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  臨時の時間変更は、先生にではなく教室に
  思考力・記述力を高めるための会話
  「自分のことを書く」(モネ・いとゆ先生)
  「否定で返すな」(けいこ/なら先生)
  「「言葉の森」をしていてよかったな(ぺんぎん/いのろ先生)
  「ブレーブ・ストーリー」(イルカ/かこ先生)
 
言葉の森新聞 2006年9月2週号 通算第950号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
臨時の時間変更は、先生にではなく教室に
 いつもの授業の時間に電話を受けられない場合、時間の変更を担当の先生に直接依頼しないようにしてください。
 理由は、担当の先生にはそれぞれ生活時間があり、また、電話指導にはそれなりの精神的な集中力が必要なので、臨時の変更は先生にとって負担になることが多いからです。
 臨時の変更は、教室に直接お電話ください。そのときに担当できる先生が折り返しお電話をする形で電話説明をします。
(平日午前9時〜午後7時50分。土曜午前9時〜午前11時50分)
 また、同じ理由から、先生の自宅への直接のお電話もしないようにしてください。先生への連絡は事務局あてにお願いします。
思考力・記述力を高めるための会話
 子供たちの思考力・記述力の低下が指摘されています。

 朝日新聞7月15日の記事より。
「国立教育政策研究所は14日、全国の小学4年〜中学3年の約3万7000人を対象に初めて実施した国語と算数・数学の「特定課題調査」の結果を公表した。難点として浮かび上がったのは、論理的に考えたり、筋道立てて考えを表現したりする力。答えは出せても、そこに至る過程を説明できない傾向もあり、研究所は「国数ともに、文章をもっと書かせる指導が必要」と指摘している。」

 同じく、朝日新聞9月1日の記事より。
「単純計算よりも理解力に難点――。文部科学省所管の財団法人「総合初等教育研究所」が全国の小学生約9000人を対象に実施した計算力調査で、単純に数式を解く計算技能よりも、計算技能を支える「理解力」に課題があることがわかった。理解力を試す問題では、正答率が3〜6割と低いものもあった。単純な計算技能については、98年の調査結果とほぼ同じ水準だった。」

 教室の子供たちを見ていると、考える問題に喜んで取り組む子と、考える問題を最初から放棄する子に分かれるようです。
 その差は、ひとことで言えば日本語力の差です。考えることが苦手な子は、考える問題に対して、自分の日本語力がついていかないために考えることをあきらめてしまうのです。

 その原因は、単純な技能や記憶が評価される一方、じっくり考える力が評価されない今の教育環境にあります。
 学習教材のほとんどは、単純な技能や記憶の再現を評価する形で作られています。eラーニングというと、名前こそ新しいように聞こえますが、その中身は旧態依然の知識の定着度を調べるだけのものです。
 基本的な技能や知識を習得することはもちろん大切ですが、問題は、そこに重点が置かれすぎていることです。漢字の書き取りや、算数の計算問題は、先生も教えやすいし、子供も取り組みやすいし、親も満足しやすい勉強形態です。そしてまた、そういう教材は作成が容易です。
 このために、現在の日本では、理解を伴わない単純な反復型の勉強が主流になり、その結果が思考力低下という教育調査として表れているのです。
 では、家庭ではどのように対策を立てたらいいのでしょうか。
 いちばんやりやすいのは、日常生活の中で、親が子に理解力を必要とするような会話をすることです。
 例えば、「たまごやきを作ったこと」などの作文課題で、たまごやきを親子で作るときなどに、「はい、たまご」「ほら、割って」「ふた、しめて」「それ、できあがり」というような言葉の羅列だけで会話をしていてはだめです。
 「たまごの殻というのは、ヒナが割って出てこられるぐらいにやわらかく、でも、親鳥が温めるために上に乗っても壊れないぐらいにかたくできているんだよ。だから、たまごを割るときはそのヒナが殻を割るぐらいの力加減でやる。それ。あ、失敗しちゃった」などのように、子供が実際の必要性から聞きたくなるような場面で、理由や原因がわかるような長い文を、面白おかしく楽しく話してあげることです。
 小学生のうちに、このような会話の環境で育った子は、自然に理解力・思考力が備わってきます。
 
