☆
1)自分の望みが叶わない。思うとおりにいかない怒り。
・・・これは日常茶飯事ですね。私は運転がゆっくりなので気付くと道を譲ることになってしまいます。すると「お母さんまた割り込まれた」と不満げな息子。そんな彼には「情けは人のためならず」と自ら良いことをしているのだと言い返します。(笑)特に相手が絡むことは「思うとおりにいかなくてあたり前」です。「怒り」を認めつつ即(笑)自分の気持ちを切り替えた方が精神衛生上いいでしょうね。
2)人を傷つけたいという、暴力的、破壊的な怒り。この背後には積もり積もった悲しみや絶望感、無力感が横たわっている。自他を責める気持ち。
・・・人を傷つけることは決して許されることではありません。が、罪を犯す人の心の底をよく言い表していると思います。
3)問題解決、前進しようとする怒り。「このままではイヤだ」「こんなことは許されない」「もっと幸せになりたい」。・・・これを読んで和田アキ子さんのコメントを思い出しました。彼女は「人に怒るときは愛情をもって」と語っています。あれだけ「怒り」を振りまき、「怖い」と思われても、しっかり存在感を持ち続けているのにはこんなところに秘密があるのですね。作家の上坂冬子さんは「怒りがある限り書き続ける」とおっしゃっていたのもこのことでしょう。前向きな怒りこそ、キング牧師、ガンジーなどの偉人といわれる人の心の力のあり方なのでしょうね。

面白いと言われる物語には人間の喜怒哀楽がきっちり織り込まれています。作文も同じだと思います。ただ小説と違って多くて千字程度の内容に全ての感情を盛り込むのは難しいことです。しかし、短いなかでも喜・楽だけが書き込まれているものと、怒・哀も含まれているものとでは自ずと深みが違ってきます。自分の負の感情も認めて、それを見つめる目を持つことが大切です。
そして、怒りをエネルギーに変えられるといいなあ!
よいこととわるいこと、ってなに?(ぺんぺん/わお先生)


 先日、書店で『こども哲学 よいこととわるいことって、なに?』という絵本を見つけました。「よいこととわるいこと」などというと、道徳的な内容のような気がしてきますが、「哲学」というタイトル。「いったい何が書いてあるのだろう?」と興味を引かれて、中を読んでみました。

 この本は、問いかけとそれに対するさまざまな答え、答えに対する問いかけ、まとめという構成になっています。そして、問いかけは全部で6つ。

 最初は、「おなかがへったら、どろぼうしてもいいとおもう?」という問いかけから始まります。みなさんなら、「そんなこと聞かなくたって、答えはわかってる。」と思うかもしれませんね。でも、本当にわかりきったことなのでしょうか? 本を見てみると、何通りかの答えが書いてあります。その答えは、当たり前のもの、本音が出ているもの、意外なものとさまざまです。それらの答えから、また問いが引き出されていきます。まとめの部分では、この問いから何を考えていかなければならないかが示され、いろいろな角度から考えていくことの大切さを気づかせてくれるようになっています。

 今まで、子どもむけの本で、こんな風にいろいろ考えさせてくれるものに私は出合ったことがありません。本当は、ほかの本を買いに来たのですが、迷わずこの本を買うことにしました。

 帰宅してから、この本を出版した朝日出版社のホームページを見てみました。それによると、<こども哲学シリーズ>は、フランスのある小学校で開かれた、哲学の授業を元に作られたものなのだそうです。その授業の中で交わされた、子どもと先生との会話をまるごと詰め込んで絵本にしたものとのことでした。

 問いかけに対するさまざまな答えは、子どもたちの生の声だったのですね。こんな授業を受けることのできた、その小学校の子どもたちのことがうらやましくなりました。

 ぜひ、おうちの人といっしょに読んで、いろいろ話し合ってみて下さいね。そして、この本の帯にあるように「いろんな考えをあれこれ組み合わせたり、ふだんは見えていないところをのぞきこんだりしながら、ほかのだれにもたどりつけない、きみだけの答え」をさがしてみて下さい。


参考:『こども哲学 よいこととわるいことって、なに?』 オスカー・ブルニフィエ著 朝日出版社
 
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