「自分のことを書く」(モネ・いとゆ先生)
 先日大学時代の友達と、半年ぶりに会ってきました。現在、中学の英語教師をしている彼女とは、ふだんはなかなか会えませんが、年に2回、夏休みと冬休みに会っておしゃべりをするのがお互いの楽しみになっています。
 彼女は昔からのんびりとしていてマイペース、いつもお化粧もせずまるで赤ちゃんのような笑顔の持ち主です。この間も、待ち合わせ場所に大荷物をかかえてにこにこしながら現れたので、どうしたのかと思ってびっくりしました。すると、「道ばたですてきなお皿をとても安く売っていたので、たくさん買ってきたの。1まいどうぞ。」と言って、新聞紙でつつまれた大きなお皿を、大事そうにわたしてくれました。そんな、ちょっと変わった人なのです。
 おいしいお食事と少々のお酒をお供に、2人のおしゃべりは延々と続きます。彼女の受け持っている中学3年生の英語の授業の話題になると、急に顔をくもらせながらこう言いました。
 「3文英作文といって、英語の長文を読んでそれに対する感想を3文書かせることがあるのだけど、その内容がちっともおもしろくないの。」
 彼女が言うには、提出される作文はどれも、「私は○○さんのこういうところがいいと思います。(I think that〜)」、「どうしてかというと〜だからです。(Bcause〜)」、「私は、○○さんのようになりたいです。(I want to〜)」という判で押したようなパターンの作文ばかりなのだそうです。
 私は、「そう言うとき、生徒になんて言うの?」と聞くと、彼女は「もし私が○○さんだったら〜」や「私も○○さんと同じように〜という経験をしたことがあります。」のように、自分のことを書く文を入れてみたら、とアドバイスするのだと言っていました。
 「たとえ1文でも、自分らしさの出る表現が入っていたら、その作文は誰にも書けない自分だけのものになるのにね。」とほほえみながら語る彼女の横顔を見ながら、私もその通りだとうなずきました。そして、今みなさんに教えている「自分のことを書く」という練習は、中学で英語を勉強するときにも役に立つのだと思い、うれしくなりました。

 重い荷物をものともせず、軽やかに駅の階段を上って行く彼女を見送りながら、「たとえ環境はちがっても、同じような思いを胸にいだきながら仕事をしているなんて、親友ってふしぎだなぁ。」と何だか楽しい気分になりました。
「否定で返すな」(けいこ/なら先生)
  越川礼子さんという江戸しぐさを研究している人の本が、最近よく採り上げられています。『江戸の繁盛しぐさ』(日経文庫)などは出版されたばかりなので、書店で見かけることも多いかと思います。
 越川さんが書いていることの中に、「戸締め言葉を避ける」という話がありました。戸締め言葉とは、「でも」「しかし」などの否定的な言葉のことで、戸を閉めて中に入れない、つまり人の話を無視するような言葉です。これは、相手よりも自分を中心とする心の表れで、謙虚さに欠けると嫌われたそうです。現代でも、人と話していて、否定的な言葉を返答の冒頭につける人は、少なくありません。
 「でも、それって……でしょ。」
 「だって、そんなこと言ったって……。」
 「どうせ、実現できないと思うよ。」
試しに、誰かと話していて、わざと返事を「でも〜」と繰り返してみるとどうでしょう。きっと、相手の顔はだんだん険しくなって、次第にけんか腰になるか、話が止まってしまうか、いずれにしても雰囲気が悪くなるに違いありません。自論をわからせよういう気持ちが、強くなってしまうのですね。あれ、もしかして、私もそうかも! 反省、反省。
 越川さんは、こう続けています。「まず素直に聞き、異論があれば『そういうお考えもあると思いますが』と一言添えるなど、相手を立てる思いやりがほしい。」おやおや、これは作文に使えそうですね。中学生の課題になっている「反対意見への理解」が当てはまります。自分の意見を述べた後で、「確かに……という(自分とは対立する)意見もある。だが、やはり〜」と自論を進めていくという組み立てです。私はよく「Yes,but〜」と説明しています。いったん、「そうですね。」と相手の意見を受け容れて、あなたの考えは理解したことを示すということです。時には、「Yes,and〜」というように、否定の言葉を避けることもできそうです。「そうですね。それに加えて、こういうことも考えられませんか?」
 相手を締め出すというのとは少し違いますが、もう一つ、「どうせ」の話を紹介します。中学時代、定期テストが返されたときに、ある男の子が「どうせこのくらいの点数しか取れないし。」と言いながら、答案を受け取りました。そのとき、先生が「どうせとかだってとかを使う人間は、自分で限界を作っている。」と怒ったのです。相手に対する否定語は「戸締め」になりますが、自分に対する否定語は、自分に限界を作ったり、やらなかったことに対する甘えや言い訳・逃げだったりすることもあります。あれ、これまた、私はよく口にしている!? 否定語を使うのは本当に難しいですね。 
「「言葉の森」をしていてよかったな(ぺんぎん/いのろ先生)
残暑お見舞い申し上げます。
 こんにちは。夏休みもあと少しですね。好きなことに時間を使えたかな? どこかに出かけて、色々な物を見ることができたかな? 勉強ばっかりだったよ、という生徒さんもいるでしょうけれど、「勉強」は大人になるとなかなか時間がとれなくてできませんから、「あ、それもそうだな☆」と思って、楽しんじゃってください(笑)。

 先生はこの夏、福祉(ふくし)関係の学校に勉強に行くチャンスがありました。1週間です。夏休みじゃなければなかなかできない体験(たいけん)でしたよ。そんな中で、「言葉の森」をしていてよかったな、と思うことがいくつもあったので、ご紹介致しましょう。

 むずかしい本もどんどん読める!
 普段からみんなと一緒に長文をたくさん読んでいたからでしょう(笑)。字に目がなれていて、あまりつかれないで問題文(もんだいぶん)やぶあつい福祉のテキストをすいすい読めていることに気がつきました。みんなもきっとそうかもしれませんね。この夏は、ちょっとぶあつい本も読んでみるといいですよ。
 文章を書くのが楽に。
 先生は学校に行って、「生徒」になりました。生徒になると、調べたことをたくさん書きます。みんなも、学校の宿題の「作文」や「夏の自由研究」の文などが、とても楽に書けたのでは?
 実は先生も、みんなに教えている項目を大事にしてレポートを書いています。大人になっても項目はかなり役に立ちますよ。先生が好きな項目は、「●複数の理由一、二」など。ずっと「言葉の森」にいると、いつか出会う(もう出会っている!?)項目です。
 「要約」は援助(えんじょ)の力。
 先生が一緒に勉強した仲間(なかま)には、耳が不自由なMさんもいらっしゃいました。Mさんの横にいるボランティアの人が、授業(じゅぎょう)をノートテイクします。ノートテイクって? それは、話している先生の言葉の大事なところをすばやくノートにとり、それをMさんが見て、一緒に授業を理解(りかい)するという方法なんだよ。つまり、「要約(ようやく)」すること、なのです。
 五年生になると、感想文の時、「●要約」という項目が入ってきますね。大事なところを見ぬく目が養(やしな)われます。これが、人を助ける手段(しゅだん)になるとは、と先生は感動しました。

これは先生の夏の体験です。ほかにも、「手話」に強く興味(きょうみ)を持つことができ、新しいことをたくさん発見した夏になりました。
 みんなはどんな夏だったかな? ふだんの生活とちがったおもしろい体験があれば、ぜひ作文にしてみましょうね。では、残りのお休みは学校の宿題を全部やったかを点検(てんけん)して(笑)、新学期にそなえていきましょう。またお電話でお話する時を楽しみにしています。
 
「ブレーブ・ストーリー」(イルカ/かこ先生)


 皆さんは、夏休みをどのように過ごしていますか。私は先日、娘と一緒に映画を久しぶりに見てきました。「パイレーツ・オブ・カリビアン」と「ブレーブ・ストーリー」です。ジョニー・デップが出るとあって、さすがに「パイレーツ・オブ・カリビアン」は長蛇の列でした。(>_<) どちらもよかったのですが、今回皆さんにお薦めしたいのは、「ブレーブ・ストーリー」です。
 この映画はアニメですから、子供向けと思われるかもしれませんが、見方によっては大人も考えさせられる内容だと思います。主人公が自分の願いを叶えるために幻想の世界を旅するというものですが、私が受け取ったメッセージは次のようなことです。
? 自分を受け入れること
 人間は誰でも弱さを持っています。弱い部分を背負って生きています。どんなに強がっても、その裏には弱い自分があり、それを隠そうとしているところがあります。自分はそんなことはないと否定します。しかし、弱い自分も自分の一部なのです。それを認めてあげることは、精神的な余裕ができます。私ってそういうところもあるのよね、と全てを受け入れてあげること。悪いことも良いことも、全てをそのまま受け入れてあげることは自分の存在を認めてあげることになるのです。
? 現実を受け止めること
 自分が向き合っている現実を受け入れたくないという時があると思います。特に悪い現実であれば、そこから逃げ出したくなるものです。安易な方法を取ったりします。しかし、それでは次へのステップを踏むことはできませんね。どんな状況であっても、それが現実であると受け止めることが大事なのです。受け止めることができた時、人は精神的に強くなるのではないかと思います。
? 夢をあきらめないこと
 皆さんは将来の夢を持っていると思います。大人になったらこうなりたいなあという夢。夢というものは、大人であっても持ち続けられるものだと私は思っています。もちろん、私にも夢があります。その夢に向かって進もうとした時、その道を何かにふさがれてしまったらどうしますか。すぐにあきらめてしまいますか。この時期に叶えたいという計画が壊されてしまっても、あきらめてしまったらその時点で終わりなのではないでしょうか。どんなに時間がかかろうとも、いつか必ずという気持ちを持っていれば、その夢は叶うはず。そのためには、自分を受け入れ、自分を信じ、現実から逃げないこと。年齢が若いほど、その夢を叶えられるチャンスはあると思います。
 今年の夏、娘は足の手術をします。両足首の後ろ側に三角骨という骨ができてしまい、トゥシューズを履いて踊る時に激痛が走るため、両足の三角骨をとることにしたのです。それは本人の決断でした。生活には支障がないため、本当にするのかと私の方が驚き焦ってしまったのですが、それをしなければ自分の夢を叶えることはできないと判断したのだと思います。そこまでの決断を下すまでに、かなり悩んだと思います。何回も泣いたことでしょう。手術をすれば、最低でも一ヶ月は踊ってはいけないとお医者様から言われていますし、痛みもすぐにはとれるわけではありません。その間に他の人はどんどん進んでしまうのです。命にかかわるようなことではないにしても、手術をすること自体が恐怖だと思います。ここであきらめて、他の道を選ぶこともできたにもかかわらず、手術を選択したということは、それだけ自分の夢を実現させたいという願いが強かったのかもしれません。今現在の事実とこれから向かい合う現実とを受け入れる覚悟で決断したのでしょう。入院前の娘は不安を隠すように、いつもより笑顔でいるような気がしますが、もしかしたら決断をしたことで一回り成長したのかもしれません。「ブレーブ・ストーリー」を見たいと言ったのは、自分自身が決断したことを確かめたかったのかなと思います。
 ポケモンを思わせるような映像でしたが、アニメもバカにできないと思いつつ帰ってきました。映画を見て、あるいは本を読んで、その感じ方は人それぞれです。どんな受け取り方でもよいと思います。一度、この映画を見て考えてみるものよいかもしれません。

 
